はてなキーワード: 日本語の乱れとは
ぶっちゃけ増田的にはこれ愚問でしかないんだけど、たぶんみんなタイトルだけ見て完全にこの記事の内容勘違いして想像してると思うんだよね。
この記事は、実はその勘違いがどっから起きてんのかって話です。
夏目漱石の有名な一節「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と、昨今みんな当たり前のように理解したつもりで使ってる「政治的な正しさ」が日本語の乱れによってどんな風に誤って解釈されているか。
まあこの辺でちゃんとしてる人はもう気づいてると思うけど、それは「的な」という便利ないいかげんな日本語表現から来てるよってことを述べる記事でござんす。気づかなかった君こそ読もう。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」って言葉は、国語の授業で「こころ」を読んだ中高生はたいてい知ってる。
ときには授業のあとにクラスで、冗談めかして馬鹿だ馬鹿だと言い合う遊びが流行ったりしただろう。
でもその意味を本当には理解できているのか? 「精神的に向上心のないもの」とは何だ? 「精神的にでなく向上心のないもの」とは何が違うんだ?
この言葉は作中で計二回用いられている。一度めはKが何気ない場面で「私(若き日の先生)」にかけた言葉。そして二度めは、それを反復して「私」がKにやり返した言葉だ。
最初の場面にはただこう書かれている。
つまりKにとって「精神的に向上心のないもの」とは、ただ「日蓮の事について取り合わなかったもの」のことなのだ。
次の場面には、これをもうちょっと細かく解説した文がつけられている。
Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。
ここでは「精神的に向上心のないもの」とは、一言で言えば恋をするものということになっている。
もうだいぶ見えてきた。実はこの「精神的に」という言葉は、君たちが思ってるよりだいぶシンプルで、現代となっては時代錯誤過ぎて本気には取れないような内容なのだ。
spiritually
そう、Kにとっての「精神的に向上心のないもの」とは、ただ単に宗教的精進をしないものということなのだ。
普通の向上心、つまり立身出世とか勉学の追究とか、そういう現世利益とは程遠いという意味で、わざわざ「精神的に」とつけているのだ。
これは英語のpolitically correctの訳語なので、英語で調べるのが手っ取り早い。オックスフォード英英辞典のcorrectの項目には、こんな類似表現が紹介されている。
environmentally correct
環境的に正しい、とでも訳そうか。これはどういう意味だろうか?
普通に考えれば、平易な日本語で言う「環境に優しい」くらいの意味だろう。まかり間違っても、本音では違うんだけど環境に配慮して用意した建前、なんて入りくんだ意味ではないだろう。
それなのになぜ、「政治的に正しい」という表現になると、そのような皮肉を含んだ偽善的なニュアンスをもつものになると考える人がいるのだろうか? 同じニュアンスで「優しい政治の」くらいにふんわり理解しても良さそうなものなのに。
結論を言えば、これはひとえに「的な」という便利な、それゆえに乱暴に使われがちな日本語表現の問題から来ている。もちろんそれと、そういう曖昧さを悪用しようとするずるい詭弁愛好精神にもよるものだけど、これを言い出すと話がややこしくなるので触れません。
「的な」という言葉は、上で見てきた例のように、英語の名詞から作られた形容詞を直訳するための便利な接尾語という側面がある。この場合、もとの英語の意味内容をそのまま適用して、その名詞の事柄に関するものというくらいのニュアンスしか持たないとおおらかに解釈しておくべきだ。
しかしここに何故、もっと皮肉なニュアンスが含まれると勘違いしてしまいがちなのか。
君たち的にはどう思う?
……そう、つまりこういうことだよね。口語のブロークンな表現として、「オレ的には」「アイツ的には」なんて言い方で、その人にとってはそうだけど、他の人には必ずしも理解されるわけではないよっていうエクスキューズの言葉に使われているからだよね。
でも注意深く考えてみればわかるけど、それは一般の形容詞を作る場合、特に外国語を訳して作られた言葉の場合には何の関係もない、あくまで「的な」の複数の意味内容のひとつにすぎないんだよね。それこそ、「口語的」にはそうだけど、堅い術語では違うわけ。
こういう解釈で「精神的な」「政治的な」を解釈したら、本来の意味が薄れちゃう。「政治的な正しさ」に建前だとか皮肉な意味なんてないし、「精神的な向上心」は「気持ち的に高まる」みたいな曖昧な意味ではない。
増田的には、みんながもっとこの点に注意深く、誠実になってくれることを切に望むよ。将来展望的に。
一昨日あたりも、言葉の乱れに関する話題があった。
自分は、言葉に正しいも間違いもなく、ただ「多数派が使う言葉」とそうでない言葉があるだけだと思っている。
ある集団の中で多数派が使う言葉は、話者が多いためその集団の中で通じやすい。そのため集団の皆が自然とその言葉を使うようになっていく。
その集団の規模は大きくても小さくてもよく、たとえば学校のあるクラスの中だけで通じる言葉が自然発生的に生じたりする。
そうして生まれた言葉は、その集団の外ではまったく通じないが集団の中では半ば共通語のような扱いとなる。
特定の業界でしか通じない業界用語や、5chでしか通じない5ch用語なんかはその典型だ。
昔は地域によって集団が分かれ、地域の集団独自の言葉として方言が使われていた。
しかし近代化の中で、日本という集団の言葉の均質化が図られ、方言は薄まっていった。そうして生まれたのが日本の標準語だ。
これは5ch用語などと違って自然発生的に生まれたものではないが、ともあれ今では標準語は、日本人なら誰でも通じる、日本の多数派が使う言葉だと言っていい。
しかし日本が無数の小集団に細分化された現代は、各集団ローカルの言葉、いわば現代版の「方言」が群雄割拠する時代だといっていい。
その言葉がその集団の中だけで使われるうちはいいが、たまに集団の外でその言葉を使ってしまう人が出てくる。
あるいは、それが流行り過ぎてメディアに乗って外まで漏れ出てくることもある。
そうすると、その言葉を知らない人は首をかしげることになる。それがいわば、言葉の乱れというものではないかと思う。
日本語の乱れの原因は日本が無数の小集団に細分化されていることであって、
それを押しとどめるのは、まあ難しいんじゃないかと思う。
上記の増田見て「はっきり言わないとこういう勘違いしちゃうんだな」という知見を得た。
そもそもさ、「日本語の乱れ」を議論するような流行感度の低い人達に届く頃にはもうある程度共通認識が出来上がってユーザーが増えてるわけ。
だから感度の低い「日本語の乱れ警察」に見つかってグズグズ言われるわけ。
それをズレた例えして「全く誰も共通認識持ってない勝手な造語」みたいな印象操作してるのがもう見てて辛い。
「お前らみたいな流行感度低いやつらがグズグズ文句言ったって何も変わらんのだから下らねぇ議論なんか無駄だぞ」をオブラートに包んで「言葉は変化する」って言ってあげてんだよ。
「言葉は変化する」
メガネをクィッと上げながら「幼稚な君たちはわかってないと思うけど」みたいな雰囲気を出してくる。
残念きわまりない。
みんなとっっっっっっっくにわかってるんだよねそんなことは。
わかった上で、「その乱れは変化として許容できるところまで来ているかどうか」とか「現時点で新しい語彙と認めてしまってもよいかどうか」を論じてるんだよね。
裁判にたとえると、みんなが「刑期はどのくらいがいいか、執行猶予をつけるべきか」と話し合ってるところに割り込んできて「有罪だぞ!」と騒いでる人。
言ってることが周回遅れなわけ。もうそのレイヤーの話は終わってるのにね。
きのうは「一番」を「1番」と書いてもよいかが話題になっていた。
いますね、何人か。変化するおじさん。
まったく相手にされず「はいはい(苦笑)」という雰囲気がほかのブコメから伝わってくる。
「言葉は変化する」という意見の背後には、「だから日本語の乱れは許容すべきだ」という価値観が隠れている。
だがよく考えてみてほしい。
あらゆる言葉の乱れを許容するということは、誰もが自分が好きな意味で言葉を使っていいということになる。
既存の単語の意味を捻じ曲げることだって変化には違いないわけだからね。
若手社員がお客さんに「こちらの資料を拝見してください」って言って差し出したらどうする?
叱るでしょ? 「これも日本語の変化だから」って笑って許容するの?
コーディングしたプログラムをコンパイルして実行ファイルを作ることを「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットを作る」と言ったっていいわけだ。
言葉の意味や使い方には互いの中である程度の共通認識が必要で、コミュニケーションはコンセンサスの上で成り立っている。
つまり、野放図に言葉の意味が変化してしまったらコミュニケーションが阻害されるわけ。
だから義務教育には国語という教科があって、言葉の意味や使い方について統一した見解を子供のうちから学ぶわけよ。
バベルの塔の建立に腹を立てた神は人々から共通言語を奪い、バラバラな言語を与えた。
人々は意思の疎通が難しくなり、バベルの塔の建設をやめて世界に散り散りになってしまった。
言葉は変化するおじさんのやっていることもこれだ。秩序の破壊だ。
「言葉は変化する」と言いたくなったらまずやってほしいことがある。
自分が小学校か中学校の先生になったつもりで、生徒がテストに書いてきたらマルをつけるかバツをつけるか考えてみてほしい。
あるいは、小学校か中学校の子を持つ親になったつもりで、子が宿題に書いていたらどう言うか考えてみてほしい。
「言いたいことはわかるが、それでは点数をやれない/もらえない」
そう思うんだったら、まだその日本語の乱れは変化として許容するには時期尚早だということだ。
よく「じゅうふく」を「ちょうふく」に訂正された人の言い訳で「日本語は変化するものなので」というものが多いが思考停止の言い逃れで使うのはどうかと思う。
その一方で、訂正する側が「本来の読み方が大切」だの「日本語の乱れだから」だの思考停止で押し付ける行為もどうかと思う。
例えばテレビで「手水(ちょうず)」を「てみず」と読むと「最近はてみずと読む人が増えた」と嘆く人がたまにいるが、本来の読み方は「てみず」である上に神社によっては「てみず」とふりがなしている場所もある。
そもそも「本来の読み方」は慣用読みは誰も疑わないような言葉も多くあるから一般人がわざわざ深堀りするものでもない。世間で信仰されているのは「本来の読み方」ではなく「伝統的な読み方」である。それにも関わらずそこを勘違いしている人が多い。
「重複」がどう読むべきかという議論はさておき、自分の知らない・気に入らない読み方を無闇に「本来の読み方」だの「日本語の乱れ」だのと押し付ける行為は、指摘された側が「日本語の変化」と言い逃れする行為と同じ次元だと思う。
(そもそもこういう細かい上に槍玉に挙げられがちな日本語のマナーにだけやたら口うるさくあげつらってくる行為自体がどうかとは思う)
追記:上の話はどちらの立場も無知を言い逃れしていることがどうなのかという話なので本筋からそれますが、「重複」はどちらの読み方でも正しいと思います。あくまで「ちょうふく」が適切かつ伝統的な読み方なだけ。近年派生したとはいえ昔の世論調査で多数派だった「じゅうふく」を否定することはできないでしょう。
これも「どちらがより適切なのか」という議論をするべきなのに「どちらが正しくてどちらが間違いなのか」という議論にすり替えられがちだと思います。
「重なる」の意味の時は「チョウ」と読むという説明をしている方は「多重」や「重箱」など例外だらけです。そういう推論が間違いであることに気が付きましょう。(呉音か漢音かの違いで呉音が根強く残ったか漢音に置き換わったかぐらいの違いです。)
世間を見ると漢字の読み間違いを指摘して悦に入る日本語警察が散見され辟易している。
自分の正しいと思い込んでいる日本語だけが正しいと他者に押し付け、その自己の知識の妥当性には無批判であるからである。
例えば新年になると初詣特集などで「手水(ちょうず)」を「てみず」と読むアナウンサーを見かけ「日本語の乱れだ。けしからん。」と怒る人や「いずれ日本語の変化でテミズも認められる日が来るだろう」と語る人が散見される。実際は「てみず」が本来の読み方でその音が変化したものが「ちょうず」である。さらに伊勢神宮や熱田神宮などの有名な場所のホームページでは「てみず」の読みを記載しているためおそらくアナウンサーはその神社や神宮の意向に沿ったものでと思われる。
そのため指摘するのは間違いな上に慣用読み関連の理屈もトンチンカンなものである。
さらに、このようなマナーに小うるさい人は主観が一貫していないことが多い。
例えば「代替」や「他人事」を「だいがえ」や「たにんごと」が慣用的だから間違いとするマナー情報が多い。
この手に対して「どちらの読み方もある」と指摘すると「本来の読み方を知ってほしい」と言う人が多いが、「詩歌(しか/しいか)」や「老舗(ろうほ/しにせ)」など本来の読み方を間違いと指摘してしまい大抵矛盾しているのである。
もしかしたら「一般的な読み方を知ってほしい」というさらなる反論が飛ぶかもしれないが「だいがえ」「たにんごと」も広く使われ認められつつある読み方ではないであろうか。
慣用読みなどの指摘に対して免罪符を使い自分の確認不足や無知を隠そうとするが、実際はそれすらきちんとできていないのである。
言葉というものは変化するものである。そのため漢字の読み方という切り口で見ても正解が複数あったり時代で適切な言葉が変化したりすることもある。
そういう曖昧が求められるものに対して自分勝手な考え方を持ち込んで無理やり線引きしようとするのが日本語警察なのである。
本来や伝統的な日本語を知ることは大切であるが、そこに無理やり厳密な線引きをしているからこそ自分の知識や世間の常識を疑う必要はあるし、最低でも辞書ぐらい引く情報リテラシー力が求められる。
「単なる誤読」「伝統的な読み方」「一般的な読み方」の区別もできずいたずらに他の受け入れられている読み方を一蹴するのなら「失礼クリエイター」と揶揄される人たちが作るでっちあげのマナーに近いものだと思う。
相手に正しく伝わるのであればそのような瑣末なことにこだわる必要はないのであろうか。すっかり伝統的と思われているだけで変容した言葉があるから多少寛大になるべきであろう。
(なおこの手の雑学サイトにある言葉はもちろんのこと解説も的はずれな内容や根拠になっていないことがあるので気をつけたほうが良いです。)
成長には痛みが伴うことがあっても改革が必要だ。体たらくになっている自民党にガチンコでぶつかり合っていく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1234417ec64d4cedcc9300e4336a0a242a890dd3
この「体たらく」はおかしい。「様子」とか「ありさま」を意味する言葉なのだから「体たらくになっている」では通じない。
おそらく「なんという体たらくだ」「こんな体たらくではいけない」といった用例を見聞きするうちに「ひどい状態」という意味に取り違えたのだろう。
知事だけではなく世間的にもこの誤用は広まっているようで、検索してみると10年以上前には既に日本語の乱れ的な記事で取り上げられているのが確認できた。
アンテナの低い私は知らなかった。
で、これ何かに似てるなーって考えて気づいたんだが、関西のヤンキーが言う「ヤカラ」もこれだったんだな。
ウルトラマン ニュージェネレーションシリーズを遠くから眺めるの続き。
・「それは終盤まで隠しておかなくていいの?」という設定が惜しみなく序盤中盤に詰め込まれ、かつそれらを出落ちに終わらせず活かすことで、終盤が盛り上がった。
・複数の登場人物が、敵か味方か、トリックスターのような振る舞いで入り乱れ、終盤まで関係性に緊張感があった。
・押しつけられた(?)ように思われる販売促進玩具に、丁寧な演出が施され、懸念された違和感が無かった。
構成や作劇を丁寧に扱えば、
1) バトルものにありがちな、敵味方のパワーインフレ(敵が強くなる/味方のパワーアップイベント)は必須ではない
2) 隠し設定を終盤の見せ場にしなくてもよい
個人的には、『オーブ』『ジード』の後に『Z』でニュージェネレーションを締めて、その後に『ルーブ』や『タイガ』だったら、バランスが良かったのかも、と思います。
「わかりやすくて率直な曲がかなり売れる傾向にある」母親に『現代人の読解力の低下は音楽の世界にまで及んでいる』と言われた時の話
https://togetter.com/li/1445528
関連:日本語の乱れ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8C
兎(うさぎ)の歌のエピソード、童謡の「兎のダンス」の歌、「ソソラ ソラ ソラ 兎のダンス」、唱歌の「故郷(ふるさと)」の歌、「兎追ひ(い)し かの山」、とは(2012.8.16)
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/2012816-324a.html
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/29672.html
言葉にしてもそうだけど、音楽も時代によって変化するものだし、逆にシンプルな曲や洗練された曲程後の世の中に残りやすいのだけどね。
三味線や琴、尺八で演奏する和楽器にしても洗練された曲程現代まで残っているものが多いし、現在でこそ童謡や唱歌に分類されるけど、兎のダンスとかに関しては大正当時にはそれに合わせて踊るほどの流行をしていた経緯もあったりする。
だから今の曲で読解力が低下している云々と言う指摘の方が、まさに日本語の乱れと同じ過ちを行っているよねと読んでいて率直に感じた事。
また読んでいて、この手の難解な曲を好む世代の音楽を馬鹿にしているのがサウスパークの例の素晴らしきチンチンものなんだろうね。
日本語の乱れがどーのこーの言う人が使ってる日本語だって結局は元の言葉から崩して崩して現代的な意味や文法の日本語なはずなのになぁ、と思ってしまうからあんまり納得できないのよね。
屁理屈かもだけど、日本語の乱れっていうのが「言葉の意味が元の意味から変わってる!若者言葉で変な文法が勝手にできて広まってる!」って感じで「新しい日本語生み出すのは認めまへんで!」みたいなことなら、全部直していったら古文みたいな文章になるはずじゃないのかな〜。って。
あ、でももしかしたらそういうこと言いがちな世代って義務教育で古文やらなかったのかな…?それとも「これが正しい日本語!」みたいな日本語虎の巻的なのを教わるとか…?ガキなのでわからん
この上記の問題で、「なろう系せい」や「若い世代はヤバい」みたいな論を持ってくる人が居るんですけど……私は未成年のなろう作家なので微妙な顔しかできない。
個人的には「小説家になろう」の登場で、普段から小説を読まない層も手軽に暇つぶしとして触れる機会が増えた為に可視化されたのではと?— たけのこ@オフトン教徒 (@takenokokun0521) 2019年10月25日
何かなろうで小説のレベルが下がっただの00年代のエロゲやれだの言う話あるみたいだけど、個人的には例の日本語は時代と共に変化する一種なだけじゃないかなと言う様な気もしてきた。
多分小説家や創作界隈の人間よりも古文や国語の先生とか日本語の学者とかに話を聞いた方が面白い回答が来ると思うよ。
基本的に自身がこの手の事に難癖を言い出したり思ったりしたら、自身が年寄りになって、老害化してきた事を意識した方が、良いのかも知れないと読んでいて思ったりもした。
多分今更00年代のエロゲの表現をしたら、逆に古臭いだの言われそうな気がするよ。
それに読みにくい人の小説なんか昔からあるもんだし、今の人間でも読みやすい小説もあるから、結局は書く人次第だと思うよ。
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https://nippon-gengo.com/kakin-imi-wakarimasen/
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【ガンダムバトルオペレーション2】今日も課金だ! 最大5万円課金しまっす (超高画質)
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「課金」という字を見た瞬間に「料金を課す」という意味だとわかるはずだが。
もしかして「納金」や「入金」や「支払い」という言葉を知らないのか。
【櫻井よしこ x 呉善花 】衝撃!!漢字が読めないから歴史がわからない!!反日韓国人の正体を暴露!!【Koreaなんだ?】
https://youtu.be/XBT1MeVKCpY?t=14m20s
ねぇどうして「納金する」ことが「課金する」になっちゃうのー?
ねぇどうしてゲームシステムとプレイ内容については鋭く分析するのに
「課金する」なんて単純な間違いを誰も指摘しないのー?
「課税」と「納税」という言葉から「課金する」という言葉のおかしさに気付けそうなものだが。
もしゲーム脳というのが本当にあるとすればこいつらのことだろう。
■「課金する」「寄付する」「募金する」という言葉の意味と誤用に注意!
http://www.kotobano.jp/archives/1285
課金という言葉は払うということではなく、料金を払わせるようにするという意味。
アプリであれば、運営会社側がユーザーにお金を払わせることをいいます。
お金を払ってしまう私たちもつい「課金した」という表現を使ってしまいそうになりますが、
「課題考査」や「宿題を課す」という言葉は先生側(提供する側)の言葉でしたよね。
「課す」のは提供する側、だから「課される」こちらが「課金した」と表現するのは誤りです。
漢字の構成を考えれば募金と寄付の違い、課金の誤用は防ぎやすいのですが、
視覚的な情報として「課金」「募金」「寄付」の知識を得るだけではなく、
是非一度、「課金した」「募金した」「寄付した」という言葉を声に出して、
その違和感から正しい言葉の使い方を覚えていただきたいと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10107622430
グリーなどの悪徳商法系サービスで消費することを指してるようですが、
課金とは料金を課すことなので、課金『する』のはグリーであり、利用者は課金『される』側じゃないですか?
ベストアンサーに選ばれた回答
kai さん
http://yoshihiroueda.wordpress.com/2012/05/19/%E3%80%8C%E8%AA%B2%E9...
ネットを見ていると、「課金する」という言葉が「料金を課する」という意味とは逆の
「料金を払う」という意味で使っていることに気づく。
実際にゲームをやっている人が「課金する」という言い方をしているのだ。
“本来この言葉は「料金を課する」、つまり提供者が利用者から料金を徴収することを指すのだが、
インターネット上では主体が完全に逆転した解釈のほうが定着している。
「課金されたものに納金する」→「課金する」のように略された形になる。
税金を納めることを”納税”と言わず”課税”と言うぐらい異なった用法である。”
“インターネット上で課金と言えば主に、オンラインゲームなどの内容に利用料金を払うことを指す。使用料を払うこと。”
http://idejun.com/archives/4695
料金を課す、つまり「費用や支払いを引き受けさせる」のであり、
黎明期のオンラインゲーム利用料金決済を発端として誤用が広まり、
今もって正しくない言葉のまま使う人が多い。
納金させようとするソーシャルゲームの台頭により、利用者どころかサービス運営者、
ゲームコンテンツ提供者までもが誤用しているケースが多々見られている。
成功 ありがとうございます、やっぱり誤用だったんですね。
言葉は元々は誤用でもその使い方が多数派になれば正しい使い方として定着してしまうそうなので、
いずれ私のような人間は『古い言葉使いの少数派』として片隅に追いやられてしまうでしょうが、
こんな日本語の乱れたゆとり世代だから悪徳商法にも引っかかってしまうのかと、
http://chiebukuronews.blog.jp/archives/9312941.html
247: 名無しさん@おーぷん 2015/07/05(日)11:18:13 ID:6t0
嘘もいい続けたら嘘じゃなくなる的な思考で頭悪そう
249: 名無しさん@おーぷん 2015/07/05(日)11:26:25 ID:vG2
買う側が「課金する」って言うの
金を課しているのは売る側です
■言葉の変わる速度
http://si.jpn.org/archives/date/2015/0411-230628.php
スマートフォンアプリの有料の機能拡張やオンラインゲームなどで課金アイテムというものが出てきてよく目にするようになった言葉。
本来はサービス提供者がユーザに向けて料金を課する、つまり「課金する」ものであるが、
ユーザが「アイテムを購入した、料金を払った」という意味で「課金した」と遣う人が結構多い。
この場合正しくは「(プラグインなどの)料金を払った」「課金アイテムを購入した」となる。
要するに単に「買った」と言えば良い。これは明らかに誤用。間違えていたら単に言葉を知らないだけかと。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1509223362/
1名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/29(日) 05:42:42.890>>50>>89
正2:課金制が導入されているゲームにお金を支払っている(納金している)。
課金=料金を課すこと。
なぜ人間は、小さな間違いには気が付くのに、大きな間違いには気が付かないのだろうか?
2名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/29(日) 06:21:05.640>>4
13名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/31(火) 02:29:52.680
「ふんいき」言ってるつもりで無意識に、
漢字と読み方知ってる世代まで釣られて「ふいんき」言うんと違う?
テレビの影響で過剰な「ら抜き」や奇怪な「させていただき敬語」が
広まってるところ見るとそんなふうに感じるわ
18名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/31(火) 06:25:03.930
思うに、課金が間違った使われ方をしているのは、
音の響きから「加金」のような受け取り方をしているからじゃなかろうか。
そして、募金が間違った使われ方をしているのは、
おそらく「応募」という言葉の大意を「募」が担っていると錯覚しているからじゃなかろうか。
22名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/07(火) 03:25:21.970
課金の誤用って多分「加金」と音が一緒だから助長されてるんだと思う
27名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/08(水) 19:06:13.600
課金してきたぞー → 課金されてきたぞー みたいに訂正例文付きでさ
31名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/09(木) 07:19:47.010
しかし「課金」はなぜこの意味で使われるようになったんだろうか
32名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/09(木) 07:38:37.510
そもそも正しい意味で課金が使われた実績ってどれくらいあるんだろうか
世の中課金する側よりも課金される側が圧倒的に多数なわけだしな
41名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/21(火) 20:05:02.700
使い続けるにしても、
アガる、キレる、ナメる、ヘコむ、モテる
なんかのように、ボキンするカキンする
本来の言葉から派生したものとわかるように表記を変えないとさぁ。
49名無し象は鼻がウナギだ!2017/12/03(日) 21:19:31.040
そう遠くない未来に漢字は複雑で不合理極まりない代物として排斥されるだろうな
戦後にフランス語の公用語化や日本語のローマ字表記化が叫ばれた時は
庶民の識字率の高さに助けられて事なきを得たが、現状を鑑みると次はない
そうして文字を捨て去った後、
隣の半島よろしく「読めるけど意味が分からない」という新種の文盲を量産する
よろこべおまえら、これでもうべんきょうにじかんをかけなくてもよくなるぞ
どうしたうれしいだろうなずけよ
126名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/12(月) 12:54:09.320>>131>>133
俺完全に勘違いしてた部類だわ
134名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/12(月) 16:57:50.140
表現の自由を尊重するあまり無法になっちゃうのも個人的には好ましくない。
言葉狩りは御免被るけどこういう話題を煙たがる傾向が日本語の文章読解能力低下を助長しているんだとも思う。
日常会話レベルでは今のところ問題視されるほどの不都合は生じてないようだけど
文章読解能力には著しい低下が見られると文科省は学府に指導を入れている。
今じゃ国立の大学が日本人の学生向けに日本語の必修科目を設けるほど問題視されている。
杓子定規に拘る必要はないけどかといって下らないと安く見ていいものでもない。
177名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/16(金) 05:40:21.810>>178
日本語の変化ゆらぎなどといって国語を破壊するグズどもは本当にどうしようもないな
189名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/17(土) 02:31:11.510
日本語は今までバカの手によってメチャメチャにされた歴史があるからな