今はミャンマーと云う国名ですが、嘗て英国の植民地であった頃、ビルマと呼ばれた国が東南アジアにあったことは戦前生まれの日本人は知っています。古い名前のビルマの方が彼らに馴染みが深いのは、竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」が戦後に二度も映画化されたことが大きいでしょう。
日本は第二次世界大戦でビルマまで進撃し、多大の損害を被って敗退しましたが、小説「ビルマの竪琴」の舞台は敗退後のビルマです。一人の日本軍兵士が、戦死した戦友たちの霊を慰めるため僧侶になってビルマの地に残る物語です。
出版当時、自国の兵士への追悼に力点が置かれていて戦争への反省がない話だとの批判が加えられましたが、この小説は戦闘現場で起きた敗戦処理の悲惨な現実に一兵士が真摯に立ち向かう姿を描いたものであり、お門違いの批判でした。
無数の無残に朽ち果てる日本兵の死体の姿に衝撃を受け、英霊を葬らずに自分だけ帰国することは出来ないと、この地に留まろうと決意した一日本軍兵士と、日本に帰国する戦友達との間で交わされた無言の会話がメインテーマなのです。
映画では、帰国を促す隊員と残留する一兵士との対話が音楽を通じてなされる場面が評判になり、そこで使われた楽器がビルマの竪琴でした。竹山道雄は、音楽が言葉なくしても心を通わせる会話の手段となり得ること、それが異国の楽器でも通じ合えることを描こうとしたと言われます。
この作品の映画化で有名になったビルマの竪琴は、写真にあるように舟型の共鳴胴の先端に一本の弓棹が伸びていて、その弓棹から共鳴胴に16本の弦が張ってあり、弦をはじいて音を奏でるものです。
弦をはじいて音を奏でる楽器は、世界でも最も古い楽器の一つで、最初に出現したのは西アジア(中東)だと云われています。そこから西に伝わって西洋音楽のハープとなり、東に伝わって日本では琴となり、ビルマではこの竪琴になったのです。 (以上)
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写真1 写真2 写真3 写真4 新型コロナウイルスの感染拡大で 3回目の緊急事態宣言発令
5月の連休をもて余して代々木公園に行ってみたら 来園した人は三々五々噴水広場の片隅で憩う
オレンジ色のフェンスに囲われた道を進めば 無人の公園広場にカラスが集う
二羽のカラスは語り合う コロナは悪い事ばかりでないと (以上)
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