fc2ブログ

力石の墓石・巳之助

斎藤ワールド
11 /14 2024
愛用した力石を、自分の墓石にした力持ちたちがいます。

「山谷田中 巳之助」もその一人。

墓所は田中山清光寺。
(東京都台東区西浅草1‐7‐19)
この寺は元、静岡県藤枝市田中にあって、乗願寺といった。
開基はテレビドラマでお馴染みの水戸の黄門さま「水戸光圀」です。

江戸への移転は寛文五年
(1665)。

水戸徳川家と高松松平家の菩提寺です。
住職は将軍と単独で謁見できるという格式の高い寺だったそうです。

そんな格式の高い寺に力持ちの墓がある。なんかいいですね。
巳之助の墓石です。切りつけも深く威風堂々。

巳之助墓

こちらが巳之助の戒名です。

「理覺道念信士 天保四巳年 七月十五日」
天保四年は1833年。
赤字部分は斎藤さんが判読。

この寺は浄土宗なので、戒名は「理覺」ではなく「理譽」かと思ったのですが、
墓石を見ると、確かに「覺」
ほかの親族の戒名は「譽」なんですけどねぇ。??


巳之助墓2

巳之助の戒名は墓石の左側面に刻まれています。
ほかに正面左右、右側面に親族の者と思われる戒名があるそうで、
天保から大正十二年まで八戒名、彫られています。

「墓石側面の戒名が巳之助のものと確認できたのは、
『墓形笑覧』
山口豊山著 明治30年代に出ていた没年月日・
”天保四年…”を、墓石から判読した歿年月日に擦り合わせたところ、
合致した没年月日があり、その戒名を巳之助の戒名と断定したわけです」
と、斎藤さん。


「これにより、墓石は以前、
「浅草橋場町・王蓮寺」にあったたことがわかった」

また、「今戸箕輪浅草繪図」
(1853)に「王蓮寺」とあるが、
現在は廃寺。
巳之助の墓石が現在、清光寺にある理由は不明とのこと。

いつ移転したのかわかりませんが、きれいに保たれているので、
ご子孫がいらっしゃるかも、と思いたい。

この寺には、
俳優の「長谷川一夫」の墓碑や「三木のり平」の墓石があるそうです

こちらは長谷川一夫さんの墓碑。
長谷川一夫

こちらがコメディアンだった三木のり平(田沼則子=ただし)さんの墓石。

三木のり平

墓じまいが急速に進んでいますが、
墓石からいろんなことがわかりますので一寸惜しい。

私が旧東海道を歩いた時、必ず立ち寄ったのが墓地なんです。
墓石にはいろんな世相が込められています。


下の写真は、「オランダ・カピタン」(オランダの商館長)の墓です。
鎖国時代、西欧国家として唯一、日本と貿易を行っていたオランダの商館長は、
貿易独占のお礼に年一回
(のちに4年ごと)
将軍に挨拶に行く「江戸参府旅行」を行っていました。


ところが寛政十年(1798)
時の商館長「ヘースベルト・ヘンミー」は参府の帰途、掛川市で客死。
そのため天然寺に埋葬された。
玉垣に囲まれたかまぼこ型の墓には、蘭文でこう書いてあるという。

「此の地下静座の体あり。敬ふべし尊ふべし。名をゲースベルト・ヘンメイ」

戒名は「通達法善居士」

墓が道路際にあるのは道路開通で寺が分断されたため。
この日は掛川大祭。オランダ・カピタンは地の底で、
テンツク・ピーヒャラの祭りばやしをどんな思いで聞いていただろうか。


へんみー
静岡県掛川市仁藤町 天然寺

遊女の墓、その遊女と心中した二人の比翼塚。これは日陰にひっそりと。
辞世の句を彫りつけた墓。戦死した若者が愛用した力石が添えられた墓。
明治維新で無残に討たれた幕臣たちの供養碑。
ギャンブルの勝ちを祈願して削られた侠客の墓などなど。
祖父と孫が事故死した墓のそばには、手を繋いだ二人の石像が立ち、
幼くしてこの世を去った愛児のそばには、あどけないお地蔵様が…。

みんな何かを語り掛けてくれました。


力石を自分の墓石にした力持ち、まだまだ続きます。

コメント

非公開コメント

No title

東海道を歩いたときに墓地に必ず立ち寄るというのが面白いですね。
確かにふらりと立ち寄った寺院に何らかの著名人の墓があるっことがありますね。
その著名人、必ずしも自分が知っているとは限りません。
これから先、数々の著名人がどこかの墓に眠ると思いますが、同時代の人間以外にはその偉業は分からないでしょう。
墓碑や説明版を見て、その人に思いを寄せるということも供養になりますね。

たいやきさんへ

「墓地はおもしろい」と言ったら、語弊がありますが、墓地こそ郷土史の宝庫と思っています。私は仕事の時もそうでしたが、ほとんどの時間を事前調査に費やします。そうすると、現地で詳しい人にお会いできるし、行動に無駄がなくなります。もちろん、現地でハプニングもあってそれは思わぬ収穫になります。

新聞社時代、私自身も他社から取材を受けたことがあります。
若い記者さんから「著書を送ってください」」と言われてお送りしたんですが、当日、「この本に何が書いてあるんですか? 忙しくて読めなかったので」と。
ひと様にお会いするとき、私は事前に芸術家なら展覧会や芝居を観、画集や本を読んで取材に望んでいましたので、びっくりしました。
時間がない時は、一晩に3冊徹夜で読んで出かけたことも。

ある若い演劇人に取材を申し仕込んだら、「以前、別の新聞社の取材を受けたら、まったく僕の言ったこととは違うことを書かれて、だから取材は嫌なんです」と。こういうの多いんです。記者が事前にストーリーを描いて、当日、そのストーリー通りに誘導し書いてしまう。
今もありますよね。勉強不足、トンチンカンな記事が…。センセーショナルな事柄ばかり追う傾向があるような気がします。

豆宮清子さんへ‼

遅くなりましたが、終の棲家となれば寂しいかbンきょうですねー。買い物も大変ですので、いろいろ苦労しまう、☆☆

荒野鷹虎さんへ

少し落ち付かれましたか?
新しい環境になじむまで大変ですが、のんびり構えていてください。
私もこのところ病気やケガ続きで、
今は目の治療でひと月に一度、目の注射を受けに行きます。
平常心、平常心と念じつつ過ごしております。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞