写真1 写真2 日本の近代医学は、幕末に杉田玄白たちがオランダ語の医学書を「解体新書」として翻訳したことに始まります。当時(1773~4年)、オランダ語の辞書はありませんし、西洋医学が対象とした人体の器官の名称も日本語にはありませんでした。ですからオランダ語の医学書を日本語に翻訳することは大変な難事業でした。(因みに神経、軟骨、動脈などの熟語はこの翻訳で作られたのです)
小塚原の処刑場で刑死者の腑分けに立ち会った杉田玄白たちは、原著「「ターヘル・アナトミア」の記述が詳細にして正確なことに感銘して、困難な翻訳に着手しました。「解体新書」は医学の専門書でしたが、その社会的影響は大きく、その影響で江戸末期には蘭学が盛んとなり、明治時代になって西洋の近代科学を日本が受け入れる素地を作ったとも言われています。
小塚原処刑場跡の近くにある回向院は、寛文7年(1667年)刑死者を弔うため両国回向院の別院として設立された寺です。幕末には幕府の鎖国政策に反対して命を落とした吉田松陰などの憂国の志士たちが多数ここに埋葬されました。日本の近代化を成功させた明治維新は、江戸末期に命を賭して戦った彼ら志士たちの存在なくして成就できなかったでしょう。(写真1)
その志士達のお墓の入り口に「蘭学を生んだ解体の記念に」という一文を刻んだ石碑が建ててあります。その石碑には日本医師学会、日本医学会、日本医師会の連名で、「解体新書」は日本の近代文化が芽生えるきっかけとなったと記しています。回向院は日本の近代化と深い縁で結ばれている寺です。(写真2)
小塚原回向院は、荒川区の南千住駅近くにある小さな寺ですが、政治的にも、文化的にも、西欧の衝撃を受けた日本が鋭く反応したときの記憶を留める寺です。志士たちと医学者たちを結びつける不思議な縁(えにし)の寺です。私たちは彼らのお陰で今日を生きていることに思いを致すためにも、小塚原回向院に一度お参りしては如何ですか。 (以上)
|
写真1 銀座中央通り 写真2 明治神宮初詣 写真3 千鳥ヶ淵の花見 写真4 新宿南口サザンテラスの跨線橋 写真5 銀座裏通り 写真6 明治通りの神宮前交差点付近 写真7 有楽町の年末ジャンボ宝くじ売り場 東京の街を歩いていると色々な行列に出会います。 新年の銀座で歩道いっぱいに秩序よく歩く人々がいる。(写真1) 明治神宮の初詣では寒くても夜中から人々は我慢強く長い列をつくる。(写真2) 千鳥ヶ淵の桜見物では人々は濠端の道を列を作って粛々と歩く。(写真3) 新宿南口のサザンテラスでは人気のドーナッツを買う人々が跨線橋まで長い列を作る。(写真4) ブランドを求めて人々は銀座の有名ファッション店を取り巻いて長い列をつくる。(写真5) 新型スマホを求めて待つ若者達の列は長すぎて途中で仕切られる。(写真6) 年末の新橋ではジャンボ宝くじを買う人々が歩道まで延びる長い列をつくる。(写真7)
中国メディアのサーチナは、日本の「行列信仰」はすさまじい、列に並ぶ日本人の習慣はもはや「強迫性障害」に近いほどと批判的ですが、最後には「並ぶ」のは「平等」を直接表現する形で公平な社会秩序を体現しているので文明国の公衆道徳の見本だと好意的に評価しています。また香港の鳳凰網は行列を「秩序の美」であり、日本の行列文化は手本にすべきとまで褒めます。総じて中国系メディアは日本の「行列」を褒めますが、その狙いは中国社会への批判に力点があるのでしょう。
中国メディアの行列評価のなかで「行列は日本人にとって帰属感を与えてくれる」という指摘がありましたが、「行列の核心」を衝いていると思います。地縁・血縁による結びつきは利益・機能による結びつきより強固です。島国日本に住む日本人は、大陸国家の中国人より共同体意識が強いのです。
それでは同じ島国のイギリス人はどうでしょうか? 少し旧い記事ですがNews Week(2011,02,09)の「行列と秩序とイギリス人」(コリン・ジョイス)が面白いことを書いています。
イギリス人には、何事も先着順位を尊重し、割り込みには強く反対する習性があると言い、公衆電話が複数あっても一列の行列ができて、先頭者がいずれの電話機にも優先権があるという暗黙の了解があるのだそうです。
パブでイギリス人は飲み物を注文しにカウンターの前に立つとき、誰が自分より前にいたか、誰が自分より後に来たか、無意識のうちにチェックしていて、先着者が優先する暗黙の決まりがあり、列は作らなくても互いに順序を無意識のうち守るのだそうです。イギリス人の深層心理には平等や公平を重んじる意識があるのだろうと述べています。
行列作法一つとってみても中国、日本、イギリスの国民性の違いが見えて面白いものです。 (以上)
|