ああ、無残!
栗橋八坂神社・流転の力石
栗橋八坂神社の力石は全部で5個。
2007年に斎藤氏が4個発見。
残り1個は、2020年10月発見の「享保石」で、
発見者は、ブログ「路傍学会」">「路傍学会」の会長さんです。
この新発見の報を受けて、斎藤氏、「こりゃ大変だ」と八坂神社へ。
神社は移転工事の真っ最中。すっかり様相が変わっていました。
石鳥居の向こうが仮殿。後方に新築中の社殿が見えます。
2007年当時、力石は涸れた池の底にありました。
しかしその池も、塀と生垣で囲まれていて様子がつかめません。
果敢にも、塀と生垣のすき間から池側に入り込んだ斎藤氏、
池を目の当たりにして、唖然茫然。
2007年当時、立ち会ってくれた宮司さんは、
「明治の石は日清戦争の出征兵士の奉納したものではないか」といい、
さらに、
「大神輿渡御の担ぎ手たちは、神輿を担ぐ前に力石を担いで
肩慣らしをしたという言い伝えがあります」
と、力石のことをよくご存じだった。
「この方なら」と思い、宮司さんに保存をお願いして帰ったのに、
13年目に来てみれば、放置されたまま。
しかも、さらに悪い状態になっていた。
土嚢を敷き詰めたすき間に、見覚えのある石を見つけた斎藤氏、
「二十五メ 舟戸町 大橋源太郎」の力石だと確信。
土嚢をどかしたら「二十五メ 明治」の刻字を発見。間違いなかった。
氏子さんの反対にあって、保存を断念したのかもしれないけれど、
これでは、
この神社に戦勝安全祈願を掛けて、お国のためにと戦地へ向かった
「大橋源太郎」さんは、浮かばれません。
あとの石は、と探し始めた斎藤氏の目に、
またも無残な姿の力石が…。
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2007年に斎藤氏が4個発見。
残り1個は、2020年10月発見の「享保石」で、
発見者は、ブログ「路傍学会」">「路傍学会」の会長さんです。
この新発見の報を受けて、斎藤氏、「こりゃ大変だ」と八坂神社へ。
神社は移転工事の真っ最中。すっかり様相が変わっていました。
石鳥居の向こうが仮殿。後方に新築中の社殿が見えます。
2007年当時、力石は涸れた池の底にありました。
しかしその池も、塀と生垣で囲まれていて様子がつかめません。
果敢にも、塀と生垣のすき間から池側に入り込んだ斎藤氏、
池を目の当たりにして、唖然茫然。
2007年当時、立ち会ってくれた宮司さんは、
「明治の石は日清戦争の出征兵士の奉納したものではないか」といい、
さらに、
「大神輿渡御の担ぎ手たちは、神輿を担ぐ前に力石を担いで
肩慣らしをしたという言い伝えがあります」
と、力石のことをよくご存じだった。
「この方なら」と思い、宮司さんに保存をお願いして帰ったのに、
13年目に来てみれば、放置されたまま。
しかも、さらに悪い状態になっていた。
土嚢を敷き詰めたすき間に、見覚えのある石を見つけた斎藤氏、
「二十五メ 舟戸町 大橋源太郎」の力石だと確信。
土嚢をどかしたら「二十五メ 明治」の刻字を発見。間違いなかった。
氏子さんの反対にあって、保存を断念したのかもしれないけれど、
これでは、
この神社に戦勝安全祈願を掛けて、お国のためにと戦地へ向かった
「大橋源太郎」さんは、浮かばれません。
あとの石は、と探し始めた斎藤氏の目に、
またも無残な姿の力石が…。
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コメント
こんにちは。
東京もかなり神社や寺を移動させていますね。
江戸時代の火災後や明治時代の社寺分離策や関東大震災後などは、
社寺の移動が多かったようです。
近年は、車社会に迎合で道路拡張工事や、
ニュータウン建設などで神社を移転させられて、
昔の面影はない風景になるようです。
前にもブログに出しましたが、
新しい土地で駐車場も兼ねるのは今風かなと。
2021-03-08 14:34 one0522 URL 編集
one0522さんへ
そこで捨てるもの、残すものとふるいにかけられる。
仕方がないなあとも思っています。
当地の湿原が今、公園化の大規模工事をしていますが、ここは本州の中央に位置していて、渡り鳥の貴重な休憩地点でした。ここで何日か羽根を休めてまた飛び立っていきます。それがかなり奪われました。
また湿原の植物で絶滅危惧種の保全、これはなかなか理解されないとか。絶滅危惧種といってもよほど植物に精通している人でないと、ただの雑草にしか見えません。力石もそうですが、保全とか保存はなかなか理解が得られないのが実情です。
2021-03-08 17:34 雨宮清子(ちから姫) URL 編集