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Landscapes by the roadside

路傍学会


建物のLandscape 46

足立区千住元町 タカラ湯
  タカラ湯1
 足立区千住元町、ニコニコ商店街から北の方向を見ると銭湯がある。
  タカラ湯2
 タカラ湯である。昭和13年に建てられた銭湯で、端正な佇まいである。
  タカラ湯3
 千鳥破風と大屋根のカーブが美しい。懸魚には鶴である。
  タカラ湯4
 軒下には、古い銭湯におきまりの弓矢と・・・ 
  タカラ湯5
 開店前の「ぬ」と書かれた板がある。
  タカラ湯6

 入口上には見事な七福神の彫物が掲げられている。唐破風が安養寺に移築された大黒湯は、キングオブ銭湯と呼ばれていたが、このタカラ湯は日本庭園に臨む立派な縁側があることから、キングオブ縁側という愛称で親しまれているという。「ぬ」の字が「わ」の字の時に来てみよう。

  タカラ湯7

 タカラ湯の看板である。ペンギン風呂って、どんな風呂なのだろう。バイブラって、何?

  タカラ湯8

 千住大川町、千住公園近くの工場の門柱に気なる物が見える。

  タカラ湯9

 「工場縦覧謝絶」「就業中面会謝絶」である。測器を製造している工場で、企業秘密の流出を防ぐための琺瑯看板なのかもしれない。

  タカラ湯10

 千住界隈を徘徊した後、墨堤通りの路傍にあるミルクホールを訪ねた。

  タカラ湯11

 懐かしい雰囲気が漂う店構えである。

  タカラ湯12

 壁の液晶テレビが無ければ、昭和そのものの店内である。

  タカラ湯13

 ナポリタンをいただいた。570円也。

 小腹を満たした後、北千住までぶらぶら歩いて帰途に就いた。

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神社のLandscape 298

台東区 浅草の稲荷神社(その2)
 浅草の稲荷神社。前号の続きである。
  浅草神社2‐1
 台東区浅草三丁目、言問通りの路傍に小さな堂が建っている。
  浅草神社2‐2
 堂内には地蔵尊が祀られている。江戸末期に浅草寺と街のために尽くした長太郎という人物の忠誠を記念するため、浅草寺の住職が祀ったもので、道引長太郎地蔵尊と呼ばれている。
  浅草神社2‐3
 道引長太郎地蔵から少し入った浅草三丁目の路傍に鳥居が建っている。
  浅草神社2‐4
 箭弓稲荷神社である。「箭弓」は「やきゅう」と読む。この神社の由緒は不明であるが、同名の神社は台東区下谷にもある。
  浅草神社2‐5
 参道脇のアオギリである。根が地面をうねっている。狭い土地で長い間生長を続けていることが分かる。
  浅草神社2‐6
 箭弓稲荷神社から北上すると、浅草五丁目の路傍に銭湯がある。美しい銭湯である。長く営業を続けてもらいたいものである。
  浅草神社2‐7

 上の銭湯があるブロックの東側に袖摺稲荷神社が鎮座している。縁起によると、諸穀の豊穣を司り、願望を成就せしめ一切の災いを除く故に、参拝の輩は群衆をなし、神籬にそですり通うことから「袖摺稲荷」となったという。

 階段を上り参拝する。

  浅草神社2‐8

 袖摺稲荷神社から馬道通りを越えると路地奥に赤い鳥居が見える。

  浅草神社2‐9

 合力稲荷神社である。

  浅草神社2‐10

 一の鳥居と二の鳥居の間に注連縄を回した力石がある。三ノ宮卯之助が持ち上げたもので、「足持石」と刻されている。三ノ宮卯之助はこの大石を足で持ち上げたようだ。

  浅草神社2‐11

 この石の後ろには、越谷市郷土研究会によって「浅草観音境内での三ノ宮卯之助の興行広告」とともに、「三ノ宮卯之助の力石」の説明板が設置されている。

  浅草神社2‐12

 合力稲荷神社から今回の終点とした神社へ向かう途中、花川戸一丁目、浅草小学校の向いに嬉乃森稲荷神社が鎮座していた。これまで路傍学会で報告してきた椙森、柳森、初音森神社などからなる江戸八森の一つである。震災や戦禍を逃れた歴史から、火伏の神として今も信仰を集めている稲荷社である。

  浅草神社2‐13

 ここが今回の浅草の稲荷神社巡りの終点、松屋浅草である。

  浅草神社2‐14

 エレベーターで屋上へ上がる。エレベータホールからスカイツリーとアサヒビールのビルが見える。

  浅草神社2‐15

 広い屋上の一角に出世稲荷神社が鎮座している。昭和6年の浅草駅ビル開業前からこの地に鎮座していた稲荷社を、開業と同時に屋上へ移し奉安するようになったという。

  浅草神社2‐16

 松屋の屋上で浅草の様々な稲荷神社を巡る旅を終えて、浅草駅から帰途に就いた。

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神社のLandscape 297

台東区 浅草の稲荷神社
  浅草稲荷1
 台東区浅草一丁目、雷門通りの1本北側の食通街である。スカイツリーが見える。
  浅草稲荷2
 1枚目の画面の左の店舗はもんじゃ焼き店であるが、その店舗の右に鳥居が見える。
  浅草稲荷3
 無事富稲荷神社である。由緒は不明である。鳥居の横にある町名の説明板によると、この付近は、浅草寺境内の畑地として農作物を作っていたが、万延元年に町屋の建築が認められ、明治になって「浅草新畑町」となったという。この町の稲荷として創建されたのではないのだろうか。
  浅草稲荷4
 社殿脇の玉垣である。浅草寺土地部とある。明治6年、政府は太政官布告で、浅草寺境内は浅草公園とし、境内地を召し上げた。戦後、新憲法下では寺社の境内地を公園として管理することができなくなり、境内地は寺社に所有権が戻った。上野公園や芝公園は規模を縮小して非宗教地のみを公園としたが、浅草公園は全廃され、公園地は浅草寺の所有に帰した。仲見世を含む広大な土地を管理している部署である。この境内も浅草寺の所有地なのだろう。
  浅草稲荷5
 無事富稲荷神社の東側の路地である。
  浅草稲荷6
 この路地を進むと、御手洗稲荷大明神が鎮座している。この神社の由緒も分からない。無事富稲荷神社と同じく浅草新畑町なので、町が出来てから創建されたのだろう。
  浅草稲荷7
 参拝したかったのだが、門扉は自転車用の鎖で閉ざされている。
  浅草稲荷8
 門扉の上から覗いてみた。石橋がある。社殿は左の奥にあるようだ。
  浅草稲荷9
 国際通りを歩いていると、西浅草三丁目に鳥居が見える。
  浅草稲荷10
 感応稲荷神社である。
  浅草稲荷11
 玉垣の下部にはすき焼き店など老舗の店名が記されている。
  浅草稲荷12
 玉垣の中に面白い銭湯の屋号を見つけた。「ガラス湯」である。高見順の小説の中に、ガラス工場から湯を引いて銭湯にしたことからガラス湯と名付けた、というくだりがあるという。いつ頃まで営業していたのだろう。
  浅草稲荷13
 この「ハネー」は「honey」のことだろうか。
  浅草稲荷14
 境内には冨士講碑がある。富士山形の下に〇の中に「宝」が刻されている。江戸には、江戸八百八講、講中八万人と言われるほど数多くの講社があったという。講名は何といったのだろう。
  浅草稲荷15
 富士講碑の奥に建つ石柱は、皇太子殿下御降誕記念、創立十周年記念と刻された国旗掲揚塔である。創立記念とは? 裏面を見ると青年団長の名前があるので、青年団の創立記念なのかもしれない。参拝を終えて、次の訪問先へ向かった。
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建物のLandscape 45

足立区千住 安養院 大黒湯唐破風
  大黒湯1
 足立区千住五丁目、旧日光街道から安養院の山門が見える。
  大黒湯2
 山門脇には地蔵菩薩の両側に青面金剛が祀られている。
 20141231日号で報告したのだが、改めて当時の写真を見てみると、あれ! 青面金剛が入れ替わっている。
  大黒湯3
 以前は合掌している青面金剛は地蔵尊の右に、ショケラを持つ青面金剛は左にあったのだが。どうしてこのようなことが起きるのか。路傍学会の興味は尽きない。
  大黒湯4
 位置が変わったおかげで、ショケラ持ちの青面金剛の右側面が良く見えるようになった。「貞享三丙寅天(1686)建之 寛延二己巳天(1749)再建 寛政年中再建/安政二乙卯天(1855)再建 明治六癸(1873)再建」と読めるが、4回も再建されたということだろうか。
  大黒湯5

 今回、安養院を訪れたのは大黒湯の唐破風の移築が完了したと聞いたからだ。京都の古刹を思わせるような出来栄えである。

  3大黒湯 安養院

 49日号で報告したように、たまたま安養院の前を通りかかった際に、大黒湯の唐破風の移築が進められていることを知った。この時は向拝虹梁が仮組された状態だった。

  大黒湯7

 5月には覆屋の中で作業が行われており、様子を窺うことはできなかった。

  大黒湯8

 6月、唐破風の曲線が現れてきた。銅板奉納を募っていた。

  大黒湯9

 8月、屋根に銅板が葺かれていた。赤銅色が美しい。路傍学会相談役の細岡氏から銅板を葺いているとの連絡を受け、撮影したものである。

  大黒湯10

 9月、移築工事は完了した。蟇股には大黒天も見える。入湯客を迎えていた大黒天が、これからは参拝者を迎える。

  大黒湯11

 923日には完成披露が行われた。内側から撮影してみた。

  大黒湯12

 上がり框にケロリンが置いてある。大黒湯で使われていたものだろうか。

  6大黒湯

 その大黒湯は、4月には工事用のパネル、シートで囲まれ、千鳥破風の一部だけが見える状態だった。

  大黒湯14

 5月に訪れると、解体が進み、パネルの上に煙突だけがぽつんと見えた。

  大黒湯15

 9月には、跡地は更地となり、駐車場になっていた。

  千住寿町・大黒湯①

 これは20188月に撮影した大黒湯である。入口屋根が唐破風と千鳥破風の二重破風で、大屋根は千鳥破風を入口側三方に配するという豪壮な造り。キングオブ銭湯と呼ばれた大黒湯は姿を消したが、関係者の熱い思いが実を結び、その入口屋根を移築することができた。皆さまのご労苦に感謝!

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