四季は春、夏、秋、冬の順序で訪れますが、自然は気まぐれで偶にその順序が逆戻りすることがありす。桜が咲く頃、関東地方では時に寒気団に襲われることがあり、寒さで震えながら花見をすることになります。
ある年のこと桜も散って春も終わる頃と思っていましたら、時ならぬ寒気団の襲来で東京に一晩で結構な雪が降り積もりました。皇居のお濠端はすでに菜の花が満開でしたから、真っ白に積もったお濠の雪景色の中に黄色い菜の花が咲いている不思議な光景が撮れました。
ルネ・マグリットの絵「光の帝国」は下半分では夜を、上半分では昼を描いた絵でして、夜と昼を共存させたシュルレアリスム絵画の代表作と言われていますが、これらの写真は、冬と春を一枚の写真に写し込んだシュールな作品と言えるでしょうか。 (以上)
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鈴木春信の墓がある谷中の大円寺浮世絵が西洋の美術界に衝撃を与えたのは、異国趣味という題材ではなく、絵が線で構成されており、遠近法によらないので立体感はほとんど無く、極端にデフォルメされた構図で意外性があったからと言われています。
その代表的な絵師として、葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿、東洲斎写楽の4人が挙げられていますが、実は西洋美術界が一番衝撃を受けたのは油絵では表現できない浮世絵の精妙な色彩表現にあったと言います。
美術史家田中英道氏は「本当にすごい!東京の歴史」という著書で次のように述べています。 「それまで単色か、せいぜい二、三色であったのを、彫師や摺師と協力して十数色もの多色摺の技法を完成させ・・・微妙な中間色で表現される繊細で叙情的な・・・作品に仕立て上げたのは春信でした。」
春信とは時代的に上記の4人の絵師の先輩に当たる鈴木春信です。鈴木春信は原画を木版に彫る人、木版を使って色刷りする人との共同作業で浮世絵の色彩表現を一新させたのです。浮世絵の魅力の源はその精妙にして魅惑的な色彩にあったのです。
一説によりますと、印象派を代表するクロード・モネは、総菜屋の買い物で包装紙の浮世絵を見てその色彩表現に驚嘆し、その直後に有名は「ラ・ジャポネーズ」という絵を描きました。赤い着物を着た金髪女性が扇子を手にして振り返る姿の絵です。
日本の着物に錦織と言われる絵柄がありますが、これは秋になると日本の自然の野山が変容する姿を写し取ったものです。春信の版画も「吾妻錦絵」として売り出され、江戸町人から大変歓迎されたそうです。
さきに江戸の浮世絵師たちの墓は忘れ去られていると申しましたが、鈴木春信の墓は、谷中の大円寺にありました。 (以上)
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