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Landscapes by the roadside

路傍学会


界隈のLandscape 125

成田市 下総松崎駅~成田(その2)

 下総松崎駅から成田を目指す旅の続きである。

  下総松崎・成田21

 成田ニュータウン中央通りを越えて進むと、成田市山口の路傍にポリタンクを利用した人形がある。交通安全を呼びかけるものだろう。後ろに成田線の架線が見える。

  下総松崎・成田22

 その先に鎮座している雷神社である。神社の案内によると、舒明天皇がこの地を通った際に、山頂の古松より一つの雷鳴が響き、天皇はこの雷鳴に深く感じ、その古松の下に一祠を建てたのが、この神社の始まりだという。長い歴史を持つ神社である。

  下総松崎・成田23

 雷神社の前を流れる小橋川を渡った先にある民家の棟飾りである。トタンを加工した棟飾りには、ひらがなの「ま」が見える。屋号に因むものだろうか。

  下総松崎・成田24

 近くの民家の庭先に琺瑯看板が見える。右側の黄色の琺瑯看板は、飼料の看板である。

  下総松崎・成田25

 成田市郷部の路傍に石柱が見える。「こま木山道」とある。20211219日号で報告した酒々井町伊篠の松並木付近で見られた護摩木山の石碑と同様の石碑であろう。明治11年の建立。

  下総松崎・成田26

 護摩木山の石碑の先の墓地に並ぶ石仏は供養塔か。

  下総松崎・成田27

 郷部交差点の手前にも護摩木山の大型の石碑が建っている。明治11年に埼玉の講が建立したものである。

  下総松崎・成田28

 郷部の交差点を渡り、西参道三の宮通りに入ったところに石橋地蔵尊が祀られている。地蔵尊の前に板状の石がある。かつて小橋川に「いしばし橋」が架かっていて、その名の由来となったのが、この石であるという。石橋地蔵尊も、その石橋の傍らに祀られていたものという。

  下総松崎・成田29

 西参道三の宮通りを進むと、観音堂がある。明治2年に廃寺となった神光寺の境外仏堂で、聖観音を本尊としている。

  下総松崎・成田30

 境内の奥に青面金剛が祀られている。六臂の合掌像で、割られた跡がある。元禄年間の作である。

  下総松崎・成田31

 観音堂前の坂を下る途中で東方向を見たところである。画面左に見える鉄塔はNTT東日本の鉄塔である。NTTの東に新勝寺がある。

  下総松崎・成田32

 郷部橋で成田線を越えて、西参道を進む。

  下総松崎・成田33

 途中に郵便差出箱1号(丸型)があった。1970年に「角型」が登場し、このタイプの生産、設置は終了しているが、最近は保存される傾向が強まっているという。

  下総松崎・成田34

 参道を進むと、薬師堂の前に来た。20211222日号で訪問して以来である。我孫子で水戸街道と分岐した成田道と成田街道はここで合流となる。ここから表参道を歩く。

  下総松崎・成田35

 昨年解体に着手した大野屋旅館は姿を消してしまった。あの望楼を載せた姿が懐かしい。

  下総松崎・成田36

 この後、新勝寺を参拝し、帰途に就いた。

 次の機会には寺台を訪れてみたい。

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