2021/03/30
野口 勲「タネが危ない」
日本経済新聞出版社(2001年刊)
野口 勲
1944年東京・青梅市に生まれる。
親子三代にわたり在来種・固定種・全国各地伝統野菜のタネを扱う種苗店を埼玉・飯能市で経営。
『いのちの種を未来に』(創森社)
はじめに
F1全盛時代の理由の第一は、大量生産・大量消費社会の要請である。収穫物である野菜も工業製品のように均質であらねばならないという市場の要求が強くなった。箱に入れた大根が直径8センチ、長さ38センチというように、どれも規格通り揃っていれば、一本百円というように同じ価格で売りやすくなる。経済効率最優先の時代に必要な技術革新であったとえいるであろう。
固定種は、形質が固定されたとはいっても、一粒一粒のタネが多様性を持っているため、生育の速度がバラバラになる。一斉に収穫できないから、早く畑を空けて次の作付けをすることもできない。一度まいたタネで長期間収穫できるというのは家庭菜園にとってはありがたいことだが、一定規模の畑を年に何度も回転させ、いくら収益をあげるかが生活基盤になるプロの農家にとっては、F1こそが理想のタネになる。
近年、全国の種苗店のみならず、ホームセンター、JAでも、F1のタネばかり販売するようになったが野口種苗は全国で唯一、固定種のタネの専門店を自称している。揃いが悪いので市場出荷には向かないけれど、味が好まれ昔から創り続けられてきた固定種は、家庭菜園で味わい、楽しむ野菜にぴったりだ。
第1章 タネ屋三代目、手塚漫画担当にタネ屋に生まれて
自給用野菜のタネとして、昔から「固定種」という在来種を中心に扱ってきた。固定種のホウレンソウや菜っ葉は、現在、種子業界の主流となっているF1に比べて味がよく、また生育が均一でなく、大きく育ったものから間引きつつ長期間にわたって収穫できるため、まさに自給用として重宝されてきた。
昭和30年代までは、固定種の需要も多く、日本全国に広く販売していたが、40年代からF1の時代になり、生育速度や均一性や周年性で劣る固定種は、出荷用野菜のタネとしては全く売れなくなってしまった。
50才を契機に固定種タネをネット販売
2007年、実家に隣接する倉庫を改造して店に造り替え、農薬も、肥料も、苗もF1のタネも、園芸用具も農業資材も一切やめて、固定種のタネだけをインターネット通販で販売する店に衣替えした。たぶん日本で一番店構えのタネ屋であろう。
第2章 すべてはミトコンドリアの采配人はミトコンドリアによって生かされている
なぜ精子のミトコンドリアのDNAは遺伝しないのか。哺乳類の場合、卵の中のミトコンドリアは約10万個、一方精子は約100個といわれているが、この数少ない精子のミトコンドリアは卵の中に入るとすぐに分解されてしまうことが最近になって明らかになってきた。(『ミトコンドリアと生きる』瀬名秀明・太田成男著)
2008年、ミトコンドリアと同時に植物では葉緑体の遺伝子が増殖を終えないと、細胞の増殖も起こらないことが分かった。つまり、ミトコンドリアの増殖が単細胞生物から多細胞生物への引き金になったというのだ。これまでミトコンドリアも葉緑体も核の遺伝子によって支配されていると信じられてきたが、もしかしたら逆で、ミトコンドリアこそ、われわれ人類にまで続く進化の支配者であるかもしれないというわけだ。
第3章 消えゆく固定種 席巻するF1
最初の栽培植物はひょうたん?
日本の青森の遺跡からひょうたんの遺物が発見された。時代は約9000年前。ひょうたんはアフリカ原産である。この時代の縄文人がアフリカと交易し、ひょうたんを手に入れていたとは考えられない。
ということは、アフリカ大陸を出るときに、人類はひょうたんを持って出た。ひょうたんの中に水を入れ、旅ができるようになって初めて、人類は海を渡り、地球上に広がっていったのではないかというのが、湯浅浩史先生の説である。南米でも同じ時代の遺跡からひょうたんが見つかっている。
優性と劣性
湯浅先生によると、ひょうたん型というのはメンデルの法則でいう遺伝子の「劣性」で、くびれのないユウガオ型のほうが「優性」である。味でいうと苦いのが「優性」で苦くないのは「劣性」だという。
よくF1のタネの長所について、種苗会社の人間は「父親と母親の優れたところだけが現れるからいいんです」と言うが、これはとんでもないうそっぱちだ。F1は人間とって都合のいい形質が現れるように作っているだけで、優れているわけではない。
固定種が消滅した三浦大根
三浦大根という大根がある。現在流通している三浦大根で、昔からの固定種のものはひとつもない。三浦半島で作られている三浦大根は、すべて「黒崎三浦」という名のF1である。F1になることによっって、形が均一に揃う。成長も早まるから、三浦半島の生産者はみんなこれを作るようになった。
本来の固定種の大根はきめが細かく、非常に緻密で硬い。生で囓ると辛い。煮ることによって辛味が甘味に変わっていって、どんなに煮ても煮崩れしない、おいしい大根になる。だからおでんにぴったりで、煮れば煮るほど甘味が増し、味がしみてくる。これに対し、F1大根は、生育が早まって、揃いがよくなる代わりに、細胞がざらっとした感じになる。
F1は放っておいても同じ大きさになる。売れない固定種をわざわざ母本選抜してタネを採る種苗会社はほとんどなくなってしまった。
固定種の多様性・個性は、販売する場合には邪魔になる。昔、固定種のタネで野菜が作られていた時代には、八百屋さんは一貫目いくらとか、一キロいくらとか、重さを量りながら値付けして売っていた。ところが、それでは今の流通にはまったく合致しないから、固定種の野菜は自家消費に回った。
試しに、近所の直売所で「黒崎三浦」を買ってきて、固定種三浦と食べ比べてみた。なるほどと思った。「黒崎三浦」は梨のようにみずみずしい。辛味がまったくなく、甘さのない果物のようである。えぐみなし、個性なしがいいとは、人の好みも変わってしまったのだな、とつくづく思った。固定種三浦は収穫まで四ヶ月かかるのに対し、F1大根は二ヶ月半でできる。しかし、細胞は水ぶくれで、味がない。
今スーパーの店先に並ぶ野菜は、国産と銘打っているものが圧倒的に多い。では、年々、輸入量が増加しているという外国野菜はどこで消費されているのか。
当然、業務用、外食産業である。外食産業は成長する輸入野菜市場の最大の顧客となっている。
種苗メーカーや産地指導にあたる農業センターの人の話によると、外食産業の要求は、「味付けは我々がやるから、味のない野菜を作ってくれ。また、ゴミが出ず、菌体量の少ない野菜を供給してくれ」ということだそうだ。こうして世の中に流通する野菜は、どんどん味気がなくなり、機械調理に適した外観ばかり整った食材に変化していく。
こんな状況の中で、地方の伝統野菜が、数少ない本物志向の消費者や昔おいしかった野菜の味が忘れられない高齢者の指示を集めている。こうした伝統野菜は消滅した地方市場に代わって「道の駅」などの直売所で扱われている。
地方野菜・伝統野菜の可能性
固定種の地方野菜や伝統野菜を他の地域でまいても、風土と密着したもとの味は出せないかもしれないが、日本のどこでも作れるものばかりだ。もともと日本にあった野菜はワサビやフキ、ミツバ、ウドくらいで、それ以外は世界中から入ってきて、日本の気候風土になじんだ伝来種である。遺伝子が本来持つ多様性や環境適応性が発揮されて、三年も自家採取を続ければ、新しい土地の野菜に育ってくれる。
販売用の野菜タネのほとんどをF1にしてしまったのは日本くらいで、フランスのタネのカタログを見ると、7~8割が現在も固定種である。外国野菜のタネを取り入れ、新しい日本の野菜を創造するのもおもしろいと思う。
新ダネと野菜種子の寿命
野菜の種類によって、種の寿命も違うし、採種地のその年の天候によって、充実の度合いも違うから、一概に言えませんけど、普通は、お茶の缶などに乾燥剤と一緒に入れて、冷蔵庫など低温で湿度も低い場所にしまっておけば、数年は大丈夫ですよ。温度と湿度が低くて一定している所なら、タネの生命力はそんなに落ちません。ただ、外気温の変化をそのまま受ける場所や、湿気の多い所に保存した場合、日本の真夏の高温多湿を経験するごとに、確実にタネの寿命は尽きてきます」
A 短命種子(1~2年)
ネギ、タマネギ、ニンジン、三つ葉、落花生
B やや短命種子(2~3年)
キャベツ、レタス、トウガラシ、エンドウ、
インゲン、ソラマメ、ゴボウ、ホウレン草
C やや長命(2~3年)
大根、カブ、ハクサイ、ツケナ類、キュウリ、
カボチャ
D 長命種子(4年以上)
ナス、トマト、スイカ
指定産地制度でモノカルチャーが加速
単一の作物を生産して都会に提供する農家であれば、価格が暴落して経営が悪化しても、作物を廃棄して生産調整に協力すれば補助金を出すという、指定産地制度のおかげで、日本中の農業がモノカルチャーになり、周年栽培を売り物にしたF1が台頭した。それまで自分でタネ採りしていた農家が種を買う時代になった。F1誕生の歴史である。
農家は野菜産地指定制度によって、同じ野菜ばかりを作るようになった。長野・嬬恋のキャベツ、熊本のトマト、高知のピーマンなどは一年中作られている。豊作になって価格が暴落すれば、価格調整のためトラクターで踏みつぶす。
トラック輸送が発達し、おかしなことに大量に作られた野菜は、いったん東京、大阪へ集約され、そこから再び熊本、鹿児島などの産地へ戻っていく現象も起きた。
第4章 F1はこうして作られる「除雄」を初めて行ったのは日本人
1924(大正13)年、埼玉県農事試験場が真黒ナスと巾着ナスをかけあわせ、「埼玉交配ナス」というものを作った。これは雑種強勢が強く働き、たくましく、長い期間育って、実がたくさん採れると、評判を呼んだ。世界最初のF1野菜はナスだった。
固定種時代は縞のないスイカがおいしいといわれていたが、F1の時代になって、日本中のスイカがみな縞のあるスイカになった。「縞王」という名の、縞の美しさを売り物にするベストセラーも出てきた。
自家不和合性を使ったアブラナ科のF1
アブラナ科の野菜にはおもしろい性質がある。自分の花粉でタネをつけることができず、他の株でないとタネがつかないのである。自分の花粉を非常に嫌がる性質が働くのだ。これを自家不和合性という。ひとつのタネから生えた株の花粉では受粉できないが、同じ母親からとれたタネ、兄弟分であれば実がついたりする。隣の株の花粉でなら受粉ができる。そこで、この兄弟の花粉がかかっても受精しないよう、純系の度合いを強めてホモ化させ、絶対に実らないようにするのである。おもしろいことに、自分の花粉を嫌がる自家不和合性は、つぼみのとき働かず、花が成熟してから働く。そこで、つぼみのときに、つぼみを小さなピンセットで開いて、すでに咲いている自分の成熟した花粉をつぼみにつけてやる。すると受粉してしまう。
この作業でできたタネは、花が咲き自分の花粉が兄弟分にかかっても、タネはできない。
こうした状態のカブと白菜をかけ合わせる。すると、カブの花粉でタネをつけた白菜と、白菜の花粉でタネをつけたカブのタネができる。花粉を出す役目を終えたカブを全部ブルドーザーでつぶしてしまうと、カブの花粉のついたF1の白菜タネができる。ヨーロッパ生まれのネコブ病の抵抗性をもつ家畜用カブから、ネコブ病抵抗性を白菜に取り入れるときに使われている。カブの耐病性を取り入れたF1白菜ということになる。
タネのできない花が見つかった
雄性不稔とは、植物の葯や雄しべが退化し、花粉が機能的に不完全になることをいう。
このような花があれば、そばに必要な花粉を出す別の品種を植えておけば、容易にF1ができてしまう。
これをF1の母親株にして、畑にまき、そばに必要な雑種強勢が働く、遠く離れた系統の特徴ある性質を取り込む父親役をまいて交配すれば、販売用のF1タマネギのタネが採れる。こうして雄性不稔利用の技術が完成した。この雄性不稔のF1タマネギが発表されたのは、第二次世界大戦もたけなわの1944年のことだ。その後、ニンジン、トウモロコシなど、雄性不稔はいろいろな作物に利用されるようになる。
雄性不稔はミトコンドリア遺伝子の異常
ミトコンドリア遺伝子の異常は、母親から子どもに伝わっていく。代々の子どもはみんな子孫をつくれない無花粉症になる。母親の個体異常が子どもへどんどん広がっていく。このタマネギを買って、畑に植えてみればよくわかる。咲いた花は全部いじけた花粉のでない花になる。
近年、人間の男性不妊症や動物の不妊も、ミトコンドリア異常が原因だといわれている。2006年10月3日付け読売新聞は、「動物の男性不妊症、無精子症はミトコンドリアの変異が一因」と伝えている。ミトコンドリアの遺伝子が傷ついたことにより、精子の数や運動量が減り、不妊症状、無精子症になることがマウスを使った実験で分かったという記事である。
われわれはそのF1野菜を食べている。我々は日常的に、生殖能力を失った、ミトコンドリア異常の野菜を食べている。タマネギのミトコンドリアはタマネギの全体の重さの1割を占める。
ゲノムを超えて受け継がれる雄性不稔因子
今、自家不和合性から雄性不稔利用へと、キャベツ、カブ、白菜などのアブラナ科野菜がどんどん生まれ変わりつつある。
春まきの青首ダイコンもすべて雄性不稔に
サカタの代表的な品種で大きなシェアを誇っている金系201号という春キャベツがある。数年前から「金系201EX」と尻尾に「EX」とついたものが一緒に並んで掲載されるようになった。タキイの場合は「SP」。これがついたものが新たに生まれた雄性不稔のキャベツである。日本の野菜がすべてこういう方向に向かっている。
最近のタネ屋事情
F1のタネは現在ほとんど一袋525円で、これが最低の値付け。結構高い。わけのわからないものでは百円で二袋というものがある。外国産で大量に仕入れたものを低温貯蔵庫に入れる。売れずに残ったももの処分値なのだろう。
第5章 ミツバチはなぜ消えたのかF1のタネ採りに使われているミツバチ
タマネギの採種は日本ではそれほど行われていない。日本の種苗会社は外国の種苗会社に父親と母親を渡し、委託採取している。だから、ほとんどのタネが外国産になっているはずだ。
F1のタネ採りに使われているミツバチ
タマネギの採種は日本ではそれほど行われていない。日本の種苗会社は外国の種苗会社に父親と母親を渡し、委託採取している。だから、ほとんどのタネが外国産になっているはずだ。
確証は見つからないが
僕の仮説はこうだ
1 1940年代、タマネギを筆頭に、ニンジンなど 雄性不稔植物に受粉させてF1種子を得るため、養 蜂業者のミツバチが活用されるようになった。
2 ミツバチはミトコンドリア異常の蜜や花粉を集め、 ローヤルゼリーにして次世代女王蜂の幼虫に与える。
3 新しい女王蜂は次の女王蜂と数匹のオスバチを生 む。このオスバチは女王蜂の遺伝子しか持っていな い。
4 ミツバチは代々雄性不稔の蜜と花粉を集めて次世 代の女王蜂とオスバチを育て続けていく。
5 ミトコンドリア異常のエサで育った女王蜂は、世 代を重ねるごとに異常ミトコンドリアの蓄積が多く なり、あるとき無精子症のオスバチを生む。
6 巣のすべてのオスバチが無精子症になっているこ とに気づいた働きバチたちはパニックを起こし、集 団で巣を見捨てて飛び去る。
人間の精子も激減
人間にもたらす影響はなお未解明
守りたい地方野菜と食文化
僕がいちばん言いたいのは「固定種の野菜を栽培して、どうか自分でタネを採っていただきたい」ということだ。固定種の良いところは、自家採取できるという点である。自家採取を三年も続けていれば、その土地に合った野菜に変わっていく。また自家採取は、有機栽培農家にとって、基準通りの「有機認証」を取得するための唯一の方法でもある。有機認証基準では、「種子も有機栽培で育てられたものを使うこと」と決められているが、実は日本の種苗会社が販売しているタネで、この規格に合致するものは何一つない。有機栽培農家が自家採取する以外、国内でこの基準に準拠したタネを入手する方法はない。
蚕から始まった一代雑種つくりの原点は、「自家不和合性」や「除雄」による「雑種強勢効果の発現」が目的だった。しかし、「雄性不稔」が見つかってから、いかに雄性不稔株を見つけて増殖し、また近縁種に取り込むかということが基本になった。その株に何をかけたら効率よく商品ができるかという一代雑種つくりに変化したのだ。今では「雑種強勢」はあるに越したことはないが、なくてもいい、ないがしろになってきている。そして現在は雄性不稔を見つけるよりも、「遺伝子組換え」技術によって雄性不稔因子を組み込もうという流れになっている。
かつて野菜栽培というのは、ただタネをまいて収穫するだけではなく、自家採取して品種改良していくことまですべて含んでいたということが、何にもましてよくわかった。当店のオリジナル絵袋も「採種法」という項目を入れて、栽培する人が自家採取しやすいよう手助けをしている。
付録
僕は決してF1を否定しない。一億二千万の日本人を養うためには、F1は欠かせないと思っている。しかし、それはあくまで市場流通を目的とした産地経営の視点での話だ。自給用野菜、家庭菜園の世界には、別の視点、別の価値観をもって頂きたいと思う。毎日野菜の顔を眺め、声をかけ、収穫し、できればそのタネを採り、またそのタネをまく。すると野菜が友だちになり、家族の一員になる。
家庭菜園は固定種がいい。
周年栽培や収量の増加、そして省力化は、営利栽培にとって何より大切な要素です。しかし、味の低下や栄養素の減少は家庭菜園にとっては大きなマイナスです。自分や家族のための家庭菜園ならば、ホウレンソウは、栽培容易な秋から冬に育て、旬の冬においしく食べる固定種の「日本」や「豊葉」や「次郎丸」のほうが向いています。
一斉収穫か長期収穫か
家庭菜園にとっては、まいたタネがすべて同時に収穫期を迎えるということは、大変困ったことになります。野菜の成長速度イコール老化速度でもありますから、収穫が遅れた野菜は硬くなったり筋張ったりして、おいしく食べられません。その点固定種は、同じ両親から生まれた兄弟でも、個体差がありますから、生育速度に幅があります。早く大きく育った野菜から収穫していくと、晩生の子が空いたすき間で成長するので、畑に長くおけて、野菜本来の味を長期間楽しめます。
固定種は自家採種で強くなる
固定種は自家採種が繰り返されることにより、地域で変異を重ねた病害菌にも抵抗性を獲得してきました。つまり固定種は気候風土に合わせ、どんな病気にも対応できる可能性を秘めています。地域外から固定種のタネを取り寄せ、栽培開始した初年度はあまりうまく育たないものが多くても、栽培した中で一番良くできた野菜から自家採種し、そのタネを翌年まくと、どんどんその土地に適応して、無農薬でも、時には無肥料でも、病気にかからず大きく育つ野菜に変化していきます。固定種のタネは、選抜と自家採種によって、土地に合ったタネを産み、土地がそれをまた新たに育んでくれます。固定種のタネを販売するとき、お客さまがタネ採りすることを嫌がらないようにしたいです。F1品種が隘路にはまったとき、そのタネが日本の農業を救う日がくるかもしれないのですから。
(評)
野菜などの作物のタネにはF1種と固定種とがあり、その性質の違いがよくわかる一冊である。筆者は固定種専門のタネ屋さんだから、タネの世界に起きていることをわかりやすく説き、現在F1一色に染まっている日本の危うい現状を訴えている。それはもちろん、固定種への誘いという意図も隠れているのであるが、筆者は決してF1の価値を否定してはいない。F1種と固定種とは使い道が異なるのだという。
効率よく、大量消費向きに、ある意味工業製品のように均一なものを市場に提供するプロの農家にとってはF1種がその目的を果たしてくれるであろう。
しかし、味の良さ、栄養成分のよさ、作物を栽培する楽しさなどを求めるならば、固定種の方がいいというのである。その通りであろう。自然栽培や有機栽培をやっている人たちは早くからこのことはわかっていただろうが、一般の人に向けてこの本は書かれたのである。
家庭菜園がブームになりつつある今日、この本の意義は大きいと思う。多くの人が固定種の存在に目を向けて、タネ採りまでできるようになってくれればいいと思う。
話は、タネ屋さんらしく、F1種の作り方に進んでいく。F1種がどうやって作られてきたか、その歴史的な始まりから現在の状況までが詳しく述べられている。そして、現在の状況はそれが本当なら、ぞっとするような危うい状況にあることが明らかにされる。
「雄性不稔」という聞き慣れない言葉がそのキーワードである。理屈は簡単である。生物にはごく低い確率で常に突然変異が起こっている。その突然変異の中にに花粉を生じないものが現れることがある。この突然変異を取り込んだ作物をつくり、これを母親株とし、もう一つの父親役の株との交雑でF1をつくるというのである。こうすれば、簡単にF1のタネができ、しかもそのF1には花粉が生じないから1代きりで終わる。タネ屋にとっては毎年種を買ってもらえる。この技術が進歩して近年のF1のタネはほとんどがこの方法で作られているという。
驚愕すべきは、この「雄性不稔」の原因がミトコンドリアの異常にあるということである。ミトコンドリアは細胞質遺伝をするから、母親株を通じて何代も何代も遺伝し続ける。このF1のタネをまいてできた作物のミトコンドリアも当然、異常な母親株と同じものである。
そして、近年、世界的な話題となり、関連本もいくつか出されている「ミツバチの大量消滅現象」の原因がこのミトコンドリアの異常による「雄性不稔」にあるのではないかというのが筆者の仮説である。異常なミトコンドリアをもつエサをとり続けた女王蜂が生んだオスバチの精子が生殖能力を失ってしまった結果、ミツバチの行動に異変がおきて、ミツバチが大量に消滅したのではないかと考えるのである。さらには、近年、人間の男性の精子の数が少なくなっているのも、現代人がミトコンドリア異常の作物を食べ続けている結果ではなかろうかとまで、推論する。
もし、それらが本当だとすると、世界中がパニックに陥りかねない一大事である。世界の農業が大きな転換を迫られるであろう。アメリカの大手資本が大反撃をしてくるかもしれない。
しかし、ミトコンドリアに異常が起きた作物を食べ続けると無精子症になるという科学的根拠はまったくない。筆者もそのことはわかっていて、科学者にこのことを研究してもらいと述べているのだが、いかんせん、生物学的に少し突っ込んだ内容になると、危なっかしい表現が随所にみられる。
たとえば、p119でタマネギの話をしているのに、「代々の子どもはみんな子孫をつくれない無精子症になる」といきなり動物(おそらく人間を意識している)の用語に飛躍している。ここではタマネギについて述べているのだから、無精子症ではなくて無花粉症としておかないと支離滅裂となる。また、p141では「ミトコンドリア異常の蜜や花粉」とあるが、細胞である花粉にはミトコンドリアが含まれているが、植物の分泌物である蜜の中にミトコンドリアは入っていないだろう。
ともあれ、異常なミトコンドリアをもつ食べものをとり続けた結果がどうなるかということは、現在の時点では分かっていない。自然界では起こりえないことに人間が手を出したために、BSE禍が起こったように、このことでミツバチや人間の精子の数が減ったという考えを否定することができるだろうか。
「固定種」啓蒙の書であると同時に、「F1種」警告の書でもある。
平成23年12月