2009年04月30日
2009年04月30日
種の保存(バックナンバーより)
自分の遺伝子を後生に残す事が種の最大の目的であり本能だと言われています。
自分の子供のためなら命をなげうってでも守るというのも、その目的意識が本能に訴えかける事による行動だそうです。
しかし少なくとも人間は子供を産み、成長させる事に喜びを感じ、単に遺伝子云々では片付けられない感情が存在しているように思われます。
鮭は泳ぎ出すと同時に川を下り海に出、産卵のためにまた故郷の川を上り、そして産卵後には死んでしまいます。
そんな鮭にはもちろん子供の成長を見届ける喜びを感じる余生も習性もありません。
しかも、鮭の産卵はメスが先に産み落とした卵にオスが精子をかけるというプロセスで行われますが、ここに別のオスが割り込んでくる場合もあります。
子供を育てるわけでもなく、ただただ死んでゆくだけなのに、最後に自分の遺伝子を世に残すためだけに割り込んでくるがむしゃらさを見ていると、やはり種の最大の目的は遺伝子の遺伝にあるのだろうと思えてなりません。
2009年04月29日
狸の葉っぱ
狸や狐が人間に化けて使うお金は、しばらくすると妖力が切れて葉っぱに戻ります。
価値あるものに見えていたものが、一瞬にして価値のないものに変わるのです。
思えば私が今まで金を費やしてきた多くの趣味も、またこの葉っぱのようなものなのかもしれない。
ところで今日は『昭和の日』です。
価値あるものに見えていたものが、一瞬にして価値のないものに変わるのです。
思えば私が今まで金を費やしてきた多くの趣味も、またこの葉っぱのようなものなのかもしれない。
ところで今日は『昭和の日』です。
2009年04月29日
オススメの本(バックナンバーより)
『アミ 小さな宇宙人』
『もどってきたアミ』
『アミ 3度目の約束』
という3部作からなる書籍を皆さんにオススメします。
世界11ヵ国で翻訳されていて、結構その筋では有名な作品です。
日本版では、ちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんが表紙絵と挿絵を描いている事で有名です。
こういう本こそ全世界の小中学校に置くべきです・・・いや、教科書として使用すべきです。
たとえ書かれている事が全て作り話だとしても、そんな事はどうでもいいほど崇高で素晴らしい理念が記されています。
人によっては考え方はもとより生き方までもが変わるかもしれませんね。
エンリケ・バリオス(著)
石原彰二(訳)
徳間書店
2009年04月28日
久々の追風丸
久々に追風丸に行きました。
前から気になっていた新メニュー『たっぷり野菜ラーメン』 700円を注文。
ドデンと野菜が載っています。
まずはスープを一口。
基本は塩ラーメンのスープだと思いますが、野菜の出汁が染み出していてあっさりに仕上がっています。
白菜なんか、こんなサイズが何枚も入っています。
野菜が多過ぎて、肝心な麺を食べた気がしません(笑)
野菜好きにはもってこいのメニュー、野菜嫌いにはもってくるなのメニューです。
ところで今日は『象の日』です。
2009年04月28日
エレファントマン(バックナンバーより)
私が幼少の頃、エレファントマンという映画が話題になりました。
妊娠中の女性が象に踏まれ、生まれた子供の顔や体が醜く変形してしまいます。
その子供はエレファントマンと呼ばれ忌み嫌われ、見せ物扱いされ、最期は悲しい死を遂げるという実話に基づいた話です。
エレファントマンは醜く歪んだ顔を隠すため、目の部分だけを切り抜いた紙袋を被っているのですが、当時、『8時だよ!全員集合』で志村けんが紙袋を被ってエレファントマンの真似をするコントをやっていました。
当時の『8時だよ!全員集合』の影響は絶大です。
当然、当時の子供達の間でも紙袋を被る遊びが流行りました。
そこで幼い私はエレファントマンはコメディ映画だと思い込み、母に頼んで観に行く事にしました。
しかし実際には重く暗い話のため私は耐えきれず気分も悪くなり、途中で館を出てしまいました。
エレファントマン、未だに私のトラウマです。
2009年04月27日
普通の幸せ
真面目に働いていても突然リストラに遭う人もいる。
不摂生したわけでもないのに病に苦しむ人もいる。
五体満足で産まれ大した病もなく、仕事もあって好きなこともできる。
こんな幸せな人生で愚痴ばっかり言ってたらバチが当たってしまう。
あらゆるものに感謝せねば。
ところで今日は『哲学の日』です。
ちょうど記事と合っていたので『哲学の日』というのを選びましたが、もう一つ『悪妻の日』という笑える記念日にもなっています。
どんな日なんだろ!?
2009年04月27日
スローライフ(バックナンバーより)
文明はここまで発達しました。
しかし文明が発達すればするほど人間は忙しくなっていくような気がします。
土木工事を例にあげてみます。
昔は工事用図面を引く時はもっぱら手描きでした。
これはさほど昔の話ではありません。
ほんの10年前までは手描き図面が当たり前でした。
しかし現在はCADの普及により、パソコンでの製図が主流となりました。
例えば図面を描き上げるのに、手描きだと1ヶ月かかるとします。
しかしCADを使えば1週間で仕上がってしまいます。
そして工事、昔は土を掘るのもスコップやツルハシ。
土を運ぶのも人力という時代でした。
しかし現在ではそのほとんどを重機がこなします。
例えば人力だと1年かかっていた工事が、現代では1ヶ月で完了してしまうという事です。
しかし果たして人類に時間的余裕が生まれたでしょうか。
1ヶ月かかる製図を1週間で仕上げたとしても、人間は残り3週間に別の仕事を入れてしまいます。
これが経済高度成長の仕組みの一つとなるのですが、いくら文明速度が飛躍的に向上したとしても、肝心な人間の心は荒んでいってしまいます。
機械の開発目的は、“効率を上げるため”です。
『機械化=楽をする』という事が本来の姿であるはずなのに、楽になった分、なぜまた他の仕事をしようとするのでしょう。
金儲けのためと言われればそれまでですが、では心のゆとりは必要ないのでしょうか。
文明はここまで発達しました。
数日かかって届いた手紙も、今や電子メールで数秒です。
船で何ヶ月もかかっていた渡航が、飛行機の誕生により数時間で済みます。
時間的余裕は確かに生まれているのです。
しかし人間は時間を生むために機械を開発し、自らの手で時間を抹殺してしまっているのです。
1ヶ月かかる製図を1週間で終わらせたならば、残り3週間は遊ぶべきです。
1年かかる工事を1ヶ月で終えたならば、残り11ヶ月は遊ぶべきです。
それでは生活ができなくなってしまう?
ではなぜ昔の人は生活できたのでしょう?
人に遅れを取るという強迫観念からみんな働こうとします。
確かに自分だけ遅れていては生活できません。
ならばみんなで遅れればいいのです。
そもそも開発事業は好きではないのでこういう例えはしたくないのですが、森林開発を例に挙げてみます。
すべて人力で開発したとしたら100年かかる森があるとします。
それを全て機械化で行い、10年で終わらせてしまいました。
さて、早期終了を喜び、機械化を賞賛するのも束の間、では10年後以降はどこを開発すればいいのでしょう。
自然もなくなるし仕事もなくなります。
これが現代の急激な自然破壊と不況の原因の一つです。
私は人類に問いたい。
「そんなに急いで仕事をする目的でもあるのですか?」
今、これらさまざまな要因により、人類は断末魔の叫び声を上げています。
そしてこのスローライフの復活が、人類の復活のような気がしてなりません。
2009年04月26日
WATERBOY
ランニングのお供にと、完全防水機能で6,990円という値段の安さに惹かれて買いました。
『連続再生時間 8時間』の宣伝文句と違って、8時間充電してもMAXで1時間半ほどしかバッテリーが持ちません。
普段でも練習2回分くらいしか持たないし、ハーフマラソンだと途中でバッテリーが切れてしまいます。
最初に届いたものは不良品でまったく充電しなかったため、取り替えてもらいました。
今回のも不良品なのでしょうか?
だとしたら物凄い量の不良品が混じっていることになります。
まったく安物買いの銭失いです。
輸入品はこれだから信用ならん。
誰か2千円くらいで買いませんか?
ところで今日は『リメンバーチェルノブイリデー』です。
2009年04月26日
達人の育て方(バックナンバーより)
現代は物が溢れ過ぎています。
その上みんな多忙。
やりたい事ややらねばならない事が多すぎて、ゆっくり何かに集中するという事が困難な時代です。
武術でも芸術でも昔は達人が多かったそうですが、要因はここにあるのだそうです。
昔の人は仕事以外にはする事がないので、一つの事に集中できたのです。
今やこの状態に近いのは職業武術家や軍人、画家や研究員くらいのものでしょう。
しかしそれらを職業にしている人でさえ、勤務時間が終われば別の事に目が向いてしまいます。
確かに達人は現代でも存在しますが、その熟練度は昔の人には遠く及ばないでしょう。
達人を育てたいならば、世の中を暇にしないといけないようです。
2009年04月25日
イチかバチカン
ガリレオ・ガリレイが地動説を唱え始めたのが1610年頃。
カトリック教の総本山とも言えるバチカンがこの地動説を正式に認めたのは、なんと1992年のことなんだそうです。
ちなみに私は小学5年生の頃にガリレオの伝記を読みました。
私が小中高を通して地動説を基に勉学に励んでいた時代も、バチカンでは天動説がまかり通っていたのです!
地動説をバチカンが認めていなかったということは、つまりほんの17年前までキリスト教の本筋は天動説だったということになります。
ガリレオの時代から数えたとしても、バチカンではおよそ400年近くもの間、“それでも地球は回っていなかった”のです。
ところで今日は『拾得物の日』です。
なんか拾ってください。
カトリック教の総本山とも言えるバチカンがこの地動説を正式に認めたのは、なんと1992年のことなんだそうです。
ちなみに私は小学5年生の頃にガリレオの伝記を読みました。
私が小中高を通して地動説を基に勉学に励んでいた時代も、バチカンでは天動説がまかり通っていたのです!
地動説をバチカンが認めていなかったということは、つまりほんの17年前までキリスト教の本筋は天動説だったということになります。
ガリレオの時代から数えたとしても、バチカンではおよそ400年近くもの間、“それでも地球は回っていなかった”のです。
ところで今日は『拾得物の日』です。
なんか拾ってください。
2009年04月25日
上下の間にも礼儀あり(バックナンバーより)
年下や目下の人に対しても敬語を使える人を尊敬します。
逆に目上、年上だからというだけで威圧的な態度を取る人は尊敬する気になれません。
まぁ、こんな事で差別する私もちっぽけではありますが・・・。
あと職種にも上下はねぇよ。
敬われるくらい素晴らしい職種ってのはあるけど、威張っていい職種ってのはねぇぞ。
偉いかどうかは自分じゃなくて他人が決める事だ。
だから勝手に偉そうにすんな。
2009年04月24日
2009年04月24日
チラホラ(バックナンバーより)
【パンチラ】とは“チラッと見えるパンツ”の事です。
健全なる日本男児としましては、そういう見え方に興奮を覚えるものなのです。
最近ではチラリズムという言葉も市民権を獲得してしまいました。
という前置きはさておき・・・
では、【チラホラ】という言葉の由来は、“ちょっとした嘘つき”を意味する『チラッと見え隠れする法螺』ですか?
それとも“ひと気のない夜道の電柱から顔半分だけ見えている白い着物姿の髪の長い女性”を意味する『チラッと見えるホラー』ですか?
2009年04月23日
2009年04月23日
杏○(バックナンバーより)
とある大手チェーン居酒屋で、ラフテー(豚の角煮)を注文した時の事です。
なんとここのラフテー、脂の部分(豚の皮の部分)に毛が生えたまま出てきました。
豚の体毛をご存知でしょうか。
それはまるでタワシの如く、ぜったい喉にひっかかるだろ!というような剛毛です。
通常は毛抜きで抜くかバーナーで焼いて処理します。
しかし忙しかったのか、はたまたこの店の方針か、その工程が省かれていたのです。
あるべきでないはずの所に毛が生えているとは、なんともフランス人チックです。
ちょっと唖然としてしまった私は、「すみません、毛があるけどこんなもんですか?」と皮肉を込めて尋ねました。
すると店員は私を本土からの観光客とでも思ったのか、「はい、ラフテーとはこんなものです」と言い切りました。
思ってもいなかった返事になおも呆気にとられ「はぁ、そうですか」としか返せない私を見かねた友人が、「いや、これはおかしいだろ。厨房に持ち帰って聞いてみぃ。こんな毛だらけで食えるわけないよ。交換してくれ。交換が無理ならキャンセル」と強気に言い返してくれました。
店員は渋々ラフテーを持ち帰り、しばらくして戻ってきました。
「すみません、すぐに新しいのをお持ちします」
この対応にホッとしたのも束の間、次に出てきたラフテーに二度目のビックリ。
なんと毛があった部分の皮を薄く包丁で切り取っただけのものが出てきました。
さすがにこれには怒る気も失せ、一同大爆笑してしまいました。
このチェーン店、手広くやっている割には良くない評判もチラホラ。
今考えると悔しいので、ここで暴露してみる事にしました。
『杏○』という居酒屋です。
みなさんも一度ご賞味あれ。
2009年04月22日
名嘉地そば
豊見城市字名嘉地にある『名嘉地そば』に行ってきました。
そば屋というよりは食堂と言ってもおかしくないくらい豊富なメニューがそそります。
この日のオーダーは『沖縄そば定食』 750円。
トンカツか白身魚かサバのどちらか好みのおかずとジューシーが付いてきます。
スープはややあっさりめのトンコツベース。
麺はやや太めのちぢれ麺。
これぞ沖縄そば!という感じの、良い意味で普通の上等という味でした。
ジューシーのヴォリュームも満点。
トンカツがもうちょっと厚かったらなぁ・・・。
ところで今日は『地球の日』です。
2009年04月22日
2009年04月21日
次元の境界線
古い文献や昔話などを読むと、妖怪などの物の怪が現代よりももっと身近な存在だったことがわかります。
科学が発達していない時代に、不可解なものはすべて物の怪に原因を求めることも理由の一つかもしれませんが、ここでは実際に妖怪等が存在すると仮定して考えてみます。
洋の東西を問わず、ほんの数百年より以前までは祈祷や呪術などのシャーマニズムが当たり前のものとして人々の生活に密着していました。
沖縄や奄美では、ほんの数十年前まではキジムナーやケンムンの存在が実在の動物並みに信じられており、多くの遭遇談や目撃談がありました。
これは言い換えれば、精神性を重んじるスピリチュアルな時代だったと言えます。
その頃は人間界と霊界や妖怪の世界の境界は曖昧で、より頻繁に別次元を垣間見ることができたのではなでしょうか。
しかし科学の発達とともにあらゆる不可思議が解明されると同時に人間は物質世界へと傾倒し始め、次第に次元が独立化していきました。
お互いの次元を分かつ境界線は次第に明瞭かつ太くなり、次元間を行き来するのが困難となり、人間が目にする怪奇現象も減少してきたのではないでしょうか。
物の怪を怖れるということは、自然を畏れ敬うということにつながります。
“君子危うきに近寄らず”
人間は科学力によって“危うき”をどんどん克服していっています。
君子のままならいいのですが、もしかしたら克服したつもりでいるだけで、実は危ういものに近付いて行っているのかもしれません。
そうなるともはや人間は“君子”とは言えなくなります。
科学の発展を否定するものではありませんが、人の人らしい心までは失いたくないですね。
次元の境界線はもっとあやふやでいいのかもしれません。
【君子】 : 学識・人格ともに優れ、徳行のそなわった人。
ところで今日は『民放の日』です。
2009年04月21日
クラス分け(バックナンバーより)
保育園のクラス分けは、たいてい動物などの名前が使われます。
ゾウ組、キリン組、パンダ組、うさぎ組、ひよこ組というように、動物の大きさによって園児の年齢も分かれています。
これを体の大きさではなく、知能順に並べてみてもシュールで面白いのではないでしょうか。
ミジンコ組、トリニドショウジョウバエ組、ミシシッピーアカミミガメ組、メンフクロウ組、バンドウイルカ組、チンパンジー組、人間組というように♪
なんとなく進化してるっぽいでしょ。