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天候不順の晴れ間に日光浴を
1.代々木公園:人々-81D 2005qt
写真1
2.代々木公園:人々-80D 2004qt
写真2

今年は真夏にも晩夏にも雨が降る日が多い天候不順の年だった。
それに8月にはコロナ流行のピークを迎えて外出も儘ならなかった。
人は日光を浴びないとビタミンDが不足してウイルスへの免疫力が低下するという。
若者より老人が風邪をひき易いのは陽を浴びる機会が少ないからとも言う。
コロナも風邪の一種だから老人は出来るだけ外出して陽を浴びることだ。
若者も海水浴は出来なくても登山はできなくても工夫すれば日光浴は出来る。
努力する人々は機会を見つけて公園でこのように日光浴をする。
(以上)


【2021/09/30 11:57】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
苔の庭の魅力は年月の重さ
3.三千院-07D 0710q
(写真1)

1.樹木-28D 1306q
写真2

2.烏山寺町:多聞院-03D 0805q
写真3



苔(こけ)は温暖で湿度の多いところに生育する植物ですから、日本の気候風土に合った植物です。苔は太陽の光と熱を嫌いますから、寺社の境内や庭園、公園などで樹木の多い場所に多く苔が生えています。

京都の西芳寺は「苔寺」と言われるように寺の庭園の殆どは苔で覆われています。また三千院の往生極楽院の庭を眺めると、庭木の間に見える苔は木の根や岩の隆起にそって厚く盛り上がり、その生命力の逞しくを見せています。
(写真1)

苔は地面にも生えますが、大木の樹幹に登ったり、大きな岩の上にも繁茂することが出来ます。苔には根がなくて、シダ植物や藻類と同じく胞子によって繁殖するので、水分を取り入れるのは根からではなく、苔の葉から空中の水分を取り入れているからです。。
(写真2、3)

しかし、根を持たない苔は、湿度の最適な環境が壊されると忽ち消滅する植物であり、一旦消滅すると再生するのに長い年月を必要とする繊細な植物です。庭園に広がる苔も庭石を覆う苔も、その生育には長い年月がかかっています。ビロードの絨毯を敷き詰めたように庭一面に厚く広がる苔を眺めていると、暖かさと潤いだけでなく、永遠の時間まで感じるのは、年月の重さが秘められているからです。
以上
【2021/09/23 13:12】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「写し」と「見立て」について
1.ヴェルサイユ-05Pqt
写真1 ヴェルサイユ宮殿

2.落書き-04P 04q
写真2 仮想現実の落書き

3.抽象-04P 99hq
写真3 左前に着る着物

4.壁に電線-03Phq
写真4 人の会話を立ち聞き

造園の世界では「写し」と「見立て」という技法が広く採用されています。「写し」の例としては、ヨーロッパ諸国の間で庭園様式が他国へ伝播したことが指摘されています。その一例としてイタリア式庭園はヴェルサイユ宮殿へ写されたと云われます。
(写真1)

「見立て」とは、水を落として滝とし、流して川とすることで、日本庭園に多く見られます。各地の「神社にある「何々富士」も「見立て」であり、庭園ではありませんが、「何々銀座」は町造りの見立てです。「見立て」とは、人工的なものから本物の世界を想像させるものです。

映像の世界でも「写し」と「見たて」があるでしょうか?
写真撮影というのは三次元世界を二次元世界に「写す」行為ですから、その「写し」は当然のことですから論じる価値はありませんが、二次元の写真を現実そっくりの三次元映像に見せるのは写真での「写し」と考えることが出来ます。いま立体的に見える動画鑑賞が盛んですが、この仮想現実(バーチャル・リアリティ)は映像世界での「写し」と言えるでしょう。この仮想現実をコンクリート塀に描かれた街の落書きに見たことがあります。限りなく現実に近い現実を描いた見事な落書きでした。
(写真2)

映像での「見たて」は静止画の写真でも楽しむことが出来ます。写真の世界では想像力を働かせると「見立て」は至る所に発見できるのです。被写体を何に「見立て」るかで連想が連想を産む面白さがあります。

この二枚の写真について何を連想されますか?
屋根の写真では、「左前に着る着物を右前に着るなんてだらしがない」と感じたり、配電線の写真では、「人の会話を立ち聞きしている行儀の悪い人がいる」と連想するのはいかがですか?
(写真3、4)
(以上)
【2021/09/15 21:12】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
虫の声を楽しむ文化は未だ健在
1.説明文:道潅山虫聴-01D 0912qrc
写真1

2.向島百花園-06D 0804qt
写真2

3.向島百花園-39D 0908q
写真3

秋になると自然が残るところでは虫の声が聞こえてきます。日本人はこの虫の鳴き声を秋の風情を伝えるものとして楽しみます。しかし外国人にはこの虫の鳴き声は雑音にしか聞こえないそうです。日本人の脳の研究者、角田忠信教授によりますと、虫の鳴き声を聞いて楽しむ風流は日本独特のもので外国には無いそうです。

中国人も蟋蟀(こうろぎ)の鳴き声を聞いて喜ぶと言いますが、それは2匹の雄蟋蟀をリングの上で闘わせて、勝った蟋蟀が叫ぶ勝ち名乗りの声を聞いて喜ぶのです。喜ぶのはリングの下で一攫千金を夢見る男たちですから、日本の風流とは全く異質のものです。

虫の鳴き声を聴いて楽しむこの優雅な趣味は、既に江戸時代からありました。その後も、明治の頃までは東京の日暮里に近い道潅山が虫聴きの名所だったったそうです。道潅山には、明治の画家、尾形月耕が描いた道潅山での虫聴きの絵が飾ってあります。その絵には虫を虫籠に入れて持ち寄り、その虫たちを鳴かせて、周辺の虫に鳴くことを誘うという様子が描かれています。
(写真1)

東京の虫聴きの名所としては、道潅山の外に、隅田川の白髭橋袂、隅田公園の牛島神社辺り、王子の飛鳥山などがありました。しかし今は、開発が進んだため都会では虫聴きをするような場所は無くなりました。

しかし、江戸時代以来の伝統の虫聴きの行事が、向島百花園で復活しています。向島百花園は江戸時代に梅屋敷として開園したもので、往時の文人墨客が梅見、月見などで集い、風流を味わったところでした。今でも園内には詩歌にまつわる草木が植えられていて、築山と池のある大名庭園とは違った親しみやすい庭園となっています。
(写真2、3)

従って、向島百花園は虫聴きを楽しむには格好の庭園です。虫聴きの会は毎年8月下旬に開かれていますが、草深い向島百花園でも自然の虫は少なくなったようで、夕方に来園する人々に鈴虫、松虫などが入った虫籠が渡され、人々は園内でその虫を放ち、鳴き声を聴いています。
(以上)

【2021/09/07 14:59】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
古い家紋がモダンなデザインに
1.ルイビトン-02D 0709q
写真1

2.中央通り:銀座:松屋-03D 0906q
写真2

ルイ・ヴィトンのハンドバッグの表地が日本の家紋でデザインされているのを見て、古風な家紋がモダンなデザインになる妙に感心しました。また銀座のルイヴィトン店のファサードが古風な家紋で飾られているのを見て、江戸の家紋もモダンだったと思いました。草花や鳥や漢字をデフォルメした日本の家紋に西洋人は美的価値を認めてデザインに用いたのです。
(写真1、2)

デザインというとファッションに結びつくので、デザインは常に新しいものとの観念がありますが、デザインは慣習化し易いものです。例えば自動車のエンジンは車体の前に置くという発想は、馬車のデザインを引き継いだものです。日本人は家紋は江戸時代からの古い物と観念していたので、そのモダンさに気付かなかったのです。

家紋は江戸時代の武家社会で発達したと言われます。武士の社会では血統が何よりも重視されました。血統とは祖先から続いている血のつながりであり、家がその担い手でした。その家のアイデンティティを表彰するのが家紋であり、徳川家を初め各大名は勿論のこと、下級の武士に至るまで家紋を大切にしました。

しかし、明治以降、武士階級の消滅と共に家紋への関心は薄れていき、戦後の社会では夫婦単位の家庭を重視し、家系を軽視する傾向が強くなると家紋への関心は完全に薄れて、今では和服に付けられた家紋、或いは墓石の家紋でお目にかかる位になりました。

日本人にとって家紋は過去の因習の名残りとなったデザインです。デザインと言うものは、ある条件下で通用すると、その時代の慣習に結びつき、そのイメージは持続するものです。江戸時代のデザインが現代日本のファッションに結びつかなかったのは仕方が無いことでした。
(以上)
【2021/09/01 11:44】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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