ブログへ書くことを禁止する
渋沢栄一と力石
少しでも「渋沢栄一の力石」に近づきたい一心で、
私は、国会図書館や県立図書館の蔵書類を探し回った。
信濃史学会誌「信濃」の矢島千代子氏の論文
「幕末期・藍玉通帳にみる上田地域の藍玉流通」を読んだが、
ここから力石には迫れなかった。
やはり渋沢栄一のことは著作から、というわけで、
「青淵先生六十年史」「青淵先生懐旧談」「雨夜譚会談筆記」を読んだ。
2年前のことで、記憶もおぼろになったけれど、こんな話が載っていた。
「藍玉は俵に詰めて十貫目俵四俵づけで運んだ。信州は山地だから難儀した」
「紺屋回りをするとどこでも雑煮を出したので、我慢して食べた」
中でも私を最も惹きつけたのは、
「神畑紺屋業、手塚弥右衛門の母すみ」の話だった。
功成り名を遂げた渋沢栄一は、
大正6年、71歳になった手塚すみと再会を果たしている。
渋沢家で使っていた藍玉の商標「立鼓(りゅうご)紋」
東京都江東区永代・福住稲荷神社
さて、最初のメールから2週間後の7月末、X氏からメールが届いた。
「なかなか文献から辿ることができないでいる」
「神畑村誌の編さんに関わったみなさんに調べてもらっている」
そして末尾にはこう記されていた。
「少々お時間をいただきたい」と。
しかし、朗報はすぐ届いた。
村誌編さんに携わったであろう方の情報と、
その方が撮影された写真まで添付されていた。
「神畑村誌」編さん者の提供写真。モザイクは私が施しました。
添付の文章に名前も連絡先も書かれていなかったので、
ご本人が綴られたものか、X氏の聞き取りかの判断はできなかったが、
興味深いことが書かれていた。
「神畑で若者達が集まった場所には、現在、神畑区集会所碑が建っている」
「力石は現存しています」
「所有者の話だと、たすきがけに力石を操ったとのこと」
こちらが渋沢栄一が村の若者たちと石担ぎに興じたと推定される
「集会所跡」の碑です。
「神畑村誌」よりお借りしました。
そしてこの方は、
「渋沢栄一、ものすごき怪力なり」としたためてあった。
ありがたかった。
X氏のご尽力に、私はパソコンに向かって何度も頭を下げた。
その感謝の気持ちをしたため、
「これでブログでみなさんにお知らせできます」と書き添えて送信した。
返事はすぐきた。
今までの柔らかな口調とは一変。
「ブログをやっているなんて聞いていない。聞いていたら協力しなかった」
「今後一切、ブログへ書くことを禁止する」
「渋沢栄一関連の施設、大学研究室、その他への力石の他言は一切禁止する」
えっ? 「禁止する」って、なにこれ。圧力をかけたってこと?
私はただ、自分が見つけた情報を提供し、
力石の有無をお聞きしただけなのに。
正気で言っているとは思えなかったが、冗談とも思えなかった。
ーーーーー◇ーーーーー
高島先生ブログ(3月28日)
「静岡市清水区阿僧瘤山・観音堂」
にほんブログ村
私は、国会図書館や県立図書館の蔵書類を探し回った。
信濃史学会誌「信濃」の矢島千代子氏の論文
「幕末期・藍玉通帳にみる上田地域の藍玉流通」を読んだが、
ここから力石には迫れなかった。
やはり渋沢栄一のことは著作から、というわけで、
「青淵先生六十年史」「青淵先生懐旧談」「雨夜譚会談筆記」を読んだ。
2年前のことで、記憶もおぼろになったけれど、こんな話が載っていた。
「藍玉は俵に詰めて十貫目俵四俵づけで運んだ。信州は山地だから難儀した」
「紺屋回りをするとどこでも雑煮を出したので、我慢して食べた」
中でも私を最も惹きつけたのは、
「神畑紺屋業、手塚弥右衛門の母すみ」の話だった。
功成り名を遂げた渋沢栄一は、
大正6年、71歳になった手塚すみと再会を果たしている。
渋沢家で使っていた藍玉の商標「立鼓(りゅうご)紋」
東京都江東区永代・福住稲荷神社
さて、最初のメールから2週間後の7月末、X氏からメールが届いた。
「なかなか文献から辿ることができないでいる」
「神畑村誌の編さんに関わったみなさんに調べてもらっている」
そして末尾にはこう記されていた。
「少々お時間をいただきたい」と。
しかし、朗報はすぐ届いた。
村誌編さんに携わったであろう方の情報と、
その方が撮影された写真まで添付されていた。
「神畑村誌」編さん者の提供写真。モザイクは私が施しました。
添付の文章に名前も連絡先も書かれていなかったので、
ご本人が綴られたものか、X氏の聞き取りかの判断はできなかったが、
興味深いことが書かれていた。
「神畑で若者達が集まった場所には、現在、神畑区集会所碑が建っている」
「力石は現存しています」
「所有者の話だと、たすきがけに力石を操ったとのこと」
こちらが渋沢栄一が村の若者たちと石担ぎに興じたと推定される
「集会所跡」の碑です。
「神畑村誌」よりお借りしました。
そしてこの方は、
「渋沢栄一、ものすごき怪力なり」としたためてあった。
ありがたかった。
X氏のご尽力に、私はパソコンに向かって何度も頭を下げた。
その感謝の気持ちをしたため、
「これでブログでみなさんにお知らせできます」と書き添えて送信した。
返事はすぐきた。
今までの柔らかな口調とは一変。
「ブログをやっているなんて聞いていない。聞いていたら協力しなかった」
「今後一切、ブログへ書くことを禁止する」
「渋沢栄一関連の施設、大学研究室、その他への力石の他言は一切禁止する」
えっ? 「禁止する」って、なにこれ。圧力をかけたってこと?
私はただ、自分が見つけた情報を提供し、
力石の有無をお聞きしただけなのに。
正気で言っているとは思えなかったが、冗談とも思えなかった。
ーーーーー◇ーーーーー
高島先生ブログ(3月28日)
「静岡市清水区阿僧瘤山・観音堂」
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コメント
こんにちは
姫も 「ブログを持っている」 ということで
拒絶反応を示されましたか。
2021-03-29 16:46 URL 編集
こんにちは
初めての経験で本当に驚きました。
このブログを始めたとき、友人に「よかったらのぞいて見てね」と言ったら、「ブログって日記みたいなものでしょう? 興味ない」と切って捨てられました(笑)
人それぞれですね。ただ今回は公務員さんなので、ショックは大きかったです。
2021-03-29 17:54 雨宮清子(ちから姫) URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2021-03-30 16:06 編集