はてなキーワード: 卒園とは
なんかランドセルの予約とか卒園式の服揃えたりするので忙しいらしい
ハンカチや手提げも全部ファミリアで揃えたいらしくて、明日はオンラインの予約開始日だから〜〜とかなんとか言ってる
公立の小学校だし、そこまで張り切らなくても……と私は思ってるんだけど
今はどの家の子もそんな感じだから!普通だから!お金かけたいの!って言って聞かない
本当かな〜〜
でもインスタとかでラン活がどうのこうのとかたまに見るし、本当なのかも
小学校に入ったら塾も行かせるって聞いて
そんなにやらせて本当に意味ある??大丈夫なの??って疑問しかない
なんか周りの子も皆そんな感じらしくてさ
そういう、習い事とかファミリアとかって裕福な子のステータスだと思うんだけど
公立の小学校に行かせる親が揃いも揃ってそんなものにお金かけるのってどうなんだろうね
それなら私立行かせれば?って思う
1歳から母子分離が難しくて登園しぶりがひどかったけど年長さんで保育園の雰囲気が「小学生になったら~」の会話が増えたり、卒園式の練習や文字の練習でいよいよ嫌になったみたい。
無理やり保育園に預けてたときは本人は頑張って集団行動は出来ていたけど、過剰適応で帰宅後は暴れて泣いて大変だったって。
その子は入学から不登校で母親が仕事やめたけど、文字も少しずつ覚えて、小学校には週に1時間だけ登校(担任とマンツーマン)している。
大変だとは思うけど一時期の荒れっぷりからするとだいぶ健やかになって落ち着いているよ。
思い返せば幼少期、私の父・母は…父が気持ち悪いぐらいに母にべったりだった。
子供の前で母親を抱きしめ「あいしてるよ~」ということが日常的だった父、そんな父の姿を見ていたからだろうか?
私の愛情表現は歪なものとなった。
そういう父・母を見て育ったからだろうか、私は幼稚園に入るころには既に結構ませがきで、幼稚園の頃には
同じ組の可愛い子を「あいしてるよ~」等と言いながら、毎日の様に追いかけ回していた
そんな事をしていたものだから、入園してすぐ
同じ組の女の子達の間では、「あいつに近寄ると抱きしめられるよ」と避けられる様になった。
そんな風に、幼稚園の頃から同じ組の女の子を追いかけ回していたのが人生最初の失敗だった
『クレヨンしんちゃん』のしんのすけでもそんな変態的な事はしない。
ある意味で、私はしんのすけよりも最低な幼稚園児だったかも知れない。
私の住んでた所の近くには、四つ程の幼稚園と三つの小学校があり
幼稚園を卒園すると、それぞれの校区の小学校に通う事になる
当然、幼稚園が四つあると言う事は・・・他の幼稚園から同じ小学校に
通う事になる娘も居る。
私が通う事になった小学校の同学年の比率は
丁度、各幼稚園からの卒園生が25%ずつぐらいの比率で、一学年150人前後の小学校だった。
という事は、必然的に同じ学年の奴の75%は小学校で初対面の奴、と言う事になる。
一つの幼稚園から35人ずつぐらいとして105人、その内半数が女子として50人前後、
その中には、初めて出会う可愛い子も居た。
小学校入学の時点で、同じ幼稚園から上がってきた女子
約18名は私の幼稚園の時を知ってるので、
既に私に近付かなくなっていた。
【各話へのリンクはこちら】
【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」
間もなく卒園なので、可能ならそれまでに伝えたいけど多分言えないのでここで置いておく。
通ってる保育園では連絡帳に子供の前日の様子や近況を゙書く欄があって、そこに親は記載し登園時に先生に渡す。お迎えの時にはその連絡帳に先生からのコメントが毎日添えられている。こちらが書いた内容への返信だったり、その日の子供の様子だったり書いてある。
時々、先生のコメントに「お母さんすごいですね!」とか「(子供のわがままがひどいぜみないなこちらの記載内容に対して)ちゃんと聞いてあげるママ、優しい!」とか書いてある。これがほんとうにありがたい。
子育てしてて、こんなド直球で褒められることはほぼないのでほんと、ほんとうにありがたい。
さらに登園した時に、着替えやらなんやらを子供の引き出しにしまっていると「毎日お着替えご用意ありがとうございます!」と声をかけてくれる。歯の浮くようなセリフに見えるが、こんな言葉に本当に救われる。
私が小学校に上がるタイミングで、父親が地元の企業に転職し、地元にマイホームを建てる計画だったようだ。
小学校に上がるまでの1ヶ月半、バッグも制服もスモックの色も何もかも1人だけ違う状態で、園バスに乗せられせっせと通っていた。
3月末までは行ってなかったと思うから、実際行った期間は1ヶ月くらいかな?
幼稚園児と言っても、就学手前までには成長しているので、都会から変な時期に現れた人間がすぐ馴染めるほどに、こっちも向こうも子どもではなかった。
たった1ヶ月だったけど、いやたった1ヶ月だったからこそ、楽しかった記憶がひとつもない。
流行っている遊びも、使っている言葉も、何もかもが違い、「浮いている」という感覚を言葉より先に覚えた。
季節も悪かった。真冬で、雪遊びの作法が分からず特に浮いた。母親も分かってなかったので1人だけ装備が違ったのだ。
こういう感じで他にもたくさん、その場に蓄積されてる何かが全く共有されない感覚があった。大人は何をしていたかというと、たった1ヶ月半だから、と誰も力を入れていなかったと思う。危険な行動をするタイプでもなかったので、目の届く範囲で放置されていた。
卒園式は記憶も写真もない。参加しなかったんだろう。もともと出さないつもりだったんだろうな。
自宅から遠い、小学校区域外の幼稚園だったので、同じ小学校に行く園児はおらず、諸々リセットとなり入学。その後は普通に子ども時代が送れた。
トラウマという程でもないけど、この1ヶ月の幼稚園生活、必要だった?と未だに不可解なのである。親の心理がどうにも想像できない。
なぜ通わせたのか、いろいろ考えてみたけど、どれも打ち消される。
→それなら同じ小学校に行く子がいるような、家から近い幼稚園にするだろう。実際は園バスで30分くらいかけて通ってた。
→幼稚園なので4〜5時間しかなかったから、むしろ弁当作りの手間がかかっていることを思うとメリット薄。祖父母の家がすぐそばにあり、関係性も普通なので預けられただろう。現に地元にいる間はよく祖父母に世話になっていた。
ホントになんだったんだろう。思いつく人いたら教えてほしい。
流産4日目。遠足のため早起きしてお弁当を作り登山。歩くにつれ出血量が増え、何度かナプキンを変えたけど、手持ちの枚数が足りなくなってきた。血だけでなく、紐状のものや肉片も出て…この状態で徒競走は無理と思い、パパを呼んだけど「嫌だ」と代わってくれず、無理して走った結果、途中離脱。→
→離れたところでスマホいじってて、写真も撮ってくれてなかった。離れてるから「お願い交代して」と言いに行くのも断られて同じ距離戻るのも辛かった。
お姉ちゃんの面倒も見ず、代わりに保育園の先生が相手してくれてた。卒園生のお世話は保育士の仕事じゃないのに。→
→保護者役を押し付け合う形になってしまい、子どもは傷ついて無言で指チュッパチュッパ。最後の親子遠足やぞ😢「無理なら休めば良かったのに」と言われたけど、保護者が2人いる計算では無理じゃなかったのよ。え?一つも手伝わないの?って計算違いがあっただけ。
こんな血が出ると思わなかった。痛みがないから無理しちゃった。初期で流れたことは伝えたけど、グロい話なので詳しい説明はしなかった。体型にコンプレックスがあって人前に出るのが恥ずかしかったようです。お弁当タイムでシート敷いてってお願いしたらそれも嫌だって言うから帰った。
中度知的障害を伴うASDの7歳の息子を持つ母です。支援学校に通ってる。
4歳のころ、いよいよ支援級にすら通えさそうと分かり、どん底にいた時のことを思い出した。
お友だちは「息子はこういう子である」とあるがままを受け入れていて、それは本当にありがたいんだけど、運動会でこの増田みたいにいろいろ助けてもらっているのを見ると、とても悲しくなった。だって同い年の幼児に助けられてるんだもん。情けなかった。
保育園の先生たちも同様。とても良くしてもらったけど、息子のおかげで周りのお友だちが優しさを学んでいる、みたいな、息子の障害を教材にするような言動があって、本当に嫌だった。
ちなみにうちは年長のときは運動会も卒園式も欠席した。親子で辛い思いする必要ないから。・・って私も4歳の時には思えなかったんだよねえ。まだ健常児として生きることを諦めきれなかったから。
この時期わたしはもうものすごい落ち込んでて、息子と心中しようかと本気で考えていた。
だって息子は、私がやってきたように進学先や就職先に悩むことも、一人暮らしをすることも、車の免許を取ることも、一人で旅行に行くこともできない。
どれほどうまくいっても、息子の給料は月数万円以上になることはない。障害年金と生活保護で生きていく。こういうことがたった4歳で決定している。大好きなフルーツも、親が死ねば誰も食べさせてくれない。いったいなんのために生きるのか?
息子が周りから気持ち悪がられることになるだろうというのも増田と同じ。私だって奇声を上げる障害者は怖かったし気持ち悪かった。息子もそう思われるんだろうと思うとたまらない。
繰り返すけどこういうことがたった4歳で決定しているのだ。
「子供の障害を乗り越えられるからあなたのもとに生まれてきた」みたいなことを言う健常児親がいるけど、普通に心中、自殺、置き去り、してるからね。健常児親の目に止まらないだけ。
定期的に面談していた相談支援員(増田は契約してる?ピンキリだけど将来の諸々の手続きのためには契約した方がいいよ)が、私が落ちているのを感じたのか、市が主催しているペアレントメンターとの茶話会の案内を送ってくれた。そこで、支援学校に通っている小学生の親や、中度知的障害で支援学校を卒業してB型作業所で働いている人の親の話を聞いた。これを聞いて、もう少し生きようと思った。その先があるのだ、と。
学校でやる全てのことが視覚化され構造化されているから、保育園時代とは比べ物にならないくらい落ち着いて過ごせるようになった。そうか、息子は本来こういう子なのか、って初めてわかった気がする。
言葉もたくさん出てきて、先生や親にちゃんと要求を口頭で伝えられるようになった。トイレや着替えや片付けなど、驚くほどたくさんのことができるようになった。支援学校では周り全員障害児なので、誰も息子を教材として扱わない。特別扱いされることもないから割と容赦ないけど。
とにかく、専門家がたくさんいるところで、特別扱いされずにいること、周りのママ友も全員障害児の親であること。保育園とは全く違う。私も、保育園では「その日悪目立ちしないこと」だけが重要だったけど、息子自身の成長に目を向けられるようになった。
将来に対する不安は消えない。状況は変わってない。息子は選択肢の少ない人生を生きる。でも同時に、息子は私とは違う人間であり、選択肢が少ない方が明らかに楽な特性を持ってることもわかった。保育園時代は全介護だったのが、支援学校に上がって急に自立し始めたのを目の当たりにして、ようやく息子は私と違う人生を歩むのだということが飲み込めた気がする。
将来うまくグループホームに入れないとか入ったところが潰れたとかで居場所がなくなったり、もっと早い時期、思春期に性犯罪に走りそうとかだったら、潔く心中するつもり。残念ながら中度の知的障害だと入所施設に入るのは難しく(もっと重い人用だしそもそも数がない)、グルホは軽度向けのものばかりだから。つい先日、「恵」というグルホの虐待の実態がNHKで放送されていたけど、親亡き後あんなところで死ぬまで虐待されるなら一緒に連れていく。耐えられない。
でも今は、健常児の親と同じように、ただ純粋に息子の成長を喜べるようになった。高等部から就職のための実習のみになるので、これほどのんびりしていられるのはあと数年だけど。
だらだら隙自語しちゃったけど、増田に言いたいのは、「就学まではなんとか頑張ろう、全てを諦めるのは支援級を試してから」です。そこは試さないと損。そうやって自分を誤魔化しながらなんとか生きよう。
私も性にまつわるエッセイを書いてみたいと思った。
私は、性の目覚めが人より早かったように思う。
自分で自分を気持ちよくすることを覚えた1番古い記憶は幼稚園のとき。
みんなで机を寄せ合って座っていて、私は机の下で足をぴんと延ばしながら足の付け根の真ん中のほうを触っていた。それがいわゆる自慰行為だという意識はなかったけれど、バレてはいけないものだとどこかで思っていた。だから家でするときは、お母さんの足音がするとずぐにズボンの中に入れていた手をすっと出して、平然とした顔に戻る。そんなことを繰り返していた記憶がある。
小学2年生のとき。私は自分が通っていた幼稚園の先生の家にひとりでお泊まりに行く事になった。経緯はあまり覚えていない。その先生は当時27歳と若くて、その先生の家と私の実家が近かったことから卒園したあとも交流が続いていた。そんな中、なぜか私はひとりで先生の家に行く事になった。親から離れるという経験をさせたかったのかもしれない。その日、先生の家で起きたことは今でも忘れない。
先生の家ではソファに座りながら、テレビを見ていた。先生はお酒を飲んでいた。時々するめいかを食べながら。あと、長めのカルパスも。そしてなぜか、私達はキスをしていた。先生がカルパスを半分咥えて「ん。」と私の方に顔を近づける。私はそのまま反対側を軽く咥える。すると先生の顔がどんどん近づいて来て、カルパスと一緒に先生の舌が口の中に入ってくる。そうやって何度もキスをした。お風呂にも一緒にはいった。私は浴槽の中で先生の上にまたがっていた。どことなく”あそこ”が熱を帯びているような、初めての感覚があった。寝るとき、先生は私の身体を全身触った。下から上まで。そしてまた、何度もキスをした。私はそのまま眠りに落ちたが、夜中にふと目が覚めた。私は先生にキスをされていた。舌をいれられていた。起きたらだめだと感覚的に思って、目を必死につむり、寝たふりをしながら先生と長いキスをした。
その日の何とも言えない高揚感、人間の温かさ、はじめてのあの感覚を夜寝る前にもう一度味わいたくて、布団をぎゅっと抱きしめたり、足の間にいれてこすりつけたり、枕とキスをしたり。何度も何度も繰り返して眠りについた夜は数えきれないほどある。私は先生のことが好きになっていた。私の初恋のひとだった。先生とのキスはピュレグミを食べる度に思い出すことが出来た。ピュレグミを噛まずにおいておくと、唾液でまわりの砂糖がとけていく。残ったグミを舌の上で転がす感覚は、先生の舌が私の口の中で動き回っていたあの感覚に似ていた。だから私はピュレグミが好きだった。
先生とそんなことがあったなんて、お母さんには口が裂けても言う事ができなかった。自慰行為と同じ。これは隠さなきゃいけないことだと、そう本能的に感じていた。隠しながら家族と先生で旅行にいったり、交流を続けていた。家族と出かけているときも先生は隙を見つけては私にキスをしてきた。トイレにたったタイミングや、私を寝かしつけてくると両親に言い渡し、布団の中で身体中を触られた。
そんな日々は長くは続かなかった。先生は当時付き合っていた彼女と結婚することになり、お出かけにいくことがなくなった。そして月日が流れていった。気づけば私の先生に対して抱く恋愛感情もどこかへと消えていった。
そんななかでも私の中に「性」への興味はどんどん強くなっていった。親の携帯で「キス」や「エロ」などと検索して何度も動画を見ては、”あれ”を触って気持ちよくなった。初めて絶頂の感覚を味わったのはいつだったか覚えていないけれど、びっくりした。絶頂を迎えた瞬間に”あそこ”がびくびくして、動けなくて、トイレに行きたくなってもおしっこが全然でてこなくて、もどかしくて苦しい。今まで興奮していたものたちが一気に魅力を失って、「あれ、何してたんだろ」という冷めた気持ちになる。その感覚が嫌いだった。だけどいざ始めてみると、どうしても絶頂を迎えたいという気持ちが出てきて、気持ちよくなっては苦しくなって、ということを繰り返した。
中学生にあがると、同級生が「性」に目覚めはじめた。それぞれの性器を掴み合う遊びをしたり、下ネタで盛り上がったりするようになった。その頃、女の子の友達が「オナニー」というものがあると私に教えてくれた。実家に帰り私は「オナニー」を調べた。その時は自分がしていることと「オナニー」は別のものだと思っていた。だって友達もネットも、”あそこ”に指をいれてかき回すを言っていた。私は指をいれていない。表面をなでているだけ。全然違うと思っていた。まあでも、その1年後には自分がしているものが「オナニー」だと何かしらで見て気づいた。自分だけじゃないんだと思えてどこか嬉しくなったのを覚えている。
中学2年生になるとまわりの子が「初めて彼氏とキスをした」とキャッキャ言っていた。そして私にも彼氏がいた。そのときはじめて自分がキスを何度もしたという過去に、嫌悪感を覚えた。みんな「初めて」を凄く大事にしていた。「初めて同士」というのが”普通”だった。私はそんなことすべて済ませていた。また、嘘をつかなきゃいけなかった。
「初めてじゃない」ということが嫌で嫌で、自分の身体が汚れているような気がして、そんあ自分で彼氏とキスをしたくなかった。だから清純ぶった。そしてキスを拒んだ。そこで自分のなかにふたつの世界が生まれた。「えっちなことが大好きな自分」「清純でえっちな事に抵抗する自分」。両方本当の自分だった。家でひとりですることと、彼氏とすることが同じとは思えなかった。「性」と言う世界に他者が入り込んだ瞬間に、私は清純な人間になる。エロから興味がなくなる。これは今でもそう。私は、ひとりの時が1番エロいと思う。
そんなこんなで、大学生、社会人となり、色々と経験した。好きじゃない人とえっちもした。経験人数は20人いかないくらいかな。たぶん。正直数えてないから分からない。でもこれは、自分が求めてしたわけではない。ただご飯に行って、楽しくてそのドキドキを味わっていたくて、家にいく。えっちがしたいわけじゃない。ドキドキしていたいだけ。でも男性にはそんなこと通用しない。そこまでいけばもう、そういうことになる。そして私も流される。「まあいっか。」と。でもそれは自分の内側にある性欲とは別物。
「性欲強い?」と聞かれることがある。困る。強いのか弱いのか分からない。ひとりの時はめちゃくちゃ強い。色んな動画をあさるし、毎日のように自分を慰めるし、変わった性癖に興奮することもある。だけど、他者がいるとどうもその自分が出てこない。えっちをしたいとあまり思えない。不思議。ここをもっと自分でも言語化したい。
遠方の自分の両親もシングルマザーの義母も働いていて、義祖父はボケ始め義祖母は体を悪くしていた
夫の実家の側に住み夫の家族と協力しながら義祖父母のサポートをしていた
頼るどころではなかった
結局うちの地域でも保育園の空きはないまま、元幼稚園から認定こども園になったところへ年少さんとして入園して毎日預かり保育をお願いしながら時間を調整してもらって働いた
預かり保育には人数制限があって毎日枠が取れるわけではなかった
会社は時間を調整してくれていたし休日出勤もしてなんとか過ごした
長く休みやっと働き始めたと思ったら不安定な働き方をして、また休んでいつ働けるかも分からない状況
同じような状況で離職する母が何人もいて学童に空きができ入ることができた
脱落した人達を何人も見てきた
共働きで共に育児をできるなら父親はもっと育休をとれたしもっと育児に参加できたはず
実際は今でも共倒れにならないように片方がリスクを請け負わざるを得ない家庭が多い
令和10年時点で40歳未満の人と区切るのであればその人達が育児や介護をしながら普通に働けない会社を営業停止にでもして、主婦や非正規やパートありきの社会はちゃんと終わらせてから言えよと
いろんなことを思い出して怒りがこみ上げてしまう
付き合っていたのは1年にも満たなかったけど振られて別れて年単位で引きずったひと。
私の結婚前に再会して何度か飲みに行ったり結婚出産後に全然別の繋がりがあったりして、友人としてのお付き合いはあったけど
あちらの結婚後は勿論会うこともなく、道で見かけた際に「いたねー」って連絡がくる程度だった。
保育園で時々話すママがとっても感じが良くて可愛くて、仲良くなりたいなーと思って送迎時に雑談していて、
旦那さんがその人であることが判明したのが数年前。当時は驚愕したw
その後イベントごとや送迎で彼と遭遇することもあり何とも言えない複雑な気持ちが沸く中で子供が保育園卒園→小学校に入学。
幸い(?)彼の子とは全く別の学区だったのでようやく縁が途切れた…はずが、その後も頻繁ではないながらも子供繋がりでお付き合いが続いている。
彼に対しては、友人として再会後は未練はなかった。
忙しい夫に対する心の中の当てつけで結婚後何度か飲みにいったことはあったし、
あちらにその気があったらもしかしたら流されたかもしれないけどは彼も私のことを完全に友達と思っていたし、
私自身浮気をする甲斐性もなかったのできっと何もなかったんだと思う。
ただ、付き合っていた当時具体的な結婚話があり彼との結婚を夢見た過去があったせいで、
子供のお友達のパパとして再会し家族ぐるみでのお付き合いが発生した今、彼の家庭人としての姿を見ていると
そして今まで彼の奥さんは「男友達の奥さん」という“面識のない”存在だったので気兼ねなく連絡できていたのに、
図らずもママ友になったことで「やましいことが何もなくても連絡するのに気を遣う存在」になってしまったのが面倒臭い。
彼との共通の友人と「意外な形で繋がってびっくりしたよー!」とかも、もう直接連絡取れないじゃん。
つまんないの。
どうにかなりたいわけじゃない、不倫したいわけじゃない、だけど他愛もない話を連絡できる男友達がいることによって保たれていた
安心感?優越感?なんだろう、そんなものが得られなくなって寂しい。
私は、彼の女友達で居たかったんだよ。奥さんのママ友じゃなくて。
友達が一人いなくなって(いなくなったわけじゃないけど)寂しい、みたいな。
表現するならそんな感じ。ただただ残念。
子ども(2歳)の進級のタイミングを狙って、そして3月末の引っ越し料金がエグいので、平日の今日になった。
子どもがハイハイをし始めた頃からお世話になっていたので、母である私はどうしようもなく寂しい。
けれど、当の本人は引っ越しの概念なんて理解できるわけもなく、元気よく「バイバイ!!」と先生たちとハイタッチしていた。
それでも、にこにこしながら我が子の状況を伝えてくれたり、◯◯ができる(言える)ようになった!と一緒に喜んでくれてた。
先日卒園式を終えたばかりの園内には、今の年長さんたちが入園した頃の写真が貼り出されていて、エモい雰囲気が漂っていた。
でも、私たち夫婦はアラフォーで、いつまでも賃貸暮らしというわけにもいかない。
それでも、想いが溢れて止まらないので、こうして増田に書き残してみる。
引っ越しや転職など、これまでも人生の中でいくつかの別れを経験してきた。
でも、我が子の転園は、それらとはまったく違う種類の喪失感がある。
あぁ、寂しい。
アラフィフ男性。うちの子供達が通っていた幼稚園にお父さんの会というのがあって、幼稚園のイベントの度に有志を募って活動していた。週末の夜に居酒屋で集まって酒飲みながら企画会議とかしてた。
子供が卒園して20年近く過ぎたけど、親父達のつながりはそのままで、今でも一緒に週末にBBQとかキャンプとかゴルフとかしてる。子供が同じ年齢なので、親父たちも概ね同じぐらいの年齢だけど、±5歳ぐらいは幅がある感じ。お互いあだ名で呼び合っていたので本名をよく知らない人もいるし、本人が何かの拍子に言わない限り勤務先とか仕事内容とか聞かないので、普段何してるかよく知らない人もいる。
仕事に関係ない集まりなので、みんなヨボヨボになるまで付き合ってると思うな。ほんと、子供をあの幼稚園に行かせてよかったわ。
保育料の高い園に入れてお迎えとかしてる人なら気づいてると思う
なぜこうなるかというと一番大きいのが「美人orイケメンだと子供が素直に言う事聞く傾向がある」というルッキズム全開の理由があるため
皆表立って言わないけどおそらくほぼ全ての保育士が体感で感じてる事だし、最近だと公演なんかでもちょこちょこ言われるようになってきた話
これは本当にバカにならなくて、早い子なら2歳ぐらいから「ブサイクに抱っこされると泣き喚くが美人orイケメンに抱っこされると泣き止む」という事象が発生する
ちなみに女児がイケメンを好む傾向が出てくるのは卒園間近ぐらいで基本幼稚園保育園の時期なら性別は関係ない、顔が良ければ慕われる
逆に言うともうこの年から「かっこいいorかわいい」という判断基準の基礎ができてるんだなーって思う
そして次に大きな理由がこれは「男のブサイク」限定なんだけど保護者からのクレームが来る
これが本当に悲惨で保護者から「変質者ではないか」 「うちの子を担当させないでほしい」というクレームが死ぬほど来る
なので採用ハードルとしては美人>イケメン>女のブサイク>>>>>>>>>>>>男のブサイクになる
この傾向は幼稚園以降も続き、遠からず「教わるなら顔の良いに越したことはない」状況になるので、この先5年ぐらいで公務員以外の人に物を教える職業(塾講・カテキョetc)は顔面採用が加速化する可能性が高い
うちは5歳までの園だけど私立の小さめ園なので、クラスのお母さんは全員わかるし子供の名前と顔も一致する。
かつそこそこ人気園なので4月に入園した時点で定員に達して今年度はもう追加はないよう。つまり転園しない限りは卒園まで5年間一緒のクラスになる。
一度だけならし保育の時期にママランチ会をしたことがあって、ほぼ動かないライングループはある。門前や生活圏内で会えば挨拶をするけどそれくらい。
で、このくらいの縁ってどこまで続くかな?今はあかちゃんだから誰と仲いいとかがないだけで、もしかしたら今後、土日に遊びたいとか遊んで帰るとか、晩御飯一緒に食べたいとか?そういうこと言われ始めるのかな?誘われたら全然行くけど音頭とってどうこうってなったらだるいなと思う感じ。
今くらいの薄いつながりがちょうどいいんだけど。
6歳差の二人の子供がいます。ふたりとも1歳から認可保育園に通わせたけども、月8万2000円、年間約100万円です。初めて通知が来たとき何かの間違いじゃないかと市役所まで出向きましたよ。
3歳以降は安くなるのに所得制限で無償になったりならなかったりで、、、上の子はとうに卒園しましたが、かれこれふたり合わせて500万くらいかかったのでしょうか、しかも手取りから出ていくわけです。
子ども手当も今さら所得制限撤廃とか言い出してますが、いままで満額もらったことなんて1度もない。
出生率が危機的とかラストチャンスとか、一体どの口が言うのかと。
お金をかけて、苦労して育てた挙げ句、将来は高齢者の食い物にされるのかと考えると、今の子供たちが不憫でならないです。
日本の未来は世界がうらやむウェイウェイって言ってたの調べたらもう25年前ですよ。
一体どうなってしまうんでしょう。