2021/03/09
毎日欠かさず使っている相棒の軽トラックを車検に出しました。
実家と畑の往復、野菜の出荷になくてはならないものですから、軽トラックなしで農業はできません。
8年ものの中古をちょうど50万円で購入して、今回で4回目の車検になります。購入してから8年が経過しました。
途中で一度、タイミングベルトの交換をしていて、冷房のガスが抜ける、ラジオが鳴らない、時計の液晶表示ができないなど、経過年数相応の故障はありますが、通常の使用には問題がないのでもう一回車検に出すことにしました。これが最後の車検になるかもしれません。
写真の工場は個人経営の水森自動車です。周囲を畑に囲まれてぽつんと一軒建っている自動車工場です。
この軽トラックもここで購入しました。エンジニアの水森くんは子供の頃から同じ部落に住んでいた同級生です。さらに奇遇なことに、毎日通っている畑が、この工場と30mくらいしか離れていません。パンクしたときなどすぐ診てもらえるので、とても重宝しています。
昨日の続きです。
これほど多くの本を一定期間に読んだことは私の人生において他にありません。
どうしてこんなに速いペースで本が読めるのか、自分でも不思議なくらいでした。とにかく、本が面白いのです。読めば読むほど、知りたいことが次々に出てきて、あれも読みたい、これも読みたいとひっきりなしに読むようになりました。
そして、ある程度の冊数を読み込んだ段階で、私の心に大きな変化が起こりました。今まで読んだ本に書かれている内容が本当なのかどうか確かめたいという欲求が高まってきました。今すぐにでも農業を始めたいという欲求が高まってきたのです。
私はもともと農家の生まれですから、農家の生活というものは身についています。それに初任の学校が平塚農業高校初声分校という全国でも珍しいくらいのガチで農業の実戦指導をする学校でした。しかも、そこで私は三浦半島農業の主力科目である「野菜園芸」を担当したのです。そのときに野菜栽培の基礎的な技能は身につけたので、足りないのは農業経営を実際にやってみることだけでした。
おまけに、実家には、年老いた両親が隠居していましたが、小屋や農具や畑はそのまま残っていたので、軽トラック一台で乗り付ければ、いつでも農業を始められるというお膳立てが整っていました。
多くの本を読んで、農業をやりたいのにできる環境がない人が全国には大勢おられることを知っていたので、私はとても環境に恵まれていると思いました。
思いが大きく膨らんで、定年から3年前の年には、あと2年残して教職を退職して就農することを真剣に考えましたが、結果的には、退職を断念しました。
理由は、経済的リスクに対する懸念が払拭できなかったからです。
農業を始めて数年間の収入が逼迫することはわかっていましたし、何だかんだと言っても、教員の給料はいいのです。定年前の教員の給料と見合うだけのものが得られるという確信が得られなくて、苦渋の決断をしました。
しかし、定年から2年前の年には、あと1年残して退職することを容易に決断できました。
決断の根拠は2つありました。
ひとつは、1年前に断念した経済的リスクを克服する考えに至ったからです。
たしかに、残り1年分の教員の給料を新米がやる農業で補填することには不可能です。
しかし、1年分の給料を5年か10年かけて賄うことにすれば、それは新米の農業でも可能です。
このときは、61歳から年金が支給される時期でしたがら、経済的にそれほど困ることもないし、5年以上かけて、教員の1年分の給料が稼げればそれで十分だと計算しました。
定年を過ぎても雇用延長の制度を利用して学校で働き続ける人が一般的に多いです。しかし、現役と同じ量の仕事をしても給料は半減しますので、やりたい仕事をしたほうがいいとも考えました。
それからもうひとつは、すでに腰が痛かったことです。
以前から腰痛があり、整形外科にはずっと通っていました。
農業はやってみたいが、やれる期間が限られるかもしれないということと、加齢による体力の衰えを考えると、この1年を早めることの効果は十分に大きいものがあると感じたからです。
つづきはあさってにします。