墓石はタイムカプセル
消えた間宮一族
今から12年前の2008年9月に、
斎藤氏はこの埼玉県杉戸町下高野で力石を新発見しています。
それも今回、追っている「間宮家」の墓域で。
永福寺の奥様に聞いてやってきたら、ここにたどり着いたそうです。
「この偶然に、不思議な因縁を感じました」と斎藤氏。
下の写真は12年前に発見したときの力石です。

埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野・下株集会所隣り
62×42×33㎝
「奉納 力石 三十五メ目 下高野村 □□」
そして今年11月、12年ぶりにこの力石と再会。
以前は地面に転がっていただけだったが、今回は下部を埋めて立ててあった。
これで刻字が消えない限り、捨てられる心配はなくなりました。

やれやれと安堵しつつ、ふと隣の六地蔵に目をやると、
そこに「間宮」姓が…。

この六体のお地蔵さんのすべてに、
「施主 間宮佐源治」と刻まれていたのです。

間宮長左衛門こと「佐源次(治)」は、
下高野・間宮家の第十八代当主です。
この六地蔵の奉納年は、安永四年(1775)。
佐源次没年より17年前で、まだ15,16,17代の先代たちが生存中でした。
外郷内の「左門」石といい、ここ六地蔵の「三十五メ目」石といい、
不思議と間宮家が付いて回ります。
確証はありませんが、
間宮家との関連を思わずにはいられません。
そこから、永福寺で教えられた「下高野・間宮家」墓所へ。
墓所はこんもりと広い丘状の最高地にありました。

中央正面の墓石は、間宮清氏が昭和49年(1974)に建立したもので、
「昭和四十九年彼岸吉祥日 この石塔を建つ
施主 間宮宗家第二十五代主 清建立」
と、あります。
「間宮家の当主としてのプライドを感じました」と斎藤氏。
この方は平成5年にも大規模な改装を行っています。
せめて「三十五メ目」石発見の頃、「間宮家」を知っていたら、
まだお元気のころですから、貴重なお話をいっぱいしてくださったはず。
残念!
その斎藤氏に永福寺の奥様がこんな話を…。
「間宮家から、八十八世住職に嫁いできた人がいますよ。
二十五代目の清さんの姉妹と聞いています」
その女性の名は永福寺のご住職の墓所にあった。
真新しい墓石で、
墓碑側面に、嗣子のご住職の述として母親のことが綴られています。

淡々とありのままを綴った文章ですが、素敵だなと思いました。
「母と子の愛情に満ちたお墓」、といったらおかしいでしょうか。
斎藤氏は常々、
「墓石はタイムカプセルです」とおっしゃっていますが、
この墓石に刻まれた「母への愛」は、まさに「タイムカプセル」。
時空を超えて、きっとご子孫へ伝えられていくことでしょう。
間宮家から永福寺へ嫁がれた女性の院号は「心浄院」とあります。
そのとなりの院号はなんと「明朗院」。
明るく、朗らか。
いいなあ、これ!
ーーーーー◇ーーーーー
高島先生ブログ(11・17)
「愛媛県西予市野村町四郎谷・三嶋神社」

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斎藤氏はこの埼玉県杉戸町下高野で力石を新発見しています。
それも今回、追っている「間宮家」の墓域で。
永福寺の奥様に聞いてやってきたら、ここにたどり着いたそうです。
「この偶然に、不思議な因縁を感じました」と斎藤氏。
下の写真は12年前に発見したときの力石です。

埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野・下株集会所隣り
62×42×33㎝
「奉納 力石 三十五メ目 下高野村 □□」
そして今年11月、12年ぶりにこの力石と再会。
以前は地面に転がっていただけだったが、今回は下部を埋めて立ててあった。
これで刻字が消えない限り、捨てられる心配はなくなりました。

やれやれと安堵しつつ、ふと隣の六地蔵に目をやると、
そこに「間宮」姓が…。

この六体のお地蔵さんのすべてに、
「施主 間宮佐源治」と刻まれていたのです。

間宮長左衛門こと「佐源次(治)」は、
下高野・間宮家の第十八代当主です。
この六地蔵の奉納年は、安永四年(1775)。
佐源次没年より17年前で、まだ15,16,17代の先代たちが生存中でした。
外郷内の「左門」石といい、ここ六地蔵の「三十五メ目」石といい、
不思議と間宮家が付いて回ります。
確証はありませんが、
間宮家との関連を思わずにはいられません。
そこから、永福寺で教えられた「下高野・間宮家」墓所へ。
墓所はこんもりと広い丘状の最高地にありました。

中央正面の墓石は、間宮清氏が昭和49年(1974)に建立したもので、
「昭和四十九年彼岸吉祥日 この石塔を建つ
施主 間宮宗家第二十五代主 清建立」
と、あります。
「間宮家の当主としてのプライドを感じました」と斎藤氏。
この方は平成5年にも大規模な改装を行っています。
せめて「三十五メ目」石発見の頃、「間宮家」を知っていたら、
まだお元気のころですから、貴重なお話をいっぱいしてくださったはず。
残念!
その斎藤氏に永福寺の奥様がこんな話を…。
「間宮家から、八十八世住職に嫁いできた人がいますよ。
二十五代目の清さんの姉妹と聞いています」
その女性の名は永福寺のご住職の墓所にあった。
真新しい墓石で、
墓碑側面に、嗣子のご住職の述として母親のことが綴られています。

淡々とありのままを綴った文章ですが、素敵だなと思いました。
「母と子の愛情に満ちたお墓」、といったらおかしいでしょうか。
斎藤氏は常々、
「墓石はタイムカプセルです」とおっしゃっていますが、
この墓石に刻まれた「母への愛」は、まさに「タイムカプセル」。
時空を超えて、きっとご子孫へ伝えられていくことでしょう。
間宮家から永福寺へ嫁がれた女性の院号は「心浄院」とあります。
そのとなりの院号はなんと「明朗院」。
明るく、朗らか。
いいなあ、これ!
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