都市が美しいと言うとき、人々は先ず街路の美しさを指します。 どのような街路が美しいかと問うと意見が分かれます。西欧的な整然とした街路を美しいと見る人もいますし、猥雑ではあるが活気溢れる東洋的な街路に魅力を感じる人もいます。美醜と好嫌は人夫々ですが、街路は公共物ですから多数の人にとって美しく好かれるものにしたいものです。 「街並みの美学」という本を書いた芦原義信氏は言います。 西欧では個人の住宅でも、都市や街のような公共的な外部の秩序の一部であるという考え方があるのに対し、日本では住いは家庭という私的な内部の秩序であるという考え方であると。 確かに日本人は自分の家の中を美しく飾ることは熱心ですが、家の外側がどう見られているかには、それ程関心はありません。まして、周囲の風景が自分の家の存在でどう形成されているかについて配慮する人は少ないでしょう。 同じ著書で芦原義信氏は次のように言います。 街路を形成するのは両側に立ち並ぶ建築物であるが、複数の建築物の外観には二種類ある。一つは建物の外壁が造る景観であり、これを第一次輪郭線という。もう一つは建物の外壁の突出物や付加物が造る景観であり、これを第二次輪郭線というと。 そう言えば、西欧の都市の建物は面(つら)を平面的に合わせるよう並んでいますが、日本では都市の街路に建つ家々は道路に対して凸凹です。自分の建物を周囲と調和させる意識が低いためです。 また、土地の区画が街路に直角でないため、街路に合わせるのではなく敷地に合わせて斜めに建てるので不規則な街並みが出来上がります。農地では水田の区画形状を統一する耕地整理が行われていますが、既存市街地でそのような区画整理が行われた話を聞きません。 近頃、沢山建設される超高層ビルが不規則な向きでモザイクのように立ち並ぶ姿は、世界の奇観になるでしょう。 人々の好みが違うのですから、都市のすべての街路を西欧のように第一次輪郭線で整然と統一せよとは言いませんが、一つの街路に第一次と第二次の二つの輪郭線が混ざっているのは、どう見ても美しくありません。このような街路が生まれたのは、自分の家は自分の好き勝手という日本の悪い意識の所為です。 西欧では地域によって、建築しようとする他人の建物にも景観上の観点から注文をつける習慣があり、法制度上もそれを担保している国もあります。街路の景観は公共物であり、土地や建物への私権は制限さるべきものとの考え方が、西欧都市の美観を造り出し、それを維持しているのです。 (以上) 第二次輪郭線の街路 お気に召したら 人気blogランキングへ |
お気に召したら 人気blogランキングへ 写真を趣味にしている人は、風景を撮る人でも一度や二度、モデルの撮影会に臨んだ経験があるはずです。モデルは美人揃いですから、写した写真は皆良いはずです。しかし、撮った写真を暫く見ていると厭きてきます。写真として魅力がないからです。 モデルは美人ですから、どう撮ろうと美しい写真となりますが、漫然とシャッターを押し続けていては、モデルの表情を捉えることは出来ません。表情のない顔は能面のようで見飽きるのです。 表情とは感情を表出したもので、撮影会ではモデルは商売柄、色々なポーズと表情を作ってくれます。それを見逃さずシャッターを切るのですが、慣れないうちはそのチャンスを巧くつかめないのです。 写真を習い始めて間もない頃、外人モデルの撮影会に招かれました。それはカメラ・メーカーが主催する撮影会でした。そのメーカーのカメラで撮ることが条件でした。 その会社のカメラを持っていない人にはカメラを貸し出すというので、高級カメラを借りて撮影会に臨みました。高級カメラも初めて、美人モデルも初めて、とても冷静になれずチャッター・チャンスは掴めませんでした。 それでも、数多くのショットから、何枚か私の気に入った写真が撮れました。写真を本格的に習い始めて未だ一年も経っていない私は、これはカメラが良いからだと信じ、その後、大枚をはたいてそのカメラを買いました。 しかし、間もなく写真はカメラの善し悪しではないと気付くのですが、三枚の美女の写真は、高価なカメラを買う動機となった記念の写真です。 (以上) |
先に、デザインは美感と実用の調和から生まれると申しました(06.7.4)。しかし制作者がそのことを意識しなくても、実用品に美が備わっていることはあります。何気なく日常使われていた茶碗や道具には、美術品として評価されて然るべきものが沢山あります。 絵画や彫刻だけが芸術品と見られていた19世紀のヨーロッパで、最初に工芸品の芸術性に着目したのはウィリアム・モリスでした。そして日常生活と芸術を一致させようとして、アーツ・アンド・クラフツ運動を起こし、20世紀のモダン・デザインをリードしました。 陶芸家の富本憲吉氏は若いときロンドンに学び、ウィリアム・モリスの作品と思想に共鳴しました。彼は身近なものに美を見出す達人でした。いつも生活の中に美しいものを置き、毎日美しいものを見て生活すると、美しさが分かるようになると云っています。 李朝朝鮮の民芸品の芸術性に初めて着目したのは柳宗悦でした。彼は誰も顧みなかった李朝時代の陶磁器から家具調度品に至るまで、幅広い民芸品の素晴らしさを日本人に紹介しました。 また、柳宗悦氏は、自分の家を自ら設計し、美の中の生活を楽しみました。東京の駒場に建てた彼の家は、最近改修されて日本民芸館として公開されていますが、美の感覚が隅々まで行き渡っています。 富本憲吉氏も、東京の祖師ヶ谷大蔵の自宅は自ら設計し、自作の陶芸品を飾って鑑賞していたと云われます。実用品に美を求める人達は、住む家まで自ら設計して生活の中で美を楽しむ実践者でした。 陶芸家の河合寛次郎氏は柳宗悦氏と会い民芸運動に入った人ですが、暮らしの中の「用」の美に魅せられたと云っています。また、無名の手仕事に真の美があると悟る、とも云っています。そして、李朝時代のご飯茶碗を見て「美を追わない仕事 仕事のあとから追ってくる美」と述懐しています。 千利休が愛用し、現在国宝になっている茶器は、かつて韓国の農家で使われていたご飯茶碗(高麗の井戸茶碗と云います)だったという逸話があります。 西洋人は「美」を人工的に創造し、日本人は「美」を存在から発見すると言われます。誠に、美は創るものではなくて発見するものです。 (以上) お気に召したら 人気blogランキングへ |
写真家は、しばしば大きなものを小さく撮ったり、狭い空間を広く撮ったりします。その方法として、写真家はカメラアングルを変えたり、広角レンズや望遠レンズやマクロレンズを用いたりします。 現実の姿をありのまま撮るのではなく、画面構成に強調を加えることで、現実について他人と違った見方を示します。写真家は、単なる事実を記録するのではなく、事実に「解釈」を与えます。 絵画では画家の解釈で現実をいかようにも変形して表現できますが、写真は絵画と違って、対象となる現実を自由に描き変えることは出来ません。カメラという機械は絵筆のように自由には使えないからです。 しかし、カメラという機械の不自由さは、写真機で写された現実のディテールが個人の創作ではなく厳然たる事実である、ということで十分に償われます。この客観性が写真家の「解釈」に力を与えるからです。 それでは「解釈」はどこで行われるのか? 大きくは、森羅万象の何処を如何に取り上げるかですが、詳しくは、画面の構成、強弱と大小の割合、色彩の組合わせなどです。これらを十分考えて、あるいは瞬時に、撮影行為のなかで行うのが写真家の「解釈」です。 俳句の世界では写生句を重視する伝統があります。短歌の世界でも景観だけを客観的に述べただけの歌が沢山あります。その句や歌に、一言も感情を歌った言葉がなくても、詠み人は描いた事実に万感を込めているのです。それを読み取るのが詩歌の世界です。 詩歌を鑑賞するとき、想像力を働かして詠み人の心の世界を遊弋します。それは異次元の世界にワープするような心境です。詠み人と違った世界にワープしてしまうかも知れません。写真を鑑賞するときも、同じことが起きます。見ている映像が現実とは全く違ったものに見えるのです。超現実の世界と云って良いでしょう。 次の写真は「解釈」の作例です。狭く短い水路脇の通路は遙か彼方まで続いているようです。樹木の皮がワニの背中のように見えてくるのです。そう見えませんか? (以上) お気に召したら 人気blogランキングへ |
人は自分が感動したことを他人に伝えたい動物です。音楽、絵画、彫刻、文芸などの芸術は皆そのようにして誕生しました。 写真と映画は、20世紀になってこの世界に登場した新参者です。映像を手段とする両者は、時には先輩芸術を真似て、時には先輩芸術を押しのけて、時には先輩芸術の手の届かない分野を切り開いて、短い期間に急速な発展を遂げ、今では人々に欠かせない芸術分野を築いています。 工業技術の発展が映像派の味方でした。工業技術の急速な発展のお陰でその成長は速く、広く普及しました。そのスピードは先輩諸芸術を遙かに凌ぎます。古くはライカの発明により機動性を得て写真家は社会へ進出し、最近ではデジカメの発明により大衆がカメラマンになり、個人的な映像世界を豊にしています。 写真と良く似た先輩芸術に俳句があります。俳句は伝統的日本文芸の一つで、森羅万象を短い言葉で表現しますが、写真も森羅万象をひとこまの映像で表現します。 両者の使う手段が言葉と映像と違っていても、俳句と写真はよく似ています。感動の一瞬を切り取って他者へ伝える芸術と言う意味で、両者は同じです。両者は相性がよいので、俳句と写真を組み合わせて表現する芸術分野も存在します。 音楽評論を読むだけでは音楽の楽しみは分かりません。言葉による評論では音楽の感動を表現できないからです。写真評論とて同じです。写真の良さを写真なしで語っても、肝心な所が抜けてしまいます。勿論、写真を見た感想を述べ合うことは意味あることですが、写真も先ず写真を観ることから始めましょう。その後で、感動の余韻を議論する写真評論に耳を傾けましょう。 (以上) お気に召したら 人気blogランキングへ |
新聞紙上でしばしばユニバーサルデザインという言葉を見かけます。もともとはアメリカで身体障害者にも健常者と等しく使えるデザインの商品を提供しようとの運動でした(米のロナルド・メイス博士の提唱)。そのうち、ユニバーサルデザインの対象者は、高齢者、女性、弱者にまで広がりました。企業は、万人向けの商品やサービスを開発し、ユニバーサルデザインをセールスポイントにします。 最近では、国土交通省が観光地や住宅もユニバーサルデザイン(UD)に配慮すべきだと動き出しました。バリアーフリーという言葉はユニバーサルデザインに吸収されました。 最初は、ユニバーサルとは「万人が等しく使える」デザインという意味であると云われました。しかし、より正確には「それぞれの人々がそれぞれに使えるデザイン」であると解釈されるようになりました。 ユニバーサルという言葉はユニバース(宇宙)から派生した言葉です。宇宙では森羅万象が生起します。宇宙は、普遍的、かつ、共通的に安定しているのではなくて、変化し分化し続ける千差万別の世界です。従って、厳密に言えば「万人が等しく使える」デザインなどは存在し得ないのです。 このようにして、ユニバーサルデザインの概念は拡がりました。デザインの世界でユニバーサルデザインの存在感は高まりました。当初は身体障害者向けのデザインというマイナーな意味であったのが、メジャーな存在になりつつあります。ユニバーサルデザインの流れは、デザイン界で傍流から本流になったのです。 (以上) お気に召したら 人気blogランキングへ |
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