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2026-05-07

[]極楽浄土という原作レイプ

ブッダ見地から極楽浄土葬式仏教への厳しい批判

釈迦ブッダ)は、諸行無常一切皆苦諸法無我喝破し、輪廻のものを「苦のバリエーション」に過ぎないと断じた。六道のいずれに生まれようと、天界の神々でさえ天人五衰の恐怖に襲われ、再び堕落する。

死後の世界を「安寧の楽園」などと幻想するなど、愚かな執着の極みである

真の解脱は、火が完全に消えるような無余涅槃

二度と生まれ変わらない完全な寂静のみ。

ブッダは、死体を穢れとし、僧侶が葬送に深く関わることを避けさせた。遺骨を塔に納めることすら、在家信者世俗的習慣に過ぎなかった。死後の「マシな世界」を求める俗人の欲望に、決して迎合しなかった。

大乗による「後付け」極楽浄土

釈迦入滅後500年経って、大乗仏教が現れるや否や、事態は一変した。

極楽浄土なる世界を新たに創作し、阿弥陀仏の本願で「念仏一つで往生できる」と説き始めた。

これは原始仏教には一切存在しない、明らかな後付けである方便(upāya)の名の下に、民衆の「死後の安寧を求める弱い心」に迎合した結果に他ならない。

ブッダならこう喝破するだろう。「我は輪廻の苦を断つ道を説いたのに、お前たちは再び『マシな生まれ変わり』を欲しがるのか。極楽浄土などという幻想楽園を設け、往生を約束することで、衆生渇愛をむしろ増長させているではないか。これは私の教えを根本から歪曲する愚行である。」

極楽浄土は確かに悟りへの通過点」と理論上は位置づけられるが、実際の民衆信仰では「死ねば安らげる」安寧の場として理解され、原始の「一切皆苦」の洞察は骨抜きにされた。方便の名を借りて、ブッダの厳しい実践希薄化させた典型である

中国日本での俗人迎合

中国に伝わると、祖先崇拝や民間信仰と結びつき、死後の世界を「安寧」と見なす俗人の欲求さらに深く迎合した。唐代善導らが体系化した浄土教は、現世の苦しみと末法不安を前に、「他力一本」で救済を約束する甘美な教えとして広がった。

日本では鎌倉時代法然親鸞がこれを継承し、江戸時代檀家制度で決定的に俗習化した。幕府の統制道具として寺院葬儀を独占し、戒名授与・読経・高額布施をセットで「極楽往生」を売るビジネスが成立した。ここに至って、ブッダの教えは完全に裏切られた。

死体を防腐し、化粧を施し、数日間安置し、重い棺を霊柩車で運び、骨を割り折って壺に納める煩雑儀式――これを「極楽への送り」と称するなど、ブッダは激しく非難するだろう。

「我は諸行の無常直視せよと説いたのに、お前たちは死体に執着し、金で戒名を買って死後の安寧を取引するのか。これは貪欲(lobha)の極みであり、沙門の道に非ず。私の子弟とは言えぬ!」

原始仏教では僧侶金銭を受け取ること自体律蔵で固く禁じられていた。金銀は「毒蛇のごとし」。 

それが日本仏教では、死者の供養を名目に金で「徳」を売買する商売に成り下がった。

極楽浄土という方便は、方便の域を超えて、仏教を「葬式屋」へと堕落させる最大の原因となった。

ブッダ視点から見た本質

ブッダ見地から見ると、極楽浄土の導入とそれに伴う死後の安寧信仰は、俗人の弱さに迎合した明らかな堕落である輪廻からの完全脱出理想とした教えを、「死ね極楽」という安易安心すり替えた。結果、仏教祖先崇拝と金取引の道具と化した。現代葬式仏教は、ブッダの教えから最も遠く離れた姿と言わざるを得ない。

[]ブッダ入滅仏教葬儀比較

ブッダの死は、なぜこれほど簡素だったのか ―― 原始仏教入滅と、現代仏教式」葬儀煩雑を問う

紀元前5世紀、クシナーラー沙羅双樹の下。80歳を迎えた釈迦ブッダ)は、右脇を下にした「ライオンの臥姿」で静かに横たわっていた。弟子アーナンダが悲しみに暮れる中、ブッダ最後の言葉を残した。

比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」
(パーリ仏典『大パリニッバーナ経』、中村元訳)

これがブッダ入滅パリニルヴァーナ)のシーンである。火が完全に消えるように、欲望と無明の炎が尽き、輪廻連鎖が断たれた瞬間だった。死後、遺体は7日間、在家のマッラ族の人々によって花と香で供養されたが、それはあくま簡素もの特殊な防腐処理も、死化粧も、豪華な棺も、念仏の繰り返しもなかった。在家の人々が香木火葬荼毘)を行い、遺骨(舎利)は8つに分けられ、ストゥーパ(記念塔)に納められた。僧侶比丘)たちは遺体の供養に煩わされず、ただ修行に励むよう指示された。これが、原始仏教における「死」の扱い方である

現代日本仏教葬儀との対比

一方、今日日本で「仏教式」と呼ばれる葬儀は、まったく異なる様相を呈する。

死後すぐ、遺体には防腐処理(ドライアイスエンバーミング)が施され、死化粧生前より整えられる。棺に納められ、通夜葬儀の間、数日間安置される。僧侶による念仏読経が繰り返され、家族親族が交代で付き添う。儀式が終わると、重い棺を男手で担ぎ、霊柩車という特別に装飾された車に詰め込む。火葬後、骨が残る。骨壺に入りきらない大きな骨は、骨折りと呼ばれる作業で割り、小さくして納める。

ここまで死体を維持・美化・儀式化する必要があるのか。

原始仏教視点から見れば、これは明らかな矛盾であるブッダは「諸行無常一切皆苦諸法無我」を喝破した。

死体無常象徴であり、執着を生むだけの「穢れ」だった。

長期間保存し、化粧を施し、特別な車で運び、骨を丁寧に折って壺に納める行為は、むしろ「死への執着」を増幅させる。ブッダ自身入滅後、弟子たちに「私の遺体にこだわるな。法(教え)を守れ」と諭した。火葬も、在家信者が行う世俗の習慣に過ぎず、僧侶が主導する儀式ではなかった。

なぜここまで煩雑になったのか

大乗仏教の「方便」が日本独自の家制度祖先崇拝と結びつき、江戸時代檀家制度で「葬式仏教」が完成した結果である

諸行は滅びゆく。
ならば、死体をここまで美しく維持し、儀式を延長し、特別な車で運ぶ必要は、本当にあったのか。


ブッダ最後の言葉は、今も私たちに問うている。

怠ることなく、無常直視せよと。

[]ブッダ葬式を望まなかった ―葬式仏教までの2000年

仏教は、元来「アンチ宗教」だった。

釈迦ブッダ)はバラモン教階級制度・有料儀式・神々への依存を徹底的に喝破した。

そして「生そのものが苦である」(一切皆苦)という現実直視する実践道を説いた。

金銭功徳を買う行為など、想像すらしていなかったはずだ。それが特に日本では、死後の戒名授与や高額お布施を伴う「葬式仏教」として定着した。なぜ、輪廻からの完全脱出理想とした教えが、死者供養のビジネスに変貌したのか。原始仏教思想大乗仏教の展開、そして日本独自歴史的必然を、独立した視点で整理する。

1. 原始仏教の核心 ―― 「反宗教」の喝破

紀元前5世紀頃のインドで、釈迦は当時の宗教界を根本から批判した。バラモン教祭祀呪術金銭による功徳取引を基盤とし、永遠の魂(アートマン)を前提に輪廻を語っていた。これに対し、釈迦諸行無常一切皆苦諸法無我四法印を掲げた。世界は瞬間ごとに生滅し、固定の実体(我)はなく、生老病死は避けられない苦である

悟り涅槃)とは、欲望・無明・渇愛を断ち、輪廻の火を完全に消すことだった。

出家者(比丘)に対する戒律は厳格だった。律蔵(Vinaya Pitaka)では、金銀の授受を明確に禁じている。「比丘よ、金銀を受け取ってはならない。他人に受け取らせてはならない。これを破れば捨堕の罪である」(Nissaggiya Pācittiya 18)。布施自発的喜捨でなければならず、対価としての儀式販売は許されなかった。葬儀自体も、僧侶の直接関与を避ける傾向が強かった。死体は「穢れ」とされ、修行の妨げになるとされたからだ。

釈迦の教えは、死後の供養ではなく、現世の苦から解放に徹していた。

「完全な消滅」(無余涅槃)が理想で、永遠の魂を前提とする常住論も、すべてが無になるとする断滅論も、ともに「中道から逸脱した邪見とされた。

この姿勢は、まさに「アンチ宗教」だった。

神頼み・儀式依存・金で救済を買う商売を、毒矢の譬え(矢が刺さったまま原因を詮索する無益さ)で一蹴した。目的個人解脱であり、組織化された宗教団体すら、釈迦自身は最小限に留めた。

2. 大乗仏教の登場 ― 方便による俗習化の扉を開く

釈迦没後約500年後、インド北部大乗仏教が興った。「小乗」(上座部)と自らを区別し、「大いなる乗り物」として一切衆生の救済を掲げた点が決定的だった。原始仏教個人解脱に対し、大乗菩薩道理想とする。菩薩は自らの涅槃を遅らせ、衆生を救うためにあえて苦行を続ける。

最大の武器方便(upāya)だった。

衆生能力文化に合わせて教えを柔軟に変容させる手段だ。これにより、厳格な出家戒律無神論性格が緩和された。

中国に伝わった大乗は、現地の祖先崇拝や道教儀礼と融合。死後供養・功徳回向積極的に取り入れられ、在家信者向けの浄土信仰阿弥陀仏による救済)が拡大した。戒律大乗戒(梵網経など)として再解釈され、菩薩利他行を優先するようになった。

この方便は、仏教の「生存戦略」でもあった。民衆に広まるためには、現地文化適応せざるを得なかった。しかし同時に、原始の精神を薄め、儀式・供養・経済的布施への依存を許す土壌を生んだ。インド中国ではまだ「死後ビジネス」までは発展しなかったが、日本への伝播で決定的な変化が起きる。

3. 日本での「葬式仏教」完成 ―檀家制度という政治的強制

仏教6世紀日本へ伝来したが、当初は国家鎮護貴族氏寺として機能した。飛鳥奈良時代僧侶葬儀に直接関わらなかった。死の「穢れ」を嫌う神道的な観念が強く、官僧(国家公認の僧)は死体に近づくことを避けた。

転機は鎌倉時代だった。遁世僧(とんせいそう)と呼ばれる民間僧が現れ、死の不安に苛まれ庶民のために葬儀・供養を積極的に担った。

浄土信仰の広がりと相まって、「死後も浄土往生」という安心提供した。

これが仏教民衆に近づけた「革命」期である

本格的な「葬式屋」化は江戸時代に確定した。

1630年代幕府キリスト教禁制のため寺請制度(檀家制度)を全国に施行した。全庶民をどこかの寺院檀家強制登録させ、寺が戸籍宗旨人別改帳)を管理。出生・死亡・婚姻証明を発行し、死体検分まで行った。結果、葬儀法事戒名授与が寺の独占業務となった。戒名(死後与えられる仏弟子の名)は、元々出家者の生前名だったが、日本では位階付き(信士居士院号など)で一般化し、「長い戒名=高額お布施」という金銭取引が生まれた。

この制度は、幕府民衆統制という政治的必要からまれた。

寺院国家の末端機関となり、経済基盤を葬儀収入依存する体質が固定化した。

荘園崩壊後の寺院経営危機も、檀家から継続的布施必要とした。こうして、原始仏教の「金銀は毒蛇のごとし」という戒律は、遠い過去のものとなった。

4. なぜアンチ宗教葬式屋になったのか ―― 三つの必然

第一政治的強制

江戸幕府仏教キリシタン摘発の道具に利用した。信仰自由などなく、寺檀関係義務だった。

第二に文化的融合。

大乗方便が、日本古来の祖先崇拝・家制度と結びついた。死後の供養は「家」の存続を象徴し、戒名は家名を仏教的に昇華させる手段となった。

第三に経済的必然

少子化以前から寺院布施に頼らざるを得なかった。方便の名の下に、原始の喝破精神は置き去りにされた。

結果、日本仏教は「生の苦から脱出」ではなく「死後の安心供給業」として機能するようになった。

浄土真宗のように法名簡素化・生前授与する宗派もあるが、多数派戒名料を伴う葬儀中心だ。

5. 現代への問い ― 原点回帰可能

今日、寺離れ・直葬火葬のみ)の増加は、この歴史的矛盾を浮き彫りにしている。原始仏教視点から見れば、戒名料や葬儀独占はブッダの教えに明確に反する。金で徳を買う行為は、貪欲増長させるだけで、涅槃の道ではない。

大乗方便は、仏教世界に広めた功績がある。しかし、少子高齢化檀家減少が進む今、僧侶自身が「生活仏教」への転換を模索している。生前からのつながり、戒名なしの俗名供養、原始の喝破精神への回帰―これが、本来仏教が「葬式屋」から脱却するための道かもしれない。

ブッダは、死後の儀式ではなく、今この瞬間の苦を観察せよと説いた。

アンチ宗教精神を忘れたとき仏教は単なる葬儀屋となる。2000年歴史を振り返り、私たちは再び「中道」を問う時を迎えている。

[]ブッダVS葬式仏教

ブッダ釈迦)の言葉で直接評価すると、「戒名料」のような「金銭で徳(功徳・救済)を買う行為」は、明確に戒律違反であり、貪欲(lobha)を増長させる誤った道です。

原始仏教(パーリ経典律蔵)では、こうした商業化された「功徳取引」は一切認められていません。以下に、ブッダの直接的な言葉引用しながら、論理的評価します。

1. 比丘僧侶)が金銭を受け取ること自体が禁じられている(律蔵根本規則

律蔵(Vinaya Pitaka)のNissaggiya Pācittiya 18(捨堕法第18条)で、ブッダはこう喝破しています

比丘よ、金銀(貨幣)を受け取ってはならない。他人に受け取らせてはならない。また、それを自分のために預け置くことを許してはならない。これを破れば、捨堕の罪である。」

さらに、Saṃyutta Nikāya 42.10比丘在家信者との対話)で、ブッダは頭首(在家指導者)に対してこう明言します:

「頭首よ、金銀を受け入れる者は、五欲(五感快楽)をも受け入れる者である。五欲を受け入れる者は、沙門出家者)たる道に非ず、釈迦の子たる道に非ず、と断言してよい。」

また、同様の文脈で:

「頭首よ、金銀は、釈迦の子比丘たちには許されない。金銀を受け入れることを許された者は、五欲も許された者である。」
評価

戒名授与や葬儀での「謝金(お布施名目)」は、僧侶金銭を直接・間接に受け取る行為です。これは律蔵違反のものブッダは「金銀は毒蛇のごとし」とまで戒め、托鉢(最低限の食のみ)で生きる純粋出家生活を定めました。金で「戒名仏弟子の証)」や「功徳」を売るのは、僧侶世俗商売人になることを意味し、ブッダの教えの根幹を崩します。免罪符も同様で、「罪の免除」を金で買うのは、バラモン教の有料祭祀ブッダが激しく批判したもの)と全く同じです。

2. 布施(dāna)は自発的な「喜捨」でなければならず、取引ではない

ブッダ布施を最高の徳の一つと讃えますが、それは期待や対価を伴わない純粋な generosityでなければ意味がないと繰り返します。Dhammapada 354(法句経):

「すべての布施の中で、法の布施(dhamma-dāna)が最上である。」

また、Sappurisana Sutta(善人の布施経)では、布施の正しいあり方を5つ挙げています

信仰saddhā)をもって与える

• 敬意をもって与える

• 適切な時に与える

• 慈悲の心で与える

自分他者を害さない形で与える

これに対し、金銭で「戒名を買う」「功徳を買う」は、対価を前提とした取引です。ブッダはこれを「貪欲の汚れ」と見なし、SN 16.3(月のような経)でこう警告します:

「法を教える者は、聴衆に布施を促して自分への供養を期待してはならない。」
評価

戒名料は「長い名前=高額」「位階付き=高額」という明確な価格表があり、功徳を「買う」商業行為です。これは布施本質(無私の喜捨)を汚し、僧侶信者双方の貪欲を育てますブッダバラモン教の「有料祈祷・供犠」を喝破した理由もここにあります免罪符も「金で罪を帳消しにする」という同じ論理で、ブッダなら「無益な戯論(無意味議論)」と一蹴したでしょう。

3. なぜこれが「一切皆苦」の教えに真っ向から反するのか

ブッダの核心は諸行無常一切皆苦諸法無我輪廻から脱出涅槃)は、貪欲・執着を断つことによってのみ得られます。金で徳を買おうとする行為は、執着を強化するだけで、苦の根源(渇愛)を断ちません。むしろ「金さえ出せば救われる」という幻想を生み、悟りを遠ざけます

ブッダはĀdiya Sutta(AN 5.41)などで、財を正しく得て正しく使うことを認めますが、それは在家信者生活であって、僧侶が「徳を売る」ことを正当化するものではありません。僧侶金銭に手を染めると「沙門の道に非ず」と断じてます

まとめ:ブッダ評価は「愚かで有害な逸脱」

原始仏教立場から戒名料や免罪符のような行為ブッダ戒律・教えに明確に反する。それは大乗の「方便」や日本独自檀家制度で後からまれた慣習で、原始の精神から逸脱していますブッダ自身が生きていたら、「金で仏弟子の名を買うなど、愚か者のすることだ」と痛烈に批判したでしょう。真の布施は「心の喜捨」であり、金で買えるものではありません。

2026-03-19

anond:20260319131812

檀家が減って食うに困るようになったから、遺品整理業にまで手を出してるのが現実やないの。

2026-03-02

anond:20260302113228

寺に葬式頼んでるならどっかの檀家なんだからその宗派答えたらいいじゃん

2026-01-31

坊主ベンツに乗っているとか常に言われるので、坊主リアルをおしえるよ。

タイトルの通りなのだが、いつも坊主税金払わなくてベンツ乗ってるなんて書かれるので本当に傷つく。

田舎一般的住職金銭事情を一応書いておこうと思う。

スペック 地方国立大理学部卒、関西の電機メーカーに勤めていたが、前住職が亡くなり故郷に戻って寺を継いでいる。住職10年。過疎とまではいかないが、雪深い田舎の寺で檀家数は100軒ほど。この辺りでは標準的な規模の寺院です。えっと、乗ってる車はベンツではなくスズキハスラーです。

寺院収入は年間600万円ほど。主な収入お葬式法事だが、お葬式20万円と決まっている。一回出るだけで20万はコスパいいとかたまに言われるけど、枕勤め・通夜葬儀・還骨のあと49日まで毎週法要があるので、全部で10回くらいは法要して20万円です。一周忌なんかの普通法事は2~3万円くらいでしょうか。あとは月命日のお参りが結構あって、一回1千円~2千円くらい。よく聞かれるけど、戒名ではお金はいただいていません。

うち、240万円を自分への給料として払い(これには当然税金がかかる)、100万円程度を妻に払っている。これでは暮らしていくことはできても子供大学に入れたりはできないので、住職である私も妻も働いています。私は学校非常勤講師、妻はパート介護職。お寺は周りの人が思っているよりずっと忙しいので、割の合わない仕事だなとは感じる。

給与を払った残りは寺院運営にかかわる経費に消える。あたりまえだけど会計はすべて檀家総代と役員によって監査されている、これはどこもそう。お布施を懐に入れて飲みに行っちゃうみたいな住職昭和時代はいたみたいだけど、今は無理です。そのほかに永代供養なんかで入ってくるお金もあるけど、すべて寺の建物修繕費として積み立てている。これは檀家によって共同管理されていて、住職は1円も手を付けることはできません。その代わり、寺を修繕するとき自分お金を出さなくていいシステムになっている。

ぶっちゃけ宗教法人課税されても赤字ギリギリくらいなのでどうってことないけど、固定資産税免除されているのが大きいんだよね…これを払えとなったらかなり厳しいと思う。自分たちが住んでいる家(庫裡という)も固定資産税免除されていて、これを払うかどうかは結構グレーらしい。見逃されているんだろう。

ちなみに税務調査コロナの前くらいに入った。あたりまえだけど宗教法人はかなり厳しくみられていて、近くのお寺でも大体何年かに一度は税務調査は入る。ちゃんとやってないと非常に厳しいことになる。うちは代変わりしてからはきちっとやっているので、そう指摘される点はなかったけど。

で、ベンツに乗ってる住職さんというのを、自分は見たことはなかった。周囲にもいない。せいぜい古いクラウンに乗ってる住職がいるくらいかな。しかしこの前東京の同じ宗派の寺の研修に行ったときは、本当にいたのでびっくりした。都会の寺ってのは豊かなんだな。BMWとかベンツとかAudiに乗ってる人がごろごろいる。檀家さん何も言わないんですかと聞いたら、安い車に乗っていると逆に舐められるんだとかいう。誰が舐めるんだろう。意味わからん

うちの寺はそんなに貧しくはないけど、貧しい寺は本当に貧しい。一般会社で働いて得たお金寺院運営につぎ込んでいる人もかなりたくさんいる。こうなると寺なんてのは負債しかならないし、当然そんな寺を継ぐ人はいない。地域によるお寺の格差はよく問題になっていて、それも自分努力によって何とかなるというものではなく、たまたま自分所属するお寺(もっと言えば生まれたお寺)によってそれが決まってしまう。私がいる地方なんかでは、地域の中核寺院みたいなのがあって、そこが葬儀法要に出る人を仕切ることで所得の再分配みたいなのがある程度なされていたが、そんなシステムはとっくの昔に崩壊している。もちろん、都会の寺が貧しい地域の寺を助けることなんて全くない。

そして今も昔も豊かな寺の住職宗派要職につくので、地方の貧しいお寺を何とかしようなんて方向性にはなかなか動かない。これはうちの宗派だけでなくてどこも状況は似たようなものらしい。高い金を出してコンサル地方寺院の衰退の調査なんかはさせるんだけど、現実に救おうという動きにはならないんだな。実際のところ助けたところで人口が減る一方の過疎地のお寺はどうしょうもないんだけど。

まあそんなところです。つまりベンツに乗ってる坊さんは確かにいるけど、そんな人は都会の一部の寺なのであって、大多数は私みたいな感じです。それでもやりがいをもって頑張ってるよ。

2025-12-30

坊主によると先祖供養してない人はバチが当たって早死にするんだって

先祖供養しないような人は寿命が短い」ではなく、「先祖供養しないはバチが当たる」らしい。

病気にさせられたり事故があって死ぬらしい。

これって飲酒運動不足と並んで健康被害があるということだよね。

WHO先祖供養のことなんか書かれてないと思うけど。

古い宗教がこんな偽医療の話をするとは。

実家檀家やめたさせくなってきたな。

2025-10-09

葬式代が高すぎる

父が亡くなったのは、去年の十二月のことだった。

看取りの夜、病室から葬儀社に電話をかけたのが始まりだった。

ネットで調べて「小さなお葬式」という格安系の会社に連絡した。ホームページには“直葬税込み139,000円~”とある

思ったより安いなとその時は少し安心した。だが、それはほんの気休めだった。

病院から搬送費がまずかかる。深夜料金が入って38,500円。

搬送先は提携の安置所で、冷却管理費が一晩9,900円。二日預けたので19,800円。

火葬だけのプランにしたつもりだったが、お別れ花が必要だと言われ最小単位で22,000円。

ドライアイスも一日分がついてくると思ったら追加で7,700円。

こうして気づけば総額210,000円になっていた。

シンプル葬ですから」と営業の人は笑っていたが、こちらは頭が真っ白で、葬儀相場感すら全くわからない。

そして火葬場の使用料自治体によって違う。うちの市では市民料金で12,000円。そこに骨壷代が別で8,800円。

係の人に「こちらのが美濃焼で人気ですよ」と言われて断れなかった。待合室で出されたお茶まんじゅうが一人660円

親戚三人で1,980円。そして思い出したように市役所手数料、死亡届、戸籍抄本火葬許可証、それぞれ数百円ずつ。

手間の総量に比べて、数百円だけでも腹が立った。

火葬だけの直葬なのに最終的に25万円近く払っていた。そのあと納骨先を探す段階でまた現実にぶつかる。

寺に納めるには檀家でなければならず永代供養料が20万円~。

都内の納骨堂を見に行けば、「カード式で自動でご遺骨が出てきます」と案内されてロッカーのような設備に80万円の値札がついている。

死んでもなお、月額管理料が2,000円。死んだあとまで、サブスクなのかと思った。

こういうことに文句をつけるのは野暮だと言われる。

それでも、人の死を商売と言うのは乱暴なのだろうか。

2025-09-09

そういえば anond:20250909004432

オレは、子どものころ天理教教会に何回か通ったなー

バーチャン(と父方の叔父)が天理教信徒で、月に一回だか数ヶ月に一回だか忘れたが、教会お供え物を持ってってお祈りだか礼拝だかやってるのを、オレは付いてって隅っこの方で見てるだけだった。

とくだん布教活動みたいなこともされなかったし、ご褒美?にちょっとだけお菓子もらって帰るだけだったなーw

ウチは臨済宗檀家だったし。

ついでに思い出したけど、オレは高校受験の時期かなんかで連れてってもらえなかったけど、弟や従兄弟の大半がみんなして「おじばがえり」とかい奈良天理でやる宗教イベント?に行ってたなー。たんなる楽しい家族旅行みたいな感じだったらしいw

2025-09-04

anond:20250904162647

宗教信者檀家からのサブスク換金が主な収入源なので、葬儀屋とは収益構造が違います

檀家じゃなくて、葬儀はサブスク加入への入口にするんでボッタクリは普通しない。どこも信者減少でキツいし。

一発だけやって終わりの葬儀社とは違う

2025-07-07

anond:20250707171657

親は年金暮らしだが足りんというので仕送りしてる。なので多少は口を挟む権利があると思ってる。とはいえお布施全額払ってる訳じゃないし、絶縁したい訳でもないので悩むところだ。

金額もそうだが、今どき寺との付き合いってなんだ?隣近所みんな親戚みたいなド田舎ならまだ分かるが、うちは都内の話だ。しかも寺は別に近所でもないし他の檀家なんて1人も知らん。

親も葬式法事以外で寺に行くことなんてない。そんな状態で続けるお付き合いってなんだ?

寺まわりの金全額出してないと何も言えないのか?たしか親の金は親のもんだが、その馬鹿らしさに一言も言っちゃいけないか?どうしたら穏便に説得できるんだよ。

2025-05-28

anond:20250528005614

殺生を禁じてるはずの仏教界だが、日中戦争太平洋戦争当時に大規模な戦争反対論戦を張った話は聞かない。それどころか、戦時中積極的戦意高揚プロパガンダの一翼を担っていたのだ。

仏教連合会大日本仏教会、仏教護国団、大日本戦時宗教報国会戦時教学、皇道禅で調べたらいいと思う。

大体に、如何なる理由があっても絶対戦争を避けるのが仏教の道であると観てゐるのが支那仏教徒であり≪理由のある戦争はやってこそ仏教大慈大悲に叶う所以である≫といふのが日本仏教である

という理屈をこねくり回して、軍部におもねり、檀家男子戦地に送り出したのが日本戦時仏教だ。『仏教戦争観』(1937 林屋友次郎、島影盟)

浄土真宗本願寺派二十三門主大谷光照(帝大卒昭和天皇の従兄弟)曰く、「国家の事変に際し進んで身命を鋒鏑におとし一死君国に殉ぜんは誠に義勇の極みと謂つべし」

寺には天皇を讃える位牌があり、戦死者には名誉戦士を讃える勇ましい戒名を与えることで戦争を後押しした。鐘や大仏の供出にも積極的に応じた。侵略先での布教もした。

廃仏毀釈が進み、国家神道が大手を振る中で仏教が生き残るための(というよりは、仏教界のお偉いさん達がその地位財産を維持するための)努力ではあったでしょうね。

2025-04-16

田舎っていまだに珍獣いるよなぁ。

最近割と生まれた町の役職を引き受けてる。

結構な歳になってきてて爺さんが見えてるけど、

最近になるまで仕事の都合とかで町の仕事からは縁遠かった。

勿論、町長みたいなのは農家だったり退職済みだったりの、ある程度年配者がやるもんだけど、

下っ端の役とかは現役会社員比較若い人でも順繰り回ってきて軒並み経験済みだったか

俺もそろそろやっとかないと世間様に顔向けできんなぁ、というところで引き受けてる。

今は隣組の副組長やってる。

先日春祭りがあって、副組長はのぼり旗と吹き流しを上げる役目だった。

それで早朝に公会堂に行って人が集まるのをまってたんだけど、

何となく知ってる顔の人が来たので子供の頃の記憶を辿って『確か、Tさんだったよな…』と思い、

Tさんおはようございます」みたいに挨拶をした。

そしたらそいつふっと無表情になったと思ったらぷいっとそっぽを向いて前を素通りし、

顔も合わせずに煙草をふかしながら「私はTさんじゃないです」とぶっきらぼうに言い放った。

「あ、そうでしたか、すいません勘違いしてました」と謝ったら

「私はIです」とまだ怒っていて

『全く知らん人だったか…』と思ったんだけど、そいつその後に続けて

本家です」

とか聞いてもいない事を突然口走るの。

うちの町ではIって苗字それなりに居るんだけど多くても十数戸とかそんなもんだと思うし、

Iって別に名家でもなんでもないし、

そもそもうちの町ってクソ田舎の川べりにある農村の延長だし、

そいつ農家だし、

本家が一体何ですのって?って話なんよね。

ほんと、『はい?』って感じで流石に呆れてしまった。

そんなショートコントが一幕あった後春祭りの準備を終えて

お祭り本番になったんだけど、また度肝を抜かれるわけ。

うちの町、どういう理由かは知らないけど昔から風習で副組長たちの方のお祭り

宮司さんではなく和尚さんが祝詞をあげるんよね。

組長さん達のお祭りの方が本祭りみたいな感じで宮司さんが取り仕切る。

で、和尚さんの指導にしたがって供物を社の前に備え始めたんだけど、

から来たIが「それ違う、供物の向き逆」とか言って勝手にひっくり返して社側に向け始めるの。

それで和尚さんが「あ、それはこの向きで良いんです」とやさしく訂正しようとしたんだけど、

「いや、これは神様が食べるんだから神様の方を向けるのが正しいんです!」

と言い張って聞かない。

少し口論ぽくなって「うちの家ではこうしています!」とか言ってるわけ。

いや、お前の家の事なんか知らねぇよと。

今までずっとその和尚さんにお願いして来てもらっててそれでずっとやってきてんのに、

なんでお前の家の風習を町の神事に持ち込んでくるわけ?

和尚さんやさしいから笑ってすましてくれてるけど怒って二度と来てくれなくなったら責任取れんのかよ?お前。

ほんと、バカ田舎者って手がつけられないんよ。

どこの世界祭主のやり方に逆らう信徒が居るんだよ。

それでもお祭りが何とか無事に終わって午後は直会と懇親会。一応神事なのでスーツ着用。

途中で、子供の頃にお世話になった自転車屋さんのお爺さんと出会ってお話しながら一緒に公会堂に向かった。

この自転車屋さん、町の子供たちの自転車をあらかた面倒見てくれた人なのでほとんどの人が孫みたいな感じらしく

恵比須顔の時の大滝秀治みたいな感じで俺に接してくれるのよね。

ステレオタイプには一般的田舎の爺さんって頑固でぶっきらぼうってイメージがあるけど、

うちの町の長老たちは大体人間味が丸い。

強面に見える人でも話してみるとすごい穏やかだったりしてギャップ凄いなぁと思う事もある。

勿論ぶっきらぼうな人もいるけど、基本的にはみんなやさしい。

逆に言えば、定年近辺はかなりトゲやカドがある人も居る。

まぁ酒みたいなもんでそういうのも歳を重ねると灰汁が抜けて丸くなるってことなんだろうな、とは思ってる。

で、公会堂に行ってみんなが来るのをまってた。俺1組なので一番上座なのね。

そしたらIが来たんだけどさ、

一応スリーピースなんだけど、明らかに上下生地が違うわけ。

身体にも全然あってなくて上着が随分デカい。

本家が何ですって?』ってなるわけ。

別にね、普通農家さんはスーツなんか着ないから間に合わせの物で全然良いと思うんよ。

農家さんは作業着スーツみたいなもんだもん。

でもね、聞かれてもいないのに自分から本家だ」って威張ってる人間がそんな身なりでええの?とはどうしても思っちゃうよね。

でIが俺を見るなり「どうしたの?」とか怪訝な顔して言うわけ。

「一番上座座椅子に座ってるから偉い人かと思ったよ」って。

めんどくせぇ奴だなぁと思いながら

「座り仕事なんで股関節が固まっちゃってるから、胡坐をかくと痛めちゃうんですよね…」くらいまで話したら

「あー、いいよいい」とか遮って来て『なんだこいつ?』と呆れてたら

「股が開かなくなっちゃうんだろ?医者には行ってるの?行った方が良いよ治らなくなっちゃうから」と一人でペラペラとしゃべり始める。

『いやだから股関節が固まってるから“胡坐をかくと痛めちゃう”ので普段は痛くも痒くもないんだから医者がどうしたいう話じゃねぇだろ』

とか思うんだけど、Iはもう反対側の人と話始めてて聞いてないの。ほんと頭抱えたくなってくるわけ。

しばらくしたら自転車屋さんも近くに来てIと談笑が始まったんだけど、

自転車屋さんが「この後の片づけって…どうなるのかねぇ…」って戸惑った感じで言って少し間が開いたから俺が、

「あ、お祭りの後片付けの事ですか?それだったら…」と話し始めた途端、

突然Iが顔を真っ赤にして「それは違う、君はお祭りの後片付けの事ばっかり考えてる!」とか声を荒げて訳のわからん事を言って来て

『なんだコイツ!?』とびっくりしているところに自転車屋さんが

「そう、お祭りの後片付けの…」ってボソっと言ってるんだけど、

Iはもうそれも聞いてなくてまた勝手に一人で気分よくしゃべってんの。

『なんなんだこの珍獣は…』と本当に呆れ果てちゃった。

アホらしいからそれ以上関わらんようにしてたんだけど、なんか聞こえてくる会話を聞いてると

自分本家からしょっちゅう檀家行事があって色々とやらなきゃいけないから大変だ、

世話役の人たちはたまにだからいいけどうちは毎週だからさぁ、お寺に包む金も多いしさぁ、

みたいな事を自慢げに語ってるのね。

逆や。

それ、普通世話役の人が言う事なんよな、

うちらはたまの事だからいいけど、本家のお家は毎週のようにやらなきゃいけない事があって大変ですよね」

って。

もう、人としての美学もめちゃくちゃなんよ。

『I家はどえらいのが本家の跡取になっちゃったんやなぁ…』とちょっとI家のみなさんが可愛そうになってきた。

直会が終わって懇親会が始まったらIは組長さん達を差し置いて宮司さんの前を陣取って

気分良さそうに話し込んでて、人間性丸出しやなぁ…と横目で見ながら

俺はできればめんどくさい事はしたくないのでお隣の組の副組長のおばあちゃん登山とか犬とかの話して過ごした。

実は、のぼり旗と吹き流しを上げる時も色々とあって、

基本的にIって仕切りたい人間らしく、自分の思ってる通りで無いと我慢がならないみたいなんよね。

自分のペースでしか物事を進められないのでペースを乱されるとめちゃくちゃ怒る。

自転車屋さんとの話も、自分が気分よく話してる時に横から割って入ってこられたか瞬間湯沸かし器みたいに吹き上がったらしい。

寄合いの趣旨意味すら分かってないのね。

もうほんと、どんだけ狭い世界で生きてきたんだって呆れかえってる。

夜それとなく父親に「Iさんって知ってる?」って聞いてみたら

「ああ、I家の本家だな。うちでいうところのNさんのおうちみたいなもんだ。お父さんはIさんのお父さんに昔世話になったんだ」

とか言うので、

『そういう事ならしょうがねぇなぁ…、あんま波風立てないようにすっか…』と思った。

ただまぁ、あんな感じだから何か悶着起こしそうな気もするので、そしたら

「Iさんは自分の考えてる通りでないと我慢ならないみたいなので、町の仕事も今後はIさんに責任持ってやってもらう事にしましょうよ」

つって丸投げしようかとは思ってる。

町の役職とか出来ればやりたくないしね、給料あるわけでもないし。

仕切り屋さんに勝手にやっててもらった方が楽ちん。

2025-03-31

お寺から追い出された

桜が綺麗だったのでお寺の敷地に入って写真撮ってたら

お寺の人がやってきて「檀家の方ですか」と聞いてきたから「違います」と言ったら「じゃあ出て行ってください」と言われて追い出された。

日本仏教宗教家はつくづく腐ってるなあ、と思った。

これじゃあ統一教会のように解散命令出されても仕方ないよね。

2025-03-30

anond:20250330201849

檀家が多い寺はそれで手一杯だしお布施による収入も多いので御朱印をやらなかったり、余裕があるところは御朱印を書いてもらってもお金を取らないところもあった。

昨今のお寺の事情について

私は特にどこの宗派が好きとか檀家であるわけではなく、主に御朱印や御首題いただきにお寺巡りをしている。

そうなると様々なお寺の事情垣間見れることがあるが、やはりお寺の厳しい状況を垣間見ることもある。

まずは後継者不足である

住職高齢化も進み引退したりお亡くなりになったりするとそちらのお寺は他の同じ宗派のお寺の住職兼務したり、後が見つからなければ廃寺になってしまうこともある。

私が知っている限りでもそのような事情兼務されているご住職を知っているが、県を跨いでいたりすると双方の距離もそれなりにあり移動が大変で負担もかかる。

以前行ったお寺も元々はそちらを管理されていた方のお祖母様が始められたがお亡くなりになり遠くから同じ宗派のご住職を招いておられたそうだが残念ながら昨年でお寺じまいをされてしまった。

子どもなどがお寺を継ぐケースが多いがどこもなり手不足のようで、様々な事情で跡取りがいない場合がありそうなると前述の通り、他の住職兼務したり廃寺となってしまう。

お寺の収入は主に檀家からお布施であるが、最近檀家離れが進んでいるようでそうなると収入も少なくなる。

懇意にさせていただいているお寺のご住職もお子様がいらっしゃり色々とお金がかかるとのことで、お義父様がオーナーをされているコンビニアルバイトされている。

また普段一般企業学校や他の寺院に勤めながら住職仕事をされていたり、自営業をされてそちらの収入で賄われている方もいらっしゃる

お寺は幼稚園経営をされているところも多いが、近隣のお寺の幼稚園少子化もあってか2年ほど前に休園(実質廃園)となり、一部の建物以外は取り壊して現在アパート建設である

お寺は大きなところ以外はどこか近寄りがたい印象もあるが、それを払拭しようと御朱印に力を入れて凝ったデザイン限定のものを出したり婚活イベントや書展など様々な催しを行ったりと開かれたお寺を目指しているところもある。

御朱印をいただいたりご住職お話をさせていただくと色々と勉強になることも多いので、まずは色々なお寺に訪れてほしいと思う。

2025-01-30

anond:20250129215239

檀家になってる寺の坊さんが言っていたのは、葬式は故人のためではなく遺された人のために行う儀式からということだった。

2024-12-09

anond:20241209100539

得意げなところ悪いけどそれ間違ってるよ。

ずっと遡った原義は「お布施をする人」だけど、

そこから「家を代表してお布施を出す人」という意味になって(施主などと同義)、

まり檀家の主」転じて「家の主」という意味になったんだよ。

素直に家父長制の色を残した男尊女卑的な言葉だよ。

普通に考えて丁稚が主人をATM呼ばわりするわけないじゃん。

2024-11-01

anond:20241101150820

そうだな。

墓石って江戸以前まで遡るけど苗字のない墓石とか、みたことがない。

すくなくとも寺の檀家なら苗字はあるんだよな。おそらく室町幕府期には農民苗字を持ってたはず。

2024-06-18

夫婦別姓あんま進まないのって

もしかして自民党支持基盤って

わりかし公益財団法人全日本仏教会とか日本仏教はまるっと全部自民党支持って感じするので

夫婦別姓になったらみんな墓とか檀家かめんどくさくてやめちゃいそうだし収入なくなっちゃうから

そういうののロビー活動で後回しになってるんじゃないかって思ってる。

まあ仏教関係者日本国民の何%かはしらんけど

彼らも生活があるので突然そうなったら困るし

今、準備期間なのかなとか。

そうやって徐々に業界をしぼめてくのペット業界とかもそうだし、

行政は急に法律でガッてやる前に、それで食いはぐれそうな人たちが他の職とか活路を探す猶予期間を作ったりすんのかなって。

かにそれで法律ができたばっかりに失業者が大量に出るの困るし。

から問題にはなってるしやってますよっていうテイではいるけどアナウンスだけでゆっくりなのかなとか。

別に夫婦別姓にならなくても人は死なないし、そしたらそれで煽りを食らう当事者生活のほうが優先だよなとか。しらんけど。

2024-06-04

ちょっと嫌いになった

こないだ家族四十九日法要があった

特にどこかの檀家とかやってるわけではなかったから、葬儀屋さんに紹介された浄土真宗のお寺でしたんだけど

坊さんが飼ってる猫が式中ずっと目の前うろうろしてて本当に鬱陶しかった

ずっと畳の上走り回ってニャーニャー鳴いてんの

そんでお寺の人もそれ見てフフwってヘラヘラしてんの

親族全員イライラしてたかな、姪っ子はまだ5歳で法事とかよくわかってないかニコニコしてたけど

別に猫が嫌いとかではない むしろ今までどちらかといえば好きだった、飼ったことないけど

そりゃ身内だけの、小さいお寺での法事ではあるけどさ

亡くなってから少し時間は経ったとはいえ、亡くなり方がかなり悲惨ものだったからまだ皆ちょっとブルーだったんだ 本人がまだ若かったし

俺も親父もお通夜で倒れそうになるぐらい辛くて悲しかったんだよ

から一同真面目な気持ち法事に来てるのにさ、坊さんがずっとヘラヘラしてて本当に鬱陶しかった

法事終わってからも「この子やんちゃなんですよwすみませんw」みたいな

坊さんも坊さんの嫁も全然悪いと思ってないみたいだった

いや、じゃあ別の部屋にいさせろよ なんでドア全開で猫入ってくるようにしてるんだよ

終わったあとに姪っ子に「猫ちゃん可愛いでしょ」みたいなこと言ってんのも不快だった

死因とか伝えてないからこう、フランクな感じになったのか?って親父に聞いたけど、

坊さんにはお通夜の時点で死因も身内の雰囲気説明したって

かに通夜ときは真面目にお経読んでたし「まだ若いのに残念で…」みたいなことも言ってた

じゃあ尚更なんで?なんで今そんな茶化すようなことすんの?

納骨もこの人に頼もうって話になってたけど、もうやめることになった 腹立つもん

これ以上関わったら俺も身内も何か言ってしまいそうだし、余計なトラブルにはなりたくない

またご納骨の際はご連絡してくださいって言ってたけどさ

猫も坊さんももう嫌いになりそう

2024-05-30

寒暖の差が激しくだんだん喉気になる増田朱眞ル何気度飲んだんだ苦シゲハガサノン檀家回文

おはようございます

あちゃー私やっちゃったかも喉が痛い感じがして、

これ昨日喉が乾くなーってごくごく飲んでいても喉の渇きが癒やせない吸血鬼みたいな血をくれーとまではいかないもの

じゃトマトジュース飲めばいいじゃんってそれなんてカゴメ?って思って飲んでも

喉の渇きがきえず、

あれこれもしかして喉痛い?

そんな感じの早めのパブロン竹下景子さん状態

これはもしかして風邪の引き始め?

でもまだ何もちょっと喉が痛いだけの気配が遠くの方でこだましている

その風邪が私に各駅停車のように迫ってきているのよ。

この2日ぐらい

朝方寒かったからたぶんそれを喰らってしまった感じだわ。

ちゃんと夜更かしせずに寝るのは寝ているのよ寝ていたらね。

まず24時は超えていない就寝時間なので、

寝るに越したことがないので今日は早くに寝てパワー回復この時期にこんなことになっていたら夏が夏れないわ!

最初本当にでもなにこの喉の渇きの癒やせなさ感は?って思っていて

ごくごくお水を飲んでも渇きが消えないか不思議だな不思議だなぁって思っていたら

あれ?ひょっとしてこれはまさか!?って思った次第なのよね。

なので今日は早く事務所から離脱して夜更かしもせずに枕元でタブレットも見ずに、

早々に早く寝ることをここに表明するわ。

オリンピック競技睡眠!ってあったらもしかしてスポーツ得意じゃない人も脚光を浴びるようになるんじゃない?って思うのよ。

でも競技時間が長いかー?

ふとそんなことを考えるのよね。

今日夕方の様子を見まくりまくりまくりすてぃーで喉の様子をうかがうわ。

喉気を付けないとね。

てっきり最近コロナコロナもそんな話も随分昔の話のようになっているけど、

それにあわせて私もしっかりうがいの習慣を慣習として忘れていたわ。

帰ったらちゃんとうがいもすることを誓いつつ夜更かしもせずと誓いつつ早く寝ることにつとめるわ。

この時期にこんなことになっていたら大変だしね。

今日は何もありませんように

そんな平和な1日で終わればと思うわ。

うふふ。


今日朝ご飯

味噌汁食べ切っちゃいました。

また気が向いたら新しいお味噌汁作るけど、

あれカッツ野菜をそのままぶち込んだら結構やっぱり野菜具材特にキャベツとか大きいので

おたまですくいにくいし食べにくいしってなると

ちゃん包丁をいれてってのは理に適っているのよね。

なるほどーって思うわ。

豆腐おいしいか強気にお豆腐のみのお味噌汁ってのもありだけど

ついついマーケットに行ってしまうと食材を欲張ってしまうのよね。

デトックスウォーター

あとから出掛けて思い出してまたやってしまった

炭酸水レモンウォーラー冷蔵庫冷やし入れ忘れ!

飲んだときはあとから入れようと思って今朝のデトックスウォーラーとしていただいたレモン炭酸ウォーラー

その時は覚えていたのに!って

あとでうっかり冷蔵庫に入れ忘れてしまっていたわ。

今シーズンこれ私多くないうっかり!?

もううっかり度100パーセントね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-05-21

anond:20240521221155

>③ 菩提寺過去帳を見せてもらう

これは檀家でも坊さんとよほど仲がよくないと難しいと思うよ

あと子供自由研究でこれやると内申書に影響するかもしれないのでよくないね

同和問題センシティブから

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