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野田醤油醸造之図

神田川徳蔵物語
12 /11 2017
醤油が作られる工程を描いた押絵扁額をお見せします。
押絵細工師の4代目勝文斎椿月(勝川文吉)が、
明治初期に制作した作品です。

「押絵」とは、人物や花鳥などの絵を綿と布で包み、板などに貼りつけたもの。

例えば桜の花なら、厚紙を桜の花びらの形に切り抜いてピンクの布でくるみ、
厚紙と布の間に綿を入れます。そういうパーツを組み合わせて板に貼り、
桜の花にしていきます。ふくらみがあるので立体感が得られます。

羽子板の役者絵や藤娘などがそうですね。
子供のころ羽根つきに使いましたが、重くて大変でした。

「野田醤油醸造之図」です。

押絵扁額(野田醤油醸造之図)

この扁額は、
キッコーマン国際食文化研究センター野田市郷土博物館へ寄託したもので、
同センターと博物館のご好意により、ここに掲載することができました。

なにしろ幅が3m67㎝、高さが94㎝もありますから、
ブログで全体を理解するにはちょっと無理があります。

なので、部分に分けて見ていきます。

材料の仕込みの様子です。
押絵扁額(野田醤油醸造之図) (2)

醤油醸造の工程をちょっと述べてみます。
私の知識はにわか仕込で「熟成」にいたっていませんので、
詳しくは各醸造会社のHPをご覧ください。

醤油の原材料は大豆、小麦、塩でそれに麹菌だそうです。
昔は古い家屋の天井などに酵母菌が住んでいて、
みそ、しょう油などはその恩恵を受けていたとか。

日本人の知恵って素晴らしいなと思います。

上の絵は、蔵人たちが大豆や小麦の仕込みをしているところですが、
手前にいるのは見物人で、
勝文斎は当時の人気役者を見物人に扮装させて描いたそうです。

次は圧搾(あっさく)。しぼり出しです。
押絵扁額(野田醤油醸造之図) (3)

圧搾には石を使いました。
前々回お伝えした「吊り石」です。
この時活躍したのが、力石に名を残した男たちです。

この「野田醤油醸造之図」は、
野田の醸造家仲間が勝文斎に制作依頼したもので、
明治10年、上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会に出品。
褒賞を受けました。

このとき、勝文斎の親友、絵師の河鍋暁斎の錦絵も版元から出品されました。

この博覧会は富国強兵、殖産興業の一環として開催されたため、
ミシンや農機具の展示などがあったそうです。
でも、それと暁斎さんの錦絵とは合いませんよね。
ミシンや農機具の戯画ならおもしろかったでしょうけど。

樽詰めです。
押絵扁額(野田醤油醸造之図) (4)

この明治10年は西郷隆盛の西南戦争があった年です。
でも観客は45万4000人もあったそうですから、
日本人の心は完全に新時代へ走り出していた、ということでしょうか。

それにしても入場者が45万人って、
これ、当時の東京府の人口の約半分ですよ。ホントカイナと思いましたが、
国立国会図書館の記述なので、ウソではありません。

で、勝文斎は、この扁額制作のため住まいの東京・人形町から、
千葉県野田までせっせと通って観察を続けたそうです。

これが縁で、息子の5代目勝文斎は、
野田のくづもち屋・西宮幸七の長女と結婚。

石を担ぐ男たち吊り石をもう少しはっきりお見せします。

1醤油醸造図部分

押絵細工師の勝文斎椿月は、河鍋暁斎はもちろん、
力持ちの本町(浪野)東助とは終生の友だったそうですから、
石を担ぐ男たちを描くときは、きっと東助さんも参考にしたと思います。

リアルです。
2醤油醸造図部分

扁額完成と褒賞受賞の折りには、
東助持参のカキやナマコを肴に、野田の醤油醸造家や暁斎などと
おいしいお酒を、ハメをはずして飲んだと思います。


※画像提供/
 キッコーマン国際食文化研究センター/野田市野田250 ☎04-7123-5215
 野田市郷土博物館/野田市野田370-8 ☎04-7124-6851

なお、野田市郷土博物館にはこの扁額のほかに、
歌舞伎役者を描いた押絵行灯などの作品も収蔵されています。

コメント

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石と醤油

石と醤油の相関関係が見事に絵になっていますねぇ。
一つのことを追っかけているとすべてに通じてしまう。
なんとまあ、ちから姫さまの執念が実るのでしょうか。
パチパチパチ。

拍手ありがとうございます

一つのことからいろんなことが派生する、
本当におもしろいです。

明治の初めに生きた人たちは新政府への反発もあって、その反発と自分のこれからを模索するエネルギーとが複雑にからんで。それがまた魅力なんですけど。

石をテーマの単純なブログですが、
こんなに続けられるとは思ってもいませんでした。
みなさまのおかげですね。

おはようございます

毎回毎回、素晴らしいエントリーに感心しています。
写真や解説など丁寧に書かれて気に入っています。

私の場合は、一つ書くだけでも写真の選別や、
関連の記事など見ながら時間が掛かってしまいます。

やはり姫の経験で書類作成が上手なんですね。

何時も、次のブログが見たくなりますからね。

ありがとうございます

最初はこのブログは1年ぐらいと思って書き始めましたが、いつの間にか4年も。
力持ちのご子孫が名乗り出てくれて、
新しい展開になってきたことが大きかったです。

こんなマニアックな零細ブログでも、どこかでだれかが見てくださっているんですね。いい加減な気持ちでは書けないと気を引き締めました。

でもこのところ少々疲れが出てきました。
が、がんばります。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞