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複数の視点で撮った写真
     1.春雨庵:上山-14D 0811qtc
     写真1 上山温泉 春雨庵にて
                              2.プラダ-05D 0901q
                              写真2 東京銀座 中央通にて

画家は、見たままの形を写生するのではなく、存在するものの内に潜む実体を引き出して描こうとします。机の引出は drawer と云いますが、英語で絵のことも drawing と云うのは、絵を描くのは引出す作業であるからです。

フェルメールの風景画「デルフトの眺望」は、複数の視点で見えた風景を合成した絵と云われています。あのようなデルフトの街は、何処からデルフトを見てもあり得ないといいます。

セザンヌの静物「りんごとオレンジ」も又、いくつもの視点から眺めた静物を平面のキャンバスに並べ替えて一枚の絵にしたものと云われています。そうすることによって二次元のキャンバスは三次元にも四次元にも見えてきます。

ピカソの「アビニヨンの娘たち」はアフリカ彫刻からヒントを得て描いたと云われますが、洞窟に描かれた太古の絵は抽象画であったと云いますから、アフリカ彫刻は抽象的であったのでしょう。ピカソのキュビズム絵画も、異なった視点を複合して対象の内実を引き出す手法を採っています。

西洋絵画では遠近法の支配が長く続きました。その支配から脱出したのは後期印象派の頃と云われています。画家達の目は一点に固定せず、対象を把握しようとすれば、前後、左右、上下に動かざるを得ません。そうして複数の視点で捉えた映像を一枚のキャンバスに描くとフェルメール、セザンヌ、ピカソの絵になったと言うわけです。

それでは、写真で複数の視点をもつ映像を撮ることはできるでしょうか?
ワンショットでは一つの視点の映像しか生まれませんが、シュルレアリスム写真の元祖、マン・レイは「アングルのヴァイオリン」という合成写真で、被写体(女体)をヴァイオリンに見せる分かりやすい例を示しました。

一枚のフィルムに複数回のシャッターを切ることによって写真映像の合成は出来ます。これをモンタージュ写真と言います。そんなことをしなくても、パソコンを使えば撮影済みの複数の写真映像を重ねて合成することは今や簡単にできるようになりました。

しかし、考えてみると重要なことは複数の視点という方法を採用することではなくて、完成した合成写真が単なる外観の描写ではなく、写真映像の内奥に潜む「美しさ」とか「不思議さ」を捉えているか否かではないでしょうか? 一つの視点の写真、即ち普通のワンショット写真でもそれが可能だと思っています。

ここに掲げた二枚の写真は、それぞれワンショットの一枚の写真です。写真1は陰陽の組合わせで「美しさ」を、写真2は真昼の夜で「不思議さ」を撮ったつもりです。
(以上)
【2009/10/27 22:19】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展 北島敬三
東京都写真美術館で北島敬三写真展が開かれていました。(2009.8.29~10.18)

ストリートスナップの名手である北島敬三氏は、1975~1991の間、世界を舞台に撮影を続け、作品集「KOZA(沖縄)」「東京」「NEW YORK」「東欧」「U.S.S.R.」と次々と話題作を発表してきました。今回はこれらの作品から190点を抜粋した写真展でした。

東京都写真美術館によれば、写真家北島はこれらの写真を単なる回顧としてではなく、「現在の写真」として私達の知覚回路に接続させようと企図していると解説しています。即ち、これらの数々のスナップショットは、報道や芸術というジャンルを越えた現代へのメッセージだと云うのです。

先に、私は写真家は歴史家の眼をもたねばならぬと書いたばかりです。この写真展の意図は私の写真への理解と一致しますが、果たしてそれを実現しているかと言う目で鑑賞した感想を述べてみます。

最初に展示されていたのは作品「東京」でした。写真の濃淡を強調した力強い写真ですが、被写体の歴史的意味を問う前に、造形的意味を前面に押し出した写真です。歴史のメッセージというより、芸術性を訴える作品に見えました。

次に、作品集「コザ/KOZA」ですが、ヴェトナム戦争の頃の沖縄の人々の情況を象徴的場面で捉えた写真です。後に写真家は、ストリートスナップからポートレート写真に転向しますが、これらは被写体がみんなカメラを意識していて、スナップでありながらポートレート写真の性質を色濃く反映しています。ということは断片的事実は写されているが、歴史的現実を伝えるには不足します。

第三番目の「NEW YORK」についても「コザ/KOZA」と同じ感想を持ちました。80年代初頭のアメリカ社会の断面を捉えて写真ですが、これだけで歴史的メッセージを伝えるとはとても云えません。被写体を人物に偏重する撮影の仕方に限界があると思います。

第四番目は「東欧」の作品です。ソ連のゴルバチョフがペレストロイカ政策で共産圏の自由化を始めたのは1985年で。写真家はそれより前の東欧を旅してプラハ、ブダペスト、ワルシャワ、ブカレストで秀逸なスナップショットを放っています。

例えば、都会の街中を撮った「プラハ(120)」は、ビルの壁面も路面電車の軌道も、疲弊した当時の経済状況を窺わせます。兵士とおぼしき二人の男が放心したように高所から川を眺めている「ブダペスト(141)」は、沈滞した社会の一面を捉えています。

人物をクローズアップした写真でも目線をカメラに向けているのは少なく、道行く人々の貧しい服装と表情を見ることが出来ます。そこには「コザ/KOZA」や「NEW YORK」とは違ったリアリティがあります。

最後は作品「U.S.S.R.」です。写真展の解説書によると、これらの写真はソ連崩壊の直前に撮影されながら、1991年には発表せず、2007年の展覧会で初めて公開されたとの説明がありました。

そして、その時の評価が「常に時間と場所に思いをめぐらし、写真と記憶の関係性について考えてきた作者の貴重な作品の誕生」と高い評価が与えられた述べています。

しかし、私にはこの解説は殆ど理解不能です。歴史的な目で写真を評価するのに、撮影時点から発表時点を遅らせることに意味はありません。写真は撮られてから時間の推移と共に意味内容は変化し続けます。突然公表したら評価が高まったということはないのです。

次に、写真の報道性という観点から云ったら、ソ連の崩壊という大事件が起きたときこそ一刻も早く事前に観察した事実を公表すべきだったでしょう。

それにしても「U.S.S.R.」の写真を見ると、平凡な記念撮影的な写真が多く、発表を急ぐ報道的な意味合いは少なく、また写真と記憶の関係性を深く考えさせるものでもありませんでした。
(以上)
【2009/10/22 07:50】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
足音を写真に撮れば
                    猫-05D 0909q

これは猫を撮影した写真ではなくて、近づく人の足音を撮影したものですと説明しても、やはり猫を写したのだろうと云われてしまいます。スチル写真で音を撮影することは、大変難しいものです。

しかし、日常生活では人は視覚と聴覚を同時に働かせて生きていますから、音声を写せないスチル写真にも、密かに音が入り込む隙間があります。音が姿を変えて映像に忍び込むのです。

この写真では、住宅地の小径にのんびり横たわる猫が、ピンと耳を立てて振り返っています。近づく人の足音を聞いたからです。直ぐ近くに忍び寄る人の靴の先が見えます。

撮影者が音を映像に捉えた思っても、写真を見る人がそうと気づかないこともあります。音は、正面切って現れるものではなく、姿を変えて密かに画面に現れるからです。そのような音は、写真の鑑賞者によって初めて発見されるものかも知れません。
(以上)
【2009/10/17 11:24】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真はどこか歴史学に似ている
歴史学とは、古い過去の事実を詮索する学問ではなく、現在から始まって次第に過去に遡り、今日が依って来たるところを明らかにする学問であると、東洋史の碩学、京都大学の宮崎市定教授はその著「アジア史論」で述べています。

その中で教授は歴史学で云う「現在」を次のように説明します。
「現在というものは、謂わば厚みのない時間であって、次から次へと過去へ繰り入れられものであるから、常識的には現在というものは実は過去なのである。我々の認識に上り得るものは、すべて過ぎ去った過去の事柄ばかりであって、所謂現在なるものは、過去の中で比較的新しい部分と言うに止まる」

何処かで聞いたことのある議論だと思い返してみたら、それは写真評論家スーザン・ソンタグの「写真と時間」の議論でした。

スーザン・ソンタグは次のように述べています。
写真を撮ることは、生(存在)の瞬間を薄切りにして凍らせることだ。
写真家は優れて現代の存在であり、彼の眼を通して「今が過去」になる。

木村伊兵衛は生前「五十年、百年後に見られるような写真を撮りたい」と云ったそうですが、それはソンタグのいう「今が過去」をひっくり返して、五十年、百年後の人々に、「過去となった今」を見せたいということでしょう。

写真家は歴史家の目を持てと云うことでしょう。
(以上)
【2009/10/11 18:29】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ハギは御飯のような花
       塩船観音-06D 0909qc

                                萩-04P 84t

漫然と風景を眺めていると、花は人の目に目立つものです。しかし花は人間に対してではなく昆虫たちに気づいて貰うために目立っているのです。花は、交配し繁殖するために、色や形だけでなく匂いも発して、昆虫たちを呼ぶために派手に咲いているのです。

しかし、この世に花がなければ、人間の心は喜びと楽しみを失い、慰みも潤いも無くなります。古今東西、人々と花の関係を話題にしたら種が尽きません。花は鮮やかな色彩や複雑な形で人々を惹き付けます。花は群生して人々を包み込み、早く咲いた早く散ったと言って一喜一憂させます。

花は総じて華やかさで人々の心を惹き付けるものですが、例外もあります。それは秋の七草の一つであり、日本では古くから大いに愛されてきたハギの花ですが、大変地味な花です。

ハギはマメ科の植物でして、痩せた土地でもよく繁殖します。ですから日本全国どこにでも生えます。ハギの花弁は密生した葉の上に顔を出してパラパラと広がり、惜しげもなく花弁を地上に散らしては、次から次へと咲き続けます。

何処にでも咲く花だからでしょうか、庭に咲く花としてハギは主役にはならず、大抵脇役を務めます。庭の隙間を埋め、そっと控えめに庭を飾ります。しかし、食事に譬えるなら御飯のような花で、秋の庭でハギは欠かせない植物です。

そう言えば、お彼岸の仏様への供え物に「おはぎ」があります。丸めた御飯をあんこで包んだものです。一説によれば秋はハギが咲くので、お供え物に花の名のハギと付けたのだそうです。御飯のような花の名を付けたのは至当でした。

同じ「おはぎ」を春のお彼岸では「ぼたもち」と云うのは、その頃はボタンが咲くからでしょうか。
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と言う位ですから、ボタンは花の美しさでは主役を務めます。

ハギもボタンのように主役を演じているところを秋のお寺で見つけました。静かで控えめな花は、同じく静寂な寺院の空間では王者になれるのです。
(以上)
【2009/10/05 12:18】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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