はてなキーワード: エコとは
エコじゃねーよ、それは!
あんだけエコエコいってた企業は手放しで生成AIガンガン使ってる。
電力会社と協力して需要がないタイミングに動かすとか、夜間になってるリージョンで動かすとか、そういうリソース(燃料という意味で)を消費せずにできそうな工夫も話題にすら上がらない。
競争が終わったら絶対に環境負荷かけまくって値上げもしまくって絞ってくるに決まってるのに、経済的な文脈での対策もなし。
みんな形だけなんだよな。しかしなんでAIはエコやドミナント戦略と結びつかないんだろう。緑っぽくないし、頭がいいっぽいからか?
オープンエーアイがすごいのは徹底した外面だよな。ユーザに直接触れる部分が優れてて、なんかすごいっぽさをもとに注目と資本を集めた。いっそモデルなんかなくて中身が大量のおっさんでも成功していたと思う(事実、それ以前のチャットボットはエンジニアのおっさんがシコシコ書いた文章が、往々にして含まれている)
https://anond.hatelabo.jp/20260122143802
なんかXでバズってる事に驚いたんだが
思うところあるし、散々店に迷惑かける弱者男性みたいなの多分大量に見てるから吐き出したい。
まずこれ、これね。
マジでさぁ、何でイケるって思えるわけ?どんだけ自意識過剰なの弱男って、馬鹿なの?〇ぬの?
どこぞで会社経営してる社長サンでもない、せいぜいどっかのつまらんIT企業だかメーカーだかの技術系正社員だとか程度やん?くだらん上場企業の小役職程度でしょ?まぁ他責思想極まり過ぎてヤカラファッションのノージョブ弱男とかも腐るほど見て来たけどよ、稀に配信者とかやってるタイプ
身の程わきまえろや、どこぞで聞いたか知らんが確かに前述したとおり、駆け出しのVや声優やってる子とかモデルとかレイヤーを事務所所属でやってる子とか、2.5次元系とかメインの劇団員やってる子とかが時短で稼ぐために働いてるって感じではあるけどさ
それは生活費を稼ぐためであって、恋愛する為とかじゃねえからな。そのなろう小説と意識高い系ITメディアのちょうちん持ち記事以外読まないイルカよりシワの少ない脳味噌のCPUフル稼働するなり、大好きな生成AIにでも聞いてみろやボケ、
まぁどうせハゲ散らかした頭タコみてぇに真っ赤にして「AIだろッッッッ」とか「嘘松ゥ!!松ゥ!!」とかゲンジツトーヒ入っちゃうんだろうけどさぁ。救いようがねえよな、この日本でどんな人生送ったらそんな業に塗れた存在に慣れるわけ?ギャルの子ら多分そっちの方が知りたいと思うぞ。ホラーとしてな
コミュ力とかそういう問題じゃねえんだよお前ら弱者男性は。もはや俺ら健常者レベルの人間からは対話不能の性欲と繁殖欲求だけ持ってる人間に擬態した謎のクリーチャーにしか見えねえんだよ。
「ネットメディアの良い所は短期間の大量消費のシステムが構築されている為、イラストや漫画などのコンテンツにおいては勝者総取り方式ではなく二流クリエイターにもチャンスがある所
世間は消費社会の弊害ばかりに着眼し、表現家への憧れを叶えるユートピアのようなエコシステムが広がっている事に誰も気付いていない」
この事実に、どれだけの人が気づいているでしょうか。
多くの人は「消費されること」を恐れています。しかし、私は断言します。この「高速消費サイクル」こそが、私たち凡人が待ち望んでいた救済のシステムなのです。
なぜ、この環境が「表現者のユートピア」なのか。その構造的な美しさと、私たちが享受している恩恵について、3つの視点から紐解いていきましょう。
かつて、クリエイターの世界は「選ばれた天才」だけのものでした。
出版社や画廊といった「門番」が目を光らせ、一流の技術を持たない者は、打席に立つことさえ許されませんでした。それは美しい世界に見えて、実は多くの才能の芽を摘む冷酷な独裁国家でした。
あるのは「常に新しいコンテンツを飢えたように求めるアルゴリズム」だけです。
このシステムは、あなたの画力が未熟であることを咎めません。デッサンが狂っていても、背景が真っ白でも構わない。そこに「新しさ」や「共感」があれば、等しく拡散のチャンスを与えてくれます。
「作品がすぐに消費されて消えてしまう」と嘆く人がいますが、それは逆です。
「すぐに消えるからこそ、次の席が空く」のです。
もし、すべての作品が100年残る名作だったらどうなるでしょうか? コンテンツの棚はすぐに埋め尽くされ、後発の私たちが入り込む隙間など1ミリもなくなってしまいます。
このサイクルのおかげで、私たちは「最高傑作」を作る重圧から解放されました。「今日の暇つぶし」として消費されることを許容した瞬間、私たちは「質で勝てないなら、スピードと愛嬌で勝負する」という、二流ならではの最強の戦い方を手に入れたのです。
そして何より素晴らしいのが、「1位にならなくても生きていける」という点です。
従来の「勝者総取り」の世界では、金メダル以外は無価値でした。
しかし、このユートピアでは違います。ネットの海はあまりに広大で、ユーザーの嗜好は細分化されています。
このシステムにおいては、トップ層にはなれない「二流(マジョリティ)」であること自体が、親近感という武器になります。
数万人のファンはいりません。あなたの「未完成な魅力」を愛してくれる数百人のコアなファンがいれば、FanboxやSkebを通じて、創作活動を続けていくための糧を得ることができます。
消費社会を批判するのは、もはや古いインテリの懐古趣味に過ぎません。
私たちは、消費されることを誇りましょう。
使い捨てられることを恐れず、次々と新しい自分を市場に投入しましょう。
そこには、天才との比較に苦しむ地獄はありません。あるのは、「誰でも描いていい、誰でも見てもらえる」という、かつて夢見た単純で幸福なサイクルだけです。
さあ、筆を取りましょう。
自民党の支持率◯◯%みたいな記事にいっつも「ほら見ろ!はてなはエコチェンだ!」ってブコメが付いてるけどさ
体感だけど、割合で言えばせいぜい左派7:右派3、もしかしたら8:2かも、ってくらいじゃない?
人気コメントに両陣営が並んでることも多いし、記事によっては人気コメントが全部左派批判のこともある
前提として、俺は40歳、以前はコンカフェの経営もやっていた。
嫁がガールズバーをやりたい、という話となったので、今はガルバ一本で経営をしている。
ガールズバーといえば、数年前はキャバクラより安価で女の子と飲める、という形態で人気を博していたのだが、(4~5年前は一杯1000円~1200円くらいからだった)
現在はキャバクラと遜色がないほど値段が上がっているのは、少しネットで調べればわかると思う。これはちなみにコンカフェも同じだよね。
あれ、円安とかコロナ禍後とか実は関係がなく、かといってぼったくりみたいなわけでもないので、その理由を書きたいと思う。
一言で言えば、「客層が非常に悪化したのでリスク分がそのまま上乗せになったので、あれくらいの値段じゃないと儲けがでないから」なんだよね。
これ書いちゃうと何だけど、めっちゃくちゃ「地雷客」率高くなってんのよ、ここ数年くらいで
冗談抜きで数か月に1度の割合で、ガールズバーで客がスタッフの女の子刺殺して捕まったり、店をガソリンで爆破したりみたいなテロレベルの事件置きまくってるんだけど、あれが自分の店で起きないか物凄いヒヤヒヤしてる、それくらい客層が悪くなった。
そうでなくとも、ウチの所も「地雷客」によるストーカー事案が多く何度も警察を呼んで接近禁止命令や出禁といったものが日常茶飯事で起きている。
ガルバやコンカフェに勤めてる女の子ってさ、割と時短で稼げる仕事の需要で来てる子多いのよ、大学生とか、劇団員とか、中には芸能系でモデル事務所所属や、新人の声優とかVtuberやってる子とかね。そんな鉄火場や修羅場に慣れてるスレてる子なんているわけがない。
だから結局、警察に相談して対処してもらった後、ガルバやコンカフェ辞めて逃げるしかない。そしたらウチはスタッフ一人抜けるから大打撃だよね。
だからまとめると、ガルバやコンカフェの値段が最近上がり続けているのはね、
ストーカー事案でスタッフの女の子に無礼を働いて粘着されたら、警察に相談して辞めて逃げるしかないからいつ飛んでもおかしくない。
だからウチは嫁を除けば10人で回してるんだけど、6人くらいやめても損が出ない様にサービスを高額に設定しないといけない。
ぼったくってるわけでなく、結局粗利はそんな高くないわけだし、ぶっちゃけほぼ慈善事業に近いんだよね。どこもそうだと思うよ。
ネットのエコーチャンバー的風潮のせいなのか、「地雷客」の殆どはさ、何故か若い嫁探しにガルバやコンカフェ利用しにきてる人たちが圧倒的に多いんだよね。
年齢差離れてても付き合えるかとか、そういうのは個人によって違うからそこのできるできないは置いとくけどさ、そういう不作法なことをしたら、女の子はみんな辞めていかざるを得ない
スタッフが抜けたら売り上げに穴がでる、黒字にするためにはサービス料をリスクコスト込みで乗せなければならない。
悪循環なんだよね。だからやめてほしい、というか、来ないでほしいってのが本音。
恋愛とか結婚とかは個人の話だから何も言わないけどさ、これについてはビジネスの話だから、いい年した大人の大の男ならそこらへん考えようよ。ガルバやコンカフェに来る「地雷客」の人達は、ITエンジニアとか、大企業に正社員で勤めてるみたいな肩書は立派な人が多いけど、
どうしてそこで店の経営に迷惑かけるようなことをする事しちゃうのかなあって思うんだよね。ホントに…
まぁ正直結構ビジネスとして厳しくなってきてるというところはあるけどもよ、それでも俺も嫁さんもスタッフの子たちも、お客さん達も和気あいあいとやってたわけよ、それまでは。
ここ3~4年でおぢアタックが激増してちょっとイライラしてしまって書きなぐってしまったところは確かにあるかもしれん、ちなみにコンカフェ含めどこもこんな悩みは持ってるみたいだぞ、同業者同士飲みで話聞いてると
失礼ついでにイライラしながらここ見てる地雷客みたいな弱者男性多いと思うから吐き出させてもらいたいんだけどよ
https://anond.hatelabo.jp/20260124104157
https://anond.hatelabo.jp/20260125102447
いま、この転換点において、皆さまとご一緒できることを光栄に思います。同時に、私たち国内SIerにとっての責務でもあります。
本日は、世界の“秩序”の断絶、心地よい物語の終わり、そして、巨大な力を持つプレイヤーの競争がほとんど制約を受けない厳しい現実の始まりについてお話しします。
しかし同時に、国内SIerのような「中堅の担い手」は無力ではない、と申し上げたい。私たちには、信頼・安全・持続可能性・顧客の主権・データの保全といった価値を体現する新しい秩序を、実務から積み上げていく力があります。
私たちは毎日のように思い知らされています。いまは、巨大プラットフォームや巨大ベンダー、地政学リスクを背景にした技術覇権が競い合う時代であること。オープン性や互換性、フェアなルールに支えられた前提が薄れつつあること。そして、強い側が条件を決め、弱い側は受け入れざるを得ない局面が増えていること。
古典的に言えば「強い者はできることを行い、弱い者は耐えねばならない」という構図です。これは不可避だ、これが自然な競争原理だ、と片付けられがちです。そして、その論理を前にすると、私たちには「波風を立てずに合わせる」強い誘惑が生まれます。摩擦を避けるために順応する。相手に合わせれば安全が買えると期待する。
では、選択肢は何でしょうか。
1978年、チェコの反体制知識人ヴァーツラフ・ハヴェルは『無力者の力』という論考を書きました。そこで彼は、体制がなぜ維持されるのかを問いました。
彼の答えは、一人の店主の例から始まります。店主は毎朝、店先に標語を掲げる。「万国の労働者よ、団結せよ!」。本人は信じていない。周囲も信じていない。それでも掲げる。面倒を避けるため、従順さを示すため、波風を立てずに“やっているふり”をするために。そして、どの通りの店主も同じことをするから、体制は続いていく。
暴力だけではなく、人々が、内心では虚構だと知りながら儀式に参加することで、体制は維持される。ハヴェルはこれを「嘘の中で生きる」と呼びました。体制の力は真実ではなく、皆が真実であるかのように振る舞うことから生まれる。そして脆さも同じところにある。たった一人が“看板を外す”だけで、幻影にひびが入る。
いま、企業としても、業界としても、私たちは「看板を外す」時です。
---
長い間、ITの世界には「ルールや標準が機能し、相互運用性が担保され、勝者も敗者も一定のフェアネスの中で競争できる」という物語がありました。国内SIerも、その物語の上で成長してきた面があります。標準化、ベストプラクティス、認証制度、ガイドライン、そしてグローバルに広がる巨大なプラットフォーム。私たちはそれらを称賛し、活用し、その予測可能性の恩恵を受けました。
もちろん、その物語が“部分的に虚構”であることも知っていました。強い側は都合が悪いときに例外を作れること。ルールの適用が非対称になり得ること。互換性や標準が、実態としては特定のエコシステムに誘導する装置として働くこと。そして、契約条項、価格体系、APIの変更、提供地域や機能制限などが、力関係の影響を強く受けること。
それでも、その虚構は便利でした。巨大プラットフォームが提供してきた“公共財”も確かにあった。スケールする計算資源、安定した開発基盤、セキュリティ機能、グローバル展開の足場、部品としてのOSSやツールチェーン、紛争を減らす共通言語。
だから私たちは、看板を掲げ続けました。「オープン」「中立」「相互運用」「ベストプラクティス」という言葉を、実態が追いつかない場面でも口にしてきた。そして、言葉と現実のずれを大きく指摘することを避けてきた。
率直に申し上げます。いま起きているのは“移行”ではなく“断絶”です。
---
過去20年の間に、金融危機、パンデミック、エネルギー制約、半導体不足、サプライチェーン混乱、サイバー攻撃の常態化、そして地政学リスクが、極端なグローバル統合の脆さを露呈させました。
さらに近年、巨大な力を持つプレイヤーが「統合そのもの」を武器として使い始めています。値上げや課金体系変更が交渉力になる。契約や利用規約、認証・ID、クラウド管理基盤が実質的な拘束力になる。提供停止や機能制限、地域制約が、企業や組織に圧力として作用する。サプライチェーンが“突かれる弱点”になる。
「統合すれば相互利益」という前提のまま、“嘘の中で生きる”ことはできません。統合が従属の源泉になった瞬間、前提は反転します。
かつて中堅の担い手が拠り所にしてきた「みんなで決めるはずの場」も弱まっています。標準化が追いつかない。デファクトが事実上のルールになる。透明な合議より、エコシステムの都合が優先される。結果として、多くの企業が同じ結論に向かい始めています。
人材、セキュリティ、データ、クラウドの選択肢、重要部材、運用ノウハウ、AIの基盤、そしてサプライチェーンにおいて。
自分で守れない者は、交渉の選択肢がありません。ルールが守ってくれないなら、自分たちで守るしかない。
ただし、行き先を直視すべきです。全員が要塞化すれば、コストは上がり、分断は進み、脆さは増し、持続可能性は下がります。
そしてもう一つの現実があります。巨大プレイヤーが、ルールや価値の“建前”すら捨てて、露骨に取引主義へ傾けば、関係性を恒常的に収益化することは難しくなる。顧客もパートナーも、保険を買い、選択肢を増やし、分散します。これは「主権」を取り戻す動きです。かつてはルールに支えられていた主権が、これからは「圧力に耐えられる能力」によって支えられるようになる。
古典的なリスク管理はコストがかかります。しかし、そのコストは共有できます。レジリエンスへの共同投資は、各社がそれぞれ要塞を作るより安い。共通標準は分断を減らす。相補性は正の和を生む。
国内SIerにとっての問いは、「この現実に適応するか否か」ではありません。適応は不可避です。問いは、ただ壁を高くして閉じこもるのか。それとも、より野心的なことができるのか、です。
---
私たち国内SIerは、比較的早い段階で警鐘を受け止め、姿勢を変え始めました。
「日本で長く通用した前提」、つまり、既存の取引慣行や、系列的な安定、特定ベンダーとの強固な関係が、そのまま将来の繁栄と安全を保証するという前提は、もはや十分ではありません。
私たちの新しいアプローチは、いわば「価値観に基づく現実主義」です。別の言い方をすれば、理念を持ちつつ、現実に即して動く。理念と実務の両立です。
顧客と社会に対する説明責任。セキュリティとプライバシー。データの保全と可搬性。人権と安全に関わる領域での慎重さ。重要インフラを支える品質と継続性。
同時に、私たちは現実主義でもあります。進歩は多くの場合、段階的です。利害は一致しないこともある。すべてのパートナーが同じ価値観を共有するわけではない。だからこそ、目を開いたまま、戦略的に、広く関与する。世界を「あるがまま」に扱い、「こうあってほしい世界」を待たない。
私たちは、関係の“深さ”を価値観に合わせて調整します。影響力を最大化するために、関与は広く、依存は偏らせない。流動化する秩序と、その先にある賭け金を踏まえて、現実的に動く。
そして今後は、価値の強さだけに頼らず、「強さの価値」も積み上げます。
---
人材育成と採用、設計・開発・運用の標準化、サイバーセキュリティ、AI活用、検証環境、そしてミッションクリティカルを支える運用力。加えて、特定技術への過度な依存を減らし、移行可能性と可搬性を高める。
生成AI、データ基盤、ゼロトラスト、ソフトウェアサプライチェーン対策、Observability、そして重要領域の内製力強化。これらは“コスト”ではなく、交渉力と継続性を生む“資本”です。
守りは、事後対応ではなく、設計・調達・運用に埋め込みます。国内産業の裾野とも接続し、調達・開発・運用の循環を厚くする。
特定の巨大プラットフォームや単一のモデル提供者に賭け切らない。複数のクラウド、複数の実装選択肢、複数の調達経路、複数の人材パイプラインを持つ。
グローバル課題への対応も、論理は同じです。論点ごとに連携の形を変える「可変幾何学」でいきます。
データ主権では、顧客がデータの所在とアクセスを決められる設計原則を共同で整備する。
標準と相互運用では、地域・業界をまたぐ参照アーキテクチャとオープンAPIの合意を積み上げる。
AIでは、特定の覇権や特定の巨大クラウドに“二者択一”を迫られないよう、モデル、データ、評価、ガバナンスの選択肢を確保する。
これは、甘い理想論ではありません。機能不全になりつつある“建前の場”に頼り切ることでもありません。論点ごとに、動ける相手と動く。必要なら多数派を作る。そうして、将来の挑戦と機会に備える、密度の高い接続網を作るのです。技術、投資、人材、運用、文化のレイヤーで。
国内SIerのような中堅の担い手が連携しなければならない理由は単純です。設計図の会議に席がなければ、要件は上から降ってきます。席がなければ、食卓のメニューになる。
巨大プレイヤーは単独でも戦えます。市場規模、研究開発、資本、影響力がある。しかし国内SIerは違う。にもかかわらず、巨大プレイヤーと一対一で交渉し続ければ、交渉は弱い立場から始まります。提示された条件を受ける。自分たち同士で「より従順な方」を競い合ってしまう。
それは自律ではありません。従属を受け入れながら、自律しているふりをすることです。
---
「真実の中で生きる」とは何か
ここで、ハヴェルに戻ります。
私たち国内SIerが「真実の中で生きる」とは、どういうことでしょうか。
「オープンでルールに基づく、互恵的な統合」という言葉を、現実がそうでないのに唱え続けない。いまを、巨大プラットフォーム競争が激化し、統合が交渉力と拘束力の源泉として使われる時代だと認める。
第二に、一貫して行動することです。
相手が誰であれ、同じ基準で評価する。都合の良い相手の一方的変更には沈黙し、別の相手には批判する、という態度は「看板を掲げ続ける」ことになります。
第三に、自分たちが信じるものを“機能する形”で作ることです。
標準準拠を唱えるだけでなく、移行可能性を担保する設計、相互運用の実装、透明な運用ルール、監査可能なガバナンスを、合意と実装として積む。復古を待たずに、動く枠組みを作る。
強い国内基盤を持つことは、企業にとっても最優先です。分散は経済合理性であるだけでなく、誠実な姿勢を貫くための物質的基盤です。報復や圧力に脆弱な状態のままでは、理念を語る資格すら維持できない。
---
さらに、私たちは理解しています。いま起きていることを直視し、合わせて自分たちを変える決意が必要だということを。
この断絶が求めるのは、単なる適応ではありません。世界をあるがままに見て、誠実に語り、国内で強さを作り、連携して動くことです。
古い秩序は戻りません。嘆いても戦略にはならない。ノスタルジーは戦略ではありません。
しかし、断裂の先に、より良いものを作ることはできます。より強く、より公正で、より持続可能な形を。
それが、中堅の担い手である私たちの仕事です。要塞化した世界では失うものが大きい一方で、本当の協働が成立する世界では得られるものも大きい。
虚構に合わせるのをやめ、現実に名前をつけ、国内で強さを作り、連携して動く力です。
https://youtu.be/JERNjc9ZnrA?si=NjsyV9k-UThRofIA
1年ほど前、世界に衝撃を与えたDeepseekが、再び衝撃を与えようとしているらしい。
Deepseekがリリースしてる論文を見るに、今までAI開発の大前提だったTransformerの一部を置き換えるかもしれないそう。
以下、動画をNotebookLMに要約させたやつ。
Deepseekが開発している新アーキテクチャは、過去約9年間にわたりAI業界の「王者」として君臨してきた「トランスフォーマー(Transformer)」の一部を置き換える可能性があり、業界の勢力図やエコシステムに多大な影響を及ぼすと予測されています。
具体的な影響は以下の点が挙げられます。
・AI開発の「前提」が覆る
現在の生成AIのほぼ全ては、2017年にGoogleが発表したトランスフォーマー技術をベースにしています。これまでもトランスフォーマーに挑む技術はありましたが、王座を奪うには至りませんでした。しかし、Deepseekの論文には「社内でこの新アーキテクチャの大規模モデルを既に学習している」という示唆があり、これが成功すれば9年間誰も成し遂げられなかった技術的転換が起こる可能性があります。
このアーキテクチャの変更は、ハードウェア業界にも波及します。NVIDIAのような汎用チップへの影響は少ないと見られますが、トランスフォーマーに特化した専用チップを開発しているスタートアップ企業などは、前提となる技術が変わることで、その製品価値が失われるといった事態になりかねません。
GoogleやOpenAIなどの大手は、トランスフォーマーを前提にインフラや最適化アルゴリズムを構築し、次世代モデル(Gemini 3や4など)の学習を進めています。もしDeepseekの新技術が圧倒的に優れていた場合、進行中の巨大プロジェクトを途中で変更することは困難であるため、既存のビッグテックが対応に遅れをとる、あるいは開発方針の大幅な修正(「ポシャる」)を迫られる可能性があります。
Deepseekは、昨年の「R1」モデルにおいても、推論能力を高める手法(RLVR)を公開し、それが業界全体のスタンダードになったという実績があります。そのため、彼らが示唆する今回の新アーキテクチャも単なる理論にとどまらず、実用的な脅威となると見られています。
この文章は、特定のインターネットコミュニティのメンバー(「はてな民」)の政治的見解を強く批判し、彼らの思考や行動様式を断罪する内容である。筆者は一見、論理的な整合性を問うているように見えるが、その根底には強い感情と攻撃性が存在し、相手を徹底的に貶めることで自身の主張の正当性を確立しようとしている。
筆者は、相手の過去の主張と現在の反応の間に論理的矛盾があるという点を突いているが、その前提となるアナロジーの厳密性が検証されていない。また、相手の動機を「感情論」「嫌いだから叩いてるだけ」と断定することで、多角的な視点や複雑な背景を無視している。自身の主張もまた、相手を「アホ」「算数できない」と感情的に攻撃するレトリックに依存しており、客観性や中立性に欠ける。
筆者は、政治における組織票の重要性や、過去の主張との論理的整合性を問うという、ある種の知的な作業を行っている。しかし、その分析は深掘りされることなく、最終的には相手を断罪する結論に帰着している。議論を深めるための建設的な問いかけではなく、相手を打ち負かすためのレトリックとして「論理」を用いている印象が強い。エコチェンバー現象への言及など、部分的に鋭い指摘も見られるが、それもまた攻撃の道具として使われている。
特定のコミュニティや思想を持つ人々を「思考停止」「アホ」「政治の話する資格ない」と一方的にレッテル貼りし、感情的に攻撃する姿勢は、言論空間の分断を助長し、建設的な議論を阻害する危険性がある。このような表現は、特定の集団に対する嫌悪感を煽り、排他的な態度を生み出す可能性がある。ただし、具体的な行動を促すような扇動のレベルには達しておらず、あくまで意見表明の範囲内であるため、極めて危険というほどではない。
論理的思考の一端は見られるものの、強い感情と攻撃性、そして相手を貶めるフレーミングが支配的である。建設的な議論を目的とするよりも、特定の集団を非難し、自身の優位性を主張することに重点が置かれているため、知的な深掘りや多角的な視点に欠ける。言論の質としては、分断を深める傾向があるため、Cランクと評価する。
はてな民って本当にズレてるよな。
「それでもよりマシなクソを選ぶだけ」とか言ってるの見て、
自分の中では納得感あるのかもしれないけど、
だってさ、
本気で政治やるわけないじゃん。
今までお前ら、
選挙への影響力を散々強調して叩いてきたよな?
なのに今さら、
単純に算数できてないだけじゃない?
政治家が誰のために動くかなんて明白だろ。
数は少なくても、
毎回必ず、全力で、組織的に票を入れてくれる人たちだよ。
つまり何が起きるかって話。
立憲は、創価学会のために動く。
これは俺の主張じゃない。
お前ら自身が、
「統一教会はそういう影響力を持つ」
そのままの帰結だろ。
そこはちゃんと認めろよ。
それを認めずに
「でも自民よりマシ」とか言ってるのは、
だからはっきり言っとくけど、
これから旧立憲についていくってことは、
嫌なら嫌でいい。
でも「同じじゃない」とか「問題ない」とか言うのは、
それを直視できないなら、
「選挙前になるとこういう増田が湧く」「無給でやってるのが異常」
いや、それ全部お前ら自身の話だろ。
延々とアンチ自民、アンチネトウヨをやってるのがお前らじゃん。
それを棚に上げて「工作だ」「無給でやってるのは異常」とか、
そもそもな、
お前らは「嫌いだから叩いてる」だけ。
で、今叩かれてる側も「お前らが嫌いだから叩いてる」だけ。
構造は完全に同じなんだよ。
違うのは一つだけ。
「アンチ自民界隈うるせえな」「説教くさいな」って思ってる現実を
「よりマシなクソを選ぶ」とか言いながら、
30年同じこと言い続けて、結果は何も変えられてない。
それでも自分たちは“正義側”だと思い込んでるの、相当きついぞ。
叩かれてる理由を
で処理してる限り、
自分たちがどこでどう嫌われてるのか、
一生理解できないと思うわ。
自民支持者(つまりマジョリティ)はマッジッで!統一教会とか裏金とか一ミリも気にしてないのにな
高市が見限られるとしたら
・経済が良くならない
・移民政策を抜本的に見直せない
ここが結局出来ないとなったら今支持してる層もバッとどっか行く
逆に言えば
って言える野党はどこでもチャンスがある
それやっても全く勝てなかったのになんでまだやってるの?
既に痴呆症かなんかなのか……
――「金を落とさない愛は偽物」教の人へ
最近、「金を落とさない奴は愛がない」って断言する人を見かけて、ああ、もうこの国のポップカルチャーは市場の道徳で再教育されきったんだなと思って冷めた。
好きって感情までレシートで査定される世界、普通に気持ち悪い。
そもそも著作権って、自然に降ってくる権利じゃない。創作した瞬間に自動で発生して、しかも死後七十年守られる。審査も登録もいらない。誰でも何か書いた瞬間に、ほぼ半世紀単位で独占が生える。この強さは冷静に見れば異常だ。特許みたいに「公開する代わりに短期間だけ独占」みたいな取引構造ですらない。
で、さらに悪いのが、複製のハードルがゼロに近い時代に、活版印刷みたいにコピーが高コストだった前提の制度強度だけが残ってること。要するに、世界の設定が変わったのにルールだけ昔のままというレガシーシステム。
ここで「違法は違法。法律違反は全部同じ」みたいにまとめる人が出てくるけど、著作権侵害は一般的な法律違反とは性質が違う。
窃盗とか暴行は、目の前で被害が確定する。財布がなくなる、身体が傷つく。ところが著作権侵害の被害って、多くが「本来なら買っていたはず」という仮定で作られる。これがいわゆる反事実的ってやつで、現実に起きた出来事じゃなくて「起きなかった出来事」を被害として数える構造。もちろん権利者の収益が減るケースもあるけど、少なくとも全部を即座に「盗み」と同じテンションで語るのは、現象の形が違いすぎる。
しかも厄介なのは、著作権の周辺では「違反っぽい行為」が文化を育ててきた面が普通にあること。ここを無視して「金を払え」だけ言うのは、文化のダイナミクスをまるで見てない。
たとえば海外のアニメ視聴。昔は正規配信が届かない地域が大量にあって、ファンサブや共有で先に火がつき、あとから配信サービスが整備されて金が回る、という順番が現実だった。動画配信でも同じで、最初は無断の切り抜きや実況が人を連れてきて、その後に権利者側が収益化やガイドラインを整備して、合法の回収ルートを作っていった。日本側だとニコニコの動画文化がまさにそれで、作品を材料にした編集や替え歌や映像の再構成が、作品の寿命を延ばして外に届けた。ゲーム実況もそうで、昔は灰色だったのが今は許諾やルールの整備で回るようになった。
要するに現代ポップカルチャーは「無断使用を完全排除したから育った」んじゃなくて、完全排除できない現実を前提に、黙認・限定許容・ルール化でエコシステムとして調整してきた側面が強い。
なのに推し活の空気になると、「履修して理解して語れる人」より「よく知らんけどグッズに金を落とす人」の方が愛が大きいことにされる。意味が分からない。愛って本来、時間や注意や理解や反復に宿るものだろ。作品内部に沈み込んで、面白さを言語化して、他人に伝播させて、長く生かす。そこには金以外の投入がある。
ここで「いや払うのは当然」って話が始まるのは分かる。払えるなら払えばいいし、それが回収を支えるのも事実だ。でもそれと「払わない奴は愛がない」は別。後者は文化論じゃなくて消費者教育で、もっと言うと権威主義だ。
権威主義ってのは、法や会社や公式に従っていること自体を善にする態度のこと。「法律で禁止されてるから悪」「公式が正しいから正義」「正規ルートに乗らないやつは敵」みたいに、制度を疑う思考を止めて、服従を倫理に変換する。著作権は本来、公益のための手段にすぎないのに、それがいつの間にか絶対善の戒律みたいに扱われる。だから保護期間が長すぎても、強すぎても、時代錯誤でも、疑うこと自体が悪になる。完全にフレーミングに脳を焼かれてる。
そして日本だと、たぶんそこに「他人が得するのが許せない」感情が上乗せされる。「自分は払ったのに、払ってない奴が同じものを楽しむのはズルい」っていうやつ。気持ちは分かるけど、その怒りの矛先を文化の入口に向けると、結局は裾野が縮む。裾野が縮んだら回収も先細る。なのに短期の公平感だけで殴る。文化の循環を理解してないというより、理解しない方が気持ちよく正義を名乗れるんだろうなと思う。
結局、「金を落とさない愛は愛じゃない」って言説は、文化を市場の採点表に押し込める思想で、作品じゃなくて購買行動を崇拝してる。
それを誇らしげに語る人を見るたびに、作品を好きなんじゃなくて、正規ルートに従っている自分が好きなだけでは? って思ってしまう。文化を語るなら、金の話の前に、まず文化がどう育ってきたかを見ろ。話はそこからだ。
働きます高市、円安、統一教会、国保逃れ維新の三度目の正直(笑)な都構想、参政党、配置につけ。
なんだその負け犬根性
移民政策という安倍の残したウンコ・自民党いちの大失政に批判を向けたくないなんてお前アベトモか?
これから選挙本番に向けてSNSがもっと地獄になることも嫌。
インプレ目的の扇情的な投稿、デマ、敵味方を分けるだけの罵詈雑言。
「あっち側」を叩くための言葉が溢れかえって、分断が決定的に深まっていく。
「働きます高市、円安、統一教会、国保逃れ維新の三度目の正直(笑)な都構想、参政党、配置につけ。
相対的に公明と共産がめちゃくちゃまともに見えてくるんだけど。」
これは「あっち側」を叩くための言葉ではないということ?
そして、こうやって吐き出した私の増田書き散らかしすら、
「失われた〇〇年」を、子供の代に渡したくないんだよ。
そのためには政策的にどうすべきだと思うの?
ただそれだけなのに。
どうすればいい?
働きます高市、円安、統一教会、国保逃れ維新の三度目の正直(笑)な都構想、参政党、配置につけ。
相対的に公明と共産がめちゃくちゃまともに見えてくるんだけど。
SNSを開けば、エコチェンで煮詰まった批判と怨嗟の言葉が流れてくる。
どうせこの強引な選挙も、野党の票が割れて、また自民が勝つんでしょ?
それでまた増税して、お友達を優遇して、高所得者へヘイトを向けて社会保障は削られまくって、排外主義が加速するの?
これから選挙本番に向けてSNSがもっと地獄になることも嫌。
インプレ目的の扇情的な投稿、デマ、敵味方を分けるだけの罵詈雑言。
「あっち側」を叩くための言葉が溢れかえって、分断が決定的に深まっていく。
そして、こうやって吐き出した私の増田書き散らかしすら、誰かにとっては「左翼の妄言」か「工作員」として処理されて、対立の燃料にされるだけなんだろう。
「失われた〇〇年」を、子供の代に渡したくないんだよ。
ただそれだけなのに。
どうすればいい?