 真夏には 鮮やかな緋色の花を咲かせて 陽の光に映えたサルスベリの林
晩夏には 古い樹皮を脱いで 白く滑らかな木肌に衣替え
秋には 葉を落として 爽やかな姿を見せるサルスベリ
真冬には なめらかで透き通るような白い木肌を露わに 誇るように冴えわたる
以上
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大正時代に口語叙情詩で新しい近代詩を切り開いた萩原朔太郎は無類の写真好きでした。「のすたるぢや」というエッセーで「自然の風物の中に反映されている、自分の心の郷愁が写したいのだ」と述べて、彼はそのために専ら立体写真機を使って町や田舎の様々な景色や自然の風景を写していました。
写真の魅力の一つは「死への招待でもあるが、感傷への招待でもある」と写真評論家のソンタグも述べていますから、萩原朔太郎は、その写真の魅力に取り憑かれたのでしょう。彼は二次元のプリントした写真でなく、ステレオスコープで見る写真を好み、実景とは少し違って不思議に幻想的であると言います。「前景と後景との距離が錯覚めいた空間を感じさせ、夢の中で幻想的な印象で物侘しく、ロマンチックに、心の郷愁をそそる」と言うのです。
哀しさは一時的なものであるが、寂しさは永遠のものであると言います。初めて見る景色なのに凄く懐かしい感じがしたり、昔そこに居たような気持ちになったりすることを既視感(deja vu)があると言いますが、萩原朔太郎が幻想的な印象で物侘しいというノスタルジーは、そのようなある種の死への招待であったのかも知れません。
福島県湯の岳より小名浜へ延びる幾重もの低い山並みが夕日を浴びて海に延びていく様に安らぎを覚えましたので、萩原朔太郎のノスタルジー写真は、このようなものかと勝手に想像してみました。 以上
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写真1 アメリカのデスヴァレー
 写真2 アメリカのデスヴァレーの部分 偉大な絶景や奇景を訪ねた人は、先ずその壮大さに心打たれますが、次にその景観の美しさに感嘆します。自然の営みがこのような素晴らしい造形美を産み出したことに感銘を受けるのです。
アメリカのカルフォルニア州にあるデスヴァレー(死の谷)を訪ねたとき、不毛の大地に刻まれた裸の山並みを見て、先ずその異様さに驚き、次に美しいと感じ、暫く眺めていました。 (写真1)
この自然の景観の美は、長年の風雨による浸食が創り出したものです。同じ風雨の作用で削られた山塊の皺(しわ)の形は似ていて、幾重にも続く稜線のリズムを美しいと感じたのです。
よく見るとリズムにも変化があることに気付きます。皺の稜線は似ていても全く同じものはありませんので、その変化がこの山容の美に深みを与えています。しかも、これらの稜線の美はアメリカで最も暑く乾燥した気候の中で固められ保存されているのです。 (写真2) (以上)
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