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ビルマの竪琴
ビルマの竪琴-03D 0908qt

今はミャンマーと云う国名ですが、嘗て英国の植民地であった頃、ビルマと呼ばれた国が東南アジアにあったことは戦前生まれの日本人は知っています。古い名前のビルマの方が彼らに馴染みが深いのは、竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」が戦後に二度も映画化されたことが大きいでしょう。

日本は第二次世界大戦でビルマまで進撃し、多大の損害を被って敗退しましたが、小説「ビルマの竪琴」の舞台は敗退後のビルマです。一人の日本軍兵士が、戦死した戦友たちの霊を慰めるため僧侶になってビルマの地に残る物語です。

出版当時、自国の兵士への追悼に力点が置かれていて戦争への反省がない話だとの批判が加えられましたが、この小説は戦闘現場で起きた敗戦処理の悲惨な現実に一兵士が真摯に立ち向かう姿を描いたものであり、お門違いの批判でした。

無数の無残に朽ち果てる日本兵の死体の姿に衝撃を受け、英霊を葬らずに自分だけ帰国することは出来ないと、この地に留まろうと決意した一日本軍兵士と、日本に帰国する戦友達との間で交わされた無言の会話がメインテーマなのです。

映画では、帰国を促す隊員と残留する一兵士との対話が音楽を通じてなされる場面が評判になり、そこで使われた楽器がビルマの竪琴でした。竹山道雄は、音楽が言葉なくしても心を通わせる会話の手段となり得ること、それが異国の楽器でも通じ合えることを描こうとしたと言われます。

この作品の映画化で有名になったビルマの竪琴は、写真にあるように舟型の共鳴胴の先端に一本の弓棹が伸びていて、その弓棹から共鳴胴に16本の弦が張ってあり、弦をはじいて音を奏でるものです。

弦をはじいて音を奏でる楽器は、世界でも最も古い楽器の一つで、最初に出現したのは西アジア(中東)だと云われています。そこから西に伝わって西洋音楽のハープとなり、東に伝わって日本では琴となり、ビルマではこの竪琴になったのです。
(以上)
【2021/05/31 10:31】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
代々木公園の麗しき五月に
1.代々木公園:樹木-09D 2004q
写真1

2.代々木公園:樹木-66D 2004q
写真2

3.代々木公園:樹木-42D 2004qt
写真3

4.代々木公園:樹木-120D 2005q
写真4

都内で緑の一番多いところは代々木公園です。隣には明治神宮の森があります。この森は百年余りの年月をかけて植林して造成した人工の自然林です。と言うことは代々木の辺りの大地も樹木の生育に適した土地なのでしょう。

五月は青葉の季節です。萌えいずる若葉が輝く季節です。風が爽やかに吹き抜けると若葉は透明になり青空は更に青くなります。代々木公園の木々の若葉は若緑色に映えます。青空の青に溶け合って明るく冴えます。
(写真1)

針葉樹の木々も芽をふき出しました。夏には薄暗くなる程密生している針葉樹林は一斉に諸手を挙げて太陽を讃えます。樹木の隙間を通して陽光は燦燦と地面まで降り注ぎ、林立する樹林のキリッとした横顔を浮かび上がらせます。
(写真2)

闊葉樹林もすべての小枝に若葉を着けて開きます。開いた無数の若葉は太陽の光を受けて樹林内を明るく照らします。黒々とした太い樹幹は明るい青葉で影絵のように見えます。
(写真3)

照葉樹林はこんもりした樹冠から一斉に無数の新芽を吹き出します。濃淡色を変えて二重三重に新芽が沸き上がります。その様は立ち登る力強い入道雲を見るようです。
(写真4)
(以上)
【2021/05/24 14:57】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
牡丹は豪華で艶麗
1.牡丹-01Pq
写真1

2.上野東照宮ぼたん苑-02D 06
写真2

3.上野東照宮ぼたん苑-21D 06
写真3

4.上野東照宮ぼたん苑-01D 06
写真4

牡丹(ぼたん)は豪華さと艶麗さで花の女王と言われます。美しい女性の姿を形容するときに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言う喩えがありますが、牡丹は落葉した低木の枝先から新芽を出して大きな美しい花を咲かすので美人が座った格好に見えるからです。

牡丹は全身の姿が豪華で艶麗であるだけでなく、花冠を覗き込むと幾重にも織り重なる花びらには細かな襞が刻まれていて繊細な造形美を誇ります。花言葉に言う風格、高貴さは細部にまで及んでいます。
(写真1、2)

花の咲く時期により寒牡丹、春牡丹がありますが、牡丹は女王にしては意外にひ弱な花でして、陽の光に弱く、また雨に打たれのにも弱く、庭園では寒牡丹も春牡丹も大抵日傘、雨傘がかざされています。
(写真3、4)

日本には奈良時代に唐から薬用植物として伝えられ、江戸時代には徳川家康によってモンゴルから園芸用として持ち込まれたと言われ、以後神社仏閣の境内で栽培観賞されています。

東京では、徳川家康が祀られている上野東照宮に隣接して戦後造営された上野東照宮ぼたん苑(写真3)が有名で、4月から5月まで多くの鑑賞者が訪れます。
(以上)


【2021/05/17 20:15】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
矢切の渡し 大都市圏にも自然がいっぱい
1.江戸川:柴又の土手-16D 2104q
写真1

2.江戸川:柴又の土手-19D 2104q
写真2

3.江戸川:矢切の渡し-08D 2104q
写真3

4.江戸川:矢切の渡し-11D 2104q
写真4

5.江戸川:矢切の渡し-24D 2104q
写真5

6.江戸6.江戸川:矢切の渡し-03D 2104q
写真6

隅田川の渡しで故事来歴もあり昭和まで残っていたとでも言うなら名所旧跡にもなって戦後でも話題になるでしょうが、矢切の渡しは、千葉県との間を流れる江戸川の渡しであり、それも農民たちが農作業のため使っていた渡しですから、昭和の時代には誰も見向きもしない渡しです。

矢切の渡しがある場所は、千葉県の松戸市下矢切と東京都葛飾区の柴又を結ぶ位置にあり、その東京側に広がる江戸川の土手と河原は、戦後は近隣の人の憩いの場所になっていました。

ところが昭和57年(1982)歌謡曲「矢切の渡し」がヒットして俄に注目を浴び、偶々国民的人情喜劇映画「男はつらいよ」の舞台の近くであったことも加わって、俄に矢切の渡しは全国的に有名な場所になりました。
(写真1、2)

演歌と映画で有名になると大勢の人が押しかけます。矢切の渡しを櫓漕ぎの渡し船で渡る観光客が年間20万人以上訪れた時期もありました。今は洪水で対岸が損壊して渡ることは出来ませんが、それでも付近の江戸川を周遊するだけの櫓漕ぎ舟が営業しています。
(写真3)

江戸川は、上流の関宿水門で利根川からの取り入れて水量の調整を行い、洪水防止と水利用をはかっているので、矢切の渡し付近の江戸川は汚れも少なく水量も豊富でゆったりと流れています。両岸の土手には程よく樹木を生えており、川面からはビルなどの建造物は殆ど見えません。汚染した隅田川や水量不足の多摩川では不可能な舟遊びが出来ます。地方を旅行して人はよく自然がいっぱいあると喜びますが、東京という大都市圏の江戸川に、これ程自然がいっぱいあるとは驚きです。
(写真4、5)

映画「男はつらいよ」で登場する柴又帝釈天の境内から歩いて数分のところに矢切の渡しはあります。土手から見下ろす河川敷には花壇があり、その先に矢切の渡しの舟乗り場があります。暑い夏を迎えますと、お寺を参拝した後、涼しい江戸川の川風に吹かれるのも楽しみです。
(写真6)
(以上)
【2021/05/12 19:50】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
端午の節句に泳ぐ鯉幟はいろいろ
1.丹那盆地-11D 0905qtc
写真1

2.鯉幟-04D 0505q
写真2

3.鯉幟-02D 0505q
写真3

4.猪苗代-07P 99q
写真4

5月5日は端午の節句です。武者人形を飾り、鯉幟を立て、菖蒲湯につかり、柏餅を食べて、男の子の成長と健康を祈る祝いの日です。中でも庭に鯉の吹き流しが立つと、その家には元気な男の子が居る証で、近所中で祝福する華やぐ気分になります。

鯉幟を立てる風習が始まったのは江戸時代からです。鯉は滝をも登る元気な魚ですから男の子も鯉のように大空を駆け巡って欲しいとの親の願いの旗印でした。端午の節句に鯉幟を飾る風習は現代も続いていますが、その後は都会では大きな鯉幟を立てる場所は少なくなり、今では郊外か地方の農村でしか見ることができなくなりました。
(写真1)

嘗て各家庭の庭先で泳いでいた鯉幟の多くは、今では畳まれて押入に寝かされていましたが、それでは可哀想だと年に一度、端午の節句の季節に寝かされている鯉幟を大空に泳がせようと働きかける人が現れました。

時には川や谷に長いロープを渡して、そのロープで多数の鯉幟を吹き流している風景を見ます。五月晴れの青い空の下、新緑を敷き詰めた大地の上を泳ぐ多数の鯉のぼりは楽しそうです。これらの鯉幟は近隣の人々が寄贈したものだそうです。
(写真2、3)

桜前線の北上が遅い東北地方では五月の節句の頃に桜が咲きます。猪苗代湖の湖畔をドライブしていましたら、満開の桜の花の中を泳ぐ鯉幟に遭遇しました。桜の花の川に泳ぐ鯉の気分はどんなに良いものかと想像してみました。
(写真4)
(以上)
【2021/05/06 17:47】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コロナ禍で代々木公園はカラスの天国
1.代々木公園:人々-100D 2104q
写真1

2.代々木公園:コロナ使用禁止中-02D 2104q
写真2

3.代々木公園:動物-02D 2104q
写真3

4.代々木公園:動物-01D
写真4

新型コロナウイルスの感染拡大で
3回目の緊急事態宣言発令

5月の連休をもて余して代々木公園に行ってみたら
来園した人は三々五々噴水広場の片隅で憩う

オレンジ色のフェンスに囲われた道を進めば
無人の公園広場にカラスが集う

二羽のカラスは語り合う
コロナは悪い事ばかりでないと
(以上)
【2021/05/01 13:19】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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