古来、人類は美を表現してきました。洞窟画から始まって数々の壁画があり、彫刻、塑像で人間や動物を造形し、民謡、弦楽器、管楽器で音楽表現をしてきました。そして、現代に至まで人類は、その美的表現の営みを続けています。
絵画、造形、音楽の表現には、人種、民族、国民により特色があることは誰でも知っています。そして表現に違いがあり、個性的でありことによって、人類の美の世界は豊かになっています。しかし、そのような個性的な特色が何故生まれてくるかについては、分からないことが多いです。 日本人の美的表現は、世界のそれに比べて穏やかであり、中庸を得ており、細やかであり、精緻です。これは民族の素質にもよりますが、それよりも、海に囲まれた日本列島の穏やかな自然が、そこに住む日本人の素質を育ててきたからだと思います。特に緩やかな四季の変化は、日本人に細やかな美の変化を教えたのでしょう。 ギリシャの哲学者は人間が求める究極のものは真善美であると言いましたが、日本人は美が真や善より重要であると考えてきました。戦前の日本史学者である津田左右吉は、その著書「文学に現われたる我が国民思想の研究」で、古来、日本人は美に最高の価値を与えていたと述べています。これも日本の自然が日本人に教えてくれた価値観だと思います。 日本人の美観は、芸術的な分野だけでなく、社会の秩序や武士の作法にまで及びます。社会の中で「和を尊ぶ」のは、日本人の美観から生まれたものであり、武士道の核心にある「名を惜しむ心」は、日本人の美観の現れなのです。 西欧社会では意見が異なると討論によって合意を求めますが、日本では事前の根回しで合意に達する方を良しとします。論理で勝負するよりも、談合で納得し、調和することを好みます。 政治の世界で行われる談合を良くないと言いますが、それは談合の内容が汚れているからで、談合という合意方式そのものは良いのです。武士は武力で決着を付ける職業ですが、それでも相互に名誉を重んじ、敵にも惻隠の情を示します。敵とあらば完膚無きまで叩きのめす中国の歴史を見ると、つくづく日本は恵まれた国だと思います。 これからも、先祖伝来培ってきたこの美観を、あらゆる分野で維持発展させていくのが、現代の私達の責務だと思います。 (以上) |
人間はどういう状況に置かれたとき、美的感動を覚えるのでしょうか?
教育哲学者 J・デューイは、その著書「経験としての芸術」で次のように述べています。 「美的経験が生じない世界には二通りある。一つは、ただ単に流転だけの世界では、変化も蓄積もせず、終局にも達しない。そこには安定も休止もない。他方、完成し完了した世界では、一抹の不安も危機もなく、事を決行する機會もない。凡ての物が既に満ち足りている所では、事を遂行し成就するということはない。」 即ち、混沌(カオス)の状態と、終局点(デッドエンド)には美的感動はないと言うのです。混沌ではあらゆるものに形というものがありません。従って、ものの境界で対象物を識別することもできません。他方終局点では全てが静止します。形はあっても動きがありません。 混沌と終局点の間では、全てのものに形があり、全てのものが動いています。デューイの言い方を裏返しにすれば、美的感動は形があるものが動いている状態から生まれると言うことになります。 かくて美的感動を与える芸術諸作品は、動いていて形のあるものとなります。しかし、動いていて形のあるものが全て感動を与える芸術作品となるわけでもありません。動きと形は相まって様式や形式を持たなければ感動は与えられません。 それでは、感動の様式とか形式とは何か。 歌舞伎で演ずる出物には決まった様式があり、その様式はいろいろな形式で支えられています。演技者はその形式に従って演ずるわけです。西洋音楽でもオーストリアの古典派の形式から始まってロマン派の主旋律と伴奏の形式に至るまで一定の様式を備えています。 様式、形式とは、換言すれば「秩序の形」ということです。「秩序の形」が典型的に現れるのは絵画の世界だと思います。なかでも日本画でそれが典型的に見られるのが淋派だと思います。淋派は、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一と、江戸時代を通じて伝達された絵画様式ですが、これら三者には絵画の主題や図柄に共通なものが見られます。 宗達の風神雷神図、光琳の紅白梅図屏風、抱一の風雨草花図を見ていると、同一人が描いたのかと思う位似ています。宗達の風塵雷神の流動感は、光琳の梅の木にも、抱一の草花にも現れています。 勿論、同じ構図で真似て描けば感動を与える絵画が生まれるわけではありません。淋派の絵師たちは、感動を描いて同じような様式、形式になったと言うべきかも知れません。 ガラス工芸家の藤田喬平は、淋派は感動の形式であると言いましたが、正にその通りです。 (以上) |
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