お詫び
三重県総合博物館
渋沢栄一翁が青年時代に持った力石をご紹介するつもりでしたが、
上田市から、「現段階では、
この力石のブログ掲載も、渋沢関連の施設へ伝えることも禁止します」
との要請があり、掲載できなくなりました。
これは決して上田市が冷たいのではなく、
あくまでも、石の所有者や直接の情報提供者への配慮を考えてのことで、
私は、行政として当然のことと受け止めております。
実際、
担当者さまの熱心な働きかけがなければ、石の発見は難しかったのです。
ちなみに所有者さんなどのお名前や住所等、私は全く聞いておりません。
お聞きしても無断で使用したことは今までありませんし、これからもありません。
私が力石に関わる理由は、後学の研究者のために、
放置された力石の記録を一つでも多く残したい、そんな思いからです。
今後は、そういう活動であることをご理解いただくよう努力を重ね、
すでに計画していた現地調査を改めて慎重に練り直し、
師匠の高島先生と共に、
上田市のご理解を得ながら進めて行きたいと思っております。
「栄一」石の掲載を心待ちにしてくださっていたみなさま、
また、「上田市の報告がブログにUPされるのを楽しみにしています」
と言ってくださった栄一翁の生誕地・深谷市の
「渋沢栄一記念館」の学芸員さんをもがっかりさせてしまったことを
お詫びいたします。
10年余の力石調査では、現地でお会いした方はどの方も温かく迎えてくださり、
泥まみれの力石を前に笑顔で昔話を聞かせてくれました。
今度のような事態は初めてで、正直なところいささか戸惑っております。
せめて、栄一翁の力石がどんなものであったか想像していただきたく、
担当者さまが知らせてくださった現地の方の声を記します。
「渋沢栄一、ものすごき怪力なり」
「力石は"たすき掛け"であやつった」
近いうちにより充実した報告が出来ますよう、がんばってまいります。
栄一翁の力石の代わりに、楽しいお話を一つ。
題は「大石」
「裏長屋へ引っ越してきた貧乏浪人のもとへ客が訪ねてきた。
貧乏なので世帯道具は手桶と煮炊きをする焙烙(ほうろく)しかない。
浪人、客に向かって、質素なのは心身鍛錬のためと大見得を切った。
そこで客は土間に置かれた大石をさして、
踏み石とは見えないが、これは何だと聞くと、
浪人がいうには、寒さしのぎに持ち上げる火鉢代わりの石だと答えた」
力石をストーブ(火鉢)代わりにするという利用法は初耳です。
やせ我慢の貧乏さむらいの
ちょっぴり哀れで笑うに笑えない笑い話でした。
※参考文献・画像提供/「江戸風俗絵入り小咄を読む」武藤禎夫
東京堂出版 1994
「道づれ噺」安永4年刊 鳥居清経画
都立中央図書館蔵
上田市から、「現段階では、
この力石のブログ掲載も、渋沢関連の施設へ伝えることも禁止します」
との要請があり、掲載できなくなりました。
これは決して上田市が冷たいのではなく、
あくまでも、石の所有者や直接の情報提供者への配慮を考えてのことで、
私は、行政として当然のことと受け止めております。
実際、
担当者さまの熱心な働きかけがなければ、石の発見は難しかったのです。
ちなみに所有者さんなどのお名前や住所等、私は全く聞いておりません。
お聞きしても無断で使用したことは今までありませんし、これからもありません。
私が力石に関わる理由は、後学の研究者のために、
放置された力石の記録を一つでも多く残したい、そんな思いからです。
今後は、そういう活動であることをご理解いただくよう努力を重ね、
すでに計画していた現地調査を改めて慎重に練り直し、
師匠の高島先生と共に、
上田市のご理解を得ながら進めて行きたいと思っております。
「栄一」石の掲載を心待ちにしてくださっていたみなさま、
また、「上田市の報告がブログにUPされるのを楽しみにしています」
と言ってくださった栄一翁の生誕地・深谷市の
「渋沢栄一記念館」の学芸員さんをもがっかりさせてしまったことを
お詫びいたします。
10年余の力石調査では、現地でお会いした方はどの方も温かく迎えてくださり、
泥まみれの力石を前に笑顔で昔話を聞かせてくれました。
今度のような事態は初めてで、正直なところいささか戸惑っております。
せめて、栄一翁の力石がどんなものであったか想像していただきたく、
担当者さまが知らせてくださった現地の方の声を記します。
「渋沢栄一、ものすごき怪力なり」
「力石は"たすき掛け"であやつった」
近いうちにより充実した報告が出来ますよう、がんばってまいります。
栄一翁の力石の代わりに、楽しいお話を一つ。
題は「大石」
「裏長屋へ引っ越してきた貧乏浪人のもとへ客が訪ねてきた。
貧乏なので世帯道具は手桶と煮炊きをする焙烙(ほうろく)しかない。
浪人、客に向かって、質素なのは心身鍛錬のためと大見得を切った。
そこで客は土間に置かれた大石をさして、
踏み石とは見えないが、これは何だと聞くと、
浪人がいうには、寒さしのぎに持ち上げる火鉢代わりの石だと答えた」
力石をストーブ(火鉢)代わりにするという利用法は初耳です。
やせ我慢の貧乏さむらいの
ちょっぴり哀れで笑うに笑えない笑い話でした。
※参考文献・画像提供/「江戸風俗絵入り小咄を読む」武藤禎夫
東京堂出版 1994
「道づれ噺」安永4年刊 鳥居清経画
都立中央図書館蔵
コメント
こんにちは
上田市の職員の善意もありがたかった。
いずれ、理解してもらえる時が来るでしょう。
何時もながら姫の研究熱心には感動しています。
地方ではまだ公表されていない「力石」もあるでしょう。
持ち主が知らないでいるかもしれません。
最後の貧乏浪人の話のように、
置き石になっているものもありそうです。
古い家屋は床が高かったから、
庭への出入りに石がいります。
昔、田舎の親戚でも縁から降りるときの石が、
かなり大きかったように思うのですが・・・
2019-08-02 17:30 one0522 URL 編集
No title
現地へ行き、写真を撮り、動画までお送りくださる役所もありました。市長の秘書の方から「うちの力石のこと、よろしくお願いいたします」なんて丁寧なお手紙を頂戴して、このときは私ごときに、と恐縮しました。
石の所有者への橋渡しをしていただいたり、一度では解決しない時は何度もやりとりをしてもらったり。ブログへの掲載はとかく軽く見られがちですが、幸いにも今までそういうことはありませんでした。
上田市の「栄一石」、写真を見せていただきましたが、大変立派な石でしたが、無銘の石で地面にめり込んでいました。個人所有の石は親から子へと受け継がれることはまずありませんので、それがちょっと心配です。
2019-08-02 18:47 雨宮清子(ちから姫) URL 編集