松崎しげるのひいじいちゃん
力石余話
「松崎しげるさんの先祖が担いだ力石がありました」
埼玉の斎藤氏から、そんな情報をいただいたのは4年前。
そんなすごい情報をいただきながら、4年もほったらかして、
申し訳ないことをしました。
松崎しげるさんというのは、歌手のあの松崎さんのこと。
なんでも、NHKの番組「ファミリーヒストリー」を見ていたら、
こんな話が流れたとか。
「松崎しげるの母方の曽祖父は杉山國次郎といい、
草相撲の力士で、しこなは小松風」。
そこで、斎藤氏、草相撲の力士なら力石もあるはずと調べました。
ありました。
立派な刻字の石が7個、並んでいますが、
「小松風」の名を刻んだ石は、この中にありました。
東京都葛飾区水元・教育資料館
「さし石 代地 金蔵 上小合 権平
小松村 小松風国□」
有名人のご先祖に力石を担いだ力持ちがいたなんて、
嬉しいですね。
たぶん、こちらも松崎さんのひいじいちゃんが持った石だと思います。
違うかなあ?
場所は、葛飾区新小岩の八坂神社です。
この神社には力石が6個。
その中の一つに、「□□風」というのがありますが、
これも「小松風」ではないか、と思っているのですが、どうでしょうか。
「指石 世話人 當地 若者中
下平井村 □□□ □□風」
□□□に「小松村」とあれば、ばっちりなんですけどね。
この小松風や草相撲のことは、「葛飾区史」にも出てきます。
区史によると、同区東四つ木の渋江白髭神社には、
明治七年に、草相撲の力士たちが奉納した板番付表の額があって、
そこに小松風の名があるそうです。
また区史では、東新小岩の天祖神社の「力持記念碑」も載せています。
下の写真は、その「力持連中記念碑」と力石です。
力石は全部で13個。碑は明治29年の建立で、
当時の力持ちや石工、碑を収めた人の名が刻まれています。
残念ながら、小松風の名はありません。
記念碑も力石も富士塚に埋め込まれています。
そして、こんな句も。
「なをあげて若き力の花納(はなおさめ)」
村のお祭りで力比べをやった。
大きな石を担いだ若者はヤンヤの喝采をあびて、得意満面。
石担ぎも祭りも無事終わって、さあ、花納めです。
きっとみんなでおいしいお酒で盛り上がったことでしょう。
さて、もう一つご紹介します。
タレントの森三中の大島美幸さんも、このファミリーヒストリーに登場したとか。
そこで、ご先祖に草相撲の力士がいたことが判明。
本名は後藤作太郎、しこなは「フジノモリ」。
場所は栃木県大田原市。黒羽神社でよく相撲をとったそうです。
作太郎さんの仕事は酒樽を運ぶ荷車引き、
つまり「あたりきしゃりき」の車力です。
残念ながら、「フジノモリ」が担いだ力石は現在、確認されていませんが、
おもちゃ博士の清水晴風も車力屋で、
力石の力持ちとして、番付にもその名を残すほどだったので、
「フジノモリ」も石を担いだはずです。
栃木県大田原市在住のみなさーん、
「フジノモリ」の力石を、ぜひ、見つけてくださ-い!
※参考文献/「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003
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埼玉の斎藤氏から、そんな情報をいただいたのは4年前。
そんなすごい情報をいただきながら、4年もほったらかして、
申し訳ないことをしました。
松崎しげるさんというのは、歌手のあの松崎さんのこと。
なんでも、NHKの番組「ファミリーヒストリー」を見ていたら、
こんな話が流れたとか。
「松崎しげるの母方の曽祖父は杉山國次郎といい、
草相撲の力士で、しこなは小松風」。
そこで、斎藤氏、草相撲の力士なら力石もあるはずと調べました。
ありました。
立派な刻字の石が7個、並んでいますが、
「小松風」の名を刻んだ石は、この中にありました。
東京都葛飾区水元・教育資料館
「さし石 代地 金蔵 上小合 権平
小松村 小松風国□」
有名人のご先祖に力石を担いだ力持ちがいたなんて、
嬉しいですね。
たぶん、こちらも松崎さんのひいじいちゃんが持った石だと思います。
違うかなあ?
場所は、葛飾区新小岩の八坂神社です。
この神社には力石が6個。
その中の一つに、「□□風」というのがありますが、
これも「小松風」ではないか、と思っているのですが、どうでしょうか。
「指石 世話人 當地 若者中
下平井村 □□□ □□風」
□□□に「小松村」とあれば、ばっちりなんですけどね。
この小松風や草相撲のことは、「葛飾区史」にも出てきます。
区史によると、同区東四つ木の渋江白髭神社には、
明治七年に、草相撲の力士たちが奉納した板番付表の額があって、
そこに小松風の名があるそうです。
また区史では、東新小岩の天祖神社の「力持記念碑」も載せています。
下の写真は、その「力持連中記念碑」と力石です。
力石は全部で13個。碑は明治29年の建立で、
当時の力持ちや石工、碑を収めた人の名が刻まれています。
残念ながら、小松風の名はありません。
記念碑も力石も富士塚に埋め込まれています。
そして、こんな句も。
「なをあげて若き力の花納(はなおさめ)」
村のお祭りで力比べをやった。
大きな石を担いだ若者はヤンヤの喝采をあびて、得意満面。
石担ぎも祭りも無事終わって、さあ、花納めです。
きっとみんなでおいしいお酒で盛り上がったことでしょう。
さて、もう一つご紹介します。
タレントの森三中の大島美幸さんも、このファミリーヒストリーに登場したとか。
そこで、ご先祖に草相撲の力士がいたことが判明。
本名は後藤作太郎、しこなは「フジノモリ」。
場所は栃木県大田原市。黒羽神社でよく相撲をとったそうです。
作太郎さんの仕事は酒樽を運ぶ荷車引き、
つまり「あたりきしゃりき」の車力です。
残念ながら、「フジノモリ」が担いだ力石は現在、確認されていませんが、
おもちゃ博士の清水晴風も車力屋で、
力石の力持ちとして、番付にもその名を残すほどだったので、
「フジノモリ」も石を担いだはずです。
栃木県大田原市在住のみなさーん、
「フジノモリ」の力石を、ぜひ、見つけてくださ-い!
※参考文献/「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003
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コメント
No title
草相撲の力士!番付表!!おおおっ面白そうです。
水元の保存状態は、「どうぞ端から担いでみてください!」と言わんばかりの、並べ方ですねぇ。
自粛が解除されたら、1つ担ぎに行ってみたいと思います(もちろん「人を担ぐ材料収集」ですが?)
力持連中記念碑も富士塚もぜひ訪問したいなぁ!
2020-06-10 23:26 torikera URL 編集
とりけらさんへ
力石も喜びます。
私は力石を見に行くとき、なるべくぞうきんを持って行くのです。
何のためかというと、石を拭いてあげるため。なんだかおかしいですけど。
2020-06-11 11:18 雨宮清子(ちから姫) URL 編集