身辺のスナップ写真は学生時代から撮っていましたが、50歳を過ぎて写真撮影の基礎を学び、本格的に写真撮影をしようと思っていた頃、偶々教育テレビで美術評論家の伊藤俊治氏の講座を拝聴しましたが、当時の私には難しくて理解できませんでした。
その後も色々な写真評論家の写真史や写真評論を読みましたが、知識としては役立ちますが、写真に楽しみを求めていた私には、隔靴掻痒の感があり、今一つ距離のあるものばかりでした。 ふとしたことで、最近、司馬遼太郎の随筆集を読んでいましたら、彼は新聞記者として駆け出しの頃、美術評論を担当していて、その時感じたことを「正直な話」という題の文章で次のように書いていました。 「絵を言葉になおさねばならぬ作業そのものに矛盾があった。絵は言葉に換算することはできないし、むりに換算した数字のうえに美術評がなりたっているとしたら、もともと虚偽の文章ではないか、とおもった。私はひそかに小説を書いていたから、文章というものに多少のきびしい気持をもっていた。私は、美術記者をやめさせてもらうことにした」 写真評論家の云うことが理解できないのは、私のレベルが低いからですが、それでも写真批評というものが、司馬遼太郎の云うように正鵠をえたものではないと思うと、少しは気が楽になります。 写真批評を読んでいると、作品そのものが喚起する感動をストレートに表現するよりも、過去の歴史とか過去の洋式から分析した評価に傾くことが間々あります。それだから写真評論は面白くないと思っていましたが、更に、「虚偽の文章」とまで云われると、写真評論を読む気が益々なくなります。 しかし、そんなに深く考えなくても、所詮、音楽や絵画が言葉では表現出来ない人間の感動を伝える手段として発展したことを考えると、写真も言葉で説明できるものではないのです。 (以上) |
ニューヨーク近代美術館(MoMA)は、近・現代美術の美術館です。収集し展示している美術品は、後期印象派の作品から始まって最新の現代作家の作品までです。
近・現代芸術の時代区分の始まりを、後期印象派の画家達としたことには重要な意味があります。それは彼らが伝統的な絵画から決別した初めて画家達だからです。ここで伝統的とは、遠近法による写実主義と言ってもよいです。 19世紀の写真機の出現は、それまでの伝統的な写実主義の画家達にとって脅威でした。画家達が写真機を廃絶せよとデモ行進したとの話があるくらいです。写真家は画家が苦労して習得する遠近法の技術を、いとも簡単に実現したからです。 後期印象派の巨匠と言われるセザンヌ、マチス、ピカソたちは、目で見た外観を描かず、心と頭で会得したものを描きました。ですから、彼らが描く絵画には、あるがままの形態や色彩はありません。そこでは遠近法という技法も不要でした。 それに続く抽象画家達やシュールレアリズムの画家達は、後期印象派が企てた絵画を更に徹底させます。アクション・ペインティングで有名なジャクソン・ポロックは、抽象表現主義を代表する画家ですが、物の形は全く消えてしまいました。 逆に、ポップアートで有名なウォーホルは、見慣れた缶詰や女優の写真を平面的に羅列して、人々の日常生活の風景を意識させる絵画を描きます。具象を用いながら写実を試みていないところが、伝統的絵画と根本的に違うのです。 更に絵画の抽象化は進み、言葉を重視するコンセプチュアル・アートなるものが現れます。絵画に於ける観念または概念を重視し、それらは言葉でしか暗示できないと主張するのです。そして、文字を描いた「絵」が生まれます。 文字には表音文字と表意文字がありますが、表意文字の漢字は物の形に似せて造られたものです。漢字は意思伝達の手段として中国で発明されましたが、その製造工程は森羅万象を抽象することでした。 アルファベトのような表音文字がコンセプチュアル・アートの素材になるなら、形態のあるものを抽象した漢字はコンセプチュアル・アートアートにぴったりの素材です。漢字をコンセプチュアル・アートの観点から見直してみたら面白いと思います。 しかし、日本では書道は近代芸術として既に認知されています。書道はコンセプチュアル・アートが生まれる前から芸術でした。漢字は中国から伝わったものですが、書道は日本で独自に発展を遂げました。 漢字は具象を抽象化したしっぽを残していますが、日本で生まれた仮名は具象の痕跡すら残しません。コンセプチュアル・アートは日本の書道から学ぶ所が多いでしょう。 (以上) |
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