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墓石はタイムカプセル

消えた間宮一族
11 /17 2020
今から12年前の2008年9月に、
斎藤氏はこの埼玉県杉戸町下高野で力石を新発見しています。

それも今回、追っている「間宮家」の墓域で。

永福寺の奥様に聞いてやってきたら、ここにたどり着いたそうです。

「この偶然に、不思議な因縁を感じました」と斎藤氏。

下の写真は12年前に発見したときの力石です。

2008佐源次1
埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野・下株集会所隣り
62×42×33㎝

「奉納 力石 三十五メ目 下高野村 □□」

そして今年11月、12年ぶりにこの力石と再会

以前は地面に転がっていただけだったが、今回は下部を埋めて立ててあった。

これで刻字が消えない限り、捨てられる心配はなくなりました。

下株佐源次2

やれやれと安堵しつつ、ふと隣の六地蔵に目をやると、
そこに「間宮」姓が…。

IMG_8706.jpg

この六体のお地蔵さんのすべてに、
「施主 間宮佐源治」と刻まれていたのです。

下株佐源次1

間宮長左衛門こと「佐源次(治)」は、
下高野・間宮家の第十八代当主です。

この六地蔵の奉納年は、安永四年(1775)。
佐源次没年より17年前で、まだ15,16,17代の先代たちが生存中でした。

外郷内の「左門」石といい、ここ六地蔵の「三十五メ目」石といい、
不思議と間宮家が付いて回ります。

確証はありませんが、
間宮家との関連を思わずにはいられません。

そこから、永福寺で教えられた「下高野・間宮家」墓所へ。
墓所はこんもりと広い丘状の最高地にありました。

間宮家下高野墓地

中央正面の墓石は、間宮清氏が昭和49年(1974)に建立したもので、

「昭和四十九年彼岸吉祥日 この石塔を建つ
 施主 間宮宗家第二十五代主 清建立」

と、あります。

「間宮家の当主としてのプライドを感じました」と斎藤氏。

この方は平成5年にも大規模な改装を行っています。

せめて「三十五メ目」石発見の頃、「間宮家」を知っていたら、
まだお元気のころですから、貴重なお話をいっぱいしてくださったはず。

残念!

その斎藤氏に永福寺の奥様がこんな話を…。

「間宮家から、八十八世住職に嫁いできた人がいますよ。
二十五代目の清さんの姉妹と聞いています」 

その女性の名は永福寺のご住職の墓所にあった。

真新しい墓石で、
墓碑側面に、嗣子のご住職の述として母親のことが綴られています。

下株明朗院

淡々とありのままを綴った文章ですが、素敵だなと思いました。
母と子の愛情に満ちたお墓」、といったらおかしいでしょうか。

斎藤氏は常々、
「墓石はタイムカプセルです」とおっしゃっていますが、

この墓石に刻まれた「母への愛」は、まさに「タイムカプセル」。
時空を超えて、きっとご子孫へ伝えられていくことでしょう。

間宮家から永福寺へ嫁がれた女性の院号は「心浄院」とあります。
そのとなりの院号はなんと「明朗院」。

明るく、朗らか。

いいなあ、これ!


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高島先生ブログ(11・17)

「愛媛県西予市野村町四郎谷・三嶋神社」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞