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スイカは野菜でなくて果物です。
すいか-01D 0908q

日本は四季があるので果物の種類が多く特に春と秋に多いですが、夏だってスイカがあるしと言いましたら、あれは果物でなくて野菜だと反論されました。

そう言えば、スイカは漢字で西瓜と書きますからスイカは瓜の一種です。スイカは西方の中国から日本に伝わったので漢字で「西瓜」と書いたのです。そして中国語でシーガと発音しましたので、それが日本人にはスイカと聞こえて、そう名付けられました。

確かにスイカは瓜の一種ですから果物でなく野菜だと言えます。それではウリ科のメロンも野菜ですかと問うと、誰もが果物だと答えます。どうも、野菜と果物の区別は、食事のおかずとして食べるか、食後のデザートとして食べるかの違いに因るようです。

スイカは野菜にしては大変甘く、水分は90%もあるそうですから、ジュースを飲むような気分で食べられる水菓(すいか)です。

子供の頃、夏休みには屡々母方の田舎で過ごしました。田舎ではスイカを丸ごと掘井戸に浸けておき、三時のおやつはスイカ食べ放題でした。写真のように大きく輪切りしたスイカにかぶりつき、顔中スイカだらけになって食べました。

今はお匙で小さく刻んで食べたり、小さく刻んだスイカの切り身をホークで食べたりするので、スイカを食べた気がしません。やはり、スイカはかぶりつくのが一番美味しいと、今でも思っています。
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【2020/08/28 18:47】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
岬に神宿る
いわき波立岬-01P

福島県いわき市の塩屋崎灯台を訪ねたとき、国道6号線を北上して四ツ倉を過ぎて久ノ浜に近づいた頃、右手の波立海岸に海中からそそり立つ岩礁が現れました。日本の海岸では屡々岬や岩には神社が建ち、聖なるところとされますが、この岩礁にも弁天様が祀られ弁天島と呼ばれていました。島には陸から朱塗りの橋が架けられ、元旦には初日の出を拝もうと多くの人が訪れるそうです。

海の岬や岩場に神社が祭られている例として有名なのは、伊勢志摩の二見ヶ浦の夫婦岩ですが、注連縄(しめなわ)で結ばれた二つ岩は二見興玉神社の鳥居に見立てられています。また夕日で有名な筑前桜井の二見ヶ浦の夫婦岩も注連縄で結ばれていますが、そこは櫻井神社の社地で海辺に聖域を示す鳥居が建っています。日本人は昔から陸と海の接するところに神性を強く感じていたようです。

岡本太郎はその著書「沖縄文化論」で「水平線の向う、見えないひろがりに神秘と超現実の天地がある。神話はそれをギライカナイとよんだ。」と述べていますが、縄文時代の日本人は海の彼方に理想郷を信じていたのです。

また、宗教哲学者の中沢新一氏によると、東京都内の神社の所在地を調べて、その多くが昔の縄文海進期には海辺だったところだと言います。縄文時代の日本人は、陸の端に強い霊性感じて、そこに神様を祭り墓地を造ったと中沢氏は言います。

更に、キリスト教化されるまでのゲルマン民族にも、海を神聖視する思想があったそうです。ドイツ語の海はSeeであり、霊魂はSeeleであり、英語のsoulも語源は同根です。言語学者でもある渡部昇一教授は、ゲルマン民族の古い信仰には祖先霊は海の底深く眠っているとの思想があり、それで海と霊魂は同じ語源を持っているのだと言っていました。

海に祖先霊が眠っているなら、祖先と最も近い、陸が海に突き出た岬や、地先の島々に社を建てて拝むのは自然の考え方です。そう思えば、地上の動物は昔々海に生きていたのであり、死んだら体は土に還り、心は海に帰るという思想は、それ程突飛なことではないようです。
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【2020/08/23 11:53】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
人生一筋の道を歩む幸せ
荒川土手-03

人生を最初から一筋の道で歩める人は幸せです。多くの人は迷いのなかを歩みます。人生の終わり頃になって、これが自分の人生だったと納得出来れば、それでも幸せです。遂に自分の人生は何だったのか、分からないまま世を去る人も多いのです。

親の職業を継ぐことが当然と考えられていた時代は、迷いがないので幸せでした。現代は職業の選択は自由です。人々は自由な生き方が許されて嬉しい人も多いでしょうが、中には職業の選択肢が増えて迷い、却って不幸になってしまう人もいる筈です。

選択肢が多いため、壁にぶつかる都度方向を変え、それを繰り返しているうちに、何処かに落ち着くことになるのです。それでも、回り道しながら落ち着いた先が納得できる人は未だ幸せです。

物心が附いてから社会に出る前までに、自分の人生はこの道だ、この一線で突き進もうと言う確信のようなものを会得した人は幸せです。人生の一筋の道とは、そのような確信のことです。その確信を共に持てる伴侶に巡り会えれば尚幸せです。

土手の下の一本道を、脇目も振らず走る二台の自転車を見て、ふと思った次第です。
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【2020/08/13 15:46】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
扇子は着物と良く似合う
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扇子(せんす)は、中国や西欧でも広く使われていますが、もともとは日本で発明されたものです。フランスのジャポニズム絵画には屡々扇子の絵が出てきますが、浮世絵では扇子が日本のシンボルの一つであったからです。

扇子は扇(おうぎ)とも呼びますが、「おうぎ」は歴史的仮名遣いでは「あふぎ」と書きますので、風を起こすのが目的で作られたものです。しかし、扇子は単に風を起こす道具としてではなく、日本では昔から色々な使い方がされました。

平安時代には和歌を書いて贈ったり、江戸時代には扇子に日本画を描きました。そのため扇子の端が線状から曲線状に変えられたとも云われます。そして鉄扇は川中島の戦いで武田信玄が軍扇として使い、上杉謙信に打ち込まれたとき防御に使ったとの講談話があります。扇子は文武両道の道具にもなりました。

しかし、なんと言っても着物姿の女性が扇子を胸元に挿していて、時折引き出しては、ゆっくり扇ぐ風情を眺めていると、夏の暑さも忘れてしまいます。写真は、浴衣姿の若い女性が扇子の品定めをしているところです。
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【2020/08/04 15:47】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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