fc2ブログ
菊は人工の花
1.菊:厚盛-01D 0711q
写真1

2.菊:管物菊-04D 1211q
写真2

3.菊:懸崖作り-01D 0711q
写真3

4.靖国神社:神門-02D 0705q
写真4

自然に咲いている花は眺めて十分美しいのですが、切り花として活けて手を加えた別の美しさを求める人もいます。更に、花そのものを活きたまま造形したり、更には花の新種を産み出して、新たな花の美を創造する人もいます。

菊は中国から伝来したのですが、それは既に野生の菊の交配種でした。日本では昔から春の花として梅と桜が人気が高かったのですが、江戸時代に、秋の園芸植物として菊の花に人気がて出て、菊の栽培熱が高まり、交配による新種が生まれ、成形の技術も発達したそうです。

中山義秀の小説「厚物咲」では菊作りに執念を燃やす老人の姿を描いているのですが、同時に、菊という植物は人間の創造的栽培にきめ細かく反応する植物だということが描かれています。

こうして産み出された菊の品種には、大菊、厚物、厚走り、管物、一文字などがあります。また菊花を組み合わせて見せる菊の仕立てには、三段仕立て、懸崖づくりがあります。これら菊作りの中で花形は、厚物作りと管物作りだと言います。
(写真1、2、3)

晩秋には、あちこちの庭園で菊の展示会が開かれますが、毎年新しく創作された豪華な菊の花が姸を競うように飾られています。

なお、菊花紋は皇室の紋章として定められており、又その紋章は世界で通用する日本人の身分証明書のパスポートの表紙に載っています。江戸末期に日本で改良された菊が西欧に輸出されると菊は日本の花として世界に知られるようになりましたから、日本國を象徴する花に菊の花が選ばれたことは喜ばしいことです。
(写真4)
(以上)
【2020/10/20 12:27】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
激しい気象変動で洪水に悩まされるこの頃思うこと
1.荒川:高速中央環状線-02D 0807qt
写真1 荒川放水路は洋々と流れている。

2.江戸川-14D 0807qt
写真2 江戸川放水路も洋々と流れる。

3.二子多摩川-11N 2003qt
写真3 二子多摩川付近の広々とした河原

4.江戸川-03D 0807qt
写真4 江戸川の河川敷 野球場に

5.荒川土手-04N 04qr
写真5 荒川の土手は河川敷野球場の観覧席に

最近は日本列島のあちこちで局地的な集中豪雨が発生して、深刻な洪水被害をもたらしています。今年(令和2年)も熊本県の球磨川、山形県の最上川で水害が発生しました。山岳地帯を流れる河川では平地のように水の逃げ場がないので被害はより深刻になります。

広い関東平野の臨海部にある東京は、山岳地帯の水害のような危険はありませんが、洪水になるとデルタ地帯ですから広範囲に及ぶ水害を屡々経験しています。そのため江戸時代には江戸湾に注いでいた利根川を太平洋に流れるように付け替える大工事を行いましたし、明治以降も荒川放水路、江戸川放水路を開削して増水した河川の水を素早く海へ放出する努力をしてきました。
(写真1、2)

更に、最近は都市部に積乱雲が発生して都市内にゲリラ豪雨を降らせるので、舗装された市街地では排水溝と排水路は予期せぬ雨水の急増に対応できず、市街地洪水となることが頻発しています。これを解消するため、いま地下調節池、地下放水路の建設が進んでいます。

ところで、東京の東西を流れる大きな河川には多摩川と荒川と江戸川がありますが、その土手の上を歩いていますと、広々とした河川敷が続いているのを発見します。市街地の近くに広い土地が未利用で放置されているのは勿体ないと思いましたら、洪水の時に増大する河川水を捌くための空き地なのだと知って納得しました。
(写真3)

これら河川敷は、戦後のある時期まで近所の人達の家庭菜園として利用されていましたが、今では野球場やサッカ-場になっています。河川敷は常に川風があって、夏の暑い日でもスポーツをする人達には快適な場所ですし、土手の斜面は絶好の観覧席になっています。東京では洪水に備えた広い河川敷は市民の憩いの場になっているのを知りました。
(写真4、5)
(以上)
【2020/10/11 12:19】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
虫の鳴き声と風鈴の音
1.説明文:道潅山虫聴-01D 0912qr
写真1 道灌山の虫聴きの図

2.川崎大師-16D 0907q
写真2 ガラス風鈴

3.川崎大師-20D 0907q
写真3 鋳物風鈴

日暮里に近い道潅山の頂上付近は、江戸時代から明治の初め頃まで虫聴きの名所だったそうです。たまたま山頂を訪れたとき虫聴きの様子を描いた明治の画家、尾形月耕の絵の写しが大きな岩に載っていたので、そのことを知りました。

その絵では、月が昇る頃、二人の男が山頂でゴザを敷いて寝転び、脇に松虫などを入れた虫籠を置いて虫を鳴かせ、周囲に潜む野の虫たちに合唱を促している情景でした。
(写真1)

日本人の脳の研究者、角田忠信教授によりますと、虫の鳴き声を聞いて楽しむ風流は日本独特のもので外国には無いそうです。と言いますのは、外国人には虫の鳴き声は雑音にしか聞こえないからだそうです。

そう言えば日本人は、虫に限らず、松風の音、潮騒の音、せせらぎの音などの自然の音にも感情移入して人の声として聴く傾向があります。風鈴の音で涼しさを感じる感性も日本人独特なものなのでしょう。川崎大師の境内では、毎年夏の初めに風鈴市が開かれて賑わいます。
(写真2、3)

日本の風鈴の歴史は古く、既に鎌倉時代にその記録があるそうです。しかし広く愛好されたのは江戸時代だと云われます。今は風鈴の音(ね)に涼しさを求めますが、風流としては涼しさだけでなく、音色が持つ淋しさ、悲しさなどの感情表現も求めたと言います。

夏の夜、風を音に変えて楽しむ風鈴は風流として誇れるものですが、最近、マンションなどの集合住宅では風鈴の音が騒音公害として嫌われているそうです。古来の日本の伝統の風流も、都会の生活環境に合わなくなったのでしょう。

写真は、神奈川県の川崎大師で一年に一回開催される「風鈴市」で見つけた大きな江戸風鈴と鋳物風鈴です。
(以上)

【2020/10/01 20:31】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |