写真1 写真2 写真3 桜が春を代表する花なら 秋を代表する花は菊です 桜はあっと言う間に散りますが 菊は長く咲き続けます
桜は日本の国花です 菊も日本国を象徴する花です 皇室の紋章は菊であり 日本人が持つパスポートには菊の紋章があります
菊は重厚な花ですが多様かつ多彩です 中山義秀の小説「厚物咲」に見るように 人間の創造的栽培にきめ細かく反応し 大菊、厚物、厚走り、管物、一文字などに変化します (写真1,2,3)
菊は中国から薬草として輸入され 江戸末期に改良された菊が西欧に輸出され 日本の花として知られ 今は菊はキクとなりました 以上
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ススキの穂が出る頃、ブタクサも黄色い花を咲かせます。ススキは日本在来の草ですが、ブタクサは北米原産で明治初期に渡来した草です。北米では枯草熱(hey fever)を引起こす草として嫌われていますが、日本でもブタクサは花粉症を起こす草として杉、檜に次いで嫌われています。
戦後、それまで東京では見たこともなかったブタクサが空き地に繁茂し始めました。これは占領軍が日本に上陸したとき持ち込んだ草の種が広がったのだと言われました。やがて、あちこちの郊外でもススキの野原の代わってブタクサの野原が出現しました。
ブタクサは1メートル余りの高さまで伸びてススキを圧倒します。しかし、ブタクサの姿形はススキの風情に遠く及びません。ブタクサと言う名前の由来は明らかでありませんが、いかにも格好が悪く、人に好かれないと言うイメージを表現するネーミングです。(ブタクサの学術名はセイタカアワダチソウと言う。)
日本在来種のススキは雑草の中で一番生命力のある草ですが、外来種のブタクサの繁殖力には敵わなかったようです。河原のあちこちで、ススキ野はブタクサに取り囲まれて消えていきました。しかし植物の繁殖にも盛衰があるようです。ブタクサの繁殖が嘗てのような勢いがなくなったと言われます。何故かは明らかではありませんが、作物の連作が地力を低下させて収穫を減らすように、ブタクサは余りの繁殖のために自家中毒を起こしているのかも知れません。
嘗て白い穂のススキ野で囲まれていた牛久沼(茨城県)の岸辺は、一時、黄色い穂のブタクサで占領されていましたが、今再びススキが復活する兆し見えます。ブタクサの野原にススキの穂が顔を出しています。(写真)
自然は自然で自らのバランスをとるようです。こうして外来種のブタクサは、日本の風景に同化していくのでしょう。そう思うと、白いススキの穂に黄色いブタクサが混ざり合った風景も次第に日本の秋の風景に見えてきます。 (以上)
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鎌倉の鶴岡八幡宮 本堂に上がる階段の脇に 大きな銀杏の樹が一本聳える
この樹に潜む刺客に 鎌倉幕府の三代将軍源実朝は 建保7年(1219年)暗殺された
実朝の死で源氏の正統は三代で終わり 鎌倉幕府は北条家による執権政治に代わる その後武家政権は北条氏から足利氏へと続く
朝廷の権威と武家の権力の対立は 鎌倉幕府の終焉で始まり 戦国時代を経て徳川時代まで続く
明治になって権威と権力は統一されたが 昭和の敗戦で権威と権力は再び分離され 象徴天皇の誕生となる
権威と権力の対立が始まる契機となった 実朝暗殺を見ていた銀杏の巨木は 倒れて今は無い
以上
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花の輪に囲まれて 古稀を祝う大木
茶褐色の太い樹幹は 古木の貫禄示す
秋に台風に見舞われて 古木の樹幹が折れた
添え木に支えられて 横たわる大木
最後の力を振り絞って なおも立ち上がらん気力
私は死なない 復活すると 以上
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暦で立秋を過ぎても 晩夏の暑さは厳しくなるばかり
雨上がりの鎌倉の寺の境内 旧盆が過ぎて人影はない
一人参道を進むと 花壇にキキョウの花が咲いていた
もう秋は近いと頭上を見上げたら 真夏の花ノウゼンカズラが揺らいでいた
橙色のノウゼンカズラは炎のよう 太陽の朱夏を思わせる
紫色のキキョウは涼しげに 近づく白秋を思わせる
暑さで空気までが動かない鎌倉の寺 花は晩夏と初秋を謳歌する
以上
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地球の先住者は樹木 炭酸ガスを吸い酸素を吐いた 空気に酸素が満ちた
次に地球に現れたのが動物たち 酸素を吸って炭酸ガスを吐いた 炭酸ガスが増えて樹木は繁茂した
やがて樹木は筋骨隆々の体躯となり 地球の重い天井を支えて 大地に聳える巨樹となった
吾こそはアトラース 両腕と頭で天を支えるアトラース ギリシャ神話のアトラース
ハイネの詩にシューベルトが曲を付けた 吾こそは不幸なアトラース 世界の苦悩を一人で背負うアトラース 以上
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日本では雨期は年に二度あります。6月の梅雨(つゆ)と10月の秋雨(あきさめ)です。
昔の梅雨は最初はしとしと降り、夏に入る直前に強く降りましたが、この頃は最初から特定の場所に集中して大雨を降らすようになりました。
秋雨は、最初の頃はかなり強く降りますが、後半に入ると秋の長雨と言われるようにダラダラと降るので、なかなか終わらず寒々として憂鬱な日が続きます。
日本では春夏秋冬の四季の長さがほぼ等間隔にあるので、それぞれの季節に咲く花の種類が多いのですが、雨期には自然の花に加えて街中に人工の花が咲きます。それは雨傘の花です。
昔の雨傘は黒いものと決まっていましたが、最近では日傘のように色彩豊かで絵柄も多様です。そのお陰で街には明るい雨傘の花が咲いています。
梅雨どきは雨雲で街は薄暗いのですが、雨傘の明るい花が街路に咲き乱れると、暗さや寒さを和らげます。 (以上)
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写真1
写真2
静岡の山間部を歩いていたとき見かけた風景ですが、山あいの小さな田んぼの中に小さい藁葺小屋がありました。ミニチュアの藁葺き小屋の模型を見るようで面白く今でも記憶に残っています。 (写真1)
田んぼの中の小さい藁葺小屋は、田植えや田の草取りの合間に休憩するとき使ったのでしょうか、或いは農機具を一時保管するためだったでしょうか。
山間部の水田は生産性が低いので休耕の奨励策で次第に消えていきますから今は藁葺小屋は消えて無いでしょう。稲作は日本の伝統的農業で稲作文化が作り上げた風景です。残して欲しいものの一つです。
昔、福島県の田舎を車で走っていたら広い農地の真ん中にポツンと小さな土蔵が建っているのを見つけ珍しいので車を降りてて近づいて眺めたことがあります。広い農地の中の小さな土蔵ですが入念に藁を混ぜた赤土で練り上げられた正に土蔵というものでした。 (写真2)
農家の庭先でしたら収穫物の保存用ですからもっと大きな土蔵を建てるのが普通でしょうが、広い農地の真ん中にポツンと一軒家ですから不思議に思い中を覗きましたら農機具が置いてありました。
農機具小屋にしては立派過ぎますから、農家の自宅は遠いところにあるので農作業の拠点としての寒いとき、暑いときはここで寝泊まりするため土蔵造りにしたのかと思いました。その後訪れていませんので、今も存在しているか知りませんが、農村風景として残して欲しいものの一つです。
フランスやスイスでは農村や山岳の風景を維持するため、農民や牧畜民に補助金を与えたり、人出不足の山岳牧場には他国から牧童の移民を受け入れているそうです。
近頃の外国人観光客は日本の地方の農山村に興味を以て訪ねているそうです。観光資源としての農業政策もあっていいでしょう。 以上
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日一日と昼間が伸びて 時には真夏日のように暑くなるころ 新緑の緑が最後の輝きを放つ
閉園の時が迫る夕方 人影が消えた池のある庭園で 最後の日差しが新緑に映える
池に浮く蓮の葉の照り返しで 新緑の緑は更に明るさを増し 新緑が放つ光は空気まで照らす 以上
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宗教を信じる人々は、死ねば幽冥の世界へ旅立つと信じています。この世に妖精が存在する信じる人々は、草木もこの世とあの世を往来していると考えます。嘗て地上に生育した草木が、枯死してのち幽冥に生き続ける霊的存在が妖精たちと見るのです。そして、妖精たちは地上の草木を守護する霊的存在と見るのです。
欧州の先住民族ケルト族は妖精の存在を信じていました。キリスト教では妖精の存在を否定します。幼いラフカディオ・ハーンは屡々妖精を見てそれを語ると伯母から厳しく叱責されて、以後キリスト教が嫌いになったと言います。今では妖精神話はキリスト教によって矮小化され、妖精達はハローウィンの化け物にされました。
しかし、万物に神宿るという日本の伝統的思想では、人間も草木もこの世で同じ次元に生きる存在であり、死後も霊的存在として共に生き続けると考えます。更には、日本では自然物だけでなく人工物にも霊的存在を認めて供養する習慣があります。針供養は折れた縫い針に、筆塚には使い古した筆に感謝を込めて、その霊魂を祭り上げる行事です。
このように万物に霊的存在を信じるようになれば、美しく咲いたあの桜の花びらにも霊的存在を感じても不思議ではありません。今、お濠の水面に散りつつある桜の花びらは、幽冥の世界に行く途中なのです。 (以上)
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写真は銀座で見かけた光景です。お姿から推察して高齢のご夫婦が甘味処で何を食べようか相談しています。若い頃、デートで会ったお店でしょうか、小さな我が子を連れて入ったお店でしょうか。
歳をとっても家に引き籠もらずに街に出て、夫婦共々生活を楽しむことは健康増進に良いことです。病に罹り、寝たきりになるのは、本人も辛いですが、社会に負担を掛けるので避けなければなりません。
この頃は、庭園、映画館、美術館、博物館などの入場料を、高齢者には一般より安くしています。また東京都では高齢者にバス、地下鉄に乗るための割引シルバー・パスを発行しています。治療費や介護費を減らすなら、外出を奨励する経費は安いものです。
高齢者が街中に繰り出し易いように仕向けると、街行く人々の年齢幅が広がります。若者だけの街、働く者だけの街というのは、活気はありますが、ゆとりと安らぎが欠けています。
住宅地でも、同じ年代の家族が集中して住む団地は、どこかバランスを失うと云います。若い世代の時代はまだ良いとしても、高齢化が同時に進みますから、将来は新陳代謝のない陰鬱な団地になるでしょう。団地だけでなく人の住む街というものは、子供の遊ぶ声が聞こえて、若者達が動き回り、散歩する老人がいて、初めて人の住む街が完成するのです。
いよいよ高齢化の時代が盛りを迎え目に見えるようになってきました。若者達が街行く高齢者たちを見て、自分たちの将来もあんな風なら悪くはないと思える高齢者になりたいものです。 (以上)
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1.西新宿ジャンクションを上空から見る
2.西新宿ジャンクションを地上から見る
都内の幹線道路の上空には高速道路が走っていることがよくあります。謂わば道路の二階建てなので地上の町並みは空を奪われ、左右に分断された形になります。更に地上道路が交差する交差点では、高速道路も交差するので立体化を余儀なくされ、その上空は三階建て、四階建ての構造になります。(写真1)
この場所を人は高速道路のジャンクション(繫ぎ)と呼び、二つの高速道路が交差すると同時に、繋がる必要不可欠の箇所ですが、地上の交差点を歩く人にとっては空から襲いかかるコンクリートの怪物のように見えて、不快感を与えます。 (写真2)
欧米の都市では街路の上空に高速道路が走るのを嫌います。況して、最も目立つ街路の十字路の上空に、怪物のようなジャンクションを建設することはありません。パリでは首都高速道路は地下を走るか、地上から見えない所に建設しています。ボストンでは川の下にトンネルを掘って道路を通して、架かっていた橋を見苦しいからと除去しました。
飛行機で空から首都高速道路網を見たある外国人は、東京はまるでスパゲッティをばらまいたような都市だと云って美感のなさを批判しました。しかし日本では都市交通の便利さを都市美より優先させていますから、都心部の街路上に高速道路が縦横に走り、交差点の上空に巨大なジャンクションが聳えても平気です。
市中の街路に電線や電話線が蜘蛛の巣のように張り巡らされても気にしない日本人の都市美感覚が変わらなければ、高速道路が都市上空を縦横に走り回っても気にしないのです。 (以上)
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