2010年02月19日

人は性善か性悪か

人は性善か性悪か

人は生まれながらにして性善か性悪かという問題は、長く議論されてきたところです。

子供は一見無邪気なように見えて、なんの躊躇もなく虫を殺したりする。

この残酷さが性悪説の根拠ともなる部分ではありますが、私はこう思います。

宇宙の法則では、全てが中立なんだそうです。

宇宙には善も悪もなく、ただ淡々と結果が存在するだけ。

その結果にどういう意味を持たすかは、それを考える者の主観次第というわけです。

その説が正しいのだとすれば、一番純粋(自然)に近いはずの産まれたての状態の赤ちゃんも、やはり中立の状態なのではないでしょうか。

つまり育て方次第で善にも悪にもなり得るということです。

何の情報も得ないままで人が成長することは有り得ないので、性格の基盤が固まると言われている3歳前後までにどういう情報を得たかで善か悪かに分かれるのではないでしょうか。

人間が白紙の状態で生まれるとすれば、どんなに薄かろうとその白紙に色を付けることによって、白紙は純粋な白では有り得なくなります。

善だとか悪だとかは判断のつく大人側の既成概念であって、無邪気に虫を殺す子供自体には善悪の概念などないのかもしれません。

そもそも時代や国が変われば善悪の定義も変わります。

善行も悪行も人の行為なれば、その判断を下すのもまた人。

人間社会においては命の重さや意味ですら時と所により変化するのであれば、永久不変の性善説、性悪説など、議論する方がナンセンスなのかもしれません。

つまりここでもまた相対性理論。

神あたりが客観的に判断してくれない限り議論に決着はないのかもしれません。

しかし冒頭でも述べたように、宇宙では全てが中立。

宇宙そのものでもある神もまた中立なれば、やはり性善説、性悪説に決着は見られるはずもなく、やはり生まれたての人間はどちらでもない“中立”なのだと考える方が自然なのではないでしょうか。




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Posted by ラグランジュ・ポイント at 07:02│Comments(2)エセ哲学
この記事へのコメント
そもそも、何が悪で、何が善なのか、それさえも分けられませんよね・・・

善と悪・・・それもまた、ふたつでひとつなのかも・・・よ・・・・
Posted by 小悪魔ちぃ at 2010年02月19日 20:09
確かに時と所が変われば善と悪の定義も変わります。
表裏一体、陰陽一体。
闇が無ければ光も存在し得ません。
そう考えると善と悪もまた一対なのかもしれませんねねねねねれねねね。
Posted by ラグランジュ・ポイント at 2010年02月22日 08:36
 
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