写真1 牛久沼周辺 ススキとブタクサが棲み分ける。
写真2 牛久沼の中心部の岸辺もブタクサが茂る。
写真3 ブタクサの野にススキの穂が顔を出す。
ススキの穂が出る頃、ブタクサも黄色い花を咲かせます。ススキは日本在来の草ですが、ブタクサは北米原産で明治初期に渡来した草です。北米では枯草熱(hey fever)を引起こす草として嫌われていますが、日本でもブタクサは花粉症を起こす草として杉、檜に次いで嫌われています。
戦後、それまで東京では見たこともなかったブタクサが空き地に繁茂し始めました。これは占領軍が日本に上陸したとき持ち込んだ草の種が広がったのだと言われました。やがて、あちこちの郊外でもススキの野原の代わってブタクサの野原が出現しました。
ブタクサは1メートル余りの高さまで伸びてススキを圧倒します。しかし、ブタクサの姿形はススキの風情に遠く及びません。ブタクサと言う名前の由来は明らかでありませんが、いかにも格好が悪く、人に好かれないと言うイメージを表現するネーミングです。(ブタクサの学術名はセイタカアワダチソウと言う。)
日本在来種のススキは雑草の中で一番生命力のある草ですが、外来種のブタクサの繁殖力には敵わなかったようです。河原のあちこちで、ススキ野はブタクサに取り囲まれて消えていきました。
杉、檜の花粉は春先に飛散しますが、ブタクサの花粉は8月から10月にかけて飛散します。花粉症は春の季節病と言われていましたが、ブタクサの繁殖で秋にも花粉症の人々が増えています。
しかし植物の繁殖にも盛衰があるようです。ブタクサの繁殖が嘗てのような勢いがなくなったと言われます。何故かは明らかではありませんが、作物の連作が地力を低下させて収穫を減らすように、ブタクサは余りの繁殖のために自家中毒を起こしているのかも知れません。
嘗て白い穂のススキ野で囲まれていた牛久沼(茨城県)の岸辺は、一時、黄色い穂のブタクサで占領されていましたが、今再びススキが復活する兆し見えます。ブタクサの野原にススキの穂が顔を出しています。(写真1、2、3)
自然は自然で自らのバランスを採るようです。こうして外来種のブタクサは、日本の風景に同化していくのでしょう。そう思うと、白いススキの穂に黄色いブタクサが混ざり合った風景も次第に日本の秋の風景に見えてきます。
(以上)