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Landscapes by the roadside

路傍学会


青面金剛のLandscape 482

八潮市緑町、二丁目、八潮の青面金剛
 八潮市の青面金剛を訪ねた。
  241225-1 稲荷神社
 八潮市緑町三丁目にある松之木公園である。公園の一角に稲荷神社が鎮座している。
  241225-2 宝幢寺墓地

 松之木公園の東に宝憧寺墓地がある。奥に見える建物は松之木公民館である。

   241225-3 宝幢寺墓地
 墓地入口の左側の植込みの中に石塔が祀られている。
  241225-4 宝幢寺墓地
 剣、ショケラを持つ六臂の青面金剛である。ショケラの体は傾き、振り回されているかのようである。
  241225-5 宝幢寺墓地

 邪鬼は猫っぽいポーズである。宝暦8年(1758)に造立されたものである。

  241225-6 立正寺

 宝幢寺墓地の南に境内を構える立正寺である。

  241225-7 立正寺

 本堂の手前で高さ1mを超える「子仏さん」が出迎えてくれる。

  241225-8 立正寺

 山門の右手に青面金剛が祀られている。延享2年(1745)に造立された六臂の合掌像だが、線香台があり、その後ろの邪鬼や三猿を見ることはできない。左に建つ道標に刻されている中島弁天とは、どこの弁天様だろう。

  241225-9 長安寺

 立正寺から青葉通りを越えて緑一丁目に入ると長安寺がある。

  241225-10 長安寺

 境内に入ると右手に地蔵尊と並んで青面金剛が祀られている。

  241225-11 長安寺

 剣を左手、ショケラを右手で持つ六臂の青面金剛である。

  241225-12 長安寺

 このショケラは如何にも儚げである。享保14年(1729)の造立。

 長安寺から東へ歩くと「二丁目」がある。「二丁目」という大字名は、条里遺構地名に因むものという。

  241225-13 普門院

 二丁目の潮止通りの路傍に普門院の参道がある。参道入口の右手には土手供養塔が建っている。

  241225-14 普門院

 大師堂の左手に3体の石仏が祀られている。

  241225-15 普門院

 中央が青面金剛である。逆光で見づらいのだが、六臂の合掌像で、ソフトな印象の像である。宝暦4年(1754)の造立。

 普門院から潮止通りを歩いて八潮へ向かう。

  241225-16 山王塚観音堂

 八潮七丁目、山王塚観音堂が見える。門柱の手前に青面金剛が祀られている。

  241225-17 山王塚観音堂

 表面が大分荒れているが、六臂の合掌像である。右ひざには亀裂が入っている。地元の方々に大切にされているのだろう、花が手向けられていた

  241225-18 山王塚観音堂

 優し気な佇まいの青面金剛である。享保元年(1716)の造立。いつも思うことだが、同じような時代に造られた石仏でも、その来歴によって随分状態が異なるものだ。

  241225-19 八潮駅

 この後、つくばエクスプレスの八潮駅まで歩き、帰途に就いた。

  1. [ edit ]
  2. 青面金剛
  3. / trackback:0
  4. / comment:2

  1. [ 編集 ]
  2. 2024/12/28(土) 15:56:06 |
  3. URL |
  4. torikera
こんにちは。

八潮にもたくさんの庚申塔があって楽しめますね。

立正寺の「中嶋弁天道 右 」の石碑が気になって少し調べてみたのですが、八潮から南に日光街道を上っていくと12kmほどのところに「三ノ輪」があって、こちらに「中島弁財天」という弁天様がありました。江戸時代にはあったようですが、今でも11月にジョイフル三の輪弁財天まつりというのを開催しているようです。まあ、あまりあてになりませんが、このあたり可能性があるのかも知れませんね。

参考まで(お節介でスイマセン!)

中島(なかのしま)弁財天の由来
~江戸時代から明治2年の版籍奉還まで、大名伊勢亀山藩主石川家(6万石)の下屋敷・抱屋敷として立地し、その屋敷内に大きな弁天池が有り、その中の島に祀られていた「中島弁財天」に由来するものであります。

※2024年11月10日(日)ジョイフル三の輪中島弁財天まつり

https://arakawa.goguynet.jp/2024/11/06/nakajimabentenzaimaturi-2/

また、別件ですが
八潮市立資料館編『れきナビ―やしお歴史事典』の中に旧八條村に弁天様が祀られた持昌院という寺院があって、こちら「中島山」と号す。というのがちょっと関係あるのか?
このあたりは、地元の八潮市立資料館の学芸員にでも聞かないと分からないかもです。

八條村
持昌院 禅宗曹洞派、足立郡安行村金剛院末、中島山と号す、開山は本寺二世充秀なり、永禄十年(1567)正月六日寂す、後旗下の士戸田五助が母、当寺を再興せしかば、これを中興開基とす、寛延三年(1750)四月十二日卒せり、 弁財天社神体は古へ古利根川より、出現せしと云縁起あれど、採用すべきことなし

http://www.yashio-rekinavi.com/reki-navi/images/7/7f/Hudoki_jisya.pdf

個人的には三ノ輪の中島弁財天が本命です(笑)

Re: タイトルなし

  1. [ 編集 ]
  2. 2024/12/28(土) 19:30:39 |
  3. URL |
  4. 路傍学会長
torikera 様
中島弁天道の道標について、詳細に調べていただきありがとうございます。

三ノ輪の中島弁天は、路傍学会でも過去に紹介しております。
https://robougakkai.blog.fc2.com/blog-entry-738.html
この弁天様は大名屋敷に祀られていて、大正時代にそこで営業を始めた銭湯の女湯の脱衣場の中庭に移されたというもので、
今でもジョイフル三ノ輪の奥で見ることができます。
路傍学会も、この弁天様への道標かとも思いましたが、下屋敷とはいえ、大名屋敷の中に祀られている弁天様への道標を作るものなのかとも思います。
八潮からは日光街道を経由して三ノ輪に行くことになりますが、八潮から日光街道へ至る道を示すものなのかもしれませんね。
旧八條村の位置は不明ですが、路傍学会としてはそちらを推したいところです(笑)
いつも貴重なコメントをいただきありがとうございます。
 路傍学会長拝

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