はてなキーワード: 背脂とは
※追記
思いのほか注目されてるようでそれなりに他の人にとっても関心のあることだったんだなと再認識したよ。
肯定的な反応が多くて嬉しい反面、否定的な反応もかなり多くて改めて両者の意識の隔たりを感じた。
「スープを残す前提の食べ物」って考えてる人は感覚的にはざる蕎麦のつけ汁を飲み干すような感覚なのかな。
たしかに増田もそば屋のもりそばで残ったつけ汁を無理に飲み干そうとはあんまりしないわ。
でも後からそば湯を出してくれるような店ならつけ汁で割って飲むし、つけ麺の店もこのシステムはあるだろうと思うけど否定派の人はやっぱり飲まないの?
思うに、塩分を気にする以上にこれは感覚的な基準なんじゃないかと思う。
甘いものの話に飛び火しちゃうけど、ケーキとかパフェなんかも超大量の砂糖を入れてるけど、全部食べる派と半分残す派、なんて分かれてないよね。
※※※※※
(原文)
このまま行くと2030年頃にはほぼすべてのラーメンスープが干上がり、ラーメン=油そばになってしまうのではないかと危惧している。
家系や背脂豚骨のようなどろどろのスープや、逆にお洒落で上品な創作系ラーメンのスープなどでその傾向は顕著に見られる。
そして従来の丸みのあるお椀型から底が深く縦方向に切り立ったシャープなシルエットの丼がやたらと目につくようになった。個人的にはアレがタチ悪いと思う。
アレはスープが少ないことがさも上品で洗練されているかのような面構えで、水たまりレベルのスープでさえさも当然と言わんばかりの顔で出てくる。
スープの少量化のカムフラージュのために作られた丼としか思えない、非常に狡猾な器である。
ただ問題の根っこはそこじゃない。
やはり根本的な問題はラーメンスープぜんぶ飲む / 飲まない問題である。体感的にざっくり客全体のおそよ半分は、スープの半分くらいを残しているように感じる。
飲まずに残す人に言いたいことは色々あるが、結局強制できるようなことじゃないのでそこは目を瞑る。
ただ考えてみてほしい。ラーメン屋にとってスープは命である。スープにこだわりのないラーメン屋はいない。あの味わい、あのコクの為にどの店でも膨大な量の材料と長時間の仕込みが必要になる。
その最もコストも手間暇もかけているものの半分くらいが毎日捨てられてしまうというのは、実はとんでもない矛盾であり構造的な問題と言わざるを得ない。
それでもスープはラーメンの命なので、これだけ原料が高騰している中でも材料の妥協は許されない。量においても質においてもである。
それを捨てないといけないラーメン屋が一番辛いだろう。本当は廃棄されるスープなんて一滴だって出したくないはずだが、客にそれを強いることはできない。
だから今はラーメン屋としてもスープの量は本当にギリギリでやっていることと思う。
これではスープが減るのも仕方がない。
ただスープを飲まない派の人は別段困らないだろうが、
スープをぜんぶ飲み干す派にとって「スープが足りない」と感じるのは実は相当に不足感があると声を大にして言いたい。
たとえ美味しいと感じるラーメンでも全体的な満足度は2~3割くらい減ると思ってもらいたい。
ここからは提言になるが、スープの量は注文時に選べるようにするべきである。
麺の大盛りが選べる事と同じくらいのスタンダードになってほしい。
そもそも半分は残されると分かっているものを、なぜ一律に同じ量で提供しているのか?これからはそんなことをする必要はない。
普通 / 少なめと選べるようにして料金も変えれば、店にとっても客にとっても環境的にも三方良しである。
1968年創業。豚骨や豚肉、背脂を煮込んだ脂肪分と旨味が溢れるジャンクなスープ、一般的なラーメン店よりも多い麺量に野菜が盛られたボリューミーなラーメンが特徴。学生街(慶應義塾大学三田キャンパス近く)という立地も相まって、一躍人気店に。1990年代になってからは「直系」と呼ばれる暖簾分け店が増え、2000年以降はラーメンの特徴や注文システム等を模倣した「インスパイア店」が急増。全国規模の知名度を得るに至る。
1974年創業。白濁した豚骨スープに東京の醤油を合わせたラーメンを考案し、人気店となる。弟子の独立店も1990年代から神奈川を中心に増加し、2000年以降は、模倣したラーメンをセントラルキッチンでチェーン展開する企業も参入。ラーメンの一大ジャンル「家系」として認知される。
ちなみに創業者の吉村実氏は、開業前、東京は平和島にある「ラーメンショップ」での勤務経験があり、豚骨スープに醤油ダレという共通点があることから、同店は「家系のルーツ」とも言われる。
1985年創業。新横浜ラーメン博物館への出店を皮切りに、店舗を全国へ拡大。早くも2000年には先鞭をつけた海外展開や、清潔感のあるスタイリッシュな内外装の店舗など、以降のラーメン店に与えたとされる影響は多い。
1986年創業。創業者の佐野実は人気テレビ番組に出演し、当時のスター店主の中でも代表と言える存在。そればかりではなく、自家製麺への拘りやブランド食材の使用等で、多くのラーメン店に影響をもたらした。佐野実は2014年に他界したが、支那そばやは横浜市で現在も営業を続けている。
1988年創業。煮干しを主役に据えたスープと低加水の細麺、具はネギだけのシンプルなビジュアルが特徴。開業してしばらくは知る人ぞ知る地元の名店だったが、2004年の東京進出を皮切りに、煮干しラーメンブームの火付け役となる。
1996年創業。1996年は多くの有名ラーメン店が開業した年で、それらの店は「96年組」と呼ばれるが、その中の一店。期間限定メニューの提供、券売機の設置、店内の凝った空間演出等々、今や一般化したスタイルの元祖とされる。
1996年創業。「麺屋武蔵」と並ぶ「96年組」の一店。別々の寸胴で炊いた動物系素材と魚介系素材のスープを後から合わせ、両者の言わば良いとこ取りをした「ダブルスープ」のラーメンで一躍人気店となり、「豚骨魚介系」と括られるほど多くのインスパイア店を生み出した。
2002年創業。「中華そば 青葉」によって膾炙したダブルスープに対し、一つの寸胴で時間差を設けて動物系素材と魚介系素材を一緒に炊き上げることで、より濃厚なスープとなるようにした「濃厚豚骨魚介」の先駆けとされる。現在も営業中。
2005年創業。スープ素材として鶏だけを使用した、いわゆる「水鶏(鶏水)系」のラーメンや、麺をあらかじめ昆布水に浸した状態で提供し、細麺のつけ麺だと麺がくっつきやすい問題を解消した「昆布水つけ麺」の元祖として知られる。店舗は幾度かの移転を経て、現在は兵庫県尼崎市で「ロックンビリーS1」として営業中。
2012年創業。「セメント系」とも言われる、エグ味や苦みさえも絞り出したかのような、セメントを彷彿とさせる灰色がかった超濃厚の煮干しスープと、ラーメンの麺を食した後に別皿で提供される、油で和えた麺「和え玉」の発祥店とされる。現在も営業中だが、今は特濃な煮干しラーメンは、基本的に提供をしていない。
今、我が家のテーブルには今年の夏3つ目の食べるラー油と初めて買ったさっきの搾菜(桃屋)がある。どうしてこんなにも食べるラー油にハマってしまったのかと言えば全てあれが悪いんだあれが
素麺、アイツが麺つゆと食べるラー油が合うことが全ての元凶である。ゴマだれ、奴も共犯だ
気づいたら1束食べ終わってて俺はなんてこった
となった。だが、食べるラー油は絶対身体に悪いだろなと思い、ひと瓶目(はじめて…照)を食べ終えたらもう買わない!!と決めていた
二瓶目の消費ペースはさらに早かった
揚げ物だったり焼きそばだったりラーメンだったりさらに使用用途が加速したからな
同居人がドン引きしてたが俺は「だっておいしいんだもん!!」と言ってやったぜ
そして今日、にんにく背脂を買おうとしたら搾菜を買っていた。昨日また食べるラー油を買って、それでチャーハンを作ったばかりなのに
もう搾菜は半分ないんだ…ちょっとだけ食べたらその…結構おいしくて(ほんのり辛い)
どうしよう1週間後にはにんにく背脂を買ってしまいそうだし搾菜を買ってしまいそうだし食べるラー油とネギとベビースターラーメンでチャーハンを作って食べて体重がまた増えちゃう
(´・_・`)
ちょっと腹が立つことがあってやけ食いのためにセブンで初購入した。「デカ豚ラーメンワシワシMAX」ってやつを。
家系ラーメン?自体が初めてで勢いで買ってきたんだけどもこれすごくなにか…ストレスが飛ぶというか…普通に腹立ってたこと全部どうでもよくなった。
油のせいなのか時間が経ってきても熱いままの濃い味のスープとうどんも凌ぐレベルの太麺、ジャキジャキの野菜と親指くらいのサイズで塊になってる背脂を口いっぱいに含む…というか、なんか絡まり合ってるから勝手に具がついてきて口いっぱいになる。
熱いしょっぱい脂と麺のモキモキと野菜のジャキジャキ、あとラーメンのネギと間違えたのか?みたいな量入ってるニンニクで口の中の情報量がすごいことになる。熱い!しょっぱい!臭い!に思考が持っていかれる。胃に塩と脂を流し込む以外考えなくていいみたいな気持ちになった。
食べ終わって水がぶ飲みしたらめちゃくちゃさっぱりした。みんなこの不思議な爽快感みたいなものを求めて食べに行ってるんだろうか。
店でも食べてみたいけどちょっと調べてきたらそもそも近所にないっぽい。あとなんかすごい量でコンビニサイズで満腹になってる人間には無理なんじゃないかこれ
あと絶対体に悪いことは確信できたので店で食べるのはだいぶ先になりそうだな…。
そしてじわっと眠くなってきた。油強い。