2007年12月31日
暮れの元気なご挨拶
『心の独り言』をご覧になっていただいている読者の皆様、どうもありがとうございます。
私は金を使い過ぎた感はありますが、良い意味で平凡な一年でした。
皆様にとってはどんな2007年だったのでしょうか。
さて、来年、私は年男。
厄年という意見もなきにしもあらずですが、日々是モノは考えよう。
どういう年にするかは、ある程度自分の心構え次第。
皆様にとっても良き新年になりますように。
これからも末永くよろしくお願いします。
2007年12月31日
2007年12月30日
きしもと食堂
沖縄海洋博記念公園の帰りに、ついに行ってきました『きしもと食堂 八重岳店』。
ここは全国ネットの番組で“沖縄一美味しい沖縄そば屋”と紹介されたこともある名店中の名店。
創業も明治38年というから、まさにKING OF KINGS的存在の店。
オーダーは『きしもとそば(小)』 450円。
どちらかというとうどんに近いような手打ち太麺に、かん水にはイジュの木灰を使い、薪を使って茹でるというこだわりようはまさに王者の風格。
確かに本店の側には山積みにされた薪があったっけ。
味はというと、太い麺の味に負けない、強烈なカツオ味の利いたスープで、かなりのコク。
澄んだスープでこれだけのコクというのも珍しいほど。
豚骨派にはどうかわかりませんが、カツオ派にはたまらない味。
かなりクセになりそうです。
ただ、あくまで細麺好きの私個人の意見で言わせてもらえば、モチモチのうどん風の太麺よりも細麺で食べてみたいという意味で残念。
沖縄一ということはまさに世界一。
“きしもと食堂は沖縄一”という意見に異を唱える必要を感じない名店でした。
2007年12月30日
親は子を育て 子は親を育て(バックナンバーより)
多かれ少なかれ、子供の笑顔に親は癒やされます。
子供が泣いてばかりいると親も神経衰弱に陥りますが、子供が笑っていると親も安心し、精神も安定します。
そこで子供をあやしている時にふと思ったのですが、もしかすると子供は親を喜ばすために笑ってくれてるのではないでしょうか。
子供は自分が笑うと親が喜ぶので、付き合いで笑ってくれてるかもしれません。
「あ~ぁ、こんなに一所懸命にあやしやがって。そんな気分じゃないが、ここはひとつ笑っといてやるか」という具合に。
親が子供をあやしているはずなのですが、実は親の方が子供にあやされているのかもしれません。
“子供は親のモノではなく、天からの贈りもの。だから預かりものとして大切に育てなければならない”という教えがあります。
初の子供が1歳の時は、母親も父親も共に1歳。
実は親の方が子供に育てられてるのかもしれませんね。
2007年12月29日
2007年12月29日
必要な無駄(バックナンバーより)
程家龍形八卦掌第四代継承者の程成龍老師のインタヴューで、“必要な無駄”というものがありました。
武術における功夫(コンフー(カンフー):蓄積された力)の説明だったのですが、ここでは解りやすく説明します。
要約すると、“一見、無駄に見えるが、どうしても必要なもの”という事です。
よく似た表現に“余裕”という言葉がありますが、若干ニュアンスが変わります。
例えば自動車。
どんなに低グレードの軽自動車でさえも、100km/hくらいは簡単に出ます。
しかし日本における一般道路の制限速度は60km/h。
60km/h以上出せないなら、それ以上のスピードの出る車を作らなければいいと思うかもしれません。
しかし実は60km/h以上からが“必要な無駄”なのです。
制限速度に合わせた60km/hしか出ないマシンだと、60km/hに達するまでに数分かかるかもしれません。
100km/h出せるエンジンだからこそ60km/hまでスムーズに加速できるのです。
法律を守るならば、60km/h以上は縁のない領域。
しかしやはりどうしても必要な領域なのです。
現在、核ミサイルもまさに“必要な無駄”となっています。
使わないため、使わせないための核。
世の中には、このように“必要な無駄”で成り立っている領域がたくさん存在します。
これは恐らく人生にも言える事でしょう。
この概念に目を向ける事ができるだけで物事の見方が変わります。
本番では10kmしか走らないのに、毎日鬼コーチに20km走らされているとします。
“必要な無駄”の概念を知らなければ、“10kmしか走らないんだから、無駄な練習させんなよ”と思うかもしれません。
しかし20kmを走りきる力があるからこそ、10km走で勝負できるのです。
これから何かにチャレンジしようという方、“必要な無駄”に目を向け取り組んでみて下さい。
少し上の道を歩む事ができるかもしれません。
2007年12月28日
2007年12月28日
アリのごとく(バックナンバーより)
アリは働き者として知られています。
しかしその働き者の中にも、実は怠け者のアリがいます。
集団の中の約2割のアリが怠け者なのだそうです。
実験で、その怠け者のアリばかりを集めて集団を作ってみると、不思議な事にみな働くようになるそうです。
逆に怠け者を排除し、働き者ばかりになったはずの集団にも、2割の怠け者が出てくるそうです。
と、ここまでは聞いた事があるでしょう。
もう一つの実験結果。
怠け者を排除したアリの集団は、なんと排除する前に比べて働く効率が落ちるのだそうです。
その中からまた怠け者が発生するという事は、怠け者がいた方が効率が上がるからなのでしょう。
これは人間社会にも当てはまるかもしれません。
「みなさんの効率を上げるために、私は進んで怠けているのです。」
・・・と、これからは威張ってみる事にします♪
2007年12月27日
淡すい
糸満市武富にある『淡すい』に行きました。
こちらも評判の良い名店。
この日頼んだのは『すば(大)650円』と『じゅうしい230円』。
カツオ出汁(昆布も?)のサッパリ系の極みのような上品な味。
ここの細麺もスープとの相性も良く、三枚肉もかなり柔らかくてGOOD。
ちょっとだけ気になるのが、ちょっと高めのお値段。
しかしそれもお店のこだわりを知れば納得。
以下、店内のメニュー表に書かれていた文句です。
--------------------
陶器 → オリジナル遠赤外線シリカ波動セラミック(冷めにくい)。
水 → πウォーター。
調味料 → 化学調味料を使用しない天然出汁。
食肉類 → 特殊波動塩でアク抜き。
米 → 宮崎県EM自然減農薬栽培、秋田県大潟村限定有機米。
お茶 → 発酵仕上げ天然野草茶及び薬草ブレンド茶湯。
食器の洗剤 → 健康と環境にやさしい天然洗剤を使用。
可能な限り、健康と自然に配慮しながら旨いすば!!を表現したいと思っています。
--------------------
ここまで書かれていても、麺については一切書かれていなかったので気になって店員さんに訊いてみると、西崎の製麺所に注文したオリジナルだそうな。
沖縄そばはフリークの間でも十人十色で意見が分かれるので、あくまで私個人の基準だとご了承願いたいのですが、今のところ私の中では『けんぱーのすばやー』に次いで2番目の味です。
2007年12月27日
2007年12月26日
父親の正体
友人Mからの提供ネタです。
とある父親が、イヴの夜に寝静まった子供の枕元にそっとクリスマスプレゼントを置こうとしたそうです。
しかしちょっとした物音で目を覚ました子供と目が合ってしまったそうです。
その子供が父親を見るなりニコッと微笑んだので、サンタは実は父親が演じていたんだとバレてしまったと観念したそうです。
さて翌日、起きてくるなり興奮した子供が報告しに来たそうです。
「ねぇねぇ!昨日夜に目を覚ましたら、トナカイさんと目が合ったよ!」
バレずに済んだとは言え、父親ですらサンタですらなく、トナカイと間違われた父親は、ホッとしたような悲しいような複雑な心境だったことでしょう。
とある父親が、イヴの夜に寝静まった子供の枕元にそっとクリスマスプレゼントを置こうとしたそうです。
しかしちょっとした物音で目を覚ました子供と目が合ってしまったそうです。
その子供が父親を見るなりニコッと微笑んだので、サンタは実は父親が演じていたんだとバレてしまったと観念したそうです。
さて翌日、起きてくるなり興奮した子供が報告しに来たそうです。
「ねぇねぇ!昨日夜に目を覚ましたら、トナカイさんと目が合ったよ!」
バレずに済んだとは言え、父親ですらサンタですらなく、トナカイと間違われた父親は、ホッとしたような悲しいような複雑な心境だったことでしょう。
2007年12月26日
心地良い人(バックナンバーより)
人に嫌われない秘訣。
たとえ冗談だとしても、人が好きでやっていることをけなさない。
これは些細だけど重要な事です。
人の趣味をちょこっとけなして笑いのタネにしてみる。
結構、冗談交じりでみんなやりがちな事なんだよね。
「え~、オマエ囲碁なんてやってんの?ジジ臭いなぁ」
「切手なんて集めてんの?暗いヤツ」
などなど(実際やってる方、すみません。本心じゃないよm(_ _)m)。
けなしてる方は悪意がないから気にならないけど、けなされている方は結構カチンときてる事もしばしば。
ウケるからといって結構こういう事ばかり言ってると、次第に人が離れていくんだよね。
“コイツに話してもどうせ馬鹿にされるだけだから”と。
逆にほんとはなんとも思っていなくても、いちいち「すごいね」と人を褒め、ヨイショする人は好かれます。
こういう人の側にいると、“この人なら自分の事を褒めてくれる”と心地良く感じられるからです。
どんなにクールを装っている人でも、褒められると実は嬉しいものです。
褒められている側は意識しなくとも、こういう心地良い人の側にいたくなってしまうものなんです。
所詮、他人が何を好きでやっていようと関係のない事。
どうせ損得のない事なので、どうせならヨイショの技術を身に付け、心地良い人になりたいですね。
私もなかなかできなくて反省ばかりですが・・・。
2007年12月25日
2007年12月25日
反ダーウィニズム①(バックナンバーより)
現代の主流派科学の定説では、人間は猿から進化したとされています。
これは進化論で有名なダーウィンが唱えた説に基づく理論で、ダーウィニズムとも呼ばれています。
しかし最近ではこのダーウィニズムそのものが疑問視される傾向が強まり、“進化”そのものが不確定化しつつあります。
ダーウィニズムでは、前肢を器用に使えるようになった猿が、4本足歩行から徐々に2本足歩行に移行したとされていますが、なぜわざわざ4本より不安定な2本足歩行に進化する必要があったのでしょうか。
手と足とを区別し、作業性を高める事については2本足歩行は優性ですが、こと“機動性”については、明らかに2本の方が劣性です。
現存する哺乳類で、人間より足の遅い動物はあまりいません。
“機動性”より“作業性”を優先したと考えればそれまでですが、“進化”というなら、なぜあと2本、手(足)を増やさなかったのでしょうか。
手足の合計が4本というのは、自然界において“常識”とは言えません。昆虫の足は6本だし、蜘蛛は8本です。
ムカデやヤスデにおいては数十本に及びます。
“進化”とは、よりよい方向に進むという意味です。
こう考えると、4本足が2本になったことを一言で“進化”と呼ぶことに抵抗を感じえずにはいられなくなります。
確かに“作業性”においては“進化ですが、“機動性”においては明らかに“退化”です。
どうせ進化するなら、“機動性”と“作業性”を同時に満たすよう進化すべきです。
架空動物のケンタウルスのようなスタイルであれば、馬の脚力と人間の緻密性を兼有できたはずです。
では、地球誕生からの40億年程度ではそこまでは進化できなかったのでしょうか。
これからもっともっと進化が進めば、4本の足と2本の手を有するようになるのでしょうか。
どんなに奇形な生物でも、その生物の生活環境においてはその姿が高性能です。
“便利”、“不便”とは、人間の相対的な概念です。
人間の姿を基準にした偏った考え方なのです。
魚類には手足はありませんが、泳ぐ事においては抜きん出ています。
鳥には羽があり、人間とはかけ離れた姿をしていますが、人間にはない飛行能力を有しています。
逆に動物界から見たら、人間の方が“奇形”なのかもしれません。
このように、全ての生物はその環境においてベストである姿で存在しています。
ここで想像してみて下さい。
人間社会においてベストな姿で存在しているはずの人間。
今のままでは不便だからといって、突然、または徐々にあと2本の手(足)が生えてくると考えられるでしょうか?
突然変異でそういった現象が起こる事も考えられますが、手2本、足4本で種の姿を固定させるためには、全世界で同時に突然変異が起こり、それが遺伝しなければなりません。
こう考えれば、ダーウィニズムが唱えるように、現存する体の部位が徐々に進化して発達するという理論がいかに不自然であるかに気付くでしょう。
では現存する生物はどのようにして“発生”したのでしょう。
さきほど突然変異が世界中で同時に起こるとは考えにくいと書きましたが、全く起こらないかというとそうでもありません。
地球に、瞬時になんらかの外的要因が加われば、生命体に大きな影響を与える可能性があるのです。
例えば非常に強力な電磁波などを受けた場合は、体にどのような影響があるかは図り知れません。
電子レンジのように原子レヴェルに振動を与えるような要因が加われば、生物の形状そのものを変化させる事も可能になるはずです。
実は反ダーウィニズム派の唱える理論はここにあるのですが、太古の生物が突然絶滅し、それ以降に突然発生している種については、このようななんらかの外的要因が原因であると考えられているのです。
特におよそ5億7千万年前のカンブリア紀を堺に、以前と以後ではまったく種の様相が変わっており、「カンブリア大爆発(生命進化のビグバン)」と呼ばれています。
“進化”というなら、ある種からある種に移行する経緯の化石なり痕跡が残るはずなのですが、人間のみならず全ての生物において“中間部分”が抜けているのです。
これが世に言うミッシングリンクですが、外的要因による突然変異説をもってすれば、その謎が解明してしまうのです。
太古の生物が徐々に姿を変えて現在の生物に進化したのではなく、外的要因によって突然姿を変えられてしまった。
こうなると、もはや“進化”ではなく“変化”と呼ぶ方がふさわしくなります。
隕石衝突、太陽活性化、惑星接近・・・
様々な外的要因が想定されていますが、大宇宙には人知の及ばない事がたくさんあります。
むしろ解明している事の方が皆無に近いといった方が現状に近いでしょう。
人間はまだまだちっぽけな存在です。
そのちっぽけな人間が、自前の科学で解明できない事を“あり得ない”と斬り捨てるのは、さらにちっぽけな行為です。
“進化”理論そのものが、ひいては種族差別、種族主義につながります。
猿から進化したのが人間だとするなら、猿は人間より劣っていると決めつけている事になります。
知能が高いというだけで、人間は鳥よりも優れていると決めつけるわけにはいきません。
哺乳類と鳥類を同じ土俵で比較する事自体がナンセンスであり、知能だけで優劣をつけられる問題でもありません。
前述したように、人間は知能のみ発達した種族というだけで、身体能力的には発達を放棄した種族です。
そして生物は進化したのではありません。
また、これ以上進化もしません。
生物は“変化”により発生し、今後も“変化”により姿を変えていくのです。
これは進化論で有名なダーウィンが唱えた説に基づく理論で、ダーウィニズムとも呼ばれています。
しかし最近ではこのダーウィニズムそのものが疑問視される傾向が強まり、“進化”そのものが不確定化しつつあります。
ダーウィニズムでは、前肢を器用に使えるようになった猿が、4本足歩行から徐々に2本足歩行に移行したとされていますが、なぜわざわざ4本より不安定な2本足歩行に進化する必要があったのでしょうか。
手と足とを区別し、作業性を高める事については2本足歩行は優性ですが、こと“機動性”については、明らかに2本の方が劣性です。
現存する哺乳類で、人間より足の遅い動物はあまりいません。
“機動性”より“作業性”を優先したと考えればそれまでですが、“進化”というなら、なぜあと2本、手(足)を増やさなかったのでしょうか。
手足の合計が4本というのは、自然界において“常識”とは言えません。昆虫の足は6本だし、蜘蛛は8本です。
ムカデやヤスデにおいては数十本に及びます。
“進化”とは、よりよい方向に進むという意味です。
こう考えると、4本足が2本になったことを一言で“進化”と呼ぶことに抵抗を感じえずにはいられなくなります。
確かに“作業性”においては“進化ですが、“機動性”においては明らかに“退化”です。
どうせ進化するなら、“機動性”と“作業性”を同時に満たすよう進化すべきです。
架空動物のケンタウルスのようなスタイルであれば、馬の脚力と人間の緻密性を兼有できたはずです。
では、地球誕生からの40億年程度ではそこまでは進化できなかったのでしょうか。
これからもっともっと進化が進めば、4本の足と2本の手を有するようになるのでしょうか。
どんなに奇形な生物でも、その生物の生活環境においてはその姿が高性能です。
“便利”、“不便”とは、人間の相対的な概念です。
人間の姿を基準にした偏った考え方なのです。
魚類には手足はありませんが、泳ぐ事においては抜きん出ています。
鳥には羽があり、人間とはかけ離れた姿をしていますが、人間にはない飛行能力を有しています。
逆に動物界から見たら、人間の方が“奇形”なのかもしれません。
このように、全ての生物はその環境においてベストである姿で存在しています。
ここで想像してみて下さい。
人間社会においてベストな姿で存在しているはずの人間。
今のままでは不便だからといって、突然、または徐々にあと2本の手(足)が生えてくると考えられるでしょうか?
突然変異でそういった現象が起こる事も考えられますが、手2本、足4本で種の姿を固定させるためには、全世界で同時に突然変異が起こり、それが遺伝しなければなりません。
こう考えれば、ダーウィニズムが唱えるように、現存する体の部位が徐々に進化して発達するという理論がいかに不自然であるかに気付くでしょう。
では現存する生物はどのようにして“発生”したのでしょう。
さきほど突然変異が世界中で同時に起こるとは考えにくいと書きましたが、全く起こらないかというとそうでもありません。
地球に、瞬時になんらかの外的要因が加われば、生命体に大きな影響を与える可能性があるのです。
例えば非常に強力な電磁波などを受けた場合は、体にどのような影響があるかは図り知れません。
電子レンジのように原子レヴェルに振動を与えるような要因が加われば、生物の形状そのものを変化させる事も可能になるはずです。
実は反ダーウィニズム派の唱える理論はここにあるのですが、太古の生物が突然絶滅し、それ以降に突然発生している種については、このようななんらかの外的要因が原因であると考えられているのです。
特におよそ5億7千万年前のカンブリア紀を堺に、以前と以後ではまったく種の様相が変わっており、「カンブリア大爆発(生命進化のビグバン)」と呼ばれています。
“進化”というなら、ある種からある種に移行する経緯の化石なり痕跡が残るはずなのですが、人間のみならず全ての生物において“中間部分”が抜けているのです。
これが世に言うミッシングリンクですが、外的要因による突然変異説をもってすれば、その謎が解明してしまうのです。
太古の生物が徐々に姿を変えて現在の生物に進化したのではなく、外的要因によって突然姿を変えられてしまった。
こうなると、もはや“進化”ではなく“変化”と呼ぶ方がふさわしくなります。
隕石衝突、太陽活性化、惑星接近・・・
様々な外的要因が想定されていますが、大宇宙には人知の及ばない事がたくさんあります。
むしろ解明している事の方が皆無に近いといった方が現状に近いでしょう。
人間はまだまだちっぽけな存在です。
そのちっぽけな人間が、自前の科学で解明できない事を“あり得ない”と斬り捨てるのは、さらにちっぽけな行為です。
“進化”理論そのものが、ひいては種族差別、種族主義につながります。
猿から進化したのが人間だとするなら、猿は人間より劣っていると決めつけている事になります。
知能が高いというだけで、人間は鳥よりも優れていると決めつけるわけにはいきません。
哺乳類と鳥類を同じ土俵で比較する事自体がナンセンスであり、知能だけで優劣をつけられる問題でもありません。
前述したように、人間は知能のみ発達した種族というだけで、身体能力的には発達を放棄した種族です。
そして生物は進化したのではありません。
また、これ以上進化もしません。
生物は“変化”により発生し、今後も“変化”により姿を変えていくのです。
2007年12月24日
2007年12月24日
虹(バックナンバーより)
虹は、空中に浮かぶ小さな水滴により、太陽光が屈折される事で起こる現象です。
雨上がりなどの、空気中の湿度が高い時に多く発現するのはこのためですが、太陽光線は、水滴に入射するとき1回目の屈折、水滴と空気の境界で全反射、さらに水滴から出るときに2回目の屈折を起こします。
色の波長により屈折率が異なるので虹が生じます。
また、太陽と反対方向に、視半径42°の範囲内でしか虹は観測できません。
虹には主虹と副虹があり、いわゆる二重虹の外側のものを副虹と呼びます。
なお、主虹と副虹の色の配列は逆転しています。
日本では虹は7色とされていますが、これは各国によって違います。
色の順番は、内側から・・・
し(紫)藍(ら)せ(青)ろ(緑)お(黄)橙(と)紅(こ)
と覚える方法があります。
沖縄宮古島の東辺名崎。
大海原のまっただ中で眺めた満点の星空。
荘厳と漂うオーロラ。
これまで様々な素晴らしい風景と遭遇してきましたが、前々から是非見てみたいと思っているのが、月光により発現する“ムーンボー(月虹)”です。
前述したとおり、通常、虹は太陽光の屈折で起きる現象なので、日中に発生する事がほとんどです。
月明かりの夜空に浮かぶ神秘な虹・・・。
いつか絶対に遭遇してみせます。
2007年12月23日
玉家
行ってきました、南部一番人気のそば処『玉家』。
『本店』、『2号店』、『かあちゃん』と、県内には3店舗のチェーンがあるのですが、この日は2号店。
店内も広いので、満席で入れないという1号店よりは昼食向き。
この日の注文は『三枚肉そば大盛り』600円と『いなり』2個入り100円。
ベースはカツオで、しっかりとしたコクにほど良い塩加減。
麺は亀浜。
ちゃんとダシに麺も絡んでおり、さすがは南部地区ナンバー1の呼び声高い味。
しかし大盛りではなく大にしときゃ良かったと少し後悔。
結構なボリュームでした。
強いて、強いて言うなら、三枚肉が少し堅かったかなぁ?
2007年12月23日
強者はどっち?(バックナンバーより)
昔より病院に人が増えたと思いませんか。
病院に行く経済力のある人が増えたのでしょうか。
ヒトの免疫力が低下し、病気になりやすくなったのでしょうか。
それとも病気の方がパワーアップしてしまったのでしょうか。
2007年12月22日
まぐろ基地
この日の昼食は、糸満市西崎にある『まぐろ基地』へ。
さすが漁業の町、糸満だけあって、新鮮な魚が出てきます。
この日頼んだのは『まぐろ漬け丼』880円。
結論から言うと、結構美味しかったです。
“漬け”となると、どうしても大東寿司と比較してしまう癖のせいで、個人的にはやはり大東寿司一番なのですが、ここの漬けももちろん美味しかったです。
しかし難点を言うなら、酢飯の量と比率が合わないほど大量の刺身(笑)
普通なら酢飯の上に1枚ずつ刺身が覆い被さっているのですが、ここのはなんと2段重ね。
よっぽどの漬け寿司好きにはたまらないとは思いますが、一般人には途中で飽きてくる量。
かなりおいっぱいいっぱいでした。
決してそれが悪いというわけではないのですが、刺身の量を半分に減らして、その分値段も落としてくれた方が貧乏人には嬉しいかな、と。
もちろん大食いの人にはGoodです。
それにしても付け合わせのかき揚げ天ぷらが最高でした。
野菜だけではなく魚肉も入っていたので、これだけでご飯が進むほど重量感がありました。
土曜日には、大人1250円、小学生以下800円で寿司食べ放題メニューもあるらしいので、今度はそちらも味わってみたいと思います。