山谷田中 巳之助⑤
斎藤ワールド
話を香取神社の「巳之助石」発見に戻します。
この石はすでに記録済みでしたが、判読が不十分だったため、
長い間、「巳之助」の石とは気づかれませんでした。
それを20年後の今年、斎藤さんが「巳之助」の刻字を発見。
それまでは記録された刻字「小豆三 山谷」を
そのまま受け流していた斎藤さん、
2015年に開催された江戸川区郷土資料室の力石企画展で、
「あれ? おかしいぞ」と。
この「あれ? おかしいぞ」が、
「巳之助」の名と「三□」の□の文字の発見に繋がったわけです。
斎藤さんがこの「まるいし おもいし ちからいし」企画展に行ったのは、
私より10日早い10月8日のことだという。
そこで目に止まったのが、この写真。
東京都江戸川区松原 江戸川区郷土資料室
私が真っ先に目に止めたのはマスコットキャラクターの猫ちゃんだったが、
さすがですね、斎藤さんは石に注意を払います。
パネルの説明文にはこうありました。
「香取神社の力石には、”小豆三斗”と刻まれています。
(現在、斗の部分は土に埋もれて見られません)
一人前なら小豆三斗(約45㎏)ぐらい持ち上げられるような意味が
あるのでしょう。”斗”は容量の単位で、一斗=約18ℓです。
米や酒の単位として使われる。”升”の10倍、”合”の百倍の量です」
ここで斎藤さん、ん?
「ご丁寧に一斗樽枡3個に小豆を入れた写真まで展示されてあったが、
小豆三斗(45㎏)なら12貫目にしかならない」
「当時も今も一人前と認められる最低の重さは12貫目ではなく、
米俵一俵分の16貫目(約60㎏)が常識。
おまけに一斗枡とメモされて、
小豆いっぱいすり切りで、3個の枡の写真があったのを見つけて大笑い。
この失態は、すべてを掘らずに確認を怠ったことにある。
斗の部分は土に埋もれて見られませんと、手抜き調査を隠している。
掘れば簡単に見られるのに」と、斎藤さん。
確かに、
「若者の一人前の証しは、16貫(60㎏)を持つこと」ですもんね。
学芸員さん、すごくがんばったけどちょっとお勉強が足りなかったのかな。
しかし、心に引っかかってはいたものの、他の力石探索に多忙だったため、
現地調査に出向いたのは今年3月のこと。すでに9年の歳月が流れていた。
こちらが半分埋もれていたころの「巳之助石」です。
東京都江戸川区東葛西2‐34‐20 香取神社
さて、ここからが斎藤さんの本領発揮。
「幸いにも辺りに人がいなかったので、用意していたスコップで、
ある程度掘ったらコツンコツンと石らしいものに当たって、
それ以上掘り進めなかったけど、これでも予想通り、”山谷田中 巳之助”の
確認に十分であった」
こちらが地中から現れた「巳之助」です。
こんなにはっきり「三斗」ではなく「三俵」と。
「小豆三俵□ 山谷田中 巳之□」
「実際の刻字は三俵だから180㎏、48貫目です。
三斗12貫目(45㎏)とは大違い。大変な間違いです。
巳之助もずいぶん見くびられたものですが、
もう9年も前の話ですから、笑ってすませますか。(笑)」と、斎藤さん。
それを聞いて、境内の富士講記念碑もホッ。
20年前の判読の不備を突き止め、9年前の間違いも無事解決。
巳之助の力石がまた一つ現れた。
斎藤さん、心も軽く、
「巳之助」を掘り出し満ちて梅の花 呆人
この石はすでに記録済みでしたが、判読が不十分だったため、
長い間、「巳之助」の石とは気づかれませんでした。
それを20年後の今年、斎藤さんが「巳之助」の刻字を発見。
それまでは記録された刻字「小豆三 山谷」を
そのまま受け流していた斎藤さん、
2015年に開催された江戸川区郷土資料室の力石企画展で、
「あれ? おかしいぞ」と。
この「あれ? おかしいぞ」が、
「巳之助」の名と「三□」の□の文字の発見に繋がったわけです。
斎藤さんがこの「まるいし おもいし ちからいし」企画展に行ったのは、
私より10日早い10月8日のことだという。
そこで目に止まったのが、この写真。
東京都江戸川区松原 江戸川区郷土資料室
私が真っ先に目に止めたのはマスコットキャラクターの猫ちゃんだったが、
さすがですね、斎藤さんは石に注意を払います。
パネルの説明文にはこうありました。
「香取神社の力石には、”小豆三斗”と刻まれています。
(現在、斗の部分は土に埋もれて見られません)
一人前なら小豆三斗(約45㎏)ぐらい持ち上げられるような意味が
あるのでしょう。”斗”は容量の単位で、一斗=約18ℓです。
米や酒の単位として使われる。”升”の10倍、”合”の百倍の量です」
ここで斎藤さん、ん?
「ご丁寧に一斗樽枡3個に小豆を入れた写真まで展示されてあったが、
小豆三斗(45㎏)なら12貫目にしかならない」
「当時も今も一人前と認められる最低の重さは12貫目ではなく、
米俵一俵分の16貫目(約60㎏)が常識。
おまけに一斗枡とメモされて、
小豆いっぱいすり切りで、3個の枡の写真があったのを見つけて大笑い。
この失態は、すべてを掘らずに確認を怠ったことにある。
斗の部分は土に埋もれて見られませんと、手抜き調査を隠している。
掘れば簡単に見られるのに」と、斎藤さん。
確かに、
「若者の一人前の証しは、16貫(60㎏)を持つこと」ですもんね。
学芸員さん、すごくがんばったけどちょっとお勉強が足りなかったのかな。
しかし、心に引っかかってはいたものの、他の力石探索に多忙だったため、
現地調査に出向いたのは今年3月のこと。すでに9年の歳月が流れていた。
こちらが半分埋もれていたころの「巳之助石」です。
東京都江戸川区東葛西2‐34‐20 香取神社
さて、ここからが斎藤さんの本領発揮。
「幸いにも辺りに人がいなかったので、用意していたスコップで、
ある程度掘ったらコツンコツンと石らしいものに当たって、
それ以上掘り進めなかったけど、これでも予想通り、”山谷田中 巳之助”の
確認に十分であった」
こちらが地中から現れた「巳之助」です。
こんなにはっきり「三斗」ではなく「三俵」と。
「小豆三俵□ 山谷田中 巳之□」
「実際の刻字は三俵だから180㎏、48貫目です。
三斗12貫目(45㎏)とは大違い。大変な間違いです。
巳之助もずいぶん見くびられたものですが、
もう9年も前の話ですから、笑ってすませますか。(笑)」と、斎藤さん。
それを聞いて、境内の富士講記念碑もホッ。
20年前の判読の不備を突き止め、9年前の間違いも無事解決。
巳之助の力石がまた一つ現れた。
斎藤さん、心も軽く、
「巳之助」を掘り出し満ちて梅の花 呆人
コメント
おはようございます。
巳之助の力石のお話を楽しく読ませて
いただきました。
斎藤様の
《「巳之助」を掘り出し満ちて梅の花 呆人》
の句も素敵ですね。
梅の香に包まれる満足げな斎藤さんの
清々しいお顔を思い浮かべました。
ところで「め」のお加減はいかがですか。
年齢を重ねると具合の悪いところも重なるようで。
年齢が若返らないように具合の悪いところも
元に戻らない。大切になさってください。
追記《前回の「め」のお守り》も心温まる
良い記事でした。
2024-11-11 06:42 素姓乱雑 URL 編集
素姓乱雑さんへ
「力石命」、そこまで行ってはいませんが、
面白いし楽しいから今までやって来れました。
ブログを通じてみなさまに知っていただいたことが、
なにより嬉しいです。
目は定期的に水晶体への注射が続きます。
でもいろいろ思いました。
これが老化というものか、と。
こうして体のパーツが壊れていく。
やがてメンテナンスも効かなくなる。
みんなこういう経緯を踏んでいたんだ、と。
ブログは唯一の生き甲斐なので、今後ともよろしくお願いします。
2024-11-11 09:39 雨宮清子(ちから姫) URL 編集
No title
確か、油かなにかが入った缶で、これは子供の僕でも十分に持ち上げられました。
正しいかどうかが分かりませんが、それが三つなら、体格のいい大人なら持ち上げられそうです。
亡くなった父親は、新潟の農家の子供は米一俵を持ち上げられて当たり前で、小学校1年生くらいでも持ち上げて運んでいたと話していました。
そうなると、これ二つでも普通の力持ちかもしれません。
三俵なら納得の重さですね。
2024-11-11 16:44 たいやき URL 編集
たいやきさんへ
身近には食用油が多かったように思います。
新潟は米どころなので力持ちが多かったんでしょうか。
子どもが米俵1俵というのは、やはりすごいです。
山形県酒田市の米蔵・山居倉庫には、
みなとさんという女性の「丁持」さんがいて、
背負子で米俵5俵を担いでいたそうです。写真がありますが、
昔の女優さんの原節子さんに似た美人さんです。
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の実家は砂糖問屋で、
益川氏も重い砂糖を背負ったそうです。
郷土資料室は素敵な企画展を開いてくれましたが、
ちょっと勉強が足りなかったですね。
2024-11-11 19:32 雨宮清子(ちから姫) URL 編集