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神話とサイエンスの融合

盃状穴②
05 /29 2023
「日本史サイエンス 弐
邪馬台国・秀吉の朝鮮出兵・日本海海戦の謎を解く講談社 2022を読んだ。

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著者は播田(はりた)安弘氏。

「古代史のテクノロジー」の著者・長野正孝氏と同じ、エンジニアです。

長野氏は「海の技術屋」と自己紹介していましたが、
播田氏は「船の技術屋」と。

「父は造船所経営。母の実家は江戸時代から続く船大工「播磨屋」の棟梁。
ご自身は三井造船で大型船から特殊船までの基本計画を担当した」という。


どっぷり「船」と共に歩んできた播田氏、
「エンジニアなりの発想で、邪馬台国の謎解きに挑戦した」
そうです。

この本と並行して、
「歴史道・卑弥呼と邪馬台国の謎を解く!
(監修・武光誠 朝日新聞出版 2021)も読んでみた。

こちらの執筆陣は日本古代史、中国古典、文化財、日本史、考古学などの
アカデミックな学者さんたち。


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どちらも「邪馬台国の謎解き」だが、その捉え方が違って興味深かった。

エンジニアのお二人は、当時は「瀬戸内海航行」は無理といい、
大陸との「交易」を重視しているのに対し、
学者連は「瀬戸内海航路」をとり、中国への「朝貢」に重きを置いていた。

技術者のお二人が「瀬戸内海航行は無理だった」として、
山陰航路を主張した理由はこうだ。

播田氏は、かつていろんなチームが行った大陸から日本への
実験航海を取り上げ、その失敗の一つをこう説明していた。


「一見、瀬戸内海は穏やかに見えるが、
潮流が速く、渦を巻き、干満の差が激しく、浅瀬が多く難しい海域。
だから平清盛時代までは宋からの船は福岡止まりで、
瀬戸内海は航行していなかった」


「日本史サイエンス 弐」より
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では山陰ルートはどうかというと、

「日本海側の対馬海流は速く困難を極めるが、古代人は往来していた」
それを可能にしていたのは「流れに任せていたから」と播田氏はいう。


「釜山を船出し、対馬の北端の韓崎まで行き、
そこから南に向かって出港すれば、そのまま対馬海流に流されて北上し、
山陰の益田や浜田に向かって船が進む。

やがて海上から山陰の三瓶山、大山が見えてくる。
そのまま陸伝いに海路を行けば、出雲の方向に高い塔が見えてくる。
九州を目指すより山陰を目指すほうがはるかに楽で、自然に到着する」


「往路で九州から朝鮮半島へ行く場合は、福岡から出航するより、
西の唐津や平戸から船出して壱岐へ行き、海流に乗って対馬の北端へ。
そこから陸沿いに南下して対馬海流を利用すれば朝鮮半島へ着く。
古代の船でも楽に航海できたと思われる」

難しい「流体力学」などについては、本書をどうぞ。

矢印が「韓崎」
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海流のほかに播田氏が強調しているのは、
「翡翠と鉄の交易」です。

「5500年前の縄文時代、
新潟県糸魚川支流の姫川や海岸で翡翠が発見され、加工が始められた。
ここには世界最古の翡翠加工所があった。
その翡翠が大陸の人々に届けられ、大陸からは鉄が入ってきた。

その証拠に、
6000年前に日本で作られた曽畑式土器が朝鮮半島で出土したり、
逆に朝鮮半島で作られた櫛目式土器が日本で出土している。
韓国の「天馬塚金冠」
(5~6世紀のもの)に、姫川の翡翠が使われている。

このことから、糸魚川から山陰へ向かう「翡翠の道」と、
大陸から山陰へ向かう
「鉄の道」が存在した」と播田氏はいう。

これは長野氏の「大陸とを結ぶ縄文時代からの交易路」と同意見です。

ただ、長野氏の「倭国は日本海沿岸の竪穴住居群の連合体。
卑弥呼は丹後あたりにいたのではないか」
に対して、播田氏は違います。

この邪馬台国の所在地について「九州説」と「近畿説」がありますが、
未だに決着がついていません。
だから「魏志倭人伝」が示す邪馬台国までのルートも未確定です。

確定しているのは、対馬、壱岐を経て北九州の博多までで、
これはどの学者さんたちにも異論はないとのこと。

では、「技術屋さん」お二人が考えた「山陰ルート」はどうかというと、
「畿内説」の学者さんたちにも取り上げられてはいますが、
やはり、圧倒的に支持されているのは「瀬戸内海ルート」だそうです。


「船の技術屋」播田氏は、ルートと邪馬台国についてこう考えました。

対馬→壱岐→松浦→糸島→博多と確定ルートは同じですが、
その先から違ってきます。


「博多から福岡県遠賀郡へ行き、そこから船に乗り山口県下関を経由して
山陰に渡り、日本海を進んだ」


「邪馬台国は最初九州にあり、卑弥呼の死後山陰ルートで但馬から
円山川を遡って豊岡に上陸。そこから近畿に入り纏向勢力を併合した」


「古代史サイエンス 弐」より
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私はもう、「なるほど!」と唸りっぱなし。

学者さんたちの説より播田氏のいう
「神話とサイエンスを融合させた視点からの検証」のほうが、

技術に裏付けされて、説得力があって、断然、面白かった!

サイエンス、最高!

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞