写真1 写真2 写真3 写真4 昔から日本では建設資材と言えば材木でした。材木しかなかったと言えます。
江戸は屡々大火に見舞われました。その都度、大量の木材を必要としましたので木材の貯蔵所、即ち貯木場が造られました。
江戸川区の猿江恩賜公園は徳川幕府の貯木場があったところです。 明治になって、そこは政府御用達の貯木場になりました。 戦後に、貯木場は廃止になって猿江恩賜公園になったのです。 写真の池は、木材を貯蔵したところで、保存のため木材は石材で沈下させていたそうです。 (写真1)
猿江恩賜公園から少し南に下ったところに木場公園があります。 ここも貯木場のあったところです。ここは建設当時は隅田川の河口でした。 紀伊国や木曽から伐り出された木材は海路運ばれて、ここに貯木されました。 写真は、貯水池内で木材を移動させる作業の「角乗」の実演を見せるために、貯木場跡地の一部水面を残してある場所です。 (写真2)
木場の地先が埋め立てられて手狭になったので、戦後、荒川の河口に移転して新木場となりました。 新木場には遠く南洋から外国産木材も運び込まれて、貯木場は南洋材の丸太でいっぱいになりました。 (写真3)
しかし、間もなく原木の輸出国は原木の丸太を自国で加工して製材品として輸出することになります。 そして新木場の貯木池は急速に空っぽになりました。 (写真4)
その結果、当初の新木場は丸太を製材加工する工場団地として活況を呈していましたが、今は静かな木材流通市場になりました。 (以上)
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