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Landscapes by the roadside

路傍学会


神社のLandscape 297

台東区 浅草の稲荷神社
  浅草稲荷1
 台東区浅草一丁目、雷門通りの1本北側の食通街である。スカイツリーが見える。
  浅草稲荷2
 1枚目の画面の左の店舗はもんじゃ焼き店であるが、その店舗の右に鳥居が見える。
  浅草稲荷3
 無事富稲荷神社である。由緒は不明である。鳥居の横にある町名の説明板によると、この付近は、浅草寺境内の畑地として農作物を作っていたが、万延元年に町屋の建築が認められ、明治になって「浅草新畑町」となったという。この町の稲荷として創建されたのではないのだろうか。
  浅草稲荷4
 社殿脇の玉垣である。浅草寺土地部とある。明治6年、政府は太政官布告で、浅草寺境内は浅草公園とし、境内地を召し上げた。戦後、新憲法下では寺社の境内地を公園として管理することができなくなり、境内地は寺社に所有権が戻った。上野公園や芝公園は規模を縮小して非宗教地のみを公園としたが、浅草公園は全廃され、公園地は浅草寺の所有に帰した。仲見世を含む広大な土地を管理している部署である。この境内も浅草寺の所有地なのだろう。
  浅草稲荷5
 無事富稲荷神社の東側の路地である。
  浅草稲荷6
 この路地を進むと、御手洗稲荷大明神が鎮座している。この神社の由緒も分からない。無事富稲荷神社と同じく浅草新畑町なので、町が出来てから創建されたのだろう。
  浅草稲荷7
 参拝したかったのだが、門扉は自転車用の鎖で閉ざされている。
  浅草稲荷8
 門扉の上から覗いてみた。石橋がある。社殿は左の奥にあるようだ。
  浅草稲荷9
 国際通りを歩いていると、西浅草三丁目に鳥居が見える。
  浅草稲荷10
 感応稲荷神社である。
  浅草稲荷11
 玉垣の下部にはすき焼き店など老舗の店名が記されている。
  浅草稲荷12
 玉垣の中に面白い銭湯の屋号を見つけた。「ガラス湯」である。高見順の小説の中に、ガラス工場から湯を引いて銭湯にしたことからガラス湯と名付けた、というくだりがあるという。いつ頃まで営業していたのだろう。
  浅草稲荷13
 この「ハネー」は「honey」のことだろうか。
  浅草稲荷14
 境内には冨士講碑がある。富士山形の下に〇の中に「宝」が刻されている。江戸には、江戸八百八講、講中八万人と言われるほど数多くの講社があったという。講名は何といったのだろう。
  浅草稲荷15
 富士講碑の奥に建つ石柱は、皇太子殿下御降誕記念、創立十周年記念と刻された国旗掲揚塔である。創立記念とは? 裏面を見ると青年団長の名前があるので、青年団の創立記念なのかもしれない。参拝を終えて、次の訪問先へ向かった。
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