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戦後社会と写真表現 松本徳彦氏の講演を聞いて
先月(平成21年10月)、新宿歴史博物館で写真家松本徳彦氏の講演を聞く機会がありました。演題は「戦後社会と写真表現を辿る」ということで、「日本現代写真史(1945~1970)」を教材にしたものでした。日本の作家の作品をスライドで提示しながら、戦後の写真表現の歴史を具体的に分かり易く聴くことが出来ました。

スライドで見る写真は、戦争末期の防空壕生活から敗戦直後の厳しい日常生活、焦土と化した東京の街、原爆投下で壊滅した広島と長崎、戦後の復興期の逞しい人々の生活、経済成長を達成して変わる日本社会などでした。写真家達は、こんなにも沢山の現実を映像として保存してくれていたのかと、驚きもし感心もしました。

現実を直視するこのような写真がある一方、他方では造形美を表現する数々の写真が同じ時代に撮られていたことも知りました。それは、写真家が抱くイメージを風景や人物で構成して、そこに美を創造して見せる写真です。写真にはこのような可能性があるのだということも理解しました。

写真表現には、リアリズムと造形美の二つがあると云うことですが、リアリズムを求めて美に至る場合もあるし、美を表現しながら厳しい現実を語る写真もあります。

教材として示された写真が撮られたのは、敗戦後から高度成長が終わるまでの日本の社会ですから、同時代を生きてきた私にとっては、過去の現実を記録した写真には忘れられないものが幾つかありました。

防空壕生活の場面を撮った写真は、サイレンが鳴ると庭先の穴蔵に潜ったことを思い出させます。焦土と化した東京の街を撮った何枚かの写真を見て、昭和20年5月24日の空襲で廃墟となった我が家をみたときを思い出しました。回想を刺激する写真の力は、文章で表現するよりも直感的でもあり包括的でもあります。

また、政治社会の報道写真では、当時は政治プロセスの一場面に過ぎなかったものが、今振り返ると感慨深い瞬間の写真だと思うことがあります。それは鳩山一郎元首相が病気で辞任するときの一枚の報道写真でした。

渋い顔で立ち去る鳩山首相を、岸信介、前尾繁三郎、田中角栄など当時の重要政治家が並んで見送っている場面です。自由民主党と社会党が対峙した1955年体制は、第二次鳩山内閣の頃スタートしましたから、この写真に写っている政治家達は、その後、半世紀余り日本の政治を担う人々となりました。

この一枚のドキュメンタリー写真は、戦後政治史の一断面を切り取ったものとも云えます。映像は文字よりも多くのことを語ります。それがドキュメンタリー写真の凄さなのでしょう。

今回の講演は1945~1970年の写真表現ですから、25年間を通して多くの作家の作品を纏めて知ることが出来て、写真が持っている力を理解するのに大いに役立ちました。現在の写真を知るには、何事も広い範囲で昔のものまで知ることが大事なことが分かりました。
(以上)
【2009/11/27 10:05】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展「アフリカ」を見て
いま東京都写真美術館でセバスチャン・サルガドの写真展「アフリカ」が開催されています。(2009.10.24~12.13)

写真展会場に入ると、次から次へと大画面のカラー写真でアフリカの様々な現状が、これでもかこれでもかと迫ってきます。これ程強烈な迫力のある写真展を最近見たことがありません。

サルガドは経済学者から報道写真家になった変わり種ですが、それだけにアフリカ社会が持つ病弊への関心が強く、また着眼点も鋭いのです。この作品展も彼がいま挑戦中の最大のプロジェクト「GENESIS(起源)」の作品群から選んだ100点を展示したものです。

戦争と饑餓に苦しむ人々の大画面の写真の前に立つと、アフリカ(主としてザンビア)が直面している悲惨さに、観客の心は占領されてしまいます。写真の殆どは、その悲惨さを正面から見据えたもので、斜に構えたり思わせぶりの写真はありません。

写真の持つリアリズムというのはこれ程までに厳しいのか、と立ちすくみます。言葉では表現できない様を「筆舌に尽くし難し」と云いますが、これらの写真は正に文章や言葉では表現しようもありません。

報道写真というと兎角告発型やセンセーショナルな写真になるのですが、サルガドの写真は事実を事実として克明に描写するだけです。それでいて、画面構成が美的にも優れているので、写真を通して厳しい現実を見る人に与える印象が尚のこと強いのです。

例えば展示会場で配られた解説ペーパー(下に掲載)に載っている写真をご覧になれば分かるように牛の巨大な二本の角は、左端の人が立てている二本の棒に対応して画面にリズムを持たせています。

このようにサルガドが単なるドキュメンタリー写真家でないことは、展示された写真の中に砂漠の美しさを捉えた数枚の写真を見れば良く分かります。厳しいアフリカの撮影現場にいても、砂丘と太陽光が造り出す造形美を見逃さないのです。

見終わってからも、興奮がさめやらぬ写真展です。
(以上)

                         パンフレット:写真展アフリカ-01D 0911qc
【2009/11/20 20:19】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
波のリズムは複雑で繊細
1.冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 q
写真1
               2.浜の模様-01D 0909q
               写真2
                              3.浜の模様-02D 0909q
                              写真3

葛飾北斎の冨嶽三十六景の中の一枚、「神奈川沖浪裏」の描写をよく見ると、大波の先端は大波と相似形の小波が沢山描かれています。これは北斎の自然観察眼の精緻さを示している例です。(写真1)

波は風が作った水のリズムですが、そのリズムは波の外面だけではなく、内面にも生じており、波のリズムは波の大小に関わりなく同じなので、自己相似形が形成されていることを北斎は見抜いたのです。

戦後、数学者ブノワ・マンデルブロが考案したフラクタル幾何学は、図形の全体とその部分とが自己相似形になっていることに着眼して、単純に見えるものの内に実は複雑さを抱えており、複雑に見えるものも本質は単純であることを説きましたが、北斎は江戸時代に既にその手法で大波の謎を描いて見せたとも云えます。

湾や入江の静かな浜辺を歩いていると、潮の退いた砂浜の上に細かな波の紋様を見ることがあります。それは、静かに寄せては返す細波(さざなみ)のリズムの足跡です。足跡の一つ一つは似た形ですが、よく観察すると微妙な変化を伴った足跡です。

寄せる波も返す波も、浅瀬になると浜の底からの反動で波形が変わり一律ではなくなります。その波の力が浜の底の砂や土を押上げたり削ったりします。潮が退いた後に砂浜に残る軌跡は、細波の複雑な運動の足跡なのです。それが時には大きく変形することもあります。

教育哲学者として有名な J.デュウイーはその著書「経験としての芸術」で美的秩序を次のように説明しています。
「律動(rhythm)は常に変差(variation)を伴っている。なぜなら律動とは力(energy)が秩序立った変差を以って現われたものだからである。この変差は秩序と同様に重要であるばかりでなく、美的秩序に必ず件う不可欠の要素である。秩序が維持されている眼り、変差が大きければ大きいほどその結果は面白い」と。

写真2と3は東京湾の内奥の葛西海浜公園で見つけた海砂の紋様です。波の律動は微妙な変化を伴いながらも足跡に秩序を維持しています(写真2)。しかし、場合によっては細波の律動が足跡の形を大きく変えることもあります(写真3)。

葛飾北斎が見た波の律動は複雑で力強いものですが、浜の細波の律動は複雑で繊細です。北斎は動いている水の状態で見届けましたが、私は砂浜にプリントされた状態で発見しました。
(以上)
【2009/11/14 12:59】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風雪は風格の親
1.上野動物園-15D 0910qtc
写真1
                  2.樹木-33D 0805q
                  写真2
                                     4.街並み-11P 98h
                                     写真3

風雪に耐えて生き抜いた老人の顔にはある種の風格があります。時にはそれが威厳を高めることにもなります。

人間だけではありません。長寿の動物の顔や体に風格が備わるのは風雪に鍛えられたお陰です。(写真1)

動物だけでもありません。植物もまた然りです。樹種により異なりますが、大木の木肌に刻まれた味深い紋様は風雪の作品なのです。(写真2)

風雪は生きとし生けるものに試練を与え、その試練を乗り越える過程で皺や色彩や紋様を刻印するのです。

動植物だけでもありません。建物など建造物でも古いものほど風格があります。木造、石造いずれも年月を経たものは味わいがあります。
(写真3)

写真を撮っていると、新しいものより古いものにカメラを向けるのは、風雪に耐えたものには風格があるからです。そして風格のあるものは不思議な魅力を発するからです。
(以上)
【2009/11/08 11:27】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
心の眼 稲越功一の写真
東京都写真美術館で「心の眼」といテーマで稲越功一の写真展が開かれていました。(2009.8.20~10.2)
写真展を見てから少し時間が経ちましたが、私が生きてきた同時代の身近な場所が撮られているので、感想を書き留めてみました。

写真家稲越功一は広告写真家、肖像写真家として有名ですが、今回はテーマ「心の眼」にあるように、商業用ではなく自分自身のために心の眼で撮影した写真展です。

本人は惜しくも今年春他界しましたが、個展の準備は本人が丹念に進めていたとのことで、この個展は文字通り「心の眼」を伝える遺展となりました。

作品は制作年代順に展示されており、「Maybe,maybe」「meet again」「記憶都市」「Ailleurs」「Out of Season」「未だ見ぬ中国」「芭蕉景」の中から124点が選ばれています。

「Maybe,maybe」は1971年のアメリカ社会を撮影したものです。その頃のアメリカは、ベトナム戦争に疲れて国民は苦しんでいた時代であり、社会全般に焦りと無気力が広まっていました。

中でも孤独で寂しいアメリカ人を捉えた作品14、19、25、30は、写真家稲越が早い時期からシリアス写真に並々ならぬ意欲を以て取り組んでいたことを示します。

「meet again」はボケを使ったイメージを描いた写真ですが、正直のところ私にはよく分かりませんでした。

それに対して、「記憶都市」は1987年(昭和62年)の東京という都市の、何気ない風景を記録した写真ですが、当時の私の記憶を鮮明に呼び起こしてくれる作品です。

この年は丁度バブルが発生した年です。その後1990年代の始めにかけて土地と株の急上昇が始まり、地上げ屋が横行し、それまでの都市の形が大きく変わる直前でした。「記憶都市」に撮られた東京は数年後には消えて無くなりました。

森下町(作品47)、代々木(同48)、千住(同53)、向島(同80)の木造古屋や裏露地のような景色を今は見るのが珍しくなりました。向島3丁目(同55、63)の工場煙突、足立新田(同69)、吾妻橋付近(同70)の町工場は市街地から追出されました。他方、大久保(同51)には早くも新宿西口の高層ビル群が見えています。

失われた都市の記憶を、これ程多く撮り留めた写真集は珍しいです。神社仏閣のように公的でハレの舞台となる施設や建物は容易に消えませんが、日常の平凡な民家や露地は、時代の流れと共に消え去ります。写真家稲越は、うつろい易い平凡な風景の中に保存すべき歴史を発見することに鋭い感性を持っていたと思います。

「Ailleurs」と「Out of Season」は、写真家が1993年に世界各地を旅したとき目にしたの光景です。「未だ見ぬ中国」と「芭蕉景」は2008~2009年の写真です。写真家は晩年には風景写真をカラーで撮っています。まだまだ「心の眼」で撮りたい光景が海外に沢山あったと思います。

歴史に残すべき光景を、現在の光景の中から発見することは難しいことですが、稲越功一は「記憶都市」で見事にそれを成し遂げていると思いました。
(以上)
【2009/11/02 14:41】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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