金剛峯寺を参拝した後は、歩いてすぐのところにある
金堂や
根本大堂を参拝してみることにしました。去年来たときには訪れていないエリアです。
壇場伽藍と呼ばれるエリアで、比較的小さな敷地内にギュッとお堂が集まっています。
車道からこの伽藍地区へと続く参道は紅葉に覆われていてとても綺麗でした。
写真を撮る参拝客の姿も多く見られます。
奥に見える朱色の塔が根本大堂、中央が大会堂、手前が東塔
東塔
参道を抜けて伽藍地区に入ると、まず見えてくるのが
大会堂と
東塔です。
この奥の大きな朱色の塔が根本大堂です。
手前から東塔、大会堂、根本大堂がずらっと並んでいるため、3つをカメラにも収めやすいです。木々の合間から見える建物が絵的にも良いため、何かとウェブやムックでも見かけるアングルです。
根本大堂
根本大堂は朱色が特徴の多宝塔です。かなり巨大な建築物でした。
内部も拝観させてもらえます。
多宝塔様式の建築としては日本最古のものらしく、本尊は胎蔵大日如来です。その周りを金剛界の四仏が囲んでおり、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には八祖像の絵が配置され、堂内それ自体が
三次元的に曼荼羅を構成しているそうな。山田正紀さんのミステリにもそういうのがありましたよね、確か。すさまじい建築でちょっと感動しました。
根本大堂の前には、高野山が満を持して送るゆるきゃら「こうやくん」が立っていて、写真を撮るならここが良さそうでした。しかし、実際はこうやくんと根本大堂を同時に画面に納めるのにはローアングルからの撮影が必要で、そんなことは誰もしておらず、間近から根本大堂を撮影している人ばかりでした。
金堂
根本大堂の南には
金堂がありました。
金堂は何度か再建された過去が有るらしく、一見すると木造建築に見えますが、実は鉄骨鉄筋コンクリート造なんだそうです。
この金堂も内部を拝観することが可能です。箱に拝観料を入れるシステムなので小銭必須です。
ちなみに金堂を中心としたこの壇場伽藍が、空海の高野山造営の始まりの地とされているそうです。なにやらこの壇場伽藍は〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているそうな。根本大堂の内装もそうですが、曼荼羅づくしです!なんだかここにいるだけでパワーがみなぎってきそうです。
壇場伽藍の南、この金堂の真正面にあるのが現在再建中の
中門で、この工事に使用されている高野霊木のヒノキが御朱印帳に使用されているのです。
六角経蔵
敷地の片隅、金堂の西には
六角経蔵という経蔵がひっそりとありました。
上の画像の、土台の木の部分ににょきにょきと尻尾のような出っ張りが付いているのがお分かりでしょうか。
なんでもこの出っ張りを押すと土台部分が回転するそうで、これを1回転させてみせれば、一切経を一通り読誦した功徳が得られると言われているそうです。 このことは家に帰ってから知ったので、自分は回していません。回しておくんだった!と少し後悔中です。やっぱりなんでもかんでも現地でスマホで調べてみるべきですね。せっかくのユビキタスツールなのに勿体無い。
後悔といえば、この壇場伽藍内にある
三鈷の松の写真を撮り忘れたこと!
空海が大陸から三鈷を投げつけてぶち当たったとされる松です。この三鈷の松の周りには朱色の柵が作られていて、題大事に管理されている印象を受けました。
社務所
金堂の御朱印(左)
根本大堂の御朱印(右)
金堂のそばには社務所があり、そこでお守りや御朱印の授与が行なわれていました。
根本大堂と金堂の参拝も終わったので、買ったばかりの朱印帳に御朱印をしてもらいました。
ここでは1か所で
根本大堂と金堂の2つの御朱印をもらうことができました。やったね!(๑•̀ㅂ•́)و✧
「参拝をして御朱印を貰う」というのを自分の中でのルールにしようと思います。「御朱印を貰いに神社やお寺に行く」というのは最低限のマナーとして辞めておこうと思います。でないと本当にスタンプラリーになってしまいます。今までどおり参拝目的で神社やお寺に行く、というのを心がけたいところです。
大門 東側
御朱印を貰った後は、バスに乗って高野山の観光エリア最西端にある
大門へと足を運びます。
奥の院を参拝した後でも良かったのですが、西の観光スポットは一気に押さえてしまっておこうと思って訪れてみました。
このときバスは超満員。連休を利用して観光客が大挙し始める時間です。
バス停でバスを降りると、目と鼻の先に大門が佇立していました。
敷地にポンっと建っており、道路が整備されている今でこそ「何のためにある門だこりゃあ?」という感覚になってしまいますが、そばに立っている看板を読むと、むかしはこの門が高野山の西の入口として機能していたようです。
重要文化財に指定されるだけあり、意匠的にもたいへん立派な門でした。
阿形
吽形
バス停側とは反対側の西側が門の入口側となります。そのため門の上部には「高野山」という文字が見え、両脇には阿形と吽形の金剛力士立像が配備されていて門の番をしていました。東大寺の南大門のものよりは巨大ではありませんでしたが、立派な像でした。当時はこの彫刻の材料はどうしたのでしょうか。現地調達した高野霊木を使用したのでしょうか。いろいろ想像が膨らみます。
「日々の影向を闕さずして、処々の遺跡を檢知す」
上の画像では少し分かりにくいですが、門の柱には聯が掛かっていて、緑色の文字で「日々の影向を闕さずして、処々の遺跡を檢知す」という文字が記述されていました。意味が分からないので調べてみると「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味だそうな。
これは同行二人という信仰を表した文言です。「いつも弘法大師と一緒に巡礼している」という真言宗ならではの考え方のようです。そういえば今回高野山を歩いていても、「同行二人」という文字が書かれている袋を持ったお遍路さんと多く遭遇しました。こういう意味があったのですね。勉強になります。
大門の北側には山へと続く道が口をあけていました。朱色の門が立っていて、その脇には
「嶽弁天岳登山道」とあります。
高野山の入口にある女人堂あたりまで続いているそうで、山頂に嶽弁才天が祀られているとのこと。
入りにくいオーラが漂っていて、
一歩足を踏み入れると三津田信三ワールドへ突入しそうだったので、ここは写真を撮るだけでやめておきました。
この大門はだいたい10分も眺めていれば充分で、あまり観光時間は要しません。あるのは門だけです。
次の目的地である奥の院へと向かうために、もと来たバス停へと戻ったのですが、次にバスが来るのが1時間ほど後。歩いた方が全然早いと判断して、千手院前まで歩いて戻ったのでした。
大門前のお店で買った草餅 1個120円
商店がいくつも立ち並んでいるため、歩いても割と退屈しません。だいたい1kmくらいです。帰り道に草餅を買って食べ歩いたりしているとあっという間に千手院前のバス停に到着です。ここはバスがよく通るので、ここでバスに乗り込み奥の院へと向かったのでした。
車道からこの伽藍地区へと続く参道は紅葉に覆われていてとても綺麗でした。
写真を撮る参拝客の姿も多く見られます。
奥に見える朱色の塔が根本大堂、中央が大会堂、手前が東塔
東塔
参道を抜けて伽藍地区に入ると、まず見えてくるのが
大会堂と
東塔です。
この奥の大きな朱色の塔が根本大堂です。
手前から東塔、大会堂、根本大堂がずらっと並んでいるため、3つをカメラにも収めやすいです。木々の合間から見える建物が絵的にも良いため、何かとウェブやムックでも見かけるアングルです。
根本大堂
根本大堂は朱色が特徴の多宝塔です。かなり巨大な建築物でした。
内部も拝観させてもらえます。
多宝塔様式の建築としては日本最古のものらしく、本尊は胎蔵大日如来です。その周りを金剛界の四仏が囲んでおり、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には八祖像の絵が配置され、堂内それ自体が
三次元的に曼荼羅を構成しているそうな。山田正紀さんのミステリにもそういうのがありましたよね、確か。すさまじい建築でちょっと感動しました。
根本大堂の前には、高野山が満を持して送るゆるきゃら「こうやくん」が立っていて、写真を撮るならここが良さそうでした。しかし、実際はこうやくんと根本大堂を同時に画面に納めるのにはローアングルからの撮影が必要で、そんなことは誰もしておらず、間近から根本大堂を撮影している人ばかりでした。
金堂
根本大堂の南には
金堂がありました。
金堂は何度か再建された過去が有るらしく、一見すると木造建築に見えますが、実は鉄骨鉄筋コンクリート造なんだそうです。
この金堂も内部を拝観することが可能です。箱に拝観料を入れるシステムなので小銭必須です。
ちなみに金堂を中心としたこの壇場伽藍が、空海の高野山造営の始まりの地とされているそうです。なにやらこの壇場伽藍は〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているそうな。根本大堂の内装もそうですが、曼荼羅づくしです!なんだかここにいるだけでパワーがみなぎってきそうです。
壇場伽藍の南、この金堂の真正面にあるのが現在再建中の
中門で、この工事に使用されている高野霊木のヒノキが御朱印帳に使用されているのです。
六角経蔵
敷地の片隅、金堂の西には
六角経蔵という経蔵がひっそりとありました。
上の画像の、土台の木の部分ににょきにょきと尻尾のような出っ張りが付いているのがお分かりでしょうか。
なんでもこの出っ張りを押すと土台部分が回転するそうで、これを1回転させてみせれば、一切経を一通り読誦した功徳が得られると言われているそうです。 このことは家に帰ってから知ったので、自分は回していません。回しておくんだった!と少し後悔中です。やっぱりなんでもかんでも現地でスマホで調べてみるべきですね。せっかくのユビキタスツールなのに勿体無い。
後悔といえば、この壇場伽藍内にある
三鈷の松の写真を撮り忘れたこと!
空海が大陸から三鈷を投げつけてぶち当たったとされる松です。この三鈷の松の周りには朱色の柵が作られていて、題大事に管理されている印象を受けました。
社務所
金堂の御朱印(左)
根本大堂の御朱印(右)
金堂のそばには社務所があり、そこでお守りや御朱印の授与が行なわれていました。
根本大堂と金堂の参拝も終わったので、買ったばかりの朱印帳に御朱印をしてもらいました。
ここでは1か所で
根本大堂と金堂の2つの御朱印をもらうことができました。やったね!(๑•̀ㅂ•́)و✧
「参拝をして御朱印を貰う」というのを自分の中でのルールにしようと思います。「御朱印を貰いに神社やお寺に行く」というのは最低限のマナーとして辞めておこうと思います。でないと本当にスタンプラリーになってしまいます。今までどおり参拝目的で神社やお寺に行く、というのを心がけたいところです。
大門 東側
御朱印を貰った後は、バスに乗って高野山の観光エリア最西端にある
大門へと足を運びます。
奥の院を参拝した後でも良かったのですが、西の観光スポットは一気に押さえてしまっておこうと思って訪れてみました。
このときバスは超満員。連休を利用して観光客が大挙し始める時間です。
バス停でバスを降りると、目と鼻の先に大門が佇立していました。
敷地にポンっと建っており、道路が整備されている今でこそ「何のためにある門だこりゃあ?」という感覚になってしまいますが、そばに立っている看板を読むと、むかしはこの門が高野山の西の入口として機能していたようです。
重要文化財に指定されるだけあり、意匠的にもたいへん立派な門でした。
阿形
吽形
バス停側とは反対側の西側が門の入口側となります。そのため門の上部には「高野山」という文字が見え、両脇には阿形と吽形の金剛力士立像が配備されていて門の番をしていました。東大寺の南大門のものよりは巨大ではありませんでしたが、立派な像でした。当時はこの彫刻の材料はどうしたのでしょうか。現地調達した高野霊木を使用したのでしょうか。いろいろ想像が膨らみます。
「日々の影向を闕さずして、処々の遺跡を檢知す」
上の画像では少し分かりにくいですが、門の柱には聯が掛かっていて、緑色の文字で「日々の影向を闕さずして、処々の遺跡を檢知す」という文字が記述されていました。意味が分からないので調べてみると「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味だそうな。
これは同行二人という信仰を表した文言です。「いつも弘法大師と一緒に巡礼している」という真言宗ならではの考え方のようです。そういえば今回高野山を歩いていても、「同行二人」という文字が書かれている袋を持ったお遍路さんと多く遭遇しました。こういう意味があったのですね。勉強になります。
大門の北側には山へと続く道が口をあけていました。朱色の門が立っていて、その脇には
「嶽弁天岳登山道」とあります。
高野山の入口にある女人堂あたりまで続いているそうで、山頂に嶽弁才天が祀られているとのこと。
入りにくいオーラが漂っていて、
一歩足を踏み入れると三津田信三ワールドへ突入しそうだったので、ここは写真を撮るだけでやめておきました。
この大門はだいたい10分も眺めていれば充分で、あまり観光時間は要しません。あるのは門だけです。
次の目的地である奥の院へと向かうために、もと来たバス停へと戻ったのですが、次にバスが来るのが1時間ほど後。歩いた方が全然早いと判断して、千手院前まで歩いて戻ったのでした。
大門前のお店で買った草餅 1個120円
商店がいくつも立ち並んでいるため、歩いても割と退屈しません。だいたい1kmくらいです。帰り道に草餅を買って食べ歩いたりしているとあっという間に千手院前のバス停に到着です。ここはバスがよく通るので、ここでバスに乗り込み奥の院へと向かったのでした。