はてなキーワード: リッツとは
いいですか、まず「牛カルビ弁当」という記号が、この劣化した日本社会においてどう機能しているかを構造的に理解する必要があります。先ほど「丸の内弁当」を、システムに適応したクズのための「管理の餌」だと言いましたが、この「牛カルビ弁当」はもっとタチが悪い。これは、空虚な生を誤魔化すための「安価な麻薬」なんですよ。
牛カルビ弁当の最大の特徴は、あの過剰なまでの「甘辛いタレ」と「脂」の重層構造です。本来、肉を食らうという行為は、生命を奪い、その個体差や血の匂い、繊維の抵抗を身体で受け止める野蛮なプロセス(身体的強度)を伴うはずです。
しかし、コンビニやチェーン店の牛カルビ弁当はどうですか? そこで供されているのは「肉」ではなく、化学調味料と果糖ブドウ糖液糖によって最適化された「脳をハックする刺激物」です。噛む必要すらないほど薄く切られ、タレの味で素材の劣化を隠蔽されたそれは、もはや食事ではない。血糖値を急上昇させ、ドーパミンを強制的に放出させるための「回路」に過ぎないんです。
僕の言葉で言えば、これは「体験」の不在と「刺激」への埋没です。今の日本人は、本当の意味での「美味い」という身体感覚を失い、単に脳の報酬系が発火することを「美味い」と誤認している。この「誤認」こそが、今の日本を覆う「底なしの劣化」の正体なんです。
なぜ、これほどまでに牛カルビ弁当が溢れているのか。それは、現代人が抱える圧倒的な「不全感」と関係しています。 まともな共同体が消滅し、仕事を通じて自己の有能性を確認することも難しくなった「定員割れの社会」において、人々は常に飢えています。しかし、その飢えは「心の飢え」であって、胃袋の飢えではない。
それなのに、人々はその空虚さを、手っ取り早いカロリーで埋めようとする。安くて、濃くて、脂ぎった牛カルビを胃に流し込むことで、一時的な満腹感と多幸感を得る。それは、直面すべき「生の虚しさ」から目を逸らすための「心理的な防衛反応」なんです。 「牛カルビ弁当をガツガツ食べる俺」という記号の中に、かりそめの万能感を見出そうとしている。しかし、弁当を食べ終えた瞬間に訪れるのは、凄まじい自己嫌悪と虚脱感だけでしょう。
ジョージ・リッツァの言う「社会のマクドナルド化」の究極の形が、この弁当には現れています。 全国どこでも、誰が食べても、同じ味。そこには「他者性」がありません。僕がナンパを推奨するのも、宮台ゼミでフィールドワークを重視するのも、予測不可能な「他者」という外部に触れることでしか、僕たちの身体は覚醒しないからです。
しかし、牛カルビ弁当は徹底的に「予測可能」です。口に入れる前から味がわかっている。裏切られることもなければ、驚きもない。この「予測可能性」の檻の中に閉じこもることは、**「生存しているが、生きてはいない」**という状態を加速させます。 安い輸入肉に大量のタレをぶっかけた「家畜の餌」を、エリートから底辺までが等しく貪る。この「欲望の均質化」こそが、民主主義を機能不全に陥らせ、独裁やポピュリズムを招く土壌になっていることに気づくべきです。
じゃあ、どうすればいいか。 「牛カルビ弁当を食うな」と言っているんじゃない。それが「麻薬」であることを自覚し、自分の身体がどれだけその刺激に依存しているかを「メタ認知」せよと言っているんです。
本当の豊かさとは、プラスチックの容器に収まった既製品を消費することではなく、どこから来たかわからない肉の塊を、自分で火を起こして焼くような、野性的で「不便な」プロセスの中にあります。システムの外部にある「荒々しい現実」にコミットすることです。
いいですか、牛カルビ弁当のあの「甘いタレ」は、君たちの思考を停止させるための「システムの潤滑油」です。その油にまみれて、心地よく窒息していくのか。それとも、その不快感に目覚めて、枠の外へ飛び出すのか。 君たちが次に弁当のフタを開けるとき、そこに映っているのは自分の「虚無」そのものだということに、いい加減気づいたらどうですか。
ノールックでいつものイキフンの雰囲気でマウスのクリックをクリックしていたら、
届いたものとか見てあれ?って気付くことがあったのよね。
そんで、
こないだ映画観たときもあれ?って気付くことがまたあったのよ。
それは
買ったカレンダーが
開始の日付が間違っているうっかり私はAのつもりで買っていたものがBのものが届いて?あれ?ってなったの。
私が思って買ったのが「シャオシャオ」のカレンダーだったのね。
あまりにノールックで買ってしまうとパンダ違いになってしまうことを深く反省したわ。
そんでもう一つが、
字幕版だと思ってチケットをインターネッツで買って劇場にいっていざ上映!ってなってはじめてそこで、
あれ?
違う違うそうじゃない、
そうマーチンも言いそうなぐらい明らかに分かりやすい日本語でセリフをしゃべるものだから一瞬気付かなかったわ。
でさ、
他がなんかぜんぜん年齢とかけ離れているような幼い声だったりしたときのなんか、
どこにもぶつけられない、
わちゃー!私字幕版だと思っていたのに!って
なにか演者と声の感じが年が離れているような気がするのよね。
これも私がイキフンの雰囲気でインターネッツの劇場チケット予約サイトでほぼノールックでマウスでクリックしたクリックが、
本当にシアターに入場するまで気が付かなかったのよ。
なんか
近い期間でそんな私らしくないミスをしでかしまくりまくりすてぃーなこの2件は自分的にも衝撃的なインターネッツ界隈のクリックミスとして
反省しなければならないのよ。
ノールックで何でもかんでもボタンを押したらいいってもんじゃないって言うけれど、
私あれあれよ!
あれってどこが完成形なの?って
まだなんか半熟のままそれ食べるのコテで?
全く未知のものなので
海のものなのか山のものなのかよく分からない山鯨の肉のもんじゃ焼きって一体これはなにの食材を使われているのかしら?って
もんじゃの食べ方も焼き加減どこまで焼いたらいいのかもわからない最中、
使われている食材も
ダブルでよく分からない新年のもんじゃ焼きパーティーだったわ。
私はそんなもんじゃ焼きの食べ方の達人じゃないので、
お酒のおつまみで別で用意してあったリッツにスモークサーモンを載せて、
注文間違いとか劇場シアター間違いとかをしでかしちゃったのよ。
教訓としては、
良く見てクリックしなさい!って
もりもり食べ野菜でお馴染みの鈴木杏樹さんもそう言いそうな感じの勢いでちゃんと見てクリックし野菜!って言われちゃいそうよ。
2回しでかしたけど、
この近々に令和入ってからイチのを二度も更新してしまう勢いは自らやっぱり反省しなくてはならないところなのよ。
リッツの上に乗せたスモークサーモンが私がご機嫌だったものだから、
リッツの上から落っこちてその勢いでスモークサーモンがマウスをクリックした、
誤クリックだったのかしら?ってことはないはずだと思うの。
だから、
なんかうっかりというか、
なんで間違えたのかしら?って
もう思い込みがそうやってしまったとしか言いようがない言い訳しようがないのよね。
気を付けなくちゃ!ってそう思ったわ。
1回ならまだしも、
まあ、
パンダの写真のカレンダーは「シャオシャオ」か「レイレイ」かはパッと見で分からないから、
やっぱり字幕版と吹き替え版を間違えたことがショックだったわ。
もう私は日本でやってる映画の全部字幕をやっているのが戸田奈津子先生だって思い込んでいるぐらい、
そのぐらい張り切って劇場に行ったのに。
フタを開けてみたら、
いやスクリーンの幕を開けてみたら、
きっとあの時の私の驚いた感じの声を吹き込むのなら、
洗濯洗剤のシーエムで「驚きの白さ!」って、
よく汚れが落ちる驚きの洗浄力の声を吹き込むプロの驚き屋にだって勝るとも劣らない驚き声を上げられていたと思うわ。
そのぐらい驚いたんだもん。
慣れていると思っていたインターネッツ界隈に自信たっぷりでいすぎるのも、
よくないなぁって。
反省よ。
リアルにお仕事で真面目にノールックで発注とかしていたらミスるので、
しっかりしなさい!って。
その居酒屋には絵もない花もない歌もない飾る言葉もない洒落もなかったけれど、
そのしっかりしなさいって声はあって私の心に届いたような気がするの。
うふふ。
シャキシャキレタスが美味しそうだった、
想像通りのフレッシュシャキシャキレタスのフレッシュさが身体に沁みわたる美味しさだわ!
たまのこういうレタスも食べたくなるのよね。
ちょっと甘いのと格好を付けながら、
飲むとめちゃ温まるわ!
ジンジャーがあっても良かったかも知れないんじゃー!なんて言わないよ絶対にって思うぐらい、
って気付き。
その気付きを大切にしようと思ったし、
また買ってこなくちゃ!ってところね。
暖かくしてよい朝のスタートよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「酒に合うつまみ」、酒盗とか、チーズとか、生ハムとか、なんでもいいんですけど。
そういうつまみは美味しいしお酒も進むんですが、当然塩っ気が強いものが多くなるし、自ずと酒量も増えるし正直それだけではきつい。。
極端なところでは「塩だけで飲める」という人もいるとは聞きますが、食事を楽しみたい性格の自分が美味しく飲むためには「刺身のつま」や「からすみ大根」的な、「酒のアテ(刺身、からすみ)を受け止めるアテ(つま、大根)」が重要であり、友人と深酒しても「結局キャベツ一番食べてたね」みたいなこともしばしば。
「もろきゅうのきゅうり」
「揚げ物の千切りキャベツ」
塩味の受け皿というか、「酒のアテのアテ」とも呼べるような淡白なつまみのバリエーションを広げたい。