写真1 フランス南部モナコ領のコート・ダジュール
斜面には花卉栽培のガラス温室ハウスが並ぶ。
写真2 モナコの香水工場内に展示された香水製造機器
写真3 モナコの香水工場内の土産物売り場に溢れる観光客
匂いを楽しむのは人類だけと言われています。動物は敏感な臭覚を持っていますが、その臭覚は敵味方を識別する重要な能力であり、また食糧を探す時の大切な能力ですが、人間のように匂いを楽むものではありません。
勿論、人類も昔々は動物と同じように、そのような臭覚を持っていましたが、そのような能力は衰えて、何時の頃から匂いを楽しむ習慣が生まれたのです。
西洋ではエジプトの墳墓から芳香を放つ乳香が埋葬品として発見されているそうですから、紀元前の昔から人類は匂いを楽しんでいたようです。もっとも、その時代は楽しむというよりは、宗教的な行事に使われたと言われています。
中世以降には、オマーンなどで生産される乳香が、重要な交易品としてヨーロッパへ輸出されていましたから、匂いを楽しむ習慣はヨーロッパ社会にかなり広まっていたのでしょう。
エジプトほど古くはありませんが、日本でも日本書紀に芳香を放つ白檀(びゃくだん)を焚いた記録があります。当時は恐らく宗教の行事に使われたのでしょう。
室町時代には茶道や華道と並んで、香りを観賞する香道(こうどう)が生まれて、芸道の一つになりました。日本で発達した香道では匂いを「嗅ぐ」と言わずに「聞く」と言います。
目で見る絵は、描く人も観る人も孤独な中で楽しむものですが、耳で聞く音や鼻で嗅ぐ香りは人間の感性に訴えて、居合わせた人々の心を結び合わせる効果があります。匂いを音のように扱う日本の香道の「聞く」という表現は、誠に当を得たものです。
近世になると、天然の乳香や白檀のように素材をそのまま使うのではなく、花などの原料を化学的に処理した香水がヨーロッパで生まれます。ヨ-ロッパでは気候が乾燥していて入浴の習慣がなかったので、体臭を押さえるために香水が必要だったからです。
この種の香水の匂いは、悪い臭いを打ち消すための匂いですから、強さと持続力が必要でした。そのため西洋の香水が輸入されたとき、匂いの強さのため日本人には馴染めないものだったそうです。
そのように西洋の香水の匂いは強烈でしたから、とても「聞く」ような匂いではありませんでした。そこで大正時代に資生堂が西洋風の香水を売り出したとき、穏やかな香りを意味する「梅の花」「藤の花」という名前を付けて、西洋香水に対する日本人の違和感を消そうとしたそうです。
しかし、その後西欧の香水も悪い臭いを消すことから良い匂いを発散するものに変わっていきました。現代では、香水は女性だけでなく男性も使う時代です。香水の市場規模も国際的に拡大しています。
フランスは香水の生産で世界的に有名な国です。その生産地は地中海に面したリゾート地、カンヌ、ニースの丘陵地帯やモナコ領にあります。コートダジュールと言われる地中海沿岸は、気候が温暖で香水の原料になる花卉の栽培に適しているからです。(写真1)
最近、ニースの近くの砦の街、エズにある香料工場を訪れたとき、男性用香水に「イケメン」という銘柄がありました。日本人の男性目当ての銘柄が出ているとはは驚きですが、さぞかし匂いを「聞く」ために多くの日本人が押しかけているのでしょう。(写真2、3)
(以上)