2020/12/17
守田志郎「農法」
農文協 人間選書93(1972年刊)
守田志郎
1924年シドニーに生まれる。
1943年、成城学園成城高校卒業。
1946年、東京大学農学部農業経済学科卒業。
1946年、農林技官。1954年、東京大学農学部農業経済学科大学院修了。
1952年、財団法人協同組合経営研究所研究員。
1968年、暁星商業短期大学教授。
1972年、名城大学商学部教授
1977年9月6日歿
序
私は思うのだが・・・・
豊かな生活というものは豊かな農法とともにあるのではなかろうか。
そして、農家にとって、豊かさを求めることは、所得を追うことと同じではないようにも思う。
「田畑・・・・。あれは売ったり買ったりするものではない。あれは貰うものなのだ。農家というものは田畑を貰って出来たものなのだ。世界中の農家がそうなのだ。
だから、一つの工場にいくらと値はつけられても、農家に値段はつけられない。
つまり、農家はお金で作ることはできないのである。」 もう一つ、
「田んぼの区画は小さい方がよいのだが。誰もそうは言わない。」
私は意識して進める進歩は破壊に通じるものと思う。そういう進歩は、それがもたらす成果よりも、はるかに多くのものを人に失わせる。機械がタテに斜めにヨコにと田畑をかけまわり工場で製造した肥料・農薬・ビニールが田畑をおおうことに感嘆し、建ちならぶ畜舎の中で自動給餌機がうなりを立てている様子に胸をおどらせ、それをひたすらに農業における進歩と思い込んでいるうちに、日本の農業には気づかざる農業的貧困がひろがり深まりつつあるように思えてならない。
弥生時代以来という二千年にも及ぶ時間を経た今日まで、農法上の変革という言いうるものを見いだすことができないということを、こだわりなく確認することほど、今の農業にとって大事な事はないのではなかろうか。
技術は進んでも、農法は進むとは限らないようである。それは、農法というものが、技術という入れ物ですくいきることのできないものだからではないかと思う。
農法は生活なのだから、とも思う。
農法は自然に出来て行き、自然に進歩していくものである。人が意識して、これが新しい農法だとばかりに作ったりするものではない。農法は農家の人たちが、その生活の中で育んでいくものであり、ふと気がついてみれば、そこに変化があった、というようなものなのだろう。そういう変化は、決してあとへは戻らないし、破壊的なマイナスをもたらしたりもしない。強いて言うならば、それが農業における農業的進歩であろう。豊かな農法とは、そのようにして農家の人達が自分で作っていくものなのだと思う。そして、その豊かというのは、金をただやたらにザクザクと田畑に投じ込むということではないにちがいない。
(昭和47年10月)
前 編 豊かな農法とは何かを考え これを試掘してみる編一章 傷め倒さず 《競争と支配と独占》
争えば両せいばいの農業
農民層は分解するか・・・・・しない
農業は企業化するか・・・・・しない
農業に競争があるか・・・・・ない
大小みな同じ
田畑が大きくて売るものも多い農家が、むらの中で何となく有力に見える場合はたしかにあるだろうと思う。それは、その農家がお金がいくらか余計あってお祭りのときにみんなより出し前が多いとか、ガクモンがあって何かと村に役立つことをいったりするとかいろいろの事情によるのだろう。だが、だからといって、同じキュウリを他の農家より高く売り、どんどん大きくなってむらの小さな農家を占領してしてしまうなどということは、決して起こりはしない。大も小もない。それが農業の不思議というやつなのだ。さよう。農業には独占がない。
大量生産で大量販売でやられるのは自分
- ひょっとすると、農業の方では、売るために物をたくさん作ることは、自分を食うことになるではないでしょうか。
市場に出すキュウリを一籠から二籠へ、やがて10籠、50籠と増やしていって、その分だけ他の農家を追い出すことができれば、知恵才覚とあつかましさで次第に独占的な地位をきずく農家が出てくる可能性もあるかもしれない。だが、ほかを追い出すどころか自分の50籠といっても工業のように販売の縄張りがあって守るというような、守るべきものがないのだからどうにもならない。ある程度以上の量になれば、自分が増やしても人が増やしても値段が下がり損になる。
たくさん作ってたくさん売って儲けようとすれば、禍は自分に戻ってくる。それが農業の摂理だという気がしてならないのである。
二章 「儲ける」でなく「稼ぐ」の業 《農家経済の原理》
「儲ける」と「稼ぐ」は違う
「稼ぐ」=家業に精を出す。はげみはたらく。
「儲ける」=ひかえを置く。利益を得る。
農は「稼ぎ」の業
農業は、稼ぐ業ではあっても、儲ける業ではない。
三章 多種通年の作 《農法への手がかり》
食膳を豊かに、農法はそこから始まる
「農業で、稼ぐというのは、まず自分で食べる物を、出来るだけ自分で作ることなのだ」と思う。
10aの畑を上手に使えば、一年中の野菜はほぼ自給できる、といっている人がいる。
この10aだけについて言えば、2日に一度か3日に一度の一ないし三時間の作業で十分というわけで、農薬は仕方のないときだけ注意深くかけ、レタスは売り物ならばしっかり巻かせて中を白くするが、自給の物はなるべく開かせて太陽をいっぱい吸わせたビタミン豊富なものを作る。トマトはピンクになる品種で無傷でかっこよいものに農薬などで仕上げるが、自給の分は真っ赤になるビタミン豊富なトマトなどの品種で少々の虫喰いやゆがんだものもおかまいなし。
「私の家では、自分たちの食べるのには農薬はかけません」
千葉県の野菜を売っている農家の娘さんのはなしだった。都会の人はこれをきけば農家のエゴイズムだというだろうが、農薬使って作ったようなものでなければそっぽをむいてしまい、それでいて昨日の売れ残りの一山いくらの安売りには飛びついていく都会での、愚かなエゴイズムがもたらした結果なのである。今のところ、どうすることもできないことである。
育ち実ったその経過を自分たちで確実に知っているものを自分たちで食べる。これを農家の特権と言うより当たり前のことなのである。
野菜づくりを10aから20aにしてもよい。種類が多くなれば内容は一層豊富になって食膳はますます豊かである。そして、おそらく収穫物三分の二は食べ残るに違いない。それを売るのである。そういう売り方、それがふり売りという売り方の論理である。だから、ふり売りは、色々ある売り方の一つということなのではなくて、農業が本来持っている性質から自然に出てくる、ただひとつの売り方なのである。
ふり売り的農業
ふり売りの値打ちを知り、ふり売りを通じて農家というものを知った町の人は、モモ作りとしては素人のはずの農家が作って、「奥さんいかが」と持ってくるその白桃の形は悪くとも、高級果物店でうす紙に宝のように包んだ餅肌のような白っぽく大きい白桃の貰い物よりも、往々にしてはるかに美味であることをすぐに知るに違いない。
四章 本格的農業を組み立てる 《農法への接近》
大量専作では能率は下がるばかり
摘芯、間引き、誘引、土寄せそして収穫。
軽作業、やや重労働、しゃがむ仕事から立つ仕事、じっとしてやる仕事、歩く仕事。これは体によいと思いませんか。これなら絶対にかたわにならない。工業の方で、同じ作業の繰り返しが労働者に与える心身の障害についての問題の提起が、昭和40年代になってようやくなされたようだが、40年代では、特に精神の障害が重要視されていると聞いた。農作業では、もともとノイローゼは起きにくいとは思うが、それにしても、1日中朝から晩までトラクターに乗っている、1日中ハウスの30℃以上のむんむんする中で仕事をしているよりは、たくさんの仕事を次々にやり替える方が、どれだけ身体に良いか分からないし、結局その方が能率が上がるに違いない。
五章 土の力への信頼 《農法の基本》
地力調整は作物にまかせる
地力を整えるのは作物です。
いや地・・・・。このことばには人のことばを感じる。語源は知らない。だがこのイヤが「厭」をあらわしているのだという感じである。そう感じるのがふつうであろう。だとすれば、「この土地は厭だ」とだだをこねている作物のことばか、「この作物、暫くはお引き受け致しかねます」と拒む土の声か、そのどちらをも感じさせるところに、人という土に生きてきたものの中で、とりわけ土を暮らしの場として来た人たちのことばらしさを感じるのである。
それを連作障害などという身も蓋もないないような、センス皆無のことばに置き換えて、これでないと通用しないようなあんばいになって来たわけで、情けないやらである。連作障害ということばは、こいつは全くあじ気のないことばである。
- ボクは、地力を整える仕事は作物と土の相談にまかせておけば良い、と思うのです。同じ作物を同じ土地に続けては作らない。これが農業の自然なやり方なのではなかろうか。
その道の本を見ると、米や麦といった米穀類は、毎年同じところに栽培してもよい、となっている。「連作さし支えなし」ならば連作したらよかろう、というならば、それは余りにも単純なもののいい方のように思う。いや地のない作物を、いや地がないからといって同じところに植え続けることは、いや地の作物の年々の引っ越し先の範囲を狭くすることを意味するので知恵のないはなしななのである。
連作をいやがらない作物は、いや地の作物のために席をゆずる。連作のできる作物ならば、いつどこに植えてもよいのである。連作のできる米穀類やダイコン・ニンジンが、いや地の作物の栽培を可能にするのである。
セロリーはマグネシウムを強力に吸収するという。これを二年続けると、いわゆるミネラル不足の土地になってしまうという。それを回復するには五年も六年もかかるという。これではまずい。しかし、それが面白くもある。回復に五、六年かかるということは、苦土石灰など入れなくても、堆肥を入れては逐次違うものを作っていれば、そのうちに回復するということなのである。
土壌の成分調整は、そう簡単にできることではない。この作物にはこれがよい、といって単肥をやり続けていると、土壌の養分のバランスがひどくくるっってしまうことになりかねない。
「いや地」に土を教わる
連作障害というが、いや地は障害ではない、と私は思うのである。人間は、多様な作物を作り、多様な農産物を食べようというわけである。それならばそれらの作物が多様に偏食であったり、何かのくせをもっていたりは当たり前である毒物を出すとみられているものもあるし、同じ作物を次に植えたときには病気を起こさせる菌が土の中に残るといわれるものもある。一年から五年、作物によっていや地の期間はいろいろである。毒や病菌といわれているものは、その間に土が処理するのである。流亡もあろう。病菌なら死滅とか、ほかのバクテリアが食ってしまうということもありそうである。
根から毒を出すもの、病菌を出すもの、リン酸を食い尽くすもの、マグネシウムを食ってしまうもの・・・・。あとからあとからと植えられるものがそれぞれに、みなひとくせもふたくせもあるのである。
- それが続けられるかぎり、土は、次に植えるものにとって豊かな力を持ったものとして用意されているのです。
- 作物の持つひとくせ、ふたくせは、農業にとっては障害というようなものではないのです。それは、干ばつや冷害、病害や虫害というような害ではないのです。技術者からすれば害かもしれませんが、農家の人にとっては、本当は、害ではないのです。
六章 土の力を出しやすい田畑に 《本当の土地基盤整備》
そこに七つの得がある
野菜や果物の大量生産が農家にとって損だといい、たくさんの種類のものを少しずつ作った方が得だといったのは、決して売るときの損得だけをさしてのことではない。ほかに六つの利点があるからである。
一、土の力をいつも豊かで安定したものにする。
一、一年を通じて、豊富な収穫物で食膳を飾ることが できる
一、日々の作業に繁閑が少なく、多種類の作業を次々 に行うので、偏らずに全身を使う健康な労働方式 になる。
一、作業能率は大局的に見れば向上する。
一、生活と生産が作物や家畜の自然の営みとのかねあ いで調和の取れた安定したものになる。
一、経済。これら全体的な効果をあわせて見るとき、 経済とか経営とかの上でも、その有利な結果を手 にすることができる。
売るときの損得に劣らず、ここにならべてきたようなことがらが、人間が営む農業にとって大切だったはずなのだと思う。だが、そういうことが次第に軽視されたり、忘れ去られたりして、生産物がどう売れるか、だけが大切になってしまったのである。「所得」ということばが農業についても、しきりに使われるようになる。昭和40年の前後から、所得追求の激しい流れが、村々をおおい尽くさんばかりである。
- 所得追求のこの流れは、本物ではないような気がします。そして、この流れは、幅は広いが深さは大したことのないないものだとも思います。浅いところで溺れるというはなしがある。立ってみれば何ということもない。所得追求の流れはそういうものであるもののように思えるのである。
田畑での仕事をなくさないために、あえていう
自給といえば、自分で作ったものを自分で食べたり着たりするということである。しかし、その上に、私はもう一つ欲しいのである。自給というのもおかしいのだが、自分の、そして自分の家の労働力を、なるべく自分の田畑や畜舎で消費するという自家消費のことである。作業が楽になる。それは良いことだが、作業がなくなるというのは、実は不幸なことなのだと思う。それは、自分を首にすることだ、というのが私の感想である。農家の人達にとって、自分たちの仕事をなくしていくということ、つまり自分たちの首を切るということは、稼ぐ立場から自分を他人の儲けの対象におきかえることにほかならないのではなかろうか。こういう結果をもたらすような色々の手立てのことを、生産力の向上だとか能率の向上だとかいっているわけである。そういう生産力の論、そういう能率の論は、工場からやってきたものであること、そして工場の他人労働を使っての競争がすすめていく生産力の論というものを、自分で働き自分で稼ぐ競争のない世界に、そのまま持ち込むことが、いかに滑稽であるか、滑稽であるばかりでなく、いかに空しい結果を農家の人々にもたらすか、これも後編で細かく説明するつもりである。
七章 土の力、機械の力 《生産力の問題》
機械屋さんに作らせる
一日に何種類もの作業をとりかえひきかえやったからといって、能率は下がりもしないし、むしろその方がはるかに身体にもいいし、気分も良いしで、結局その方が能率は上がる。
農家の人たちが日々の作業をするのに都合のよい農業のやり方であれば、機械に気をつかう必要は一向にないと私は思うのである。
私の知る限り、今、村々に入っている農業用の機械は、どれも農家との相談なしによそでつくられたものの持ち込みである。たしかに機械となればむらの中で鍛冶屋さんが作るというわけにはかないものが多かろう.農村に持ち込まれている機械は、何といってもただやたらに大きくと農業を駆り立ててきた軌道に沿ったものである。だから、それらは農家の農業のやり方、つまり作付けの計画や作業の手順などのすべてをそれに合わせて組みかえなくてはならないような、そういう機械なのである。だから、沢山の種目のものを組み合わせての農業をやろうとしても、そういう作業のやり方は機械には合わないし、そういう農業のやり方は機械に向かないから、やりかえなくてはならない、という、そういう機械化の軌道なのである。
「機械に農業を合わせろ」
なのである。そしてそれは、とりもなおさず、農家の人達にとって、
「機械に生活を合わせろ」
ということなのである。
人が機械に調子を合わせるのは、機械文明の社会では当たり前のことと、おっしゃりたい人があるかもしれない。
- 残念ながら、農業は機械文明ではないのです。現在も将来も、それが農業である限り、農業は機械文明ではないのです。
多作物多品種多作型で混乱なく
土をスポンジのように考えて、化学肥料で理想的な栄養を作物に与えたりしてやるのが優れた農業だという心境になっている人が、農家の中に多くなっているようである。
しかし、単肥での速効効果に重点をおいた作付けになれば、肥切れには常時気をつけていなければならない。畑作では通常肥切れ2週間というそうだが、溶脱・分解の遅速は肥料の性質によって違うわけで、化学肥料に頼りがちな農業の場合は、このことに、たえず気を配らなくてはならない。
豊富な堆肥とこれを補うための緩効性の総合的な化学肥料を十分に深く反転された畑の30ないし50㎝という深さに用意して土の基礎作りが行われていれば、あとはやはり堆肥と緩効性肥料による作物の基肥を施せば、この基礎工事は二作あるいは三作に耐えうるものとなろう。
作り上げられた膨軟な土壌は当初から十分な酸素の供給を受けており、雨水の浸透による水分と酸素の供給がこれに加わって、土の中のバクテリアの旺盛な働きをもたらして堆肥などの有機物の分解をうながす。
栄養の偏らない各種のご馳走をとりそろえたお膳が、土の力とそれを信頼する者の力と知恵との結びつきによって用意されるのである。相次ぐ作物が好みの栄養を取っていくが、土の中で、土と人が準備し、あとから年に一、二回補給するものは、いつでも同じ定食風のものでよいのである。違う作物があとからそこで成長していくことによって、土の力はいつも調整され、バランスを採り返し、それを維持してくれるのである。
本当の省力農業はこの土づくりから
土の基礎作りは、年々同じでよい。特に連作を好むものはともかくとして、いや地のあるなしにかかわらず連作をしないことをならわしとする。数年間のうちに10も20もの違った作物が同じ土に栽培される。
- 種目の多さが土の力を整え、その土の力に依存することが沢山の種目の栽培を容易にする。私はそう思います。
八章 家畜飼育は糞畜で考える 《農業循環の問題》
家畜の糞のやりとり
動物の体内を通過して出た糞には多種類のバクテリアが多量にあって堆肥の中で有効な働きをするようである。それが、畜肥そのものの肥効を高めながら、これに混ぜた素材としての植物の分解を促して、全体として上等の堆肥にしているのである。全く楽しい話である。
自分が使う畜糞は自分で作る、自分が作った畜糞は自分で使う・・・・、昔からそういうことにいるみたいで、どうも糞のやりとりはうまくいかないようである。
家畜は作物の中で飼う
不採算部門などということばがある。農業には、このことばは通用しないように思う。農業では、工業のように酪農とか稲作とかいって部門を独立させて考えるのには無理があるように思うからである。
沢山の種類の作物を作る。家畜の飼育をやるとすれば、それは沢山の作目のうちの一つだ、というふうに考えた方がよいように思う。
家畜の多頭飼育は作物の専作と同じようなものに思えて仕方がない。その長所はいろいろにいわれているが、主として能率とか効率とかいうもののようである。能率が良いとか効率が高いとかは、給餌とか搾乳とかいうぐあいに、ある作業の部分部分に着目してのものである。田畑の土の力を高め、そこでいろいろの作物を作っているそれら全体の作業や作物の生育との兼ね合いで、能率も効率も考えてみなくてはならないのではなかろうか。
後 編 それがなぜこうなるのかをじっと考える編一章 規模拡大は一代限り 《農民層分解の問題》
農民層分解を口にする人
農民層分解は起きない。それを心配している人は、不安がる必要はありません。
二章 小農世界の静かな呼吸 《小農制の論理》
牛の頭数も規模のうちというが
同じ100万円の貯金でもゼロから増やすときのものより、1000万円の貯金を1100万円に増やすときの方が楽だという。当たり前の話である。1000万円になれば2000万円にするのはなんでもない。よくそういうふうにいわれるものだ。そして、それがある程度真実なのは、1000万円の金が貯まると、財産作りの意欲が湧いてきて、生活の目標を2000万円にすえ、前よりも一層はたらき、生活はますます切り詰めてケチになっていき、それで金がたまっていくからでもあろう。そうやって生涯をひたすら財産作りのために働き続ける。金を貯めるという点では、これは都会的な現象である。
なぜか田畑の規模には天井が
あの地域この地域と、地域によって違いはあるが、およそ田畑の所有規模には上限があるようだ。規模を、二代くらいかけて大きくしていっても、そこにぶつかると止まってしまうのである。
小農世界の呼吸はおだやか
売りもしない、買えもしない。それで農家の人たちの呼吸が続いているのである。そして、むらの生命も続くのである。それが小農の世界なのである。
大農、まともに出来上がったものではない
武力・暴力・詐欺・抜け駆け。何だかあまり性質の良くないことばかり並べたようだが、こういったかんばしくない方法で、ただか、ただ同然に、しかも一気に広い土地を手に入れる。そういったことができるときだけ大規模な経営を作り上げることができるみたいなのである。
三章 すべて農業は水入らず 《資本の社会化と他人労働》
大工さんに資本家はない
- 農業には資本家的経営などというものはありま せん。また、そう願う必要もないのです。
中小企業の社長
日本の工業製品には、外観とは違って内容は中小企業の製品だと場合が多く、日本の巨大企業は中小企業の厚い厚い層の上にそそり立っているといった方がよいくらいなのである。
企業化しない、この事実の楽しさ
農業の方では、機械を手に入れたからといって、それで生産量が増えるわけではないし、したがって、ほかの作業部門で人手をふやす必要が起きてくるわけではない。
私は思う。これは、良い悪いの問題ではない.良いと思おうが悪いと思おうが、また、そのように努力しようがしまいが、農業は企業化しないのである。企業化しないのが農業というものなのである。
四章 農家の賃仕事は手間がわり 農業には競争はない。
もっと正確に言えば、「農業には、工業で見てきたような、何とも避けようのない宿命的な競争・・・・・、あれがない」のである。
農業では、他人の労働で稼ぐということをしないようなのである。
農家と農家のはまり合い
そのかん合(=はまり合い)に、賃金が磁力の役割を果たす場合もある。そういうお金の働きがなければ、このかん合がものにならない場合もある。しかし、たとえお金が両者を引き合わせようとしても、両農家の間にかん合しあえるような凹凸の一致がなければどうにもなりはしない。
手伝いを手伝いで返すことができないとき、お金をこれに代えるのである。だから、すべて手間替わりなのである。
五章 生活が育む天分 《農業労働の本質》
春播秋収
「それとは逆に、小さいときに外で育った人間は、大人になって農家に入ると、何年経ってもしっくりいかないものですな」
農薬が、化学肥料が、コンバインが、自動給餌機が、などなどと、農業はすっかり変わってしまったといいたくなる関係でむらに帰って来た人が、なぜそう簡単に家の農業に取り組むことができるのだろうか。
- 私の結論は、やはり一つしかない。
農業は生活そのものだからです。
農業をやれるかどうかということは、農薬の名前や使い方を知っているかどうかとか、コンバインの操作が上手かどうかだとか、自動給餌機の機械の修理ができるかどうかとか、そういうことできまるのでもないし、栽培技術や家畜の生理に詳しいかどうかといったことできまるのでもない。農業をやれるかどうかということは、農業という生活の中で呼吸できるような体質をそなえているかどうかで決まるように思われて仕方がないのです。
「待つ」の値打ち
農家の人がやっていることは何か。私風にいえば、それは待つことなのである。もっといえば、それは耐えながら待つことなのである。
稲が育ちやすいように田を作り、色々のことをととのえる。良くも悪くも、稲は自分で育つのである。農家の人達が稲をこねあげて作るのではない。稲作というから、コメを人が製造するような感じがするのだが、これは「稲作」の語感から来る錯覚である。欧米には稲やコメを作るとか小麦を作るとかのことばはなく、「栽培」というだけである。
解説 中岡哲郎《常識の体系に楔を打ちこんだ思想家》
彼の思想の爆発のきっかけを作り出したのが、西欧の農業を彼が見たという単純な事実であった。彼が西欧で見たのは、大規模化し、機械化し、資本主義化=工業化への道を進んでいる姿ではなく、日本と同じ、いや必死になって新農業技術の吸収を焦り競う日本とは違って、もっと悠々たる農の世界であった。西欧の農業もまた工業ではなかった。農業は農業であったのである。そのことを見た以上、もはや爆発をおしとどめるものはなかった。彼は自信を持って、楔を打ちこむ仕事を開始する。それ以後の彼の仕事はまことに精力的であった。71年『農業は農業である』、72年『農法』、73年『小さい部落』、74年『農家と語る農業論』、75年『小農はなぜ強いか』、76年『農業にとって技術とは何か』と、毎年必ず一冊、農業についての問いを打ちこむ本を書き続け、そして77年に53歳の若さで死ぬ。
守田志郎が、その思想的転回から早すぎる死までの七年間に残した厖大な文章の数々は、そのような志をいだいて模索を続ける人々にとって絶好の助けとなるだろう。それは彼の七年間が新しい思想的問いの核心にくる工業と農業の差異、人間の生活と作物と土の関係を、もっとも根底的に考え抜こうとする、格闘ともいうべき努力につらぬかれていたためである。
(評)
守田志郎の考える「農業」とは、たくさんの種類の作物を少しずつ作って、まず自分で食べる物を、出来るだけ自分で作り、余ったものを売りに出す〝ふり売り〟をして稼ぎながら、生活することである、といっているようである。
なぜならば、農業は生活そのものであるからだという。また、農業は、稼ぐ業ではあっても、儲ける業ではない。農業は工業のように競争はないから、人を出し抜くことも、出し抜かれることもない。
大規模化、単作化した農業は、守田志郎の考える農業ではない。守田は、1日中朝から晩までトラクターに乗っている、1日中ハウスの30℃以上のむんむんする中で仕事をしているよりは、たくさんの仕事を次々にやり替える方が、どれだけ身体に良いか分からないし、結局その方が能率が上がるに違いない、という。
これが、農法とも大きく関係してきて、連作障害の問題も、解決が見えてくる。守田は、地力を整えるのは作物です、という。
結局、守田志郎がこのような本を著し続けたのは、ともすれば工業化しようとする、それが農業の近代化であるかのように考える現代の農業関係者に大きな警鐘を鳴らし続けるためであったような気がする。
平成23年7月