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山谷田中 巳之助⑤

斎藤ワールド
11 /11 2024
話を香取神社の「巳之助石」発見に戻します。
この石はすでに記録済みでしたが、判読が不十分だったため、
長い間、「巳之助」の石とは気づかれませんでした。

それを20年後の今年、斎藤さんが「巳之助」の刻字を発見。


それまでは記録された刻字「小豆三 山谷」
そのまま受け流していた斎藤さん、
2015年に開催された江戸川区郷土資料室の力石企画展で、
「あれ? おかしいぞ」と。


この「あれ? おかしいぞ」が、
「巳之助」の名と「三□」の□の文字の発見に繋がったわけです。


斎藤さんがこの「まるいし おもいし ちからいし」企画展に行ったのは、
私より10日早い10月8日のことだという。

そこで目に止まったのが、この写真。


巳之助1
東京都江戸川区松原 江戸川区郷土資料室

私が真っ先に目に止めたのはマスコットキャラクターの猫ちゃんだったが、

20151028071950280_20241023132609ddd.jpg

さすがですね、斎藤さんは石に注意を払います。

パネルの説明文にはこうありました。


「香取神社の力石には、”小豆三斗”と刻まれています。
(現在、斗の部分は土に埋もれて見られません)
一人前なら小豆三斗(約45㎏)ぐらい持ち上げられるような意味が
あるのでしょう。”斗”は容量の単位で、一斗=約18ℓです。
米や酒の単位として使われる。”升”の10倍、”合”の百倍の量です」


ここで斎藤さん、ん?

「ご丁寧に一斗樽枡3個に小豆を入れた写真まで展示されてあったが、
小豆三斗
(45㎏)なら12貫目にしかならない」

まるいし展小豆の入った桶

「当時も今も一人前と認められる最低の重さは12貫目ではなく、
米俵一俵分の16貫目
(約60㎏)が常識。
おまけに一斗枡とメモされて、
小豆いっぱいすり切りで、3個の枡の写真があったのを見つけて大笑い。


この失態は、すべてを掘らずに確認を怠ったことにある。
斗の部分は土に埋もれて見られませんと、手抜き調査を隠している。
掘れば簡単に見られるのに」と、斎藤さん。


確かに、
「若者の一人前の証しは、16貫
(60㎏)を持つこと」ですもんね。
学芸員さん、すごくがんばったけどちょっとお勉強が足りなかったのかな。


しかし、心に引っかかってはいたものの、他の力石探索に多忙だったため、
現地調査に出向いたのは今年3月のこと。すでに9年の歳月が流れていた。

こちらが半分埋もれていたころの「巳之助石」です。


埋まっていた小豆三俵
東京都江戸川区東葛西2‐34‐20 香取神社

さて、ここからが斎藤さんの本領発揮。

「幸いにも辺りに人がいなかったので、用意していたスコップで、
ある程度掘ったらコツンコツンと石らしいものに当たって、
それ以上掘り進めなかったけど、これでも予想通り、”山谷田中 巳之助”の
確認に十分であった」


こちらが地中から現れた「巳之助」です。
こんなにはっきり「三斗」ではなく「三俵」と。


巳之助2

「小豆三俵□ 山谷田中 巳之□

「実際の刻字は三俵だから180㎏、48貫目です。  
三斗12貫目(45㎏)とは大違い。大変な間違いです。
巳之助もずいぶん見くびられたものですが、
もう9年も前の話ですから、笑ってすませますか。
(笑)」と、斎藤さん。

それを聞いて、境内の富士講記念碑もホッ。

江戸川区巳之助記念碑

20年前の判読の不備を突き止め、9年前の間違いも無事解決。
巳之助の力石がまた一つ現れた。
斎藤さん、心も軽く、


「巳之助」を掘り出し満ちて梅の花   呆人

コメント

非公開コメント

おはようございます。

斎藤様の熱意と姫の文筆力で照らし出された
巳之助の力石のお話を楽しく読ませて
いただきました。
斎藤様の
《「巳之助」を掘り出し満ちて梅の花   呆人》
の句も素敵ですね。
梅の香に包まれる満足げな斎藤さんの
清々しいお顔を思い浮かべました。

ところで「め」のお加減はいかがですか。
年齢を重ねると具合の悪いところも重なるようで。
年齢が若返らないように具合の悪いところも
元に戻らない。大切になさってください。
追記《前回の「め」のお守り》も心温まる
良い記事でした。

素姓乱雑さんへ

ありがとうございます。
「力石命」、そこまで行ってはいませんが、
面白いし楽しいから今までやって来れました。
ブログを通じてみなさまに知っていただいたことが、
なにより嬉しいです。

目は定期的に水晶体への注射が続きます。
でもいろいろ思いました。
これが老化というものか、と。
こうして体のパーツが壊れていく。
やがてメンテナンスも効かなくなる。
みんなこういう経緯を踏んでいたんだ、と。

ブログは唯一の生き甲斐なので、今後ともよろしくお願いします。

No title

一斗缶という言葉を子供の頃によく聞きました。
確か、油かなにかが入った缶で、これは子供の僕でも十分に持ち上げられました。
正しいかどうかが分かりませんが、それが三つなら、体格のいい大人なら持ち上げられそうです。
亡くなった父親は、新潟の農家の子供は米一俵を持ち上げられて当たり前で、小学校1年生くらいでも持ち上げて運んでいたと話していました。
そうなると、これ二つでも普通の力持ちかもしれません。
三俵なら納得の重さですね。

たいやきさんへ

一斗缶、ありましたね。
身近には食用油が多かったように思います。
新潟は米どころなので力持ちが多かったんでしょうか。
子どもが米俵1俵というのは、やはりすごいです。
山形県酒田市の米蔵・山居倉庫には、
みなとさんという女性の「丁持」さんがいて、
背負子で米俵5俵を担いでいたそうです。写真がありますが、
昔の女優さんの原節子さんに似た美人さんです。
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の実家は砂糖問屋で、
益川氏も重い砂糖を背負ったそうです。

郷土資料室は素敵な企画展を開いてくれましたが、
ちょっと勉強が足りなかったですね。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞