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松崎しげるのひいじいちゃん

力石余話
06 /10 2020
「松崎しげるさんの先祖が担いだ力石がありました」

埼玉の斎藤氏から、そんな情報をいただいたのは4年前。
そんなすごい情報をいただきながら、4年もほったらかして、
申し訳ないことをしました。

松崎しげるさんというのは、歌手のあの松崎さんのこと。

なんでも、NHKの番組「ファミリーヒストリー」を見ていたら、
こんな話が流れたとか。

「松崎しげるの母方の曽祖父は杉山國次郎といい、
草相撲の力士で、しこなは小松風」。

そこで、斎藤氏、草相撲の力士なら力石もあるはずと調べました。

ありました。

立派な刻字の石が7個、並んでいますが、
「小松風」の名を刻んだ石は、この中にありました。

水元・教育資料館1
東京都葛飾区水元・教育資料館

「さし石 代地 金蔵 上小合 権平 
小松村 小松風国□」


有名人のご先祖に力石を担いだ力持ちがいたなんて、
嬉しいですね。

たぶん、こちらも松崎さんのひいじいちゃんが持った石だと思います。
違うかなあ?

場所は、葛飾区新小岩の八坂神社です。
新小岩・八坂神社

この神社には力石が6個。

その中の一つに、「□□風」というのがありますが、
これも「小松風」ではないか、と思っているのですが、どうでしょうか。

「指石 世話人 當地 若者中 
下平井村 □□□ □□風」


□□□に「小松村」とあれば、ばっちりなんですけどね。

この小松風や草相撲のことは、「葛飾区史」にも出てきます。

区史によると、同区東四つ木の渋江白髭神社には、
明治七年に、草相撲の力士たちが奉納した板番付表の額があって、
そこに小松風の名があるそうです。

また区史では、東新小岩の天祖神社の「力持記念碑」も載せています。

下の写真は、その「力持連中記念碑」と力石です。
力石は全部で13個。碑は明治29年の建立で、
当時の力持ちや石工、碑を収めた人の名が刻まれています。

残念ながら、小松風の名はありません。

記念碑も力石も富士塚に埋め込まれています。
東新小岩・天祖神社

そして、こんな句も。

 「なをあげて若き力の花納(はなおさめ)

村のお祭りで力比べをやった。
大きな石を担いだ若者はヤンヤの喝采をあびて、得意満面。

石担ぎも祭りも無事終わって、さあ、花納めです。
きっとみんなでおいしいお酒で盛り上がったことでしょう。

さて、もう一つご紹介します。
タレントの森三中の大島美幸さんも、このファミリーヒストリーに登場したとか。

そこで、ご先祖に草相撲の力士がいたことが判明。
本名は後藤作太郎、しこなは「フジノモリ」

場所は栃木県大田原市。黒羽神社でよく相撲をとったそうです。

作太郎さんの仕事は酒樽を運ぶ荷車引き、
つまり「あたりきしゃりき」の車力です。

残念ながら、「フジノモリ」が担いだ力石は現在、確認されていませんが、

おもちゃ博士の清水晴風も車力屋で、
力石の力持ちとして、番付にもその名を残すほどだったので、
「フジノモリ」も石を担いだはずです。

栃木県大田原市在住のみなさーん、
「フジノモリ」の力石を、ぜひ、見つけてくださ-い!


※参考文献/「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003


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コメント

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No title

こんばんは!
草相撲の力士!番付表!!おおおっ面白そうです。
水元の保存状態は、「どうぞ端から担いでみてください!」と言わんばかりの、並べ方ですねぇ。
自粛が解除されたら、1つ担ぎに行ってみたいと思います(もちろん「人を担ぐ材料収集」ですが?)

力持連中記念碑も富士塚もぜひ訪問したいなぁ!

とりけらさんへ

どうぞ、訪問してみてください。
力石も喜びます。

私は力石を見に行くとき、なるべくぞうきんを持って行くのです。
何のためかというと、石を拭いてあげるため。なんだかおかしいですけど。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞