福井#5 敦賀の港で巡視船 @敦賀港
こんばんは。サンダーバードでよく北陸方面にも出張に行っておるTORUです。北陸新幹線の延伸があり敦賀まで来たために、現在の乗り換えは敦賀となっておりまして、サンダーバードの営業距離はずいぶんと短くなったものです。まぁ揺れる列車は苦手なのでいいのですが、、、。
敦賀で乗り換えをするようになったので、5月に敦賀で乗り換えついでに途中下車した時のことを書いておきます。敦賀といえばやっぱり港ですよね。古代から日本海を挟んで環日本海の交易の窓口になった場所でもありました。そんな敦賀は江戸時代の北前船の港でもあり交通の要衝でした。明治に入り1884年には、敦賀-長浜間の鉄道が開通、船&鉄道という物流拠点となっていきました。それを基盤に国際港化を進めていきました。1905年に敦賀-Vladivostok間の直通定期航路が開かれ、Russiaとの物流・人流ができるようになりました。
往時の事をしのぶソビエト領事館跡の碑が市内に残っています。1925年(大正14年)から1944年(昭和19年)まで領事館があったんですよ。私が生まれ育った大阪・豊中にもソビエト領事館(現在はロシア領事館)がありまして、まぁ子供の頃は、周りで街宣車が沢山やってきて「北方領土を返せー!」ってやっていたので、かなり緊張感のある場所でしたよ。
話を敦賀に戻します。1912年、Vladivostok航路に接続する欧亜国際列車が敦賀・金ヶ崎駅を経由し東京・新橋まで繋がりました。東京新橋~Palisまで鉄道切符が買えたんだからすごいですよねえ。国際列車&国際港で多くの人の往来がありましたが、その中にはユダヤ人の姿もありました。最も有名なのは、1940年から1941年にかけての杉原千畝氏(1900-1986)による「命のビザ」で逃れてきたユダヤ人たちです。その数は資料によってばらつきがありますが、職を賭して人道的な立場で動かれたことはすごいことだなぁと思いますね。その後のソビエトの参戦やシベリア抑留、冷戦、そして最近の緊張状態を考えるとなかなか付き合いが難しい隣人ではありますね。
長く良港として歴史を刻む敦賀、そして国際関係で緊張感のある環日本海ですので、もちろん海上保安庁の船もいます。トップの写真は、巡視船「ほたか」です。今日のentryは長野entryからのつながりだったのよ。PS202というのはPS=Patrol Vessel Smallの202番という意味。PSには山の名前が付けられているんですよ。(LargeのPLは、半島、岬、港、島などの名前が付けられています)。あぁ「ほたか」いいですねえ。結構近くで見る事が出来ました。
港の日暮れ。きれいな港だなぁ。
港から駅に向かって歩いて帰る途中、通りで屋台のラーメンを食べて帰りました。池田屋ごんちゃん。ちょっと歩いてお腹もすいていて、おいしく頂きましたよ。御馳走様でした。
↓前回の福井entry↓
福井#4 ボルガライスを武生で。
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