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たそがれ時に優しくなる銀座大通り
中央通り:銀座:薄暮光景-05D 1607qt

中央通り:銀座:薄暮光景-01D 1607qt

中央通り:銀座:薄暮光景-10D 1607qt

夕暮れが迫ると、銀座大通りは大変優しくなります。

それは、銀座大通りが、薄い靄(もや)がかかったような空気に包まれるからです。

太陽の光がビルで遮られても、なお上空の雲から余光が降りていました。

しかし、その余光も次第に失われると、辺りは薄暗くなります。

その直前の、たそがれの銀座大通りは優しい表情を見せます。

昼間の銀座通り、夜の銀座通りも良いですが、優しい銀座大通りも味わって下さい。

(以上)
【2016/08/23 09:21】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
亜熱帯から熱帯の国に近づいた日本
1.シオサイト:シティセンター前景-02D 1607q
写真1 汐留シオサイトを新橋駅側から見る。

2.勝鬨:浜離宮を見る-02D 1003qt
写真2 汐留シオサイトを浜離宮側から見ると超高層ビルが屏風のように建ち並ぶ。

3.代々木4丁目-08D 1608qrc
写真3 新宿駅付近から見た積乱雲が頭をもたげる。

4.雲-61D 1309qt
写真4 積乱雲の一部が都心部に近づく。

6.雲-51D 1209q
写真5 新宿駅から遠方を見ると鼠色の雷雲が現れる。

5.雲-66D 1309qt
写真6 俄に雷雲は都心部に近づき辺りは暗くなる。 

今年の夏も暑い日が続いています。勢力の強い太平洋高気圧のため、その暑さは本州全体に及びました。最高気温が30度以上を真夏日と言い、35度以上を猛暑日と言いますが、今年の夏も全国的に猛暑日が続いています。

近年、日本近海では海水温度が上昇しており、南洋の海のように暖かくなっています。それは、地球温暖化で暖められた空気中の熱エネルギーの80%以上を海が吸収しているからです。海水温度は大気に比べて変化しにくいので、海水温度が一旦上がると、その状態は長く続きます。

東太平洋の赤道付近の海水温を上下させるエルニーニョ現象やラニーニャ現象が起きると、日本で猛暑になったり冷夏になったりしますが、トレンドとして気温を上昇させる原因ではありません。また、高温の原因は、偏西風が日本付近で北に大きく蛇行したため南からの暖気が入り易かったためとか、太平洋高気圧が偏西風に阻止されて長期間日本上空に居座ったためとか言われますが、これも2~3年ごとに変化する現象です。

20世紀には日本はむしろ冷夏が続きましたが、21世紀に入る少し前(1990)から真夏日や猛暑日が頻発するようになりました。そして2010年以降は毎年のように高温の夏になりました。その原因は、やはり日本周辺の海水の温度が、徐々ですが上昇しているからなのです。そうだとすると、この熱帯化現象は恒常的なものであり、日本は亜熱帯から熱帯の国になった考えざるをえません。

それにしても東京の夏は特に暑くなったように思いませんか?
都市化は地表をコンクリートで覆うことで、更には高層ビルが風を遮ることで、都市の熱帯化が増幅されます。それは都市部におけるヒートアイランド現象のことです。

最近、都市の中心部に沢山の超高層ビルが建設されています。そのビルの表面に太陽の熱が当たり輻射熱となり周囲の空気を暖めます。暖められた空気は高いビルに囲まれて都市内部に滞留します。都心部では日中暖められた熱気が対流して分散せず、都市圏だけが一段と温度の高い空気団に包まれるのです。このようにして都市部の熱帯化は増幅されるのです。

一例を挙げると、東京に汐留という場所があります。汐留とは、東京湾の海水がここで留められたと云う意味であり、ここへは海水と共に潮風も入ってきていました。しかし、平成7年(1995)、ここに汐留シオサイトと言う超高層ビル群が建設されると、東京湾からの潮風は封鎖されました。都心部の気温を冷やす海風は入らなくなると、汐留のの背後地に当たる虎ノ門付近では、夏の平均気温が約2度上昇したと言われます。
(写真1、2)

都内に居てもここ数年、真夏に山や海で見るような大きな入道雲が立ち昇るのを見ることがあります。また都心部で、急に鼠色の雷雲が発生して、局所的な豪雨に見舞われることもあります。これも、熱帯国となった東京のヒートアイランド現象の一つかも知れません。
(写真3、4、5、6)
(以上)
【2016/08/13 13:23】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本は谷に恵まれた国
1.山姿-05Pt

2.山姿-06P 84t

3.山村-01P 88t

4.山村-03P 89t

5.渓谷-01P 84t

6.渓谷-02P 83t

世界の四大文明は全て河川のほとりで発生しました。チグリス川とユーフラテス川の間に広がる沖積平野は、平野であって谷ではありません。メソポタミアとは複数の河川の間を意味するそうで、河川の下流に生成した肥沃な河川敷は農耕に適していて、そこに古代文明が育ちました。

日本では広大な平野は北海道を除けば関東平野くらいで、国土の大半は山と丘陵です。ですから、人々は山や丘陵の間の、僅かな平地に住処を見出し、山間の谷間(たにあい)で農業生産を行っていました。今で言う中山間地(ちゅうさんかんち)が格好の生活の場でした。

大平野には大規模な灌漑施設が必要です。しかし谷間は、急峻でなければ、農業用水の管理利用は大平野より容易でした。大規模の灌漑施設がなくても、段々畑に見るように水は流れて細長い谷間の畑を満遍なく潤します。それに山々は雲を呼び雨を降らせます。

このように日本では、谷は恵みの地でした。しかし、世界には逆に谷は忌避すべき劣悪な環境の場所であると言う国々もあります。

インドネシアのジャワ本島では低地は湿度が高く、マラリアなど病気に罹りやすいから、人々は好んで高地に住むと聞きました。赤道周辺の高温多湿の地帯では、概して谷より高地が住みやすく、文明発生の場所になりました。

その他の国でも、東アフリカのタンザニアやモザンビークでは、インド洋に面した低地は気温が高く、伝染病も発生し、住みにくいとのことです。逆に内陸にある丘陵地帯は、標高が高いので気候がよく、人々は内陸部の高地を好むと言います。

広大な大陸の中国では、寒冷で乾燥した北の黄土の大地では小麦が栽培され、湿潤で水利に恵まれた南の揚子江流域では稲作が盛んでした。水の流れるところは当然、谷があります。その南の稲作地帯では、人々は谷あいを好んだと言います。

山を越えたら小さな盆地が現れ、そこには桃の花が咲き、犬と鶏の鳴き声が聞こえ、のどかな山村があります。そこが中国人が言う理想郷の「桃源郷」でした。桃源郷のイメージは、谷間のイメージと重なります。

老子は「谷神は死せず」と言いましたが、谷を女性に喩えて、谷は命を産み出すところだから死はないという意味だそうです。山と丘陵に囲まれた農村は、生産的であり、永遠の命のある桃源郷なのです。

身近な東京都の奥座敷の多摩地方にも、谷神が住む渓谷があります。そこには谷住まいの村落があり、人々は谷川の水の恵みを受け、その水蒸気にまみれて暮らしています。この谷間に住むと母の胎内で暮らしている気持ちになるでしょう。

山陵が重なる奥深い谷間には、ひっそりと山村があり、夕べには家々からたち上る登る煙が谷間にたなびき、朝早く谷川に出れば川靄が立ちこめる、奥多摩の風景を写真で眺めて下さい。
(以上)
【2016/08/04 13:11】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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