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「りょう」という名称

消えた間宮一族
11 /23 2020
昔、黄檗宗の寺を訪れたことがあります。
円山応挙が描いた幽霊の絵があるというお寺です。

くねくねした山道を登り詰めると広場があって、
その入り口で迎えてくれたのがこの力神です。

img20201121_21005158 (3)

大きな甍(いらか)をのせた本堂は深い緑に溶け込み、
今はただ、かつての栄華の夢にまどろんでいるようでした。

同行者が、「お墓が一つもない珍しいお寺ね」と言うので、
「墓がないのに”幽霊”はいるのよねえ」と返して、フフフと笑い合った。

そんな経験があったのに、私はまた、いつの間にか、
寺には墓があって当たり前という思い込みにとらわれていました。

斎藤氏も、間宮家の墓は永福寺にあるはずと思い、探したものの見つからず。

そこで寺の奥様に聞いてみると、こんな返事が…。

「間宮家の「りょう」は、
この門を出て右へしばらく行った右側にありますよ」

下高野間宮墓
埼玉県北葛飾郡杉戸町・共同墓地 「下高野・間宮家陵」

「りょう」という名称が出てきたのはこれで2度目。

最初は、平須賀外郷内の間宮家跡で。

ご近所のおじいさんが田んぼの中の墓地を指しながら、斎藤氏にこう言った。

「あそこに「りょう」があった」
「粗末な小屋があって、遊女なんかがいた」

それで私は、
「子孫が絶えて住む人もいなくなった間宮家の墓守りの小屋に、
おりょうさんという遊女が流れ着いて住んでいたのか」

などといい加減な空想をしたものの、ずっと引っかかってはいた。

共同墓地田んぼの中の
埼玉県幸手市平須賀 「外郷内・間宮家陵」

「杉戸町だ、幸手市だ」と話が飛びますので、ここで地図をお見せします。

img20201028_10043417 (3)

ご覧の通り、下高野・間宮家の北葛飾郡杉戸町(永福寺あたり)と、
外郷内・間宮家があった幸手市平須賀(宝聖寺あたり)は隣り同士です。

左上の権現堂は、河岸場があったところ。
幸手出身の雷権太夫率いる勧進相撲が行われたのもこの近くでした。

右上は利根川と江戸川の分岐点に立つ「関宿城跡」。
ここは千葉県です。

昨年私は、
「万治石」お披露目の帰り、地元の方のご案内でここへ立ち寄りました。

斎藤氏は今年、愛車の黒平くんとポタリング。

平関宿城と黒
千葉県野田市関宿三軒家・千葉県立関宿城博物館

さて、この「りょう」、
寺の奥様によると、「りょう」は「陵」と書くのだという。

それで、外郷内の「りょう」も、この「陵」だったのかと合点がいった。

しかし、
「陵」は普通、天皇陵など、高貴な人の墓所をいう。
それをここでは一般人の墓所をそう呼んでいた。

土地の旧家だけがそう呼称していたのか。
それとも単なる「丘状になった墓所全体」の意味なのか。

とても興味深い名称だと思いました。

そしてもう一つ気になっていたのが、
外郷内のご老人の、「あそこに墓守の小屋があった」という証言です。

「幸手市史通史2」に、こんな記述があった。

「安戸村(現・杉戸町)の新井家には、自家抱えの庵があり…」

「自家抱えの庵」って、墓守りの小屋のことか?

これは、官寺に対する私寺とも違うし、
旅の僧が村の古びたお堂で隠遁暮らしをするのとも違う。

新井家は江戸の初め、
間宮家と一緒に新田開発をした家で、大変な名家だったという。

新井家と間宮家の名が刻まれた宝篋印塔です。

2永福寺
北葛飾郡杉戸町・永福寺

その新井家では、
「庵主を雇って庵に住まわせ、
自家の廟所のそうじや朝晩の湯茶回向をさせていた」

「庵主には新義真言宗寺院の弟子が迎えられ、
入庵の折には誓約書を書かせ、亡くなると庵地内に埋葬した」

ということは、

外郷内・間宮家の田んぼの墓所も「陵」と呼ばれていて、
そのかたわらに墓守の庵があって、庵主が亡くなったら敷地内に埋葬した。
だから、「法師」と刻まれた墓石が出て来たんだ、

などと、私は勝手な想像を巡らせてしまいました。

でも、あそこは真っ平の田んぼで、丘状の土地ではない。
なのに令和の今も土地の人は「陵」と呼んでいる。

なぜなんだろう?


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高島先生ブログ(11・22)

「静岡県浜松市天竜区月・路傍」

「月」という地名、素敵ですね。
「月まで3㎞」という道路標識もあります。なんかワクワクしませんか?

山間の集落です。力石は秋葉山参詣路の傍らにありました。
静岡県西部ではなかなか力石が見つからず苦労しましたが、
これは貴重な情報となりました。

喜び勇んで、高島先生と調査に行きましたよ。
「月探査」(笑)

同じ天竜区に「熊」という地名もあります。地元では「くんま」と呼んでいます。
「熊」は「隈」の意という説もあります。

今年は各地でクマが出没して人的被害が多発。
人々を恐怖に陥れて、すっかり嫌われ者になりましたが、

ここの集会所の名前は、そんなクマさんが大喜びしそうな
「熊ふれあいセンター」です。


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ブログ「日々是輪日」の三島の苔丸さんから、
「力神」についてコメントをいただきました。

よかったら「力神」の過去の記事を見てくださいね。

「年がら年じゅう力んでいる「力神」のお話」

その力神がいる静岡浅間神社前の石橋の「盃状穴」もぜひ、どうぞ。

「穴です。「なんだ穴か」と”あな”どるなかれ」


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コメント

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No title

雨宮さん、おはようございます。

力神ですか、初めて聞きました。
全然見かけたことはありませんが、
何かを抱えたりしてる姿が多いのでしょうか?

三島の苔丸さんへ

おはようございます。

力神の過去記事、本文に載せましたので見てください。
私はこの「力神」が好きなんです。目立たない所でがんばっているでしょ。
石像もありますが、よく見かけるのが神社の楼門です。
三嶋大社はどうでしょうか。探してみてください。
神社では「力士」といっています。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞