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山葵は味を演出する黒子
                  安曇野わさび田-03P 95t
                  安曇野わさび田-04P 95t

世界に数多くある香辛料の中で、日本の山葵(わさび)は独特の性質があります。それは辛みに揮発性であるため、口に入れて辛いと感じても、その辛さは忽ち消え失せ、長続きしないことです。

山葵の辛みは、ほんの一瞬、鼻をツンと突く辛さであり、長く口内に留まりません。従って次に食べる料理の味を辛みが阻害することはありません。逆に、山葵は料理を味わう感覚を一瞬止めて、その後の料理を味わいを新鮮にする効果があります。

西洋料理や中国料理では、食材に油や香辛料や調味料を加えて味付けをしますが、日本料理では、そのような手の込んだ味を加えることなく、食材が持つ本来の味を引き出すように調理します。

そうして出来上がった日本料理には、フランス料理のような濃厚なソースは不要で、各人の好みにに合わせて食塩か醤油を少量かけるだけです。そのとき料理の味にある種のリズムをつけるのが山葵なのです。山葵の辛みは、主役ではなく、脇役ですらなく、舞台での黒子のような存在です。

山葵は、刺身、寿司、蕎麦、冷や奴、ごま豆腐、お茶漬け、納豆などの日本料理に欠かせません。最近は、焼肉のタレにすり下ろした山葵を入れて食べるのが流行っていますから、山葵の辛みは洋食にも合うようです。

山葵には消臭効果や殺菌効果がありますから、和洋を問わず優れた香辛料なのです。但し、山葵の成分はすり下ろしてから時間が経つと飛んしまいますから、食べる直前にすり下ろすのが良いようです。気の利いた蕎麦屋では客が自分で山葵を下ろせるよう、山葵の根と下ろし器を用意してくれるところもあります。

山葵には、その栽培の方法によって沢山葵と畑山葵があります。沢山葵は水温が低い山間部の沢などで栽培されますので、育ちが遅く収穫までに3~4年程かかるそうですが、畑山葵より風味と辛みで優れています。

山葵が最初に発見されて食用に供されたのは静岡県の安倍川の上流だそうです。それで山葵漬けは静岡名産の土産物になっています。しかし、沢山葵の栽培は、今は長野県の安曇野、静岡県の伊豆天城山などが盛んです。

写真の山葵田は、長野県の安曇野で撮影したものです。黒い日よけ網は、日照りを抑えて水温を安定させるためだそうです。料理で黒子の役を演じる山葵は、生育するときにも黒衣をまとっていました。
(以上)
【2015/05/21 18:33】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ミルクホールが流行した大正時代の頃
                 神田多町-02D 1106q
                 写真1 お客さんの出入りもあり、繁盛しています。
                 神田多町-15D 1301qt
                 写真2 数少なくなった銅板張りの看板建築は趣があります。

コーヒーは、17世紀にトルコからヨーロッパに伝わりました。中国茶がイギリスに渡り、18世紀に緑茶を発酵させた紅茶が生まれました。

いずれも最初は上流社会の嗜好品として受け入れられ、やがて大衆化していきます。街に「カフェ」が現れ、「喫茶店」が生まれます。水の代わりに酒を飲むよりも、紅茶を飲む方が健康に良いとあって、大いに歓迎されたのです。

一方、大正時代に日本に現れたミルクホールは、やや趣を異にします。西洋で日常飲まれていたミルクは、日本では余り飲まれていませんでした。ミルクホールの出現は、その日本人が牛乳を飲み始めた話です。

アジアでは、中国は勿論のことお隣の韓国でも肉食は普通でしたが、海の幸の豊富な日本では、肉食は嫌われました。四つ足の動物は食べない日本人は、動物の乳も飲みませんでした。

明治天皇は西洋人と比べて日本人の体格が劣っているのを心配して、日本人に肉食を奨めた話は有名です。その明治天皇は一日に二度牛乳を飲んでいたそうです。それがニュースになると、日本人は牛乳を飲み始めたと言います。

大正時代のミルクホールは、日本人が平気で牛乳を飲むようになった時代の話です。喫茶店もどきのミルクホールで、コーヒーや紅茶の代わりに、ミルクを飲む流行があったと言う話は、どこかほのぼのとした話です。

偶々神田多町を歩いていましたら、ミルクホールという暖簾を下げている軽食喫茶の店を見付けました。「サカエヤ」というその店は、二階建ての二連棟の建物の一棟で営業していましたが、その建物は、銅板張りの「看板建築」でした。(写真1、2)

「看板建築」の商店は関東大震災後に東京のあちこちに建てられましたが、その大半は東京大空襲で消失して今は余り見られません。ですから「看板建築」の「サカエヤ」は、大正時代から今日まで、ここでミルクホールを営んでいたという証拠品です。

大正時代の街並みが今も活躍しているのを発見して楽しくなりました。
(以上)
【2015/05/10 20:32】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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