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菊は多様で多彩で重厚な花
1.菊:厚盛-01D 0711q
写真1

2.菊:管物菊-04D 1211q
写真2

3.菊:懸崖作り-01D 0711q
写真3

桜が春を代表する花なら
秋を代表する花は菊です
桜はあっと言う間に散りますが
菊は長く咲き続けます

桜は日本の国花です
菊も日本国を象徴する花です
皇室の紋章は菊であり
日本人が持つパスポートには菊の紋章があります

菊は重厚な花ですが多様かつ多彩です
中山義秀の小説「厚物咲」に見るように
人間の創造的栽培にきめ細かく反応し
大菊、厚物、厚走り、管物、一文字などに変化します
(写真1,2,3)

菊は中国から薬草として輸入され
江戸末期に改良された菊が西欧に輸出され
日本の花として知られ
今は菊はキクとなりました
以上
【2024/10/21 16:34】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
嫌われ者のブタクサも秋の風景
1.ブタクサ風景-01P 86qc

ススキの穂が出る頃、ブタクサも黄色い花を咲かせます。ススキは日本在来の草ですが、ブタクサは北米原産で明治初期に渡来した草です。北米では枯草熱(hey fever)を引起こす草として嫌われていますが、日本でもブタクサは花粉症を起こす草として杉、檜に次いで嫌われています。

戦後、それまで東京では見たこともなかったブタクサが空き地に繁茂し始めました。これは占領軍が日本に上陸したとき持ち込んだ草の種が広がったのだと言われました。やがて、あちこちの郊外でもススキの野原の代わってブタクサの野原が出現しました。

ブタクサは1メートル余りの高さまで伸びてススキを圧倒します。しかし、ブタクサの姿形はススキの風情に遠く及びません。ブタクサと言う名前の由来は明らかでありませんが、いかにも格好が悪く、人に好かれないと言うイメージを表現するネーミングです。(ブタクサの学術名はセイタカアワダチソウと言う。)

日本在来種のススキは雑草の中で一番生命力のある草ですが、外来種のブタクサの繁殖力には敵わなかったようです。河原のあちこちで、ススキ野はブタクサに取り囲まれて消えていきました。しかし植物の繁殖にも盛衰があるようです。ブタクサの繁殖が嘗てのような勢いがなくなったと言われます。何故かは明らかではありませんが、作物の連作が地力を低下させて収穫を減らすように、ブタクサは余りの繁殖のために自家中毒を起こしているのかも知れません。

嘗て白い穂のススキ野で囲まれていた牛久沼(茨城県)の岸辺は、一時、黄色い穂のブタクサで占領されていましたが、今再びススキが復活する兆し見えます。ブタクサの野原にススキの穂が顔を出しています。(写真)

自然は自然で自らのバランスをとるようです。こうして外来種のブタクサは、日本の風景に同化していくのでしょう。そう思うと、白いススキの穂に黄色いブタクサが混ざり合った風景も次第に日本の秋の風景に見えてきます。
(以上)

【2024/10/15 21:21】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
中世の政変を見ていた銀杏の大木
鶴岡八幡宮-14D 0812q

鎌倉の鶴岡八幡宮
本堂に上がる階段の脇に
大きな銀杏の樹が一本聳える

この樹に潜む刺客に
鎌倉幕府の三代将軍源実朝は
建保7年(1219年)暗殺された

実朝の死で源氏の正統は三代で終わり
鎌倉幕府は北条家による執権政治に代わる
その後武家政権は北条氏から足利氏へと続く

朝廷の権威と武家の権力の対立は
鎌倉幕府の終焉で始まり
戦国時代を経て徳川時代まで続く

明治になって権威と権力は統一されたが
昭和の敗戦で権威と権力は再び分離され
象徴天皇の誕生となる

権威と権力の対立が始まる契機となった
実朝暗殺を見ていた銀杏の巨木は
倒れて今は無い

以上
【2024/10/07 15:44】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
見事な巨樹の最後の気力
1.樹木-26Pq

2.新宿御苑-12D 0711qc

花の輪に囲まれて
古稀を祝う大木

茶褐色の太い樹幹は
古木の貫禄示す

秋に台風に見舞われて
古木の樹幹が折れた

添え木に支えられて
横たわる大木

最後の力を振り絞って
なおも立ち上がらん気力

私は死なない
復活すると
以上
【2024/09/26 16:43】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
晩夏の鎌倉の寺で
1.桔梗-02Pq

2.のうぜん蔓-05Pqc

暦で立秋を過ぎても
晩夏の暑さは厳しくなるばかり

雨上がりの鎌倉の寺の境内
旧盆が過ぎて人影はない

一人参道を進むと
花壇にキキョウの花が咲いていた

もう秋は近いと頭上を見上げたら
真夏の花ノウゼンカズラが揺らいでいた

橙色のノウゼンカズラは炎のよう
太陽の朱夏を思わせる

紫色のキキョウは涼しげに
近づく白秋を思わせる

暑さで空気までが動かない鎌倉の寺
花は晩夏と初秋を謳歌する

以上
【2024/09/16 20:06】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
吾こそは天を支えるアトラース
樹の幹-09P

地球の先住者は樹木
炭酸ガスを吸い酸素を吐いた
空気に酸素が満ちた

次に地球に現れたのが動物たち
酸素を吸って炭酸ガスを吐いた
炭酸ガスが増えて樹木は繁茂した

やがて樹木は筋骨隆々の体躯となり
地球の重い天井を支えて
大地に聳える巨樹となった

吾こそはアトラース
両腕と頭で天を支えるアトラース
ギリシャ神話のアトラース

ハイネの詩にシューベルトが曲を付けた
吾こそは不幸なアトラース
世界の苦悩を一人で背負うアトラース
以上
【2024/09/07 20:36】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東京の町を育てた隅田川
1.隅田川:全景-01P 99h qr
写真1

2.隅田川:遊覧船-14P 02 qt
写真2

3.隅田川:ゴミ廃棄船-05P 04 qt
写真3

4.隅田川-01N 03 qc
写真4

5.遊覧船-20D 1002 q
写真5

6.隅田川:遊覧船-16P 02 q
写真6

7.隅田川の桜:船-06D 1004 qc
写真7

8.レインボーブリッジ-07D 1306 q
写真8

隅田川は東京の町を育てた川です
滝廉太郎の「春のうららの隅田川」のように
東京人を育み楽しませました

明治の隅田川は
時々洪水で東京の下町を悩ませましたが
大正時代に荒川放水路が開削されて
穏やかに豊かに流れる川になりました

昭和の隅田川は
川幅は広く水量は多く緩やかに流れます
戦前の隅田川は東京の水運の動脈でしたから
産業資材も運びましたが町の廃棄物も運びました
戦後に一時は悪臭で悩ませたこともありましたが
今は遊覧船の行き交う憩いの川となりました
(写真1、2、3,4)

遊覧船の中には衣装を纏ったものもありますが
大半は作業船のように装飾も無い無粋は姿です
偶には宇宙船のようにモダンなものもありますが
低い隅田川の橋をくぐるため
全ての遊覧船は蟹のように皆低く伏していて
船上にはデッキも無ければ飾りもありません
(写真5、6)

昼は遊覧船が行き交いますが夜は屋形船が漂う隅田川です
屋形船の船縁に吊した提灯が灯る頃
船内で宴会が始まる頃
屋形船は隅田川の河口に漂い
レインボーウブリジを仰ぎ見るのです
(写真7、8)

以上






【2024/08/27 12:33】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雨傘は梅雨に咲く花
1.雨降り-02P 96q

2.明治神宮-05P 86q

日本では雨期は年に二度あります。6月の梅雨(つゆ)と10月の秋雨(あきさめ)です。

昔の梅雨は最初はしとしと降り、夏に入る直前に強く降りましたが、この頃は最初から特定の場所に集中して大雨を降らすようになりました。

秋雨は、最初の頃はかなり強く降りますが、後半に入ると秋の長雨と言われるようにダラダラと降るので、なかなか終わらず寒々として憂鬱な日が続きます。

日本では春夏秋冬の四季の長さがほぼ等間隔にあるので、それぞれの季節に咲く花の種類が多いのですが、雨期には自然の花に加えて街中に人工の花が咲きます。それは雨傘の花です。

昔の雨傘は黒いものと決まっていましたが、最近では日傘のように色彩豊かで絵柄も多様です。そのお陰で街には明るい雨傘の花が咲いています。

梅雨どきは雨雲で街は薄暗いのですが、雨傘の明るい花が街路に咲き乱れると、暗さや寒さを和らげます。
(以上)


【2024/07/13 09:28】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
牡丹は豪華だが虚弱な花
1.上野東照宮ぼたん苑-10D 0604
写真1

2.上野東照宮ぼたん苑-17D 0604
写真2

3.上野東照宮ぼたん苑-21D 0604
写真3

牡丹は花の女王です
ひときわ花房が大きくて
一輪でも豪華です

幾重にも重なる花びらは
恥じらうように繊細で
微笑むように暖かです
(写真1)

牡丹は女王なのにひ弱です。
雨に打たれて乱れます
それでも花びらは艶麗です
(写真2)

牡丹は直射日光を嫌います
美貌に日焼けは良くないと
大きな唐傘をかざします
(写真3)
以上
【2024/06/30 12:50】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
昔の田舎にあった小さな小屋や小さな土蔵はもうない
1.田-07P 93q
写真1

2.土蔵-01P 98q
写真2

静岡の山間部を歩いていたとき見かけた風景ですが、山あいの小さな田んぼの中に小さい藁葺小屋がありました。ミニチュアの藁葺き小屋の模型を見るようで面白く今でも記憶に残っています。
(写真1)

田んぼの中の小さい藁葺小屋は、田植えや田の草取りの合間に休憩するとき使ったのでしょうか、或いは農機具を一時保管するためだったでしょうか。

山間部の水田は生産性が低いので休耕の奨励策で次第に消えていきますから今は藁葺小屋は消えて無いでしょう。稲作は日本の伝統的農業で稲作文化が作り上げた風景です。残して欲しいものの一つです。

昔、福島県の田舎を車で走っていたら広い農地の真ん中にポツンと小さな土蔵が建っているのを見つけ珍しいので車を降りてて近づいて眺めたことがあります。広い農地の中の小さな土蔵ですが入念に藁を混ぜた赤土で練り上げられた正に土蔵というものでした。
(写真2)

農家の庭先でしたら収穫物の保存用ですからもっと大きな土蔵を建てるのが普通でしょうが、広い農地の真ん中にポツンと一軒家ですから不思議に思い中を覗きましたら農機具が置いてありました。

農機具小屋にしては立派過ぎますから、農家の自宅は遠いところにあるので農作業の拠点としての寒いとき、暑いときはここで寝泊まりするため土蔵造りにしたのかと思いました。その後訪れていませんので、今も存在しているか知りませんが、農村風景として残して欲しいものの一つです。

フランスやスイスでは農村や山岳の風景を維持するため、農民や牧畜民に補助金を与えたり、人出不足の山岳牧場には他国から牧童の移民を受け入れているそうです。

近頃の外国人観光客は日本の地方の農山村に興味を以て訪ねているそうです。観光資源としての農業政策もあっていいでしょう。
以上
【2024/06/20 20:32】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
お色直しする庭木
さつき-04P 90c

さつき-07P 90qc

さつき-11P 96c

結婚の披露宴でお色直しという行事があります。披露宴たけなわの頃、新婦が衣裳を着替えて改めて登場する儀式です。この頃は新婦だけでなく新郎もお色直しをする人も現れていますが、なんと言ってもお色直しの花形は新婦の方です。

新婦のお色直しは、大抵は和装から洋装に変身するものです。洋装に着替える方が、和装に着替えるよりも手間暇が掛からないからです。宴会の花形が衣替えして参会者の目を楽しませることは大いに結構なことです。

さて、衣裳を替えるのは人間だけではありません。自然界も四季に応じて衣替えをします。日本の四季は徐々に変化しますから、自然の衣替えは、披露宴のように忽然と変化するのではなく、グラデーション(諧調)の変化を伴って徐々に変化します。

その変化は、お色直しのように変化を強調するものではありません。同じ所を時間を掛けて何度もくり返し見ていないと、つい見落としてしまう変化です。

自然界のお色直しは、結婚披露宴と同様にモデルは代わりませんが、徐々に進行しますので、うっかりしていると気付かない内に行われます。茶色から緑色へ、緑色から赤色へと衣装を着替えていくのです。
(以上)
【2024/06/10 10:20】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夕方に明るく映える新緑の庭園で
1.小石川後楽園:内庭-24D 2305q

日一日と昼間が伸びて
時には真夏日のように暑くなるころ
新緑の緑が最後の輝きを放つ

閉園の時が迫る夕方
人影が消えた池のある庭園で
最後の日差しが新緑に映える

池に浮く蓮の葉の照り返しで
新緑の緑は更に明るさを増し
新緑が放つ光は空気まで照らす
以上
【2024/05/31 21:00】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
姫の沢公園のつつじと塩船観音寺のつつじ
1.姫の沢つつじ-10P 90q
写真1

2.姫の沢つつじ-08P 90Y09qt
写真2

3。塩船観音寺つつじ祭-20D 06
写真3

4.塩船観音寺つつじ祭-01D 06
写真4

関東地方では、つつじは5月の連休頃に満開になります。丁度その頃は野山は新緑で覆われていて、つつじの赤い色は一層際立ちます。つつじの赤をアザレア色と言いますが、それは赤というよりも炎のような赤紫色です。

九州の雲仙岳や霧島山などでは自生したつつじが山を覆っていますが、そのつつじが開花するときには全山が真っ赤に染まり、正に「躑躅燃ゆ」と言う言葉が相応しい光景になるそうです。

つつじは、酸性の土壌を好む植物です。火山国の日本では酸性土壌は広く分布しているので、つつじの植生は全国に及びます。つつじの名所としては、先に挙げた九州の他に、関東では群馬県の館林、栃木県の日光、那須などが有名です。

つつじは昔から栽培されおり、剪定にも柔軟に反応するので、つつじ株を成形したり繋げたりして、造園するのに向いています。人工的に造形されたつ
つじ園で、自然のままのつつじ林とは違った美しさがあります。

熱海市の姫の沢公園のつつじ園と東京青梅市の塩船観音寺のつつじ園は、いずれも人工的に造形されたつつじ園です。共に山腹を利用して造成されているので、立体感があって、自然林のつつじには見られない見応えがあります。縞模様に造形された姫の沢公園のつつじ園にも、水玉模様のように造形された塩船観音のつつじ園にも新鮮な驚きを感じます。
(写真1、2、3、4)
(以上)


【2024/05/20 12:46】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
桜の川を泳ぐ北国の鯉のぼり
1.茶畑の鯉のぼり-02D 1705q
写真1

2.猪苗代-07P 99q
写真2

3.猪苗代-08P 99Y3q
写真3

関東地方ではゴールデン・ウイークの頃、鯉のぼりは新緑鮮やかな5月の空に泳ぎます。桜は既に散り、真っ赤なつつじが咲く頃です。新芽で明るい5月の茶園の上に鯉のぼりは泳いでいました。
(写真1)

梅が咲き、こぶしが咲き、その後に桜が咲くという様に、北国の春は矢継ぎ早です。それで北国では鯉のぼりは桜の花の川で泳ぎます。鯉のぼりは満開の桜の川を右に左に泳ぎます。猪苗代湖の湖畔で見つけた鯉のぼりです。
((写真2,3)
(以上)
【2024/05/10 19:28】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
花の道を行く
1.花の道-02D 1206q

2.菜の花:お台場-07D 06

3.桜-13Pq

歌舞伎では、役者が舞台に登場したり退場したりするときに観客席の中を通る廊下を「花道」といいます。舞台の始まりと終わりを演出する大事な場面ですので、花道と名付けられたのでしょう。その転用ですが、大相撲でも土俵に上がるべく関取が出入りする道を花道と言います。

この花道という言葉を比喩的に用いて、社会的活動や政治的活動から引退することを「花道を飾る」と云います。「終わりよければ全てよし」という諺はシェイクスピアの演劇の題名ですが、要は物事は最後の仕上げが大事だという意味で、引退する人に花道をつくる習慣があります。

これらの舞台や社会の花道では華々しいのが好まれますが、「花道」ならぬ「花の道」は、観客や取巻きなどの人気(ひとけ)のない、静けさが大事です。明るくても暗くても構いませんが、空気は麟として清々しく、道が曲がっていて行く先が見えないのが尚良いでしょう。

そのような花の道に出会えば、行きつ戻りつを繰り返して、長い長い花の道を楽しみます。人影が見えなくなったところで、一枚また一枚と写真を撮るのです。曲がった道を歩いていると夫々違った花の道の写真が撮れるので楽しみはまします。

ここは舞台の花道でもなく引退の花道でもありません。ここには来し方の過去はありませんし、行く末の未来も見えません。ただ、周囲の花々が見守ってくれる中で今という時間だけ静に流れています。
(以上)
【2024/05/01 20:20】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
幽冥の境を行く桜花
モンタージュ:桜-02P 92q

宗教を信じる人々は、死ねば幽冥の世界へ旅立つと信じています。この世に妖精が存在する信じる人々は、草木もこの世とあの世を往来していると考えます。嘗て地上に生育した草木が、枯死してのち幽冥に生き続ける霊的存在が妖精たちと見るのです。そして、妖精たちは地上の草木を守護する霊的存在と見るのです。

欧州の先住民族ケルト族は妖精の存在を信じていました。キリスト教では妖精の存在を否定します。幼いラフカディオ・ハーンは屡々妖精を見てそれを語ると伯母から厳しく叱責されて、以後キリスト教が嫌いになったと言います。今では妖精神話はキリスト教によって矮小化され、妖精達はハローウィンの化け物にされました。

しかし、万物に神宿るという日本の伝統的思想では、人間も草木もこの世で同じ次元に生きる存在であり、死後も霊的存在として共に生き続けると考えます。更には、日本では自然物だけでなく人工物にも霊的存在を認めて供養する習慣があります。針供養は折れた縫い針に、筆塚には使い古した筆に感謝を込めて、その霊魂を祭り上げる行事です。

このように万物に霊的存在を信じるようになれば、美しく咲いたあの桜の花びらにも霊的存在を感じても不思議ではありません。今、お濠の水面に散りつつある桜の花びらは、幽冥の世界に行く途中なのです。
(以上)
【2024/04/20 12:49】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
微笑ましい光景
銀ブラ-06D 05.6q

写真は銀座で見かけた光景です。お姿から推察して高齢のご夫婦が甘味処で何を食べようか相談しています。若い頃、デートで会ったお店でしょうか、小さな我が子を連れて入ったお店でしょうか。

歳をとっても家に引き籠もらずに街に出て、夫婦共々生活を楽しむことは健康増進に良いことです。病に罹り、寝たきりになるのは、本人も辛いですが、社会に負担を掛けるので避けなければなりません。

この頃は、庭園、映画館、美術館、博物館などの入場料を、高齢者には一般より安くしています。また東京都では高齢者にバス、地下鉄に乗るための割引シルバー・パスを発行しています。治療費や介護費を減らすなら、外出を奨励する経費は安いものです。

高齢者が街中に繰り出し易いように仕向けると、街行く人々の年齢幅が広がります。若者だけの街、働く者だけの街というのは、活気はありますが、ゆとりと安らぎが欠けています。

住宅地でも、同じ年代の家族が集中して住む団地は、どこかバランスを失うと云います。若い世代の時代はまだ良いとしても、高齢化が同時に進みますから、将来は新陳代謝のない陰鬱な団地になるでしょう。団地だけでなく人の住む街というものは、子供の遊ぶ声が聞こえて、若者達が動き回り、散歩する老人がいて、初めて人の住む街が完成するのです。

いよいよ高齢化の時代が盛りを迎え目に見えるようになってきました。若者達が街行く高齢者たちを見て、自分たちの将来もあんな風なら悪くはないと思える高齢者になりたいものです。
(以上)
【2024/04/10 11:51】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
交差点の上空に築かれた高速道路のジャンクションは見苦しい
1.西新宿ジャンクション-02D 0904qtc
1.西新宿ジャンクションを上空から見る

2.西新宿ジャンクション-53N 2210q
2.西新宿ジャンクションを地上から見る

都内の幹線道路の上空には高速道路が走っていることがよくあります。謂わば道路の二階建てなので地上の町並みは空を奪われ、左右に分断された形になります。更に地上道路が交差する交差点では、高速道路も交差するので立体化を余儀なくされ、その上空は三階建て、四階建ての構造になります。(写真1)

この場所を人は高速道路のジャンクション(繫ぎ)と呼び、二つの高速道路が交差すると同時に、繋がる必要不可欠の箇所ですが、地上の交差点を歩く人にとっては空から襲いかかるコンクリートの怪物のように見えて、不快感を与えます。
(写真2)

欧米の都市では街路の上空に高速道路が走るのを嫌います。況して、最も目立つ街路の十字路の上空に、怪物のようなジャンクションを建設することはありません。パリでは首都高速道路は地下を走るか、地上から見えない所に建設しています。ボストンでは川の下にトンネルを掘って道路を通して、架かっていた橋を見苦しいからと除去しました。

飛行機で空から首都高速道路網を見たある外国人は、東京はまるでスパゲッティをばらまいたような都市だと云って美感のなさを批判しました。しかし日本では都市交通の便利さを都市美より優先させていますから、都心部の街路上に高速道路が縦横に走り、交差点の上空に巨大なジャンクションが聳えても平気です。

市中の街路に電線や電話線が蜘蛛の巣のように張り巡らされても気にしない日本人の都市美感覚が変わらなければ、高速道路が都市上空を縦横に走り回っても気にしないのです。
(以上)
【2024/03/30 11:51】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
春の農作業は野焼で始まる
1.野火-05P 88q
写真1

2.野火-06P 88q
写真2

3.野火-01P 91q
写真3

4.野火-03P 91(関東圏:茨城県 85~98P)q
写真4

春に草の新芽が出ない前に野山の枯草を焼くことは、日本では古来広く行われていました。有名なのは奈良東大寺の東側にある若草山の山焼きです。野焼きの習慣は、奈良時代より昔に遡ります。春に枯草を燃やす行為は、若草山に限らず、弥生時代に米作農業が普及して以来、何千年もの間、日本で稲作農民が行ってきたことです。

ところが昭和45年(1970)に「廃棄物処理清掃法」が制定され、過激な環境論者から従来の野焼きも禁止すべきとして平成13年(2001)から野焼きも禁止されたました。法律で禁止した理由は枯草を燃やすとダイオキシンが発生するからであり、ダイオキシン公害が騒がれ始めたのは、石油関連製品を大量に使い捨てた頃からです。

自然廃棄物の焼却はダイオキシンを発生しません。野焼きは公害を発生しないので禁止しない事になりました。そこで地方条例で風俗慣習上または宗教上の行事を行うために必要な野焼きや、農業、林業または漁業を営むためにやむを得ないものと決めました。

野焼きは公害を出さないだけで無く、重要な働きがあることは既に知られています。早春に田畑や野山で野焼きを行うのは、害虫を除去し、焼灰を肥料として人工的な肥料や農薬を使わずに土壌に活力を与える有効な方法なのです。

関東地方の農村では、朝霧が立ちこめる寒い朝、野焼きが始まります。あちこちで炎と煙が立ち上り、春の農作業が始まったと知らせます。
以上

【2024/03/21 20:31】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初冬の奥多摩の谷は静だった
1.山姿-06P 84q
写真1

2.渓谷-04P 89q
写真2

3.山姿-02P 88q
写真3

奥多摩には高い山はないけれど
幾重にも重なる山の稜線で
山奥深く伸びる谷を知る
(写真1)

深い谷は水を集め川となり
湿潤の水蒸気で植物を潤し
谷住まいの人の命を育む
(写真2)

中国では谷神は死せずと言う
命を産み育てる神は
奥多摩にも鎮座する

ふと谷の斜面を見上げると
素肌の山頂は初冬の雪で薄化粧
谷間には流れる風もなく鳥の声もない
初冬の奥多摩の谷奥はひっそりと過ぎていく
(以上)
【2024/03/11 13:45】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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