母が亡くなりました。
96歳でした。

喪に服する間、しばらく、ブログの投稿を控える所存でございます。

ハウス内の気温

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 この冬一番の寒波が襲来し、日本海側は大雪に見舞われています。
新潟県内の関越自動車道は16日午後から多数の車が立ち往生し、その距離は上り・下りともに最大で15キロに達したと大きく報道されました。

熊本市の昨日の最高気温は7℃、今朝の最低気温は-1℃でした。
このような天気の時、ハウス内はどんな気温になっているのでしょう。
ハウスの中ほどに、脚立を置き、その上にデジタル温度計を置いて毎日気温をチェックしています。
センサーは野菜が生育する地表面近くまで垂らしています。
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最高気温は、28.2℃でした。
ハウス内では高い位置と低い位置では気温がまったく違いますから、上の方を測れば40℃を超えていたかもしれません。
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最低気温は1.8℃でした。

知人の一人がハウスの中は夜でも暖かいものだと思っていたらしく、陽が沈めばハウスの中の気温はぐんぐん下がりますよ、と言ったら、びっくりされたことがありました。

熊本市の最低気温が-1℃だったということは、これは小学校の理科の時間で習ったように地表から1.2~1.5mの高さで測った気温ですから、地表付近の気温はさらに数度低かったはずです。仮に2℃低かったとすれば、ハウス内の地表面はハウスの外の地表面よりも5℃近く高かったことになります。
無加温のハウスでもその効果は大きいといえそうです。 




本99  守田志郎「農法」

守田志郎「農法」
農文協 人間選書93(1972年刊)
農法
守田志郎
1924年シドニーに生まれる。
1943年、成城学園成城高校卒業。
1946年、東京大学農学部農業経済学科卒業。
1946年、農林技官。1954年、東京大学農学部農業経済学科大学院修了。
1952年、財団法人協同組合経営研究所研究員。
1968年、暁星商業短期大学教授。
1972年、名城大学商学部教授
1977年9月6日歿


 私は思うのだが・・・・
 豊かな生活というものは豊かな農法とともにあるのではなかろうか。
 そして、農家にとって、豊かさを求めることは、所得を追うことと同じではないようにも思う。
 「田畑・・・・。あれは売ったり買ったりするものではない。あれは貰うものなのだ。農家というものは田畑を貰って出来たものなのだ。世界中の農家がそうなのだ。
 だから、一つの工場にいくらと値はつけられても、農家に値段はつけられない。
 つまり、農家はお金で作ることはできないのである。」 もう一つ、
 「田んぼの区画は小さい方がよいのだが。誰もそうは言わない。」

 私は意識して進める進歩は破壊に通じるものと思う。そういう進歩は、それがもたらす成果よりも、はるかに多くのものを人に失わせる。機械がタテに斜めにヨコにと田畑をかけまわり工場で製造した肥料・農薬・ビニールが田畑をおおうことに感嘆し、建ちならぶ畜舎の中で自動給餌機がうなりを立てている様子に胸をおどらせ、それをひたすらに農業における進歩と思い込んでいるうちに、日本の農業には気づかざる農業的貧困がひろがり深まりつつあるように思えてならない。
 弥生時代以来という二千年にも及ぶ時間を経た今日まで、農法上の変革という言いうるものを見いだすことができないということを、こだわりなく確認することほど、今の農業にとって大事な事はないのではなかろうか。
 技術は進んでも、農法は進むとは限らないようである。それは、農法というものが、技術という入れ物ですくいきることのできないものだからではないかと思う。
 農法は生活なのだから、とも思う。

 農法は自然に出来て行き、自然に進歩していくものである。人が意識して、これが新しい農法だとばかりに作ったりするものではない。農法は農家の人たちが、その生活の中で育んでいくものであり、ふと気がついてみれば、そこに変化があった、というようなものなのだろう。そういう変化は、決してあとへは戻らないし、破壊的なマイナスをもたらしたりもしない。強いて言うならば、それが農業における農業的進歩であろう。豊かな農法とは、そのようにして農家の人達が自分で作っていくものなのだと思う。そして、その豊かというのは、金をただやたらにザクザクと田畑に投じ込むということではないにちがいない。
(昭和47年10月)

前 編  豊かな農法とは何かを考え これを試掘してみる編

一章 傷め倒さず 《競争と支配と独占》

争えば両せいばいの農業
 農民層は分解するか・・・・・しない
 農業は企業化するか・・・・・しない
 農業に競争があるか・・・・・ない

大小みな同じ
 田畑が大きくて売るものも多い農家が、むらの中で何となく有力に見える場合はたしかにあるだろうと思う。それは、その農家がお金がいくらか余計あってお祭りのときにみんなより出し前が多いとか、ガクモンがあって何かと村に役立つことをいったりするとかいろいろの事情によるのだろう。だが、だからといって、同じキュウリを他の農家より高く売り、どんどん大きくなってむらの小さな農家を占領してしてしまうなどということは、決して起こりはしない。大も小もない。それが農業の不思議というやつなのだ。さよう。農業には独占がない。

大量生産で大量販売でやられるのは自分
 - ひょっとすると、農業の方では、売るために物をたくさん作ることは、自分を食うことになるではないでしょうか。
 市場に出すキュウリを一籠から二籠へ、やがて10籠、50籠と増やしていって、その分だけ他の農家を追い出すことができれば、知恵才覚とあつかましさで次第に独占的な地位をきずく農家が出てくる可能性もあるかもしれない。だが、ほかを追い出すどころか自分の50籠といっても工業のように販売の縄張りがあって守るというような、守るべきものがないのだからどうにもならない。ある程度以上の量になれば、自分が増やしても人が増やしても値段が下がり損になる。
 たくさん作ってたくさん売って儲けようとすれば、禍は自分に戻ってくる。それが農業の摂理だという気がしてならないのである。

二章 「儲ける」でなく「稼ぐ」の業 《農家経済の原理》

「儲ける」と「稼ぐ」は違う
 「稼ぐ」=家業に精を出す。はげみはたらく。
 「儲ける」=ひかえを置く。利益を得る。

農は「稼ぎ」の業

農業は、稼ぐ業ではあっても、儲ける業ではない。

三章 多種通年の作  《農法への手がかり》

食膳を豊かに、農法はそこから始まる
 「農業で、稼ぐというのは、まず自分で食べる物を、出来るだけ自分で作ることなのだ」と思う。
 10aの畑を上手に使えば、一年中の野菜はほぼ自給できる、といっている人がいる。
 この10aだけについて言えば、2日に一度か3日に一度の一ないし三時間の作業で十分というわけで、農薬は仕方のないときだけ注意深くかけ、レタスは売り物ならばしっかり巻かせて中を白くするが、自給の物はなるべく開かせて太陽をいっぱい吸わせたビタミン豊富なものを作る。トマトはピンクになる品種で無傷でかっこよいものに農薬などで仕上げるが、自給の分は真っ赤になるビタミン豊富なトマトなどの品種で少々の虫喰いやゆがんだものもおかまいなし。

 「私の家では、自分たちの食べるのには農薬はかけません」
 千葉県の野菜を売っている農家の娘さんのはなしだった。都会の人はこれをきけば農家のエゴイズムだというだろうが、農薬使って作ったようなものでなければそっぽをむいてしまい、それでいて昨日の売れ残りの一山いくらの安売りには飛びついていく都会での、愚かなエゴイズムがもたらした結果なのである。今のところ、どうすることもできないことである。
 育ち実ったその経過を自分たちで確実に知っているものを自分たちで食べる。これを農家の特権と言うより当たり前のことなのである。
 野菜づくりを10aから20aにしてもよい。種類が多くなれば内容は一層豊富になって食膳はますます豊かである。そして、おそらく収穫物三分の二は食べ残るに違いない。それを売るのである。そういう売り方、それがふり売りという売り方の論理である。だから、ふり売りは、色々ある売り方の一つということなのではなくて、農業が本来持っている性質から自然に出てくる、ただひとつの売り方なのである。

ふり売り的農業
 ふり売りの値打ちを知り、ふり売りを通じて農家というものを知った町の人は、モモ作りとしては素人のはずの農家が作って、「奥さんいかが」と持ってくるその白桃の形は悪くとも、高級果物店でうす紙に宝のように包んだ餅肌のような白っぽく大きい白桃の貰い物よりも、往々にしてはるかに美味であることをすぐに知るに違いない。

四章 本格的農業を組み立てる  《農法への接近》

大量専作では能率は下がるばかり
 摘芯、間引き、誘引、土寄せそして収穫。
 軽作業、やや重労働、しゃがむ仕事から立つ仕事、じっとしてやる仕事、歩く仕事。これは体によいと思いませんか。これなら絶対にかたわにならない。工業の方で、同じ作業の繰り返しが労働者に与える心身の障害についての問題の提起が、昭和40年代になってようやくなされたようだが、40年代では、特に精神の障害が重要視されていると聞いた。農作業では、もともとノイローゼは起きにくいとは思うが、それにしても、1日中朝から晩までトラクターに乗っている、1日中ハウスの30℃以上のむんむんする中で仕事をしているよりは、たくさんの仕事を次々にやり替える方が、どれだけ身体に良いか分からないし、結局その方が能率が上がるに違いない。

五章 土の力への信頼  《農法の基本》

地力調整は作物にまかせる
 地力を整えるのは作物です。
 いや地・・・・。このことばには人のことばを感じる。語源は知らない。だがこのイヤが「厭」をあらわしているのだという感じである。そう感じるのがふつうであろう。だとすれば、「この土地は厭だ」とだだをこねている作物のことばか、「この作物、暫くはお引き受け致しかねます」と拒む土の声か、そのどちらをも感じさせるところに、人という土に生きてきたものの中で、とりわけ土を暮らしの場として来た人たちのことばらしさを感じるのである。
 それを連作障害などという身も蓋もないないような、センス皆無のことばに置き換えて、これでないと通用しないようなあんばいになって来たわけで、情けないやらである。連作障害ということばは、こいつは全くあじ気のないことばである。

 - ボクは、地力を整える仕事は作物と土の相談にまかせておけば良い、と思うのです。同じ作物を同じ土地に続けては作らない。これが農業の自然なやり方なのではなかろうか。
 その道の本を見ると、米や麦といった米穀類は、毎年同じところに栽培してもよい、となっている。「連作さし支えなし」ならば連作したらよかろう、というならば、それは余りにも単純なもののいい方のように思う。いや地のない作物を、いや地がないからといって同じところに植え続けることは、いや地の作物の年々の引っ越し先の範囲を狭くすることを意味するので知恵のないはなしななのである。
 連作をいやがらない作物は、いや地の作物のために席をゆずる。連作のできる作物ならば、いつどこに植えてもよいのである。連作のできる米穀類やダイコン・ニンジンが、いや地の作物の栽培を可能にするのである。
 セロリーはマグネシウムを強力に吸収するという。これを二年続けると、いわゆるミネラル不足の土地になってしまうという。それを回復するには五年も六年もかかるという。これではまずい。しかし、それが面白くもある。回復に五、六年かかるということは、苦土石灰など入れなくても、堆肥を入れては逐次違うものを作っていれば、そのうちに回復するということなのである。
 土壌の成分調整は、そう簡単にできることではない。この作物にはこれがよい、といって単肥をやり続けていると、土壌の養分のバランスがひどくくるっってしまうことになりかねない。

「いや地」に土を教わる
 連作障害というが、いや地は障害ではない、と私は思うのである。人間は、多様な作物を作り、多様な農産物を食べようというわけである。それならばそれらの作物が多様に偏食であったり、何かのくせをもっていたりは当たり前である毒物を出すとみられているものもあるし、同じ作物を次に植えたときには病気を起こさせる菌が土の中に残るといわれるものもある。一年から五年、作物によっていや地の期間はいろいろである。毒や病菌といわれているものは、その間に土が処理するのである。流亡もあろう。病菌なら死滅とか、ほかのバクテリアが食ってしまうということもありそうである。
 根から毒を出すもの、病菌を出すもの、リン酸を食い尽くすもの、マグネシウムを食ってしまうもの・・・・。あとからあとからと植えられるものがそれぞれに、みなひとくせもふたくせもあるのである。
 - それが続けられるかぎり、土は、次に植えるものにとって豊かな力を持ったものとして用意されているのです。
- 作物の持つひとくせ、ふたくせは、農業にとっては障害というようなものではないのです。それは、干ばつや冷害、病害や虫害というような害ではないのです。技術者からすれば害かもしれませんが、農家の人にとっては、本当は、害ではないのです。

六章 土の力を出しやすい田畑に 《本当の土地基盤整備》

そこに七つの得がある
 野菜や果物の大量生産が農家にとって損だといい、たくさんの種類のものを少しずつ作った方が得だといったのは、決して売るときの損得だけをさしてのことではない。ほかに六つの利点があるからである。
一、土の力をいつも豊かで安定したものにする。
一、一年を通じて、豊富な収穫物で食膳を飾ることが  できる
一、日々の作業に繁閑が少なく、多種類の作業を次々  に行うので、偏らずに全身を使う健康な労働方式  になる。
一、作業能率は大局的に見れば向上する。
一、生活と生産が作物や家畜の自然の営みとのかねあ  いで調和の取れた安定したものになる。
一、経済。これら全体的な効果をあわせて見るとき、  経済とか経営とかの上でも、その有利な結果を手  にすることができる。
 売るときの損得に劣らず、ここにならべてきたようなことがらが、人間が営む農業にとって大切だったはずなのだと思う。だが、そういうことが次第に軽視されたり、忘れ去られたりして、生産物がどう売れるか、だけが大切になってしまったのである。「所得」ということばが農業についても、しきりに使われるようになる。昭和40年の前後から、所得追求の激しい流れが、村々をおおい尽くさんばかりである。
 - 所得追求のこの流れは、本物ではないような気がします。そして、この流れは、幅は広いが深さは大したことのないないものだとも思います。浅いところで溺れるというはなしがある。立ってみれば何ということもない。所得追求の流れはそういうものであるもののように思えるのである。

田畑での仕事をなくさないために、あえていう
 自給といえば、自分で作ったものを自分で食べたり着たりするということである。しかし、その上に、私はもう一つ欲しいのである。自給というのもおかしいのだが、自分の、そして自分の家の労働力を、なるべく自分の田畑や畜舎で消費するという自家消費のことである。作業が楽になる。それは良いことだが、作業がなくなるというのは、実は不幸なことなのだと思う。それは、自分を首にすることだ、というのが私の感想である。農家の人達にとって、自分たちの仕事をなくしていくということ、つまり自分たちの首を切るということは、稼ぐ立場から自分を他人の儲けの対象におきかえることにほかならないのではなかろうか。こういう結果をもたらすような色々の手立てのことを、生産力の向上だとか能率の向上だとかいっているわけである。そういう生産力の論、そういう能率の論は、工場からやってきたものであること、そして工場の他人労働を使っての競争がすすめていく生産力の論というものを、自分で働き自分で稼ぐ競争のない世界に、そのまま持ち込むことが、いかに滑稽であるか、滑稽であるばかりでなく、いかに空しい結果を農家の人々にもたらすか、これも後編で細かく説明するつもりである。

七章 土の力、機械の力 《生産力の問題》

機械屋さんに作らせる
 一日に何種類もの作業をとりかえひきかえやったからといって、能率は下がりもしないし、むしろその方がはるかに身体にもいいし、気分も良いしで、結局その方が能率は上がる。

 農家の人たちが日々の作業をするのに都合のよい農業のやり方であれば、機械に気をつかう必要は一向にないと私は思うのである。
 私の知る限り、今、村々に入っている農業用の機械は、どれも農家との相談なしによそでつくられたものの持ち込みである。たしかに機械となればむらの中で鍛冶屋さんが作るというわけにはかないものが多かろう.農村に持ち込まれている機械は、何といってもただやたらに大きくと農業を駆り立ててきた軌道に沿ったものである。だから、それらは農家の農業のやり方、つまり作付けの計画や作業の手順などのすべてをそれに合わせて組みかえなくてはならないような、そういう機械なのである。だから、沢山の種目のものを組み合わせての農業をやろうとしても、そういう作業のやり方は機械には合わないし、そういう農業のやり方は機械に向かないから、やりかえなくてはならない、という、そういう機械化の軌道なのである。
  「機械に農業を合わせろ」
なのである。そしてそれは、とりもなおさず、農家の人達にとって、
  「機械に生活を合わせろ」
ということなのである。
 人が機械に調子を合わせるのは、機械文明の社会では当たり前のことと、おっしゃりたい人があるかもしれない。
 - 残念ながら、農業は機械文明ではないのです。現在も将来も、それが農業である限り、農業は機械文明ではないのです。

多作物多品種多作型で混乱なく
 土をスポンジのように考えて、化学肥料で理想的な栄養を作物に与えたりしてやるのが優れた農業だという心境になっている人が、農家の中に多くなっているようである。
 しかし、単肥での速効効果に重点をおいた作付けになれば、肥切れには常時気をつけていなければならない。畑作では通常肥切れ2週間というそうだが、溶脱・分解の遅速は肥料の性質によって違うわけで、化学肥料に頼りがちな農業の場合は、このことに、たえず気を配らなくてはならない。
 豊富な堆肥とこれを補うための緩効性の総合的な化学肥料を十分に深く反転された畑の30ないし50㎝という深さに用意して土の基礎作りが行われていれば、あとはやはり堆肥と緩効性肥料による作物の基肥を施せば、この基礎工事は二作あるいは三作に耐えうるものとなろう。
 作り上げられた膨軟な土壌は当初から十分な酸素の供給を受けており、雨水の浸透による水分と酸素の供給がこれに加わって、土の中のバクテリアの旺盛な働きをもたらして堆肥などの有機物の分解をうながす。
 栄養の偏らない各種のご馳走をとりそろえたお膳が、土の力とそれを信頼する者の力と知恵との結びつきによって用意されるのである。相次ぐ作物が好みの栄養を取っていくが、土の中で、土と人が準備し、あとから年に一、二回補給するものは、いつでも同じ定食風のものでよいのである。違う作物があとからそこで成長していくことによって、土の力はいつも調整され、バランスを採り返し、それを維持してくれるのである。

本当の省力農業はこの土づくりから
 土の基礎作りは、年々同じでよい。特に連作を好むものはともかくとして、いや地のあるなしにかかわらず連作をしないことをならわしとする。数年間のうちに10も20もの違った作物が同じ土に栽培される。
 - 種目の多さが土の力を整え、その土の力に依存することが沢山の種目の栽培を容易にする。私はそう思います。

八章 家畜飼育は糞畜で考える   《農業循環の問題》

家畜の糞のやりとり
 動物の体内を通過して出た糞には多種類のバクテリアが多量にあって堆肥の中で有効な働きをするようである。それが、畜肥そのものの肥効を高めながら、これに混ぜた素材としての植物の分解を促して、全体として上等の堆肥にしているのである。全く楽しい話である。
 自分が使う畜糞は自分で作る、自分が作った畜糞は自分で使う・・・・、昔からそういうことにいるみたいで、どうも糞のやりとりはうまくいかないようである。

家畜は作物の中で飼う
 不採算部門などということばがある。農業には、このことばは通用しないように思う。農業では、工業のように酪農とか稲作とかいって部門を独立させて考えるのには無理があるように思うからである。
 沢山の種類の作物を作る。家畜の飼育をやるとすれば、それは沢山の作目のうちの一つだ、というふうに考えた方がよいように思う。
 家畜の多頭飼育は作物の専作と同じようなものに思えて仕方がない。その長所はいろいろにいわれているが、主として能率とか効率とかいうもののようである。能率が良いとか効率が高いとかは、給餌とか搾乳とかいうぐあいに、ある作業の部分部分に着目してのものである。田畑の土の力を高め、そこでいろいろの作物を作っているそれら全体の作業や作物の生育との兼ね合いで、能率も効率も考えてみなくてはならないのではなかろうか。


後 編   それがなぜこうなるのかをじっと考える編

一章 規模拡大は一代限り  《農民層分解の問題》

農民層分解を口にする人
 農民層分解は起きない。それを心配している人は、不安がる必要はありません。

二章 小農世界の静かな呼吸  《小農制の論理》

牛の頭数も規模のうちというが
 同じ100万円の貯金でもゼロから増やすときのものより、1000万円の貯金を1100万円に増やすときの方が楽だという。当たり前の話である。1000万円になれば2000万円にするのはなんでもない。よくそういうふうにいわれるものだ。そして、それがある程度真実なのは、1000万円の金が貯まると、財産作りの意欲が湧いてきて、生活の目標を2000万円にすえ、前よりも一層はたらき、生活はますます切り詰めてケチになっていき、それで金がたまっていくからでもあろう。そうやって生涯をひたすら財産作りのために働き続ける。金を貯めるという点では、これは都会的な現象である。

なぜか田畑の規模には天井が
 あの地域この地域と、地域によって違いはあるが、およそ田畑の所有規模には上限があるようだ。規模を、二代くらいかけて大きくしていっても、そこにぶつかると止まってしまうのである。

小農世界の呼吸はおだやか
 売りもしない、買えもしない。それで農家の人たちの呼吸が続いているのである。そして、むらの生命も続くのである。それが小農の世界なのである。

大農、まともに出来上がったものではない
 武力・暴力・詐欺・抜け駆け。何だかあまり性質の良くないことばかり並べたようだが、こういったかんばしくない方法で、ただか、ただ同然に、しかも一気に広い土地を手に入れる。そういったことができるときだけ大規模な経営を作り上げることができるみたいなのである。

三章 すべて農業は水入らず 《資本の社会化と他人労働》

大工さんに資本家はない
 - 農業には資本家的経営などというものはありま せん。また、そう願う必要もないのです。

中小企業の社長
 日本の工業製品には、外観とは違って内容は中小企業の製品だと場合が多く、日本の巨大企業は中小企業の厚い厚い層の上にそそり立っているといった方がよいくらいなのである。

企業化しない、この事実の楽しさ
 農業の方では、機械を手に入れたからといって、それで生産量が増えるわけではないし、したがって、ほかの作業部門で人手をふやす必要が起きてくるわけではない。
 私は思う。これは、良い悪いの問題ではない.良いと思おうが悪いと思おうが、また、そのように努力しようがしまいが、農業は企業化しないのである。企業化しないのが農業というものなのである。

四章 農家の賃仕事は手間がわり

 農業には競争はない。
 もっと正確に言えば、「農業には、工業で見てきたような、何とも避けようのない宿命的な競争・・・・・、あれがない」のである。
 農業では、他人の労働で稼ぐということをしないようなのである。

農家と農家のはまり合い
 そのかん合(=はまり合い)に、賃金が磁力の役割を果たす場合もある。そういうお金の働きがなければ、このかん合がものにならない場合もある。しかし、たとえお金が両者を引き合わせようとしても、両農家の間にかん合しあえるような凹凸の一致がなければどうにもなりはしない。
 手伝いを手伝いで返すことができないとき、お金をこれに代えるのである。だから、すべて手間替わりなのである。

五章 生活が育む天分 《農業労働の本質》

春播秋収
 「それとは逆に、小さいときに外で育った人間は、大人になって農家に入ると、何年経ってもしっくりいかないものですな」
 農薬が、化学肥料が、コンバインが、自動給餌機が、などなどと、農業はすっかり変わってしまったといいたくなる関係でむらに帰って来た人が、なぜそう簡単に家の農業に取り組むことができるのだろうか。
 - 私の結論は、やはり一つしかない。
 農業は生活そのものだからです。
 農業をやれるかどうかということは、農薬の名前や使い方を知っているかどうかとか、コンバインの操作が上手かどうかだとか、自動給餌機の機械の修理ができるかどうかとか、そういうことできまるのでもないし、栽培技術や家畜の生理に詳しいかどうかといったことできまるのでもない。農業をやれるかどうかということは、農業という生活の中で呼吸できるような体質をそなえているかどうかで決まるように思われて仕方がないのです。

「待つ」の値打ち
 農家の人がやっていることは何か。私風にいえば、それは待つことなのである。もっといえば、それは耐えながら待つことなのである。
 稲が育ちやすいように田を作り、色々のことをととのえる。良くも悪くも、稲は自分で育つのである。農家の人達が稲をこねあげて作るのではない。稲作というから、コメを人が製造するような感じがするのだが、これは「稲作」の語感から来る錯覚である。欧米には稲やコメを作るとか小麦を作るとかのことばはなく、「栽培」というだけである。

解説 中岡哲郎《常識の体系に楔を打ちこんだ思想家》
 彼の思想の爆発のきっかけを作り出したのが、西欧の農業を彼が見たという単純な事実であった。彼が西欧で見たのは、大規模化し、機械化し、資本主義化=工業化への道を進んでいる姿ではなく、日本と同じ、いや必死になって新農業技術の吸収を焦り競う日本とは違って、もっと悠々たる農の世界であった。西欧の農業もまた工業ではなかった。農業は農業であったのである。そのことを見た以上、もはや爆発をおしとどめるものはなかった。彼は自信を持って、楔を打ちこむ仕事を開始する。それ以後の彼の仕事はまことに精力的であった。71年『農業は農業である』、72年『農法』、73年『小さい部落』、74年『農家と語る農業論』、75年『小農はなぜ強いか』、76年『農業にとって技術とは何か』と、毎年必ず一冊、農業についての問いを打ちこむ本を書き続け、そして77年に53歳の若さで死ぬ。
 守田志郎が、その思想的転回から早すぎる死までの七年間に残した厖大な文章の数々は、そのような志をいだいて模索を続ける人々にとって絶好の助けとなるだろう。それは彼の七年間が新しい思想的問いの核心にくる工業と農業の差異、人間の生活と作物と土の関係を、もっとも根底的に考え抜こうとする、格闘ともいうべき努力につらぬかれていたためである。

(評)
 守田志郎の考える「農業」とは、たくさんの種類の作物を少しずつ作って、まず自分で食べる物を、出来るだけ自分で作り、余ったものを売りに出す〝ふり売り〟をして稼ぎながら、生活することである、といっているようである。
 なぜならば、農業は生活そのものであるからだという。また、農業は、稼ぐ業ではあっても、儲ける業ではない。農業は工業のように競争はないから、人を出し抜くことも、出し抜かれることもない。
 大規模化、単作化した農業は、守田志郎の考える農業ではない。守田は、1日中朝から晩までトラクターに乗っている、1日中ハウスの30℃以上のむんむんする中で仕事をしているよりは、たくさんの仕事を次々にやり替える方が、どれだけ身体に良いか分からないし、結局その方が能率が上がるに違いない、という。
 これが、農法とも大きく関係してきて、連作障害の問題も、解決が見えてくる。守田は、地力を整えるのは作物です、という。
 結局、守田志郎がこのような本を著し続けたのは、ともすれば工業化しようとする、それが農業の近代化であるかのように考える現代の農業関係者に大きな警鐘を鳴らし続けるためであったような気がする。
平成23年7月

本98 小沢禎一郎「やらなきゃ損する 新農家の青色申告」

小沢禎一郎「やらなきゃ損する 新農家の青色申告」
農文協(1987年刊)
やらなきゃ損する農家の青色申告
小沢禎一郎
1940(昭和15)年生。
昭和33年長野県立南安曇農業高校を卒業、酪農を始める。
昭和43年までは酪農のかたわらあらゆる仕事に就いた。
昭和46年に総合資金800万円を借り入れ30頭搾乳規模とする。
この年青色申告に切り替え、自ら申告者となっていたおかげで、贈与税の指摘を切り抜けられた。
現在、長野21村づくり機構専門アドバイザー、長野県地域農業アドバイザーなどを務める。

第一章 青色申告ってなんだろう

一、税金に弱いと大損する時代
1 私と税金の付き合い始め
 私はこのとき、きちんと記帳して経費を出して、残った所得に課税されることを学んだのである。自主申告の原点を学び、どんぶり勘定では駄目なことを学んだ。このときから税金は私が申告し、申告するために、卒業式の翌日から経営全部をうけ負うことになってしまった。

2 借りた総合資金に贈与税がかかる?
 「あぁ、これがあれば結構です。今年からあなたが申告主になって申告すれば、問題ありません」
 さっきまでのもめ事は、嘘のように解決したのである。

3 〝借金友の会〟の勉強が財産に
 今六〇歳を過ぎて、「農業やって何が面白かったか?」と思えば、「何もかも自分の判断でできたこと!!」なのである。

二 払う税金は自分で決める
1 青い色が白に変わる! 税制40年ぶりの大改正
 昭和23年、シャープ勧告によって新しい申告納税制度が発足した。
 税の自主申告といっても、簿記の記帳も収支計算もできない農家の事情があり、農家の申告に対しては農協との話し合いで、農協担当者も入って交渉により農家の税金は決まることになった。
 かくして、簿記を記帳せず申告する人たちの申告用紙は白く、白色標準申告となり、簿記を記帳して申告する人は青色申告となったのである。

 平成14年から所得税の確定申告書がまったく新しくなり、昭和38年以来の約40年ぶりの制度改革である。
 納税者からの改善要望に応えてということであるが、その中味は
①申告書の様式をAとBの二種類にし(これまでは6種類)Aは申告所得が給与所得や雑所得、一時所得 だけの人。Bはそれ以外。
②用紙も2枚に
③サイズもA4にしたうえ、
④記載欄を整理(見やすい様式になった)、
⑤分離課税用などが別表扱いになった。
 この制度改革により、歴史ある青色申告の確定申告用紙も青から白に変わる。農家の申告用紙は全ての人がB様式となるのである。
 このような改正の裏には、インターネット時代の要望が強いようで、コンピュータによる申告書の読み取り、A様式のタッチパネル化計算コーナーが完成したという。

2 こうなったら青申やるしかない
 ゆくゆくは農家すべてに、簿記記帳のうえ、収支計算による申告か青色申告かを迫るということになりそうである。
 では両者のうちどちらが得かという話になるが、当然、白色の収支計算には
 ①青色申告特別控除
 ②青色事業専従者給与の必要経費算入
 ③純損失の繰り越しとくり戻し
の特典はなく、収入の多少に関わらず農家は青色申告することが得策なのである。

 農業は自営業である。働く家族に所得という富を分配するすると大きな節税と恩典のあることを知る。青色申告が得ということである。
 息子夫婦が勤めに出て、高齢者夫婦でやっている農業、じいちゃん、ばあちゃんが一人でやる農業も多いが、経費目安割合も収支計算もわからないとしたら、息子が申告主となって青色申告し、じいちゃんに給料を払えば、ほとんどの農家は赤字、源泉徴収税がかえってくる。最近の税務行政は、自主記帳、自主記入を強く言う。「申告書は自分で記入しなさい」といわれ戸惑うことがある。家族の中でなるべく若い人が簿記記入、申告すれば、じいちゃんも助かるのである。

3 帳簿類は七年間取っておく
 「農業などもうからない時代、調査など入っても税金なんか出てこない」と高をくくる農家が多いが、「もうからない」証拠が帳簿書類の保存である。七年は一昔前に近い。けれども帳簿書類がなければ、記帳、記録保存義務違反なのである。
 戦後57年、農家はこれまで気楽に税金を申告し納めてきたが、青色申告はやれば最高55万円の特別控除、所得税10%として5万5000円の「簿記記帳手当」になる。やってみることが大事であり、そこから農業がおもしろくなる人も多いのである。

三 申告者は社長、専従者は従業員
1 「おれが社長になるのか」
「青色申告すりゃ、家族に専従者給与っていうぜにを払えるしなあ。それには103万円くらいまで税金かからねえし。償却費も10万以上で買ったものなら皆、取れるしなあ。損すりゃ、三年間繰り越しできるしな。皆計算して申告して、最後にまだ複式簿記、貸借対照表、損益計算書ができれば最高55万円控除してくれる。書類は七年残しておく。ダマされたと思ってやってみろよ」
「給与所得控除が最高65万、基礎控除が38万で、103万円までは税金がかからねえから7~8万円の月給にして、賞与は二ヶ月って書いとけよ。もうからなきゃ賞与を払わねえだっていいでな。うんともうかったときのために賞与二ヶ月って書いときゃいいよ。記帳方法はなあ、いちばん簡単なやつでいいよ。償却費のとり方か、それは定額法の人が多いなあ」
「うんわかった。申し込んどくよ」
「申し込んだだけじゃいけねえぞ。毎日、簿記の記帳をしなくちゃ。それに、固定資産台帳もつくらなきゃいけねえしなあ」

2 社長は社長らしく
 青色申告すると、農業では利益が出ないことがよくわかる。他産業並みの利益を出すにはものすごくもうけないと、専従者給与も払えないし、所得税も払えないというのが現実である。
 売上が多くなって有限会社、法人などにしなければならい目安は、難しいが、私の仲間の例でいえば、所得税が60万円以上、100万円くらいになると、皆、青色申告から移行しているのが現実だ(青色申告では申告者は給料を取れないが、所得が600万、1000万と出るようになれば申告者自らの所得とするようになる)そうなれば専従者は、失業保険、農林年金、退職金もいただけるようになる。また、それだけの事務管理と支払いをしなければならなくなる。農家の青色申告の仲間たちはまだそこまで行かない。日本の社会の中で「最も小さい企業の申告方式なのだ」ということを認識する必要がある。

3 申告主は若い後継者にする
 青色申告するということは、農家の全財産を税務署に届けるのと同じことなのだから、のちのちのことを考えて、後継者がいるなら、若くてもまかして社長にしておくことである。これは最初が大事で、あとになっての変更はなかなかむずかしいものである。固定資産台帳を作り、税務署に届けてしまうので、息子が一生懸命働いて、牛舎を建て機械を買い、土地を買っても、皆、親父の財産をつくってるだけということになる。そして親父が死ねば、息子は相続税を払わなくてはならなくなる。自分でつくった財産に税金を払うほど馬鹿らしいことはない。

4 兼業農家では勤め人を申告主に
 今の時代、わずか10アールしか畑を持っていなくても直売所で何百万と儲ける人がいる。だれかといえば、60歳や70歳のおばあちゃんたちである。しかしこれも経費目安割合で申告などしていたら、大変な税金がかかってくる。申告主を若い嫁さんに、自分は専従者になって給料をもらったほうがずっと節税できる。
 もう一つの流通としての農家直売、直売所の隆盛は目を見張るものがあるが、今後も確かな経営としてこれを支えて行こうとしたらそうした対策も必要である。

5 「息子に身上取られる」心配をどうなくすか

6 年寄りの専従者給与はどう決める
 老人は、税法のうえでも〝老人福祉〟の恩典に浴して年金控除が受けられるようになる。65歳未満で70万円、65歳以上なら140万円まで無税である。給与があればその最低65万円控除分も入れて、それぞれ135万円、205万円、さらに基礎控除38万円を入れるとそれぞれ173万円、243万円まで課税されないので大変な恩典となる。65歳以上の場合、さらに申告主本人の合計所得金額が1000万円以下だと、50万円の老年者控除が受けられるから293万円までの無税だ。このあたりを理解して、年寄りの専従者給与を考えないと少なくしすぎて損してしまうのである。

7 「農年」受給の年寄りは専従者になれるのか

8 「給与を払いたくてもぜにがない」さてどうする?
 経営が悪化してどうしても専従者給与が払えないことがある。その際は無理して支払わず、支払える金額を支払って記帳しておく。あらかじめ届け出た給与額以上を支払ってはならないが、少ない分にはどうということはないのだ。
 さらに専従者給与が高すぎると、認められないことがあるので注意する。農業経営のように、他人との比較が楽な業種では、おれのところでだけたくさん給与を払って経費を多くしようとしても難しいのである。
 青色申告を始める初年度は、前年度のの収入やもうけなどを考えて、毎月現金で支払える金額を少なめにみて申し込んだ方がよいのではと思う。二年、三年と申告してみると、わが家では、このくらいがちょうどよいという線が出てくる。売上が伸びてきたから増額しようとか、そのときどきで変更届を出していった方が税務署にも信頼関係が出来る。また自分の経営の向上もわかってくるものだ。

第二章 記帳しすぎ、記帳落としで損するな

一 記帳してはいけないもの
1 転作奨励金に注意せよ
 青色申告で申告する場合、決算書と申告書とを提出するだけなので、見たところ計算がしっかりしていて決算書が出来ていれば、税務署であまり中身のことをいわれずに済んでしまうのである。多忙な申告受付の最中では、「はい、ご苦労様でした」で終わってしまう。

2 農機具の下取り・売却代金は農業所得にあげない
 これは譲渡所得なので「総合譲渡の長期」の欄に書くと、決まりによって特別控除があるわけである。50万円までは無税になる。下取りに出そうが、よそに売ろうが、くず屋に売ろうが、残って動いている機械はすべてこのようにして節税に使える。農業収入にあげてはならない。

二 記帳しないで損するな
1 領収書がなくても記録があれば
・研修会があるときのバス代・昼食代
・葬式に行って香典とタクシー代で一万円かかった
・リンゴの研修旅行で青森まで行った
 これらの経費には領収書がもらえないことが多い。しかし、領収書がなくても、毎日毎日の記帳に正確なメモと記録がされていればそれはそれでよいのである。できれば、大きな出費の場合、そのことがわかる旅館の領収書とか団体の総合領収書の写しでもあればなおよい。このような現金支出の場合、なんでもよいのではなく、直接農業生産に関係するものが大事なのである。ただし、研修会とか会議の後での懇親会とかで呑んだ酒代は、よくて一次会のみが経費だ。

2 リポビタンDはどの費目?
 働いてくれる人にリポビタンDを出す。これは湯茶接待のお菓子なのである。それを医薬品に書いてあるところがわざわいしてしまっている。湯茶接待費の費目をつくるか、厚生費の中に入れておけばよいのに、となる。

3 給料以外にもかかっている雇い人の経費

4 経費として認められる費用
①海外視察旅行
  財務省で認めている海外視察旅行は、全額経費で認めてくれる。観光半分ぐらいの視察旅行は、申告時に税務署で相談すると、半分はいいとかダメとか教えてくれる。
②衣料費
③ガス・燃料・電気
  生活部分と合わせた年間の使用量のうち農業のために使ったと推定される金額を20%とか30%とかを自分で決めて記帳しておく。
④新聞・雑誌
  農業のためのものであれば全部、新聞は20%くらいが農業用と見てよいと考えれば、20%を経費として記帳する。
⑤電話・有線・インターネット
  10~20%ぐらいを適正に按分して記帳しておく。もちろんインターネット、電子メール、携帯電話の料金も現在では農業用との按分記帳が大事である。
 記帳はすべて正直をモットーとすることが大事で、オーバーに記帳しても、わかる人が見ればすぐわかるものだ。これが簿記の面白いところである。簿記は〝継続の原則〟といって、最初に嘘を記帳すると、最後まで嘘で記帳しなければつじつまが合わなくなる。

5 10万円を越えた分の医療費は全額控除
 10万円または所得が200万円未満の人はその5%を越えた分の医療費は全額控除される。(ただし、最高限度額200万円)

第三章 ここポイント・記帳の実際

一 固定資産台帳と借金台帳で節税
1 使っている機械はすべて記帳する
 10万円以上で取得した固定資産は、その償却費を経費として認めてもらえる。そのためには固定資産の台帳をつくらなけらばならない。
 署と名のつく役所は自分が不利なことはしっかりとは説明してはくれない。これで話は終わり。申告の多忙な中では、調査官の先生も親切には教えてくれない。 償却が済んだ物でも、すべて、10%の残存価額が残っている。この残存価額は、あとで、クズ屋に売ったり燃えちゃったりしたとき、利用できるのである。節税となるわけだ。そのような記帳がないと、税金を払いすぎの嘘の申告になってしまう。
 要は、農業するために利用するすべての農機具、建物、建物のひさし、事務をとる事務室などが記帳されているべきなのだ。ところが前述の通り、大部分の人たちは、そのような記帳をしていないのが現実である。

2 こんなにある!固定資産
 田んぼに行ったら、ハゼ木置き場がある。リンゴ園に行ったらリンゴの木がある。盗まれないための柵がある。管理小屋がある。防霜ファンがある。かん水施設がある。排水施設のV字溝がある。家にはトラクターがある。トラクターの車庫にしているひさしがある。 庭には鶏小屋がある。軽トラがある。乗用車は30%くらい農業に使うかな。
 全部書きだしたら、大学ノートを買ってきて、一ページにひとつずつ償却資産を書いていく。ちょっとした農業経営でも、償却費は決算書の用紙だけでは書ききれないはずである。

3 償却済み資産の節税法
 償却が済んでしまったものは、あとは残存価値しか残らない。10%の残存価値が残っているが、まだまだ動いている。このばあい、償却費は取れないが、20万円以上の大きな修理があった場合、その全額また償却できる。その場合の年割は、新品購入時とは違うので、申告時に調査官の人に相談すればやり方を教えてくれる。また、中古で買った機械の償却年限も相談すると教えてくれる。聞くのは電話でよい。

 廃品する場合、たとえば残存価額が10万円の機械をクズ屋に売ったら1000円で持って行ったとする。そうすると台帳に載っている価額10万円との差額99000円は、固定資産の譲渡損になる。反対に10万円の残存価額のものが15万円で売れば5万円の譲渡益になる。
 このように、固定資産台帳、簿記に記帳しておけば、申告時、固定資産の譲渡益と損を書いて出せる。処分する物がたくさんあって処分益が大きくても、これは「譲渡」の欄に書く。そして総合課税の譲渡所得には50万円の特別控除があるから、50万円までは税金がかからない。逆に譲渡損が出た場合は経費に算入するのだ。 このためにも、使っているあらゆる施設は、機械を固定資産台帳に記帳することが大事である。これからは、買った機械に、施設に、ペンキで買った日付を書いておくのがよいと思う。企業や農協ではすべての固定資産にラベルがはってあり、「なるほど」と思う。

二 嘘の申告はそのうちばれる

三 だれにも無理なくできる記帳のしかた
1 専従者給与は真っ先に記帳
「なんだかわからねえが、おらとこじゃ夫婦がもめていけねえで、青色申告やめるわい」
「そんなことすれば、向こう三年間青色申告できませんよ」
「・・・・」
「税金は青色申告より多くなりますよ」

 現金支出の記帳で一番大事なことは、毎月、同じ月末の日に農協へ行ってお金を下げてくることだ。そして大切な事は、まず第一に専従者給与を支払うことだ。生活費は、家族皆でお金を出し合って生活すればよいのだから、専従者給与も父ちゃんの給料も合わせて生活費に使っても、税務署は何も言わない。

2 帳簿を農協の通帳で済ませるには
 Yさんの母ちゃんは、毎月月末に農協へ行って、農協の払い戻し伝票に、専従者給与とか生活費とか、餌代とか、支払わなければならない金額をひとつずつ書いて、お金を払い戻してもらっている。

四 わたしの記帳例

第四章 青申を経営改善に役立てる

一 決算書の中に経営改善のカギがある
1 借金が増えても驚かない

2 申告のとき欠点がわかる
「税務署は大勢の申告見てるで、なんでもよくわかるんね」
 申告のときに、経営や栽培・飼育技術の最大の欠点がわかるのである。

3 最も大事なポイントを一つつかむ

4 青申で借金地獄を克服したY君

5 修理費、償却費は課税所得を減らす経費

6 簿記の記帳は経営ノウハウの蓄積

7 確定申告書から退職金を見つける

二 青申にはこんな利点がある
1 税務署員から得る経営改善のヒント
 大多数の人は、税務署をいやがったり、おっくうがったりしている。しかし、農業経営の数字を毎日見て、いろいろ判断できる最高の資料やヒントを与えてくれる調査官の先生方に相談することは最高に大事なことだと思うのである。そんなお付き合いで申告していると、二~三年青色申告すると、どうしてももうけて所得税が払いたいと思うようになるものだ。

2 赤字になっても「欠損繰り越し」の特典あり
 青申は損失のくりこし控除が3年間出来て、白色とは税金に雲泥の差が出る。

3 「所得税の払える経営」への意欲が湧く

第五章 青申最大の目的は「家庭の平和」

一 現代の生活改善は青申から

二 嫁さんに二〇万円の給料を

三 青申で円満・堅実な家庭づくり

第六章 青申で築く夢ある農家経営

一 世の中の大きな動きを見よう

二 経営再建あの手この手
1 経営を圧迫する〝元利返済金〟
2 「財布は家中で一つ」で借金返済
3 夢と希望のホラを吹く -私の経営観
4 土地は買うのがよいか、借りるがよいか
 農業経営のおもしろさは、自分の農地を耕しそこに栽培することの自由である。なるべく広いことに越したことはない。農家も孫子の代まで農業を続けるとするなら、農地を購入、拡大することが大事なのである。
5 機を見る
6 地域ぐるみで年代別農業
7 借金ゼロでバトンタッチを
 息子に、強制的と思えるくらい後を継がそうとする人、もう駄目だからうんと勉強して勤めに出ろという人、お前の自由な道を歩めよという人、多くの人たちが後継者問題に悩んでいる。後継者が入るための条件は、やっぱり「健全経営であることが第一」だと思う。過去の農業では、若い衆が入るのでと、あらゆる設備投資をして、自動車も買ってやる、家もつくってやると、ぜにもないのに無理をして後継者を迎え入れていたが、その結果は、年頃になって花嫁不足であったり、借金雪だるまの経営であったりとなっている。そのため、借金返済人足としての後継者になってしまっている。
8 これからは自己資本充実の農業
9 早め早めの情報で活路を見つける

第七章 農家の青色申告会をひろげよう

第八章 さて、わが村に「下有対策」を

あとがき
 徹夜してようやく簿記らしきものができ、申告書に記入した。たくさんのまちがいで横線や訂正印だらけの申告書になったが、それを申告したら、所得税はゼロとなってしまったのである。祖母は喜び、父母から実印、権利書、貯金通帳を取り上げ、私に渡して「今日から禎一郎が身上まわしをする」といい、すべてがまかされたのである。17歳だった。

(評)
 会計や簿記という取っつきにくい内容を、会話文などでわかりやすく表現してある。もしかしたら、税務署の回し者ではないかと思えるほど、税務署側の論理に立った内容ではあるが、それを知らないとより多くの税金を納めることになるわけだから、結局は正直に正確に税金を納めることがすべての意味で自分のためになることを教えてくれる。
 当たり前のことではあるが、毎日きちんと簿記を記帳するということが、経営の第一歩であることがよくわかった。これは何も農業に限ったことではないはずである。

平成23年6月

本97 永田 照喜治「奇跡の野菜」

永田 照喜治「奇跡の野菜」
東洋経済新報社(2010年刊)
奇跡の野菜
永田 照喜治
1926年熊本県天草生まれ。
神戸大学経済学部卒業後、郷里天草にて農業に従事。
やせた岩山で栽培したミカンのおいしさにヒントを得て、独自の農法の研究を開始。
その野菜や果物は、栄養・糖度などにおいて群を抜き、高い数値を記録。
永田農法として確立する。

第1章 永田農法の野菜や果物はここが違う

有名店が使って下さる永田農法の野菜・果物
・ホテルメトロポリタンエドモント名誉総料理長
・ホテル西洋銀座広田昭二総料理長
・ラ・ペットラ・ダ・オチアイ シェフ
・分とく山 総料理長
・瓢亭 14代当主
・浜名湖ロイヤルホテル総支配人・総料理長

永田農法の野菜は常識外れ
 パイナップルは芯まで食べられるのが特徴です。パイナップルは、糖尿病治療にも効果があるという報告があります。普通なら考えにくいかもしれませんが、カロリー制限も、運動もせずに、はっきりと患者の血糖値が下がっています。外園先生は「食生活五原則」として、バナナを主軸に、その季節ごとに可能な果物、生野菜、刺身を組み合わせて、あとは自分の体と相談して好きなだけ食べなさいといいます。生きた食品だから体にもいいのだと思います。

永田農法が考える「おいしさ」の10条件
 永田農法は有機・無機にはこだわっていません。むしろ、こだわっているのは「野菜や果物に、必要なものを必要最小限与える」ことです。

①・・・光が甘さをつくりだす
②・・・「美味しい甘さ」は温度で決まる
  美味しい甘さになるには植物を甘やかすだけでなく「寒さという厳しさ」も必用になります。昼夜の温度差があるほど「美味しい甘さ」になるのです。光合成を行わない夜の温度が低いと、その植物自体が消費する炭水化物の量が少なくなるからです。永田農法で冬野菜を栽培すると、普通より時間がかかりますが、とびきりの「美味しい甘さ」の野菜になります。時間をかけることで日照時間の合計が多くなることに加えて、寒さに耐えるために自らの体液濃度を高めるからです。
③・・・風を通すと、葉は厚くなる
  風の力もおいしさの条件の一つです。葉が厚くなると、病気にもかかりにくくなります。時にはそりかえってきます。
④・・・霧はさらに甘味を増す
  玉露や紅茶のいい葉の取れる産地は、必ず霧の多い土地です。
⑤・・・海水はミネラルが豊富
  ミカン園を始めたばかりの頃、肥料の一つとして海水をまいてみたことがあります。海水にはミネラルがたくさん含まれていると考えたからです。そのままでは塩分が濃すぎますから、水で薄めました。結果はとてもよく、ミカンの糖度が上がりました。
⑥・・・土は肥料ではない
  植物の根も呼吸をしています。土の粒子と粒子の間の隙間が根に酸素を供給しています。礫ではその隙間が大きくなる分、乾燥しやすくもなりますが、根に十分な酸素を供給します。酸素が十分に行き渡っている植物は、健康で透明感のある白い根がたくさん出ています。健康な根は水分の供給力も肥料分の吸収力も優れているので、おいしい野菜をつくることができるのです。
⑦・・・雨は肥料を溶かしてくれる
  有機肥料であろうと無機肥料であろうと、水に溶けた形でないと植物は吸収できません。それが、永田農法が液肥を使っている理由です。
⑧・・・雪が貯蔵効果を生む
  雪の下の地面は凍結せず、野菜も凍らず、氷温効果によりデンプンの糖化が進んだり、うま味が増すので、味のいい野菜になるのです。
⑨時間が甘さを深める
 自然薯、長芋、里芋などの粘りけを持つイモ類は、時が経つとさらに粘りけが増し、デンプンの一部が糖化して甘味が感じられるようになります。カボチャは種のまわりから糖化が始まります。サツマイモもホクホク感を楽しむなら掘りたてがよく、甘さを楽しむなら、一定期間貯蔵したものの方がより甘くなります。
⑩場、人でつくるからこそ感性が必要
 永田農法が感性農法とも呼ばれるのは、生産者の優れた感性と、長年培った体験から「おいしさ」が生まれるからです。

「スパルタ農法」「断食農法」「原生地農法」「ルーツ農法」と呼ばれて
 永田農法を要約すれば、やせた土地で、少量の液肥しか使わない農法です。最近の有機肥料を使用した有機農業とはまったく異なる農法です。

第2章 永田農法のエッセンスをまとめると

永田農法6つのこだわり
① 原生地の環境を再現する
② 時間をかけて育てる
  トマトなら花が咲いたあと30~40日で収穫が可能なところを、あえて50~60日かけて育てます。味が濃くおいしくなるのは、およそ倍の時間をかけて育てるからです。
③ 寒さで甘さを育む
  冬が旬の野菜は寒さの中でも凍らないよう水から密度を高めるため、ぐっと甘味を増します。
④ 除草剤を使わない
⑤ 適期・適地・適作
⑥ 人

永田農法、「おいしさ」の条件
 永田農法の最大の特徴は野菜や果物が「甘い」ということです。肥料や水、農薬を控えて栽培すると、野菜も果物も本当に甘くなります。市販のトマトでは糖度の平均は4~5度ですが、永田農法のトマトの糖度は6度以上です。

肥料が野菜をまずくする
 肥料を多くあげすぎると、作物がおいしくなるどころか逆にまずくなり、安全面でも問題があるのです。
 まずさの正体は、シュウ酸や硝酸性窒素です。
 緑の濃いものが体にいいと考えがちですが、健康に育った野菜は淡い緑色をしています。

有機野菜は本当にいい?
 「無機が安全ではなく有機が安全」という言い方自体が極端なイメージ作りの産物です。
 肥料は十分に発酵せず、完熟していない有機肥料は、根を傷める原因になります。有機肥料を使うなら、まず安全な材料でつくられ、完全に発酵を終わらせたものの液肥であればいいと思います。有機肥料という言葉を「安全の証」のように使うのであれば、まず肥料そのものの安全性を問うべきだと私は思います。

第3章 永田農法はこうして生まれた

「スパルタ農法」で本来の力を引き出す
 たっぷりの水と肥料を与えられて育つと、根が十分に働かなくなるのです。一般の野菜は、地上部の重さを支えるためだけに太い直根が出て、微量要素を吸収する細かい毛細根が育ちません。一方、永田農法のものは、白くてふわふわの細かい根がびっしりできます。また、地上部の茎、葉、花、果実、あらゆるところに、びっしりと産毛のような毛が生えてきます。これがおいしさの秘密なのです。私はふわふわの毛細根を、愛情を込めて「うまい根」と呼んでいます。

永田農法が生まれた瞬間
 試行錯誤の結果、十分に発酵させた下肥を水で薄めて少量散布したところ、最も出来がよいものができることがわかりました。私はこのとき、永田農法の原点である「やせた土地に、少量の液肥」の農業を生み出したのです。経済学部出身の畑違いの素人だったからこそ、それまでの常識にとらわれず、自分の目で見て、感じ、出てきた結果を信じられたのです。

第4章 日本全国、永田農法の取り組み

第5章 海外にも進出する永田農法

人間にとって都合のいい場所でなく、植物にとっていい場所を探す
 アジアで安全なおいしい野菜や果物を作り、欧米に輸出する。これからはアジアの農業の時代だと思います。もう、欧米型の多肥料・多農薬・安全性無視の環境破壊型農業の時代は終わったのです。

アメリカ農業が抱える問題
 アメリカの最大の穀物地帯は中西部です。もともとは乾燥地帯でしたが、そこにダムをつくり大規模な灌漑施設を導入し、この地域の成功に結びつけたのです。
 ところが、この乾燥地帯の地下水が枯渇したため灌水できなくなり、大量の肥料を投与してきた農地が塩化し、何の作物もできなくなりました。小さな環境の経済効率だけを考えた結果が、大きな環境破壊をもたらした例といえます。

第6章 永田農法を実践! 家庭菜園のすすめ

作業療法としての野菜づくり
 私はこのときの経験から、学ぶという行為はいくつになっても、新しいことを知ろうとすることであり、生きることに積極的になれることだと確信しました。新しいことやものに対する好奇心も、人を若くしてくれる。人間いくつになっても、仕事があるということも若さの秘訣だと思っています。

高齢者の介護に必要なもの
 私は50年あまりもこの仕事を続けてきて、農業が自然と切っても切れないもであることを、改めて痛感しています。人間は野菜や果物を育て、牛や豚を飼って、それらのものを食べて「生かされている」存在なのです。自分が自然の一部であり、自然によって生かされていることを、身をもって知るには、菜園を通じて自分がこの世界に必要な人間であることに気づくことが、ひとつの助けになるかもしれません。

家庭菜園のすすめ
 私も自宅に庭で、年間100種類くらいの野菜を育てています。少量の液肥と水だけで、香りの高い、おいしい野菜ができます。是非一度は挑戦し、そして失敗して下さい。やっているうちにうまくなります。農薬も使わずに栽培できます。肥料はできるだけ薄めに、水は控えめにやります。
 土は日向土を使うと、植物が肥料を欲しがる様子がよく分かります。慣れてくると、肥料を少し切らした方が、吸い込みがいいこともわかってきます。種苗については、永田農法を理解してくれている「サカタのタネ」をすすめています。私は「サカタのタネ」の品種で長年、実験を行ってきましたが、ほかの種屋さんのものでは、うまくいかないことが多いのです。よく一般の人が、旨く育たないと自分のせいだと考えがちですが、じつは種苗の質が悪いことが大きな原因のひとつなのです。

第7章 農業は国民のもの

第一次産業と第三次産業としての農業
 もうひとつ、私は農業を「第三次産業」の視点から見てみたいと考えています。それはサービス、またはレジャー産業としての農業です。

おわりに
 2010年の5月半ばごろ。東京での仕事を終えて浜松市の自宅に帰ると、庭先に何も手をかけていないのに、カモミールがあふれんばかりに育っているのにふと気づきました。ときおり吹く風に揺られると、カモミールの香りがあちらこちらから漂ってきます。しばらく縁側に座ってみていると、温かい幸福感に包まれるような気持ちになりました。

(評)
 永田農法に関して数多くの本を出してこられた永田さんにとって、永田農法の集大成的なまとめの本といってよいだろう。84歳になった永田さんにとってみれば、最後の著作になるかもしれない。そうだとすると、いわば遺書のような意味合いを持つ本になろう。
 最後の「おわりに」を読むと、功なり名を遂げた永田氏の心の平安を感じる。
平成23年6月

きままに投資 11

投資
 次の作戦を考えます。
前回は、以前やっていた趣味の釣りと比較して、2ヶ月間で釣りに使っていた費用を、釣りをやらない代わりに同じ趣味としての投資に回しても、何ら問題ないと結論づけて、投資に回す金額を算出しました。

終わってみると、釣りと投資では違いがあることに気がつきました。
釣りの場合は遣ったお金は完全に消えてしまい、二度と戻ってきませんでした。
投資では遣ったお金がそのままそっくり残っているのです。
おまけに、リターンというおまけが付いて金額が増えています。
当たり前といえば、当たり前ですけど。
うーん。この違いは大きいですね。

リスク許容範囲として用意した4万円。リターンで増えた31,635円、それに1回目の投資で増えた3,603円もあります。
これらを合計すると、75,238円が現金として手元に残っています。

これを手がかりにして、次の投資戦略を考えてみます。
11月11日の結論と同じ考え方で、今手元にある75,238円をリスク許容の範囲と考えます。つまり、75,238円までの損失なら趣味として消費したんだから別に無駄遣いをしたわけではないと、自分にも人にも言い訳ができます。
そして、投資した株の株価が1割下落したら損切りすると決めておけば、75万2380円を投資に当てることができます。
75万もあれば、1株単位の単元未満株ではなく、100株単位の単元株の購入が視野に入ってきます。

さて、100株単位となると、購入できる銘柄数が限られてきますから、リスクも大きくなり、初心者にとっては銘柄選びのハードルがかなり高くなります。



ネギ 21

20201208negi(700t).jpg
 ネギも8割近く収穫が終わり、残り少なくなってきました。
この中から、ある程度は種採り用として春まで残すことになります。

きままに投資 10

投資
 昨日(12月11日)、「スシローグローバルホールディングス」を売却し、今回購入した6銘柄すべて売却が終わりました。
今回の投資結果をまとめてみます。
銘柄、購入時(11月12日)の株価、売却時の株価(売却日)、購入株数、(計算式)=損益額 の順に書きます。

ウエストホールディングス 3,685円 3,720円(12月3日) 10株 (3720-3685)×10=350円
スシローグローバルホールディングス 3,315円 3,420円(12月11日) 10株 (3420-3315)×10=1,050円
信越化学工業 15,260円 17,195円(12月8日) 6株 (17195-15260)×6=11,610円
日本電産、11,750円 12,565円 5株 (12565-11750)×5=4,075円
ファナック、24,290円 25,500円 5株 (25500-24290)×5=6,050円
村田製作所、7,840円 8,903円 8株 (8903-7840)×8=8,504円
損益額の合計は、31,635円となりました。

ウエストホールディングスは、11月24日には4210円まで上がっていたので、何となく安心していたのですが、気がついたときには8日連続下落していてマイナス圏に沈んでいました。慌てて損切りしましたが、単元未満株なので決裁が当日の引けの時間にずれて、その間に株価が上がって運よくプラス圏で終わることが出来ました。
連日下落していることに気づかなかったのは、面倒がって一つ一つの銘柄のチャートを毎日確認していなかったからです。
株価だけを見ていても、視覚に訴えてこないので、それがわかりませんでした。
このような、短期~中期の目線で投資をしているときは、毎日チャートを確認することは必須だということを思い知らされました。
いい教訓になったと思います。

ウエストホールディングスは購入後4日目にマイナス圏に沈んで、ずっと沈みっぱなしでしたが、狭いレンジでの値動きが続いていたので、損切りしないで我慢して持ち続けていたところ、今週に入ってプラス圏に上がってきたので、運よくプラスで終わることが出来ました。

信越化学工業と日本電産とファナックと村田製作所の4銘柄は、このような世界に誇るべき素晴らしい企業が日本にあることを教えてくれました。
私は小さい頃から、自然科学には興味がありましたが、社会科の内容には全然興味が湧きませんでした。投資を始めてみると政治・経済や社会の問題を抜きにして投資戦略は立てられず、世界の企業や株式会社の名前にも自然と注意が向くようになりました。
この4つの企業は今まで名前さえ知りませんでしたが、少し調べてみただけでいずれも独自の技術を持った世界有数の企業であることがわかりました。このような会社にはこれからも注目していきたいと思います。

さて、今回を振り返ってみると、
11月の株価が急上昇しているど真ん中辺りで参戦し、株価がいつ下落してもおかしくない状況の中で、どうにか波に乗ってサーフボードから転落することなく、波から降りることができたという感じではないでしょうか。
終わってみると、404,480円の投資額に対して、31,635円のリターン。
率にすると、7.8%の利益で、大した数字ではないけど、負けなかったというのが大きな収穫かもしれません。
勝敗で表すと何と6勝0敗。
ビギナーズラックがまだ続いているようです。
次の戦略を練らなければなりません。











ビワの花

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 みなさん、ビワの花が今頃、この時期に咲くことを知っていましたか。
多分ご存じの方はあまりいないのではないでしょうか。
いやぁ、私も迂闊でした。何年も毎日畑に通っていながら、いままで気がつかなかったので、
今日ビワの花を見たときはびっくりしました。
なんで、こんなに寒いときに花を咲かせるの?と問いかけたくなりました。
でも、この時期でも蜂の仲間が来ていて、せっせと受粉を手伝っていました。

ビワの実がとれるのは6月頃ですから、今頃受粉して、半年もかけて実が大きくなるんですね。
寒さから花を守るためでしょうか、がくや花梗の表面には哺乳類のような毛が生えていて、まるでコートを着ているようです。

ビワは何科の植物だと思いますか。
果実のなっている様子から想像して、あまり聞かないような科ではないかと思い調べてみたら、
何とバラ科だったので、これもびっくり。
リンゴ、ナシ、モモ、ウメ、サクランボ、イチゴ、アンズなど多くの果物がバラ科なのですが、ビワもこの仲間だったとは意外でした。
でも、花を見ると、梅や桜の花によく似ているので納得しました。

ハクサイ 9

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 三日前(12月7日)の記事に、ハクサイの切り売りに二の足を踏んでいることを書きましたが、切り売りもやってみようと思い、包丁と包丁を除菌するためのシートを買ってきて、写真のように準備しました。
ハクサイは2個がコンテナにやっと入る大きさです。

何気なく包丁を取り出して、いざハクサイを切ろうと取りかかったのですが、ハクサイを切らずに自分の指の腹を切ってしまいました。
何でこうなったのか、自分でもわかりません。さすがに新品の包丁はよく切れますね。軽く触っただけなのに、思いのほか切れたらしく、出血がすぐには止まりませんでした。
すぐに応急処置をしましたが、右手の中指をやったので水を扱う仕事ができなくなってしまいました。
鋭利な刃物で切った傷ですから回復は早いと思いますが、1日、2日程度は手を水にさらす仕事は止めておこうと思います。
結局、ハクサイを切るのは中断しました。
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本96 永田照喜治・永田まこと「永田農法 トマトの本」

永田照喜治・永田まこと「永田農法 トマトの本」
小学館(2008年刊)
永田農法トマトの本
永田照喜治
1926年熊本県天草生まれ。
神戸大学経済学部卒業後、郷里天草にて農業に従事
やせた岩山で栽培したミカンのおいしさにヒントを得て、独自の農法の研究を開始。
その野菜や果物は、栄養・糖度などにおいて群を抜き、高い数値を記録。永田農法として確立する。
永田まこと
1949年熊本県に永田照喜治の長男として生まれる。
香川大学農学部卒業後、西部青果総合食品株式会社(現・西友)に入社。
1978年、永田農法の野菜を生産・販売する、株式会社りょくけん入社。
現在は販売部長として国内外を飛び回る。

1章 永田農法のトマトのおいしさの秘密

私はある会社と共同で、長年この夕陽の波長や色、時間の長さなどを光センサーを使って調べています。そしていまでは、夕陽と同じ波長の赤色レーザーを一定の時間当てれば糖度が1~2度上がることが、実験ではありますが、確認できました。つまり夕陽のよく当たる畑を探すことや、ベランダのプランターを西日の当たる場所におくことで、より糖度の高いトマトが収穫できるというわけです。
 永田農法では、この光の量や質、温度帯のコントロールと合わせて、化学肥料の液肥を、薄めてごく少量与えるという水のコントロールも行います。

糖度6度超の本物のトマトをつくる
 トマトの原産地は、南半球、アンデス山脈の標高200mあたりの、カラカラに乾燥した荒れ果てた耕地です。しかし日本は雨量の多いモンスーン型気候ですから、いかに乾燥した状態でトマトを育てるかが大切になってきます。
 どんなにいい苗でも、水や肥料の与え方を間違えれば、おいしいトマトにはなりません。そのためには、畑は必ず高うねにして、マルチフィルムで畑の表面を覆い、余分な水分が入らないように心がける必要があります。これは雨のとき、泥はねによる土壌中の病原菌の付着防止にも役立ちますし、根の保護も果たします。
 そして最近は市販もされている、トマト用の雨よけ屋根をほどこしてください。トマトの病気は梅雨の時期に発生することが多くみられますから、病気を防ぐ効果もあるのです。

永田農法のトマトはどこが違うのか?
 おいしいトマトを作るには、まず丈夫で健康な根を作ることが大切です。私たちは、地表近くにこの根を発生させ、成長させることを重視しており、『うまい根』と呼んで大切に育てています。
 高うねを作ってマルチフィルムを張ると、外部からの余分な水の吸収を抑えると同時に、内部では根に毛細管現象が起こり、地下の水分が吸い上げられ、地表面に少量の水分や液肥が蓄えられます。トマトはこの地表近くの水分や液肥を求めて、必死に横へ横へと根を伸ばすのです。すると、地下へ伸びる太い直根は退化し、細かい毛細根が増え、さらに乾燥状態が続くと毛細根の表面にも真っ白な繊毛が生えてきます。これが『うまい根』です。この根が出てくれば、トマトの糖度は一気に上がります。地表はカラカラに乾いていてもこのように根が活発だからこそ、ビタミンやミネラルも豊富なおいしさが生まれるのです。

 肥料のやり過ぎも問題です。栄養をたくさん与えれば作物はそれだけ大きくなり、成長も早いと考えがちですが、肥料をやればやるほど植物は微量要素欠乏症になるのです。

 私の栽培方法では、薄めた液肥をごく少量与えるだけです。しかし、ただ与えるだけではありません。液肥も少なくする、しかも農薬は極力使わないようにする。ということは、トマトの状態を絶えず見ているということが必要になります。

おいしくて健康なトマトの外側と中味の秘密とは?
 通常スーパーなどで売られている一般のハウス栽培のトマトは、夏場ですと栽培から35日前後で、まだ実の半分が青いうちに出荷されますから、皮も薄いままです。ところが永田農法で育てたトマトは、約80日間かかって枝になったまま赤く熟しますから、皮もその分環境にもまれながら逞しく成長して厚くなるのです。水分や肥料も少なく与えるため、トマト自体も危機感をつのらせ、子孫を残そうと果実内水分を発散させないように皮を厚くするのです。こうやってできたトマトは冷蔵庫に20日間保管しても傷まず、みずみずしいおいしさを保ちます。

ハウス栽培と露地栽培の違い
 スーパーなどの一般のトマトは炭酸ガスを充満させたハウス内で、光を強くし、水と肥料をたっぷり与えて効率よく早く大きく育てられるため糖度は3~4度くらいで、甘さや旨みをほとんど感じさせません。最近ではフルーツトマトといって、糖度6度以上のものも出回っていますが、これは冬から春にハウスで栽培されるものが大半です。私たちも糖度10度以上のトマトも作りますが、こういった糖度の高いトマトはコンピュータ設備や温度管理も施したプロの仕事です。
 しかし最近、我々もハウス栽培のトマト以外に、露地栽培のトマトを作り始めて気がついたことがあります。それは、ハウスで育てた糖度8度のトマトと、露地で育てた糖度6~7度のトマトを食べ比べると、糖度が低いにもかかわらず、露地で育てたものの方がおいしいと感じることです。これはトマトに含まれる酸が大きく関係していることがわかってきました。

2章 初めてでもできる永田農法のおいしいトマトの作り方

畑でトマトをつくる
1 畑の準備をする
A まずは、うねを作ろう
 永田農法では、トマトは高さ30㎝という高いうねを作ります。トマトを、嫌いな水から守ってあげるのです。
うねをきちんと作るとトマトも健康に育つ
A1 農作業の道具を用意
A2 まず畑全体を耕す
A3 うねの幅を決める
A4 棒に紐をかける
A5 うねの長さを決める
A6 土を盛る
A7 周囲から土を盛る
A8 土盛りの完成
A9 うねを均す
A10 うね作りの完成
B1 ケイ酸カルシウムをまく
B2 うねにすきこむ
B3 液肥をまく
C マルチシートを張る
C1 うねの片側から張る
C2 足の上に土をかける
C3 マルチシートをピンと張る
C4 土はたっぷりかける
C5 マルチシート張り完成
D トマトの屋根を
D1 屋根の枠組みをつくる
D2 脚は深く埋める
D3 雨よけをかける
D4 屋根作り完成

2 苗を植える
A1 道具を準備する
A2 苗植え用の穴作り
A3 苗の土を落とす準備
A4 苗の土を全て洗い流す
A5 根をはさみで切り落とす
A6 穴の準備
A7 切った苗の根を広げる
A8 土の小山に根を広げて植える
A9 液肥を施す
A10 支柱を立て、苗を結ぶ
A11 午後の時間帯のきつい陽射しは遮る
A12 風通しもよくする

3 苗を育てる
A 液肥は、見守りながら与える
B 下葉を摘み風通しをよくする
B1 トマトを紐にはわせて育てる
B2 まずヘタを見る
B3 弱ったトマトのヘタは変色する
B4 実のヘタに近い部分にも注目
B5 実から下の葉を取る
B6 梅雨の前に処理する

4 実を収穫する
A 枝で完熟したトマトを摘む
A1 濃い赤に熟した桃太郎
A2 ブドウの房のようなペコ
B 先祖返りするトマトの神秘
B1 野生に近づきどんどん伸びるトマトの先端を斜め方向に延ばしてやる。
B3 夏の陽射しから守る

3章 永田農法〝露地トマト〟の晩餐会

平成23年6月

きままに投資 9

投資
 前回(12月4日)の続きです。
月曜日(12月7日)、畑仕事の合間にスマホを見たらビックリ!
信越化学の株価が500円以上も値下がりしているではありませんか。
これは危ない!SQ日の金曜日に向けて上がるか下がるかどちらだろうと考えていたところですが、
これだと下がる方向に向かったなと思いました。
できるだけ早く信越化学を売却しないと損が大きくなると判断し、畑仕事を必要最小限に切り上げて家に帰りました。

スマホでも株の取引は出来ますが、スマホは画面が小さく見にくく、タッチの範囲が狭く操作を誤る可能性があるので、スマホを取引には使っていません。
株の取引をするには、家に帰ってパソコンの前に座らなければなりません。

午後2時半には家に着いたので、取引時間には間に合ったと思ったところでしたが、
ここで、単元未満株の弱点にやっと気がつきました。
単元未満株はリアルタイムでの注文が出来ないのです。
午後1時半を過ぎると、注文しても決裁は翌営業日の前場が始まった時間になります。
ああ、これだと明日になればさらに下がっているだろうとガクッときました。

この日は日経平均株価が大きく(204円)下がり、その他の銘柄、「日本電産」も「ファナック」も「村田製作所」もすべて値下がりしていたので、これらにも売却の注文を入れました。
翌日、売却の結果を見ると、マイナス圏に沈んだ銘柄はなくホッとしましたが、利益は金曜日と比べるとかなり落ち込んでしまいました。

これで、第2ラウンドで購入した6銘柄のうち5銘柄を売却し、残っているのは「スシローグローバルホールディングス」だけとなりました。「スシローグローバルホールディングス」は購入して4日後にマイナス圏に沈み、その後沈みっぱなしでしたが、やっと昨日、プラス圏に浮かび上がってきたばかりです。あとしばらく様子を見て、これも売却したら今回のまとめをしてみたいと思います。

ジューンベリー6 紅葉

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秋になって紅葉したサクラの葉を「桜紅葉(さくらもみじ)」といい、季語にもなっていますが、
桜と同じバラ科に属するジューンベリーも桜に負けないくらい鮮やかに紅葉していました。
畑のジューンベリーの木は葉がほとんど散っていて、わずかに残っているのを見たら、
紅葉して綺麗な色に染まっていたので思わず写真に収めました。

ハクサイ 8

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 白菜の収穫が始まりました。
一個の重さが5,6Kgか、それ以上あるかもしれません。
1個をまるごと買ってくれる人が少ないので売れ行きが心配です。
スーパーで売っているように、4分の1とか、8分の1に切れば売りやすいかもしれませんが、傷みやすくなるので二の足を踏んでいます。

モグラ塚 3

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モグラが穴を掘った土を地上にかき上げてできるモグラ塚が、先月の下旬くらいから目立って多くなってきました。このブログを振り返ると、昨年もちょうどこの時期にモグラ塚の記事を書いています。
モグラ塚がこの時期に多く出現するということは、本格的な寒さが来る前にモグラが何か特別な行動をしているのかもしれません。
エサが少なくなる前に食いだめをしているのでしょうか。
せっかく育っているミミズを食べつくして欲しくないものです。

本95 森義夫「ひょうたん・へちまを楽しむ」

森義夫「ひょうたん・へちまを楽しむ」
家の光協会(2010年刊)
ひょうたん・へちまを楽しむ
森義夫
1926(大正15)年生。福井農林学校卒。
福井県野菜専門技術員。
福井県農業試験場長。
福井県立短期大学助教授。
退職後、全日本愛瓢会瓢道位審議委員、審査委員、研究部長、副会長、会長を歴任。
現在、全日本愛瓢会名誉会長。

ひょうたん 育て方・楽しみ方

ひょうたんの特性
 ひょうたんの故郷は西アフリカです。多くの作物の中でも特に暖かい気候を好みます。また、生育期間が長く、種子をまいてから収穫するまでに五ヶ月以上かかります。このことは大変重要で、生育初期の保温、病害や災害からの保護、肥料の効かせ方などが栽培のポイントになります。
 つる性の一年草で、生育が旺盛なため、活発なときは1日20㎝も伸び、各節から側枝を出させます。根は浅く多くは深さ5㎝くらい、最も深い場合は40㎝くらいです。しかし、根は広く張り、つるが伸びる長さと同じくらいまで伸びます。

種子と実
 ひょうたんの実は、開花後10日くらいから肥大し始め、30日くらいで最大に達します。完全に熟するには中~小形瓢で50日、大形瓢では70日くらいかかります。
 種子は品種によって休眠する性質があり、2年以降でないと発芽しないことがあります。

ひょうたんの品種と特性
 ユウガオ類の中で腰のくびれのあるものを基本形ひょうたんとして別扱いしています。ヒョウタンとユウガオは同一種であり、ヒョウタンがインドに伝わって栽培されるうち、苦味の少ない品種が食用のものとして分化、選別されたものがユウガオになったと考えられている。 

基本形のひょうたん
・千成 ひょうたんの基本形は、下のふくらみと上のふくらみ、腰のくびれの比が7:5:3がもっともよいといわれています。
 千成は基本形のひょうたんのなかで、最も小形で、長さ13センチ以下、胴回り20センチ以下が基準です。鉢作りした超小型のものはループタイやキーホルダーなどに加工されています。
 ひょうたんの中で最も作りやすく初心者向きです。プランターや鉢でも育てることができます。千成の中でも、やや小形の系統を豆瓢とかミニ瓢と呼ぶこともありますが、千成と大きな差はないようです。
・百成 ひょうたんといえば百成がイメージされるくらい代表的な品種で、長さ15~20センチ、胴回り25~30センチほどの大きさです。お酒を入れる銚子をつくるのも百成です。栽培も容易で、初心者でも失敗が少なく、よいものが収穫できます。
・中瓢(十成) 長さ25~30センチ、胴回り30~35㎝程度で、大きさが百成と大瓢の間なので十成とも呼ばれています。大きさが手頃で、形も整ったものができやすく、魅力的な品種です。
・大瓢(おおひょう) 大きいものは長さ75㎝以上、胴回り120㎝以上にもなり、ひょうたんの王者です。しかし、よいものを収穫するためには高度の栽培技術が必要となります。

ひょうたんの栽培と手順

  種まき 3月中旬
  定植  4月中旬
  整枝  5月下旬~7月上旬
  交配  6月中下旬
  摘果 6月中下旬
  古葉取り7月~8月
  収穫  9月下旬
  水つけ 10月上中旬
  乾燥  10月下旬~11月上旬

摘心・わき芽かき
 ひょうたんは棚上まで伸びてからは、蔓の誘引、摘心、わき芽かきが毎日の重要な作業で、少し目を離すと手がつけられなくなります。
 病害虫の発生も多く、被害が広がらない前に、予防的に防除することが大切です。週1回は農薬を散布するようにします。
 8月以降は台風が最大の脅威で、棚の補修や大瓢、長瓢を支柱に留めるなどの対策をしましょう。

収穫は葉や蔓が枯れてから
 秋のおもな作業は収穫と仕上げで、完熟したものから収穫します。しかし、着果日付がない場合、誤って未熟なものを収穫することがありますので、葉や蔓が枯れるまで待って、収穫したほうが無難です。
 収穫したひょうたんは水つけして内部を腐らせ、種子を出し、乾燥させて仕上げます。

種子と苗の入手法
 ひょうたんは種子が手に入りにくく、園芸店などで手に入る品種は、千成や百成、大瓢、長瓢くらいですが、それらは早めに買い求めておきましょう。その他の品種は栽培している人から分けてもらうしかありません。
 ひょうたんは交雑しやすく、袋かけして交配しないかぎり、純粋な種子は得られません。また、水漬けして種出しすると、発芽率が悪く、まったく発芽しない場合があります。
 密閉した容器に乾燥剤を入れて保存すれば、10年間くらいは発芽力を保つことができます。

種子まき
・芽出し処理
 濡れたタオルのような粗めの布で種を包み、密閉容器に入れて、25~30℃のところに置きます。3~4日で発芽するので、芽が0.5~1㎝くらいに伸びたら、市販の育苗用培養土を入れて鉢にまきます。
 また、ひょうたんは酸性土を嫌いますから、元肥にはかならず石灰をまいておきましょう。

棚づくり
 地這い作りもできますが、形のよいものを育てるためには棚作りをします。
 
苗床作り
 ひょうたんは種子を直接畑にまいてつくることもでき、千成や百成など小形瓢はじかまきでもよくできます。しかし、大瓢や長瓢など塾期の長い品種は、育苗によって生育を早めることが必要です。
 ひょうたんは種子の皮をかぶって発芽するものが多いですが、無理にはぎ取らず、爪切りで種皮の周囲を切るようにすると、自然に取れます。
 生育温度は、昼は25~30℃が適温で、夜は15℃以下にならないように注意が必要です。

植えつけの準備
・マルチング 
 定植には15℃以上の地温が必要なので、地温を上げるために株元30㎝くらいだけは透明のポリを敷きます。保温にはビニールのトンネルが有効です。定植後トンネルがかけられるよう弓支柱やビニールを準備しておきましょう。定植が遅いときは、保温キャップでもよいですが、この場合、帽子形よりあんどん形をおすすめします。あんどん形は異常高温でも苗が焼ける心配がなく安心です。
・株元にネギを植える
 ひょうたんの連作障害、とくにつるわれ病を防ぐには株の周囲にネギを植えると予防効果があります。ひょうたんを取り囲むように3~4本のネギを植えるように苗を準備しておきましょう。
・苗の準備
 本葉3~4枚くらいが手頃な大きさで、蔓が出始めた大苗はよくありません。
・育苗温度
 自分で育苗している場合は、定植の時期が近づくに従って、徐々に育苗温度を下げ、自然の温度に近づけるようにしましょう。

支柱立てと結束
 蔓は支柱に沿って誘引しますが、ひょうたんの蔓は垂直には上がりにくく、うっかりすると垂れ下がって折れてしまいます。毎日見回ってこまめに支柱に結束してやることが大切です。

・仕立て方
 ひょうたんの蔓は放任しておくと、親蔓、子蔓、孫蔓が好き勝手に伸び、手が付けられなくなります。
 ひょうたんの雌花は孫蔓につきやすく、果実も孫蔓に形のよいものができます。したがって、仕立て方の基本は、計画的に秩序よく孫蔓を出させることです。

・棚上まで伸びたら親蔓を摘芯
 一般的には親蔓が棚に上がったら摘心し、2本の子蔓を出させて育てます。これ以外の子蔓は、早めにかき取ります。2本の子蔓は1mの間隔で這わせ、棚端に届いたところで摘心します。子蔓の各節からは孫蔓が発生します。この孫蔓がひょうたんを漬ける蔓です。孫蔓は葉3~5枚を残して摘心します。

・蔓の誘引
 蔓は最盛期には1日に20㎝も伸びるため、誘引は毎日おこなう必要があります。ほおっておくと、巻きヒゲに引っ張られ、予定外の方向へ伸びてしまいます。そうなると蔓と蔓が重なり合い、光の当たらないところや、空いた部分ができたりします。まんべんなく光線が当たるように、蔓を誘引します。

・わき芽かき
 ひょうたんの整枝作業で、もっとも手間がかかるのが、わき芽かきです。蔓が棚に上がるまでのわき芽(子蔓)は、小さいうちにかき取ります。棚状で子蔓から出る孫蔓は、3~5節で芯止めし、ここから出るひこ蔓は、こまめにかき取ります。
 わき芽かきは着果後1ヶ月で止め、以後は古い葉と交替させるために新葉を茂らせます。

・着果位置と質と形
 孫蔓の位置によって、ひょうたんの形状や品質が変わります。一般的には株元に近いほど、形は悪いが皮の厚いものができ、蔓先に近いほど、形はよくなるが、皮が薄くなる傾向があります。形が悪いとは、主として下のふくらみに対し、上のふくらみが小さくなることです。また、大形のひょうたんを収穫したい場合、株元に近いほど太りが悪いといえます。
 標準的な着果位置は、品種によって異なり、千成や百成などの小形種では、15節以上から出る孫蔓、大瓢や長瓢などの大形瓢は30節以上の孫蔓、とみてよいです。これより下についた実は、つぼみのうちに摘果します。

幼果の選択
 ひょうたんは〝形〟が生命です。しかし、形のよいものばかりがなる株はなく、たくさんできたなかから、形のよいひょうたんを選ぶのです。大瓢や長瓢は一株に1果か2果しかできませんから、それが悪かったら致命傷になってしまいます。毎日注意深く観察して、質のよい幼果をさがします。
(1)形がよく、上のふくらみが大きいもの
(2)果こう(軸)が太いもの
(3)口がはっきりしているもの
(4)実が曲がっていないもの

追肥
 ひょうたんは定植から収穫までに5ヶ月以上かかる長期作物です。したがって、元肥のみで、よい収穫を上げることはできません。追肥の種類は、肥効の必要な時に遅滞なく効いてくれることが必要で、速効性肥料が適当でしょう。ポリマルチをしてあるばあい、液肥を与えます。

追肥の時期
 追肥の時期は、着果させようとする雌花の開花~着果期が実の肥大や充実にもっとも有効です。早すぎると蔓ボケの原因となり、遅いとヒビ割れや、大きく割れる原因となります。
 追肥の与え方は、敷きワラがしてある場合は、棒などで敷きワラを持ち上げ、その下にばらまきます。黒マルチの場合、ところどころに小穴をあけ、200倍に薄めた液肥を水差しなどで与えます。与えるときは、株元だけでなく、全体に広く与えることが大切です。

排水と根の保護
根傷の原因
 梅雨期に豪雨があると、地下水が上がり根が窒息し、根腐れを起こします。夏は畑の乾燥によって表層の根が枯死します。草を引き抜くのも根が傷む原因です。
 また、わき芽かき、交配、古葉取り、後成りの摘果などで棚下を歩き回ると、根が傷みます。また、一度に多くの蔓をかき取ると、その分だけ細根が枯れてしまいます。

排水とマルチング
 根を守るには梅雨明けの豪雨を考慮し、排水溝を完備し、夏の干ばつや除草による根の傷みを防ぐため、黒マルチか、敷きワラを厚くすることが必要です。また、マルチや敷きワラの上を歩くと根が傷むので、踏み板を敷いて、その上で手入れをするようにします。

病害虫防除
・炭疽病
  ひょうたんの栽培期間中、必ず発生する病気で、 雨が続くと多発します。
・うどんこ病
・蔓枯れ病
  以上3つ病害は同じ農薬で防除できます。キュウリやメロンにも発生する病気ですので、これらの病気に効く殺菌剤を何種類か用意し、1回ごとに薬を変えながら、週1回くらいの割合で散布します。
・つるわれ病
  連作することによって発生する土壌病害です。こ の病気に効く薬はなく、株元にネギを植えると予防 になります。
・ウリハムシ、ウリキンウワバ、アブラムシがつく

敷きワラ
 定植したひょうたんに、敷きワラがしてあるのを見かけますが、これはおすすめできません。4~5月は地温を高めて根の伸張を助けなければならない時期です。ワラを敷くと光を遮って地温が上がらなくなります。株際は透明のビニールを敷いて地温を高めるようにしましょう。
 地温が高くなる5~6月になれば、雑草を抑えるためも敷きワラが必要です。しかし、厚く敷くことは禁物。梅雨期に厚い敷きワラがあると、根が上層に張り、敷きワラの下は白い根でいっぱいになります。この上根はやがて夏の乾燥で傷んでしまい、病害多発の原因になります。梅雨期には一度敷きワラをうすく敷き、梅雨が明けたら思い切って厚く敷き直しましょう。

大瓢の支え方
 胴回り1m以上の大瓢は風呂敷状の寒冷紗でハンモック式に支える。

古葉取りと後成り摘果
 ひょうたんの葉は展開後50~60日で同化能力が衰えて働かなくなります。老化した葉や日陰の黃化した葉、虫や病気に侵された葉はこまめに取り除きます。古い葉がついたままになっていると、光を遮って同化作用の妨げになります。また、風通しが悪くなって病害虫も発生しやすくなります。
 ひょうたんは品種によって収穫までに、50~70日の日数が必要です。遅く着果すると日数不足で、未熟なひょうたんができてしまいます。この時期は実がつきやすく、放っておくと、いつの間にか太ってしまいます。後成りのひょうたんは、できるだけつぼみのうちに摘み取り、養分をすでに着果している本命のひょうたんに与えることが大切です。

灌水(水やり)
 水やりの目的は2つあります。1つは乾燥による生育の停滞を防ぎ、大瓢や長瓢では最大限まで肥大させるためです。もう1つはひょうたんのヒビ割れや裂果を防ぐためです。

台風対策
 棚の倒壊を防ぐ
 大瓢の落果を防ぐ

収穫
 ひょうたんは皮が厚くかたいほど良品とされていますが、皮のかたいひょうたんは、完熟することによって得られます。

収穫の目安
 完熟を確認するためには、交配した日か、選果した日を書いておくのが確実です。全部に付けられなくても、最後の1~2個につけておくことは実行しましょう。 
 着果した日から完熟までの日数は気温にもよりますが、千成や百成など小形瓢で50日、中瓢、長瓢で60日、大瓢で70日かかります。これは健康な葉が最後までついていた場合で、葉が枯れたり、病気に侵されたりした場合は、日数がきても完熟しないのは当然です。着果した日がはっきりしないときは、あわてて収穫しないで、葉や蔓が完全に枯れるまで待って、収穫したほうが無難です。

内部ほぐしと種子出し
内部ほぐし
 ひょうたんは内部をほぐして腐らせ、どろどろにして種を出します。まず、口部に穴をあけます。木工用の電気ドリルを使うと簡単に穴があけられます。穴の大きさは、かき回し効器具やかき混ぜ用具を入れなければならないので、茎の太さより大きめにあけます。百成で12mm、大瓢で30mmぐらいが手頃です。
 穴をあけたならば口からステンレスパイプを差し込み、中を突いて空洞を作り、水を満たします。1~2日たつと中がやわらかくなってきますので、かき回し器具やかき混ぜ用具で朝夕かきまぜて中をほぐします。また水も減ってくるので毎日補充します。
 3~5日経つと外皮が茶色く変色してきます。このころが種子出しの適期です。
 内部の腐敗は温度との関係が深く、寒いと腐敗が進みません。したがって9月中頃までの温度の高い時期に収穫するようにします。また、ひょうたんを置く場所も日当たりのよい家屋の南側など暖かい所に置くことが大切です。

種子出し
 種子出しはひょうたんを逆さにして、書き出し棒で種とわたをかき出します。中・小瓢は手に持ってかき出すことができますが、大瓢は重いので図のような架台にかけて、下からかき出します。種の出が止まったら口からの水の噴射とかき出しを繰り返すとほとんど全部の種を出し終えることができます。
 種を出し終えたら、皮をはぐための水漬けをします。
 従前は種を出さないまま水漬けによって中を腐らせる方法が行われましたが、強い悪臭が避けられませんでした。上記の方法は種を出してから水漬けするので、悪臭はかなり軽減され、種の発芽力を落とさない利点があります。しかし、ミニ瓢や長瓢には適用が困難です。

水漬け
 水漬けの容器はポリ桶や中古の浴槽などを使いますが、金属製は不向きです。また底栓のあるものが便利です。大瓢は水から上げるときの持ち手用ひもを結び、千成や百成は網袋に入れて水漬けします。

水漬けの仕方容器にひょうたんを詰め込み、浮き上がらないように中ぶたを当てます。重石は直接ひょうたんに重みがかからないようにすることが大切です。中ぶたの上に木材の切れ端などを置き、容器の上に板を差し渡してその上に重石をし、水を満たします。
 水漬けの期間は温度によって違い、20℃以上あれば、半月くらいで皮が取れるようになります。手で触ってみてつるりとはげるようになったら水槽から引き上げます。引き上げるときは容器の底栓を抜いて排水し、ひょうたんの中の水もできるだけ出して、軽くしてから引き上げるようにします。

皮剥ぎ
 皮は水をかけながしにしながらたわしで洗い落としますが、取れにくいところは木片やプラスチック片でこすってはがします。

洗浄
 洗浄はとくに中をきれいにすることが大切です。場合によっては種やわたが残っていることがあるので、そのばあいはかき出し棒でかきだします。また何回も水を噴射して中を洗い流すようにします。

あく抜き
 あく抜きはひょうたんの果皮に染みこんだ汚水を溶け出させるためにおこないます。これによって完成後の臭いがなくなり、肌の汚れも防ぐことができます。
 ますひょうたんの中に所定の倍率に薄めた台所用漂白除菌剤を詰めて栓をし、次いで水漬けと同じ要領できれいな水に浸漬します。水槽の中に除菌剤を入れてはいけません。あく抜きの期間は1週間くらいです。

乾燥
 千成や百成など小~中瓢の場合は、わらを径20㎝程度の筒状に束ね、4~5カ所しっかりと縛り、わら筒をつくります。
 わら筒の周囲に割り箸を斜めに挿し、割り箸にひょうたんを差して風通しのよい、雨の当たらない南側の軒下などにつるして乾かします。
 とくに、大瓢は乾燥が大切で、まずカビを防ぐためホルマリンの50倍液で表面を拭いて消毒します。水切りは、地面に棒を立て、これにひょうたんを逆さに差し、半日程度水切りします。その後、口を上にして乾かします。いつまでも口を下にして渇かすと、口部にしみが出たり、ヒビ割れしたりします。
 また、急激な乾燥もヒビ割れの原因になりますから、ある程度渇いたら屋内に取り入れ、ゆっくりと乾かすようにします。

素瓢の仕上げ
 塗装などの加工を施さない場合、つやだし、栓つけ、飾り紐かけなどの仕上げをします

表面仕上げ
 タオルなどでほこりを落とし、しみや汚れのあるものは、細かい目のやすり(300番程度)でこすってきれいにします。

つやだし
 ひょうたんを棒に差して固定し、クリアラッカーを吹き付けるか、はけで塗るのが簡単です。しかし、化学塗料を使わずに、白木用ワックスで磨き自然な光沢を出したほうが上品に仕上がります。

栓と飾り紐
 栓は市販品もありますが、自然木や竹の根などで自作するのもおもしろいものです。
 飾り紐やふさはひょうたんの大きさに応じた太さのものを選びます。結び方の図(略)

地這いづくり
 ひょうたんは一般的に棚づくりしますが、品種によっては地面に這わせて作ることもできます。
 地這いづくりするものは、おもに千成、百成など小瓢ですが、中瓢でもトンネル用の弓支柱で果実をつるせば可能です。

鉢づくり
 ひょうたんの鉢づくりならどこでもだれにでもできます。そして長期間の手入れの楽しさと姿の面白さが味わえます。また、ループタイ用など極小瓢が必要な時は、鉢づくりが適しています。
 鉢づくりに向く品種は、千成、百成、杓瓢、岡部マリ、ガーナ角など中~小形のひょうたんです。
 10号鉢の周囲に4本の支柱を固定し、淵のへりから高さ50センチくらい、90センチ角くらいの格子状の棚をつくります。

ひょうたんの加工 作品づくり

へちま 育て方・楽しみ方

平成23年5月

きままに投資 8

投資
 今回の投資、第2ラウンドを始めてから3週間ほどが経ちました。
一ヶ月ほどしたら報告したいと書いていましたが、ここで一回、中間報告をすることにします。
というのは、株価がかなり上昇したあとで買ったので、いつ大きな下落に転じるかわからないという心配があり、この辺で一回整理しておいた方が、今後の変化に対応しやすいのではないかと考えたからです。

銘柄、購入時(11月12日)の株価、現在の株価(12月4日の終値)、購入株数、(計算式)=損益額 の順に書きます。

ウエストホールディングス 3,685円 3,720円 10株 (3720-3685)×10=350円
スシローグローバルホールディングス 3,315円 3220円 10株 (3220-3315)×10=-950円
信越化学工業 15,260円 17,765円 6株 (17765-15260)×6=15,030円
日本電産、11,750円 13,080円 5株 (13080-11750)×5=6,650円
ファナック、24,290円 25,980円 5株 (25980-24290)×5=8,450円
村田製作所、7,840円 8,978円 8株 (8978-7840)×8=9,104円
損益額の合計は、38,634円となりました。

今日の株価の状況を調べていく過程で、「ウエストホールディングス」のチャートを見たら、8日間連続して下落し続けていることに気がつきました。これは危ないと思って、ここで「ウエストホールディングス」を売却しました。売却を決めたときはマイナス圏に沈んでいましたが、その後持ち直して、辛うじてプラス圏で逃げ切った形となりました。

「スシローグローバルホールディングス」は購入後数日して、マイナス圏に沈み、その後プラスに浮上することなく沈んだままなので損切りしようかなとも考えましたが、株価が3,200円と3,300円の間の狭い範囲での値動きが続いているので、ずっと様子を見ています。3,200円のラインを下抜けしたときは損切りするつもりでいます。

今日の結果を見ると、他の4銘柄がプラス圏にいる今の段階で清算した方が無難なようにも思えます。しかし、来週の金曜日が今年最後のメジャーSQ日で、この日に向けて株価が大きく変動する可能性があるので、つまり、大きく上がる可能性もあれば下がる可能性もあるので、下がりそうなときはその時点で清算することにして、上がりそうなときは来週の金曜日まで保持し、その後で判断をしたいと思っています。
1週間後に、また報告します。

*このカテゴリの記事は、株をやったことのない人や株は何となく恐いと思っている人や株を始めたばかりの超初心者の人の参考になることを目指しています。





ヤーコン 18

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 前回の記事(11月27日)でヤーコンの地上部を刈払い機で刈り倒した写真を紹介しましたが、上の写真は地上部の茎や葉を両側に片付けたあとの様子です。茎や葉は枯れて茶色くなっています。
20201203ya-kon2(650t).jpg
ヤーコンは3列植えましたが、収穫したのは1列目の半分過ぎくらいまでです。ヤーコンはおいしいのですが、広く世間に知られていないので売れ行きがあまりよくなく、まだこの程度しか収穫が進んでいません。

 このままにしておくと、ヤーコンは冬の寒さで傷んで腐ってしまいます。サツマイモやサトイモなど他のイモ類も同じです。
おととしまでは、畑に深さ1メートルくらいの穴を掘って、イモ類をまとめて埋めておいて3月に掘り出していました。
寒さに一番弱いのがサツマイモで寒気に当たるとすぐに傷んでしまいます。比較的強いのがサトイモで、ヤーコンはサツマイモとサトイモの中間くらいの強さです。
そこで、穴に埋めるときは、サツマイモを一番下にして、次にヤーコンを入れて、一番上にサトイモを重ねるようにして、上から厚く土をかけてさらにその上からブルーシートをかけていました。こうしておくと、保存状態もよく、春には全然傷んでいないイモ類を掘り出すことが出来ていました

昨年からそれを止めました。
なぜか?
それは、穴を掘る作業が体にこたえるようになったからです。
すべてを手作業で掘るのではなく、たがやし君の畝立て機能を使って、長さ数メートルの場所を何度も往復して泥を外に跳ね上げて穴を深くしていきますが、途中からは柔らかくなった土を人力でスコップを使って取り出すしかありません。この作業が腰痛持ちにとっては難儀な作業となってしまいました。
この作業を回避するために考え出したのが昨年から始めた方法です。
上の写真のように、畝を立てるのと同じ要領で、両側に土を跳ね上げて、畝を高くしていきます。
20201203ya-kon3(650t).jpg
両側に片付けておいたヤーコンの茎や葉をふとんのように上から重ねました。
昨年は暖冬だったせいもあって、この方法で乗り越えることが出来ました。
今年の冬は、寒さが平年並みになるようなので、どうなるかわかりません。
もっと寒くなったら、使い古しのブルーシートやビニールなどをあるだけ引っ張り出して上からかぶせようと思います。

キャベツ 42

20201201(650t).jpg
 キャベツはコオロギの被害が大きかった「グリーンボール」と「新藍」の収穫が終わり、これから「冬藍」の収穫が始まろうとしているところです。

 昨日の午後、春キャベツの定植をしました。
10月18日に播種し、10月23日に育苗箱をひっくり返し、運よく発芽した苗を育てたものですが、ちょうど20mの畝一列分の苗が育ちました。発芽が遅れて、育つかどうかわからない小さい苗が、まだハウスの中に残っていますが、これが大きくなったらハウス内に植え付けようと思っています。

それにしても、もう12月で、こんなに遅くキャベツを植え付けるのは初めてで、うまく育つかどうか心配です。
あさってからは、最低気温が2℃や3℃の日が続くとの天気予報が出ており、こんなときは地表の気温は0℃くらいになりますから、氷が張るような温度になります。苗が傷んでしまわないように、防虫ネットの上からビニールをかけてやろうかなと思います。

ライ麦 2 播種②

20201201raimugi(650t).jpg
 おとといに続いてライ麦の種を播きました。
右側の刈ったソルゴーを干すように並べてある場所はサトイモを収穫したあとの場所です。手前にはまだ数株のサトイモが残っています。
左側の何も植えてない一列の畝には、今日の午後、春キャベツを定植しました。今では防虫ネットがかけてあります。
その間に2メートル幅の空白地帯ができたので、ここをたがやし君で耕して、30センチ毎に目印の棒を立てて、ライ麦の種を6列播きました。
これだけ播いたあとでも、まだ種が残っています。1kgの種の量って結構あるもんですね。
これで来年収穫できるライ麦のわらもある程度確保できると思います。

プロフィール

blogst66

Author:blogst66
 教職在職中に木村秋則氏の「奇跡のリンゴ」を読んで感銘を受け、無農薬農法に関心を持ち、200冊以上の農業書を読み漁りました。本を読んで農業の知識が深まるにつれ、自分でも農業をやってみたくなり、一年早く教職を退き就農しました。(2013年)
 農業は8年間続けることができましたが、持病の腰痛の悪化により、農業活動を継続することが難しくなり、一線から退きました。(2021年)
 一昨年から趣味として「個別株投資」を始め、ブログの中身も投資に関することが増えてきました。投資はまだわからないことが多く、初心者が陥りやすい失敗例などを発信しながら経験を積み上げていこうと思っています。(2022年)
 2年半続けた個別株投資に限界が見えてきました。しばらく個別株投資に距離を置きます。(2023年6月)
 植物の写真集「みちばたの花」をはじめました。過去に散歩の途中で撮った植物の写真の中から、毎日ひとつずつ紹介します。(2023年6月)

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