2024/07/11
男たちの大和2005年制作、戦後60年を記念して、辺見じゅんの小説を映画化した「男たちの大和」をプライムビデオで観ました。
ミッドウェイ海戦でアメリカ軍に大敗を喫して以降、形勢が逆転。連合艦隊司令長官・山本五十六大将の戦死、太平洋各地の島々の守備隊は玉砕するなど、日本軍は劣勢を強いられていく。そんな昭和19年の春、主役の松山ケンイチ演じる神尾ら特別年少兵たちが戦艦大和に乗艦してきた。大和に憧れ、日本の希望の象徴とする若者たちは、反町隆史が演じる森脇や中村獅童が演じる内田に助けられながら、艦内での厳しい訓練に耐えぬく。しかし初の実戦となったレイテ沖海戦で、連合艦隊は事実上壊滅し、厳しい行く末にたじろぐ二十歳にも満たない若者たち。
そして運命の昭和20年4月。最後の上陸を許され、それぞれに、母に、妻に、恋人に、家族に、別れを告げ、再び大和に乗り込む3300余名の男たち。援護する戦闘機もなく、護衛艦もなく呉港を出港する「戦艦大和」。それは生きて帰る見込みのない〝特攻〟であり、何のために死にに行くのか、答えのない答えを自分で見出すしかなかった。
渡哲也演じる伊藤司令長官の指揮の下、戦艦大和は壮絶な戦いへと旅立った。
実物大に作られた戦艦大和のセットで撮られた戦闘シーンは、日本映画にしては十分迫力がありました。私はこの映画を過去に観たことがないものと思い込んで見ていました。しかし、基本、私は戦争映画が好きなのでしょうね。初めて観た映画のように楽しんでいましたが、ほぼ最後の場面まできたとき、公開された2005年に映画館で観たことを思い出しました。いろいろなエピソードや俳優たちの記憶を微塵も覚えていなかったのに、最後の場面になったとき、割と最近見た観た映画のように思い出しました。
それは、生き残って帰ってきた松山ケンイチ少年兵が、戦友の死をその母親に報告に行ったときの場面でした。母親は田んぼでひとり田植えをしています。松山少年は律儀に「立派な最期でした」と報告します。母親は田植えの手を止めて、白い目で松山少年をジッと睨んで「あんた一人でぬけぬけとよう帰ってきたのう」と返します。母親が去った後、松山少年はその場を去ることができず、田植えをします。そこに母親が再び現れます。「夕べから何も食べておらんやろ、これ食べんしゃい」とおにぎりを差し出します。すると松山少年はバタリと地面に伏して両手をついて「ゆるして下さい。自分だけ生きて帰ってきて済みません。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許してください」と泣きじゃくります。まだ二十歳前の子供なんですよ。自分の母親と同じような年代の人から言われて、奇跡的に生きて帰ってきたことを、ただ泣いて謝るしかなかったんですね。それを見て、母親も泣き崩れます。
2時間半近くある映画の中で、かっこいい俳優もたくさん出ていたのに、覚えていたのはこのシーンだけだったとは。本当に戦争とは理不尽なものだという思いもそのまま蘇りました。