本19 川口 由一「妙なる畑に立ちて」

川口由一「妙なる畑に立ちて」
野草社
妙なる畑に立ちて
内容(後半)

冬の生命、そして春へ

 春は肝臓の働きが中心となっての小さな陽の営みが始まり、生命は開き、精気神気が活動を始め、新生の喜びほのぼのと湧き出づる季節であります。このひと年、そしてこれからの人生の完成へと創造心が芽生え、うれしい希望が全身に広がり、行動への意欲が静かに満ちて発進を始めます。

 自然の営みからはずれてはいけません。枝葉末節にとらわれ、つまらぬものに心うばわれ、盲滅法を繰り返し、あらざるものに霊魂を任せてはいけません。最も大切なのは健康な生命であります。健康な体、健康な精神であります。知らず知らずに生命よりもお金を、物を、名を、地位を、権力を、遊びを、仕事を、芸術を、学問を・・・・大切にし、自ら不健康に身を任せ、自らに病気を許すという弱くて、おろかで、悲しい習性・・・・・・・・
 目覚めねばいけません。百年の生命を全うすることも、我が人生における役目つとめを全うすることも、青年期の混沌を超えて確立した大いなる志を大成することも、この人生を真に楽しいものとすることも、決して決して成し得ない哀しい人生となり周囲にも取り返しのつかない苦しい悲しい不幸を招き残して、徐々に徐々にと、与えられた生命を食いつぶしつつ朽ちてゆくことになります。

 自然の営みを観ずに目標を掲げ、自らに何かを課し、律し、理するあり方。意志力にたのむあり方は、本来本然の生命の営みからはずれて害をまねくことになります。

 霊魂の営みに霊魂を注ぐのと同じだけ、我が身体の生命の営みに霊魂を注がれて下さい。絵画、音楽、彫刻、陶芸・・・・・芸術に、文学に、教育に、宗教に、学問に、お仕事に・・・・・心運ばれるのと同じだけ、我が身体の生命の営みに心運ばれて下さい。

 身体の病気は生命の病気です。生命の病気が身体の病気です。病気は身体の生命の営みが本来本然からくずれているのです。病気を引き起こすのはカゼウイルス、ガンウイルス、エイズウイルス・・・・ではありません。
 心の病気は生命ある身体の病気です。心の悩み多く、心の不安多く、心の苦しみ多きときはそのまま同じだけ身体が病んでおります。
 精神の病気は生命ある身体の病気です。いかなる精神の病気も身体の病気であります。身体の病気を治してやらずして、生命の営みを治してやらずして、決して精神病の真の治癒はあり得ません。この理を悟らずして合成薬で、結果であり部分である神経系のみをさわってはいけません。病める人の精神を問い詰めてはいけません。狂となりし人の心を問題にしてはいけません。狂となる身体になっているのです。

 僕は四十歳近くまで絵かきになりたく必死でありました。その青年期を中心に約二十年間はすごい混沌に落ち、迷いと誤りの中で心も精神も身体も大きく深く病み、壊してしまいました。それから十年余、それまでの自分の歩みと、芸術と、長い間続けてきた農業と、壊れた我が身体を漢方医学で問い、直し、正してきました。描き創り、迷いに落ち、非人となり、現代美術界をのぞいてさらに混沌が混沌となり、優れた古典を何度も何度もたずねて劣等感に落ち、うちひしがれ、暗闇の中で一人孤独な二十余年間の経験を繰り返しましたあとで、ようやく人本来の真に美しい姿を悟り得た確信であります。僕一人の中に底知れず誤りに落ちる要素がありました。
 自然本来の営みからはずれますと身体は病んでいきます。身体が病むと感覚が、心が、精神が、霊魂が病みます。感覚が、心が、精神が、霊魂が病みますと必ず身体が病みます。一方だけが病むということは決してありません。一つのものです。

 したがいまして医が非常に大切なのとまったく同じに、文学芸術も非常に大切なものであり、人間を含めてあらゆる生命に深く大きく関わっております。今日までの文学芸術作品が諸々の生命に及ぼしてきた影響は絶大であります。一つの作品が人間の身体、心、精神、霊魂の状態を如実に現しますのはいずれにおいても同じですが、芸術においてはまさしくそのまま、ありのままの内面が現れますので、その影響は直接的であります。
 作品はその人そのものです。いかなる作品も、その人の内面よりのものです。その作者の人間性そのものです。作者の生命であり、身体であり、感覚であり、心であり、精神であり、霊魂そのものであります。
 ピカソの晩年の作品に、人間が畜生の心して性欲を満たしたその瞬間を描いた一連の油絵がありますが、その絵の心は美に非ず、人に非ず、畜生に落ちた心であります。
 古代ギリシャ、地中海文明の人々、古代インド、古代中国、古代エジプト、古代朝鮮・・・・・の人々に現代人の如く醜く、病んだ心はありません。紀元前後を境として大きく人の心根が変わりました。

 善もまた、善だけでは在り得ず、存在し得ず、真であり、美であらねば真の善とならずであり、真、善、美、いずれが欠けても妙とはならずであります。いずれが欠けても非ざるものとなります。

 耕すことも必要とせず、肥料を必要とせず、他の草々、虫達の生命を敵とせず・・・・・人々の生命とも一体となって天然自然の営みにある大根や人参、白菜達の生命は芸術の世界における真に美しい花々とまったく同じであります。何ら特殊でなく、大きくなく、多くなく、異常異質でなく、ごくごく静かにあたりまえに・・・・であります。その姿は美しく、妙なる味となっております。

 耕すことも必要とせず、肥料を必要とせず、他の草々、虫達の生命を敵とせず・・・・・人々の生命とも一体となって天然自然の営みにある大根や人参、白菜達の生命は芸術の世界における真に美しい花々とまったく同じであります。何ら特殊でなく、大きくなく、多くなく、異常異質でなく、ごくごく静かにあたりまえに・・・・であります。その姿は美しく、妙なる味となっております。

不形式、不技術、不定形
 皆様、あなたの身体が、心が、精神が、霊魂が、あなたの田畑の生命を、お米の生命を、野菜の生命を左右し、あなたの田畑に、お米に、野菜に必要なことを悟り知り、底に必要な形や、方法を生み出し、必要な技術を目覚めさせてゆきます。
 田畑づくり、お米づくり、野菜づくりの形や方法や技術は外になく、他になく、また固定した形はありません。すべてはあなたの身体、心、精神、霊魂から生まれ出てくるものであり、常に生命の営みにしたがって変化するものです。あなたがあなたのものをつくっていきます。それがあなたの人生です。あなたの農が医が、教育が芸術が文学が、思想哲学宗教が必要なのであります。あなたの身体、心、精神、霊魂が真であり、善であり、美であり、妙なる人本来のものであるならば、然ずと真理にかなったあなたのものが生まれます。
 形や方法のみをもとめてはいけません。これらは必ずついてくるものです。
 農業は初めてだから・・・・と技術の有無に思い煩うことはありません。絵筆を持つあなたに、技術は一分たりとも必要ありません。 技術半分・・・・・とか、三分とか、技術なくして表現できぬ・・・・というのは考え違いです。表現するのはあなたの霊魂です。心です。技術や形が先にありますと必ず本然本来、本質に至るさまたげとなります。

田畑の生命の営みうばわず
 堆肥小屋での堆肥づくりは、この大切な畑の生命の営みをうばうものであり、さらにその堆肥を鋤込みますのは田畑の生命の営みを断ち切るものであります。うばわれた上に、断ち切られて殺されることを一年に二~三回行われますと、田畑はすっかり困り、弱り続けていきます。生命の営みをうばい、断ち切っておいて素晴らしい有機堆肥で田畑の土壌をつくる・・・・・田畑を助けてやる・・・・・は大きな誤りであります。真に非ず、美に非ず、妙に非ずであります
 鋤込む堆肥はもちろん真のものではありません。化学肥料、合成肥料ではありませんので生きておりますが、片寄った微生物による異常物です。田畑の土の上で、土の中で、朝昼夕夜、春夏秋冬を営み巡り、太陽や、月や、雨雪風・・・・との営みの中で枝、葉、茎、皮、種子・・・・・地表に、根は地中に還り巡るものとは、まったく異なるものです。全然違うものです。ましてや鋤込みますと、異常ではありましても生きていた堆肥の生命はそれまでです。始めなく終わりなく田畑で巡りにうちにあってこそ本来の生命であります。

美しき花園の生命達

始めなく終わりなく巡るあなたや私の生命。
数十年前から始まり数十年後に終わるあなたの生命、私の生命。

自他の別なき一つ生命のあなたや私や、お米や木々草々の生命。
個々別々の一つしかないあなたという生命、私という生命、お米という生命。

個々個々部分部分ではあり得ないあなたや私や、お米や木々草々の生命。
個々部分部分完全であるあなたという生命、私という生命、お米という生命。

 ゴッホはある時期に、日本の浮世絵に接して深く感ずるところあり魅せられております。遠近なく明暗なく光と影なく立体感なく・・・・主客の別なく、ただ一本の線で描き、平面的に一色で塗りつぶした浮世絵に、未だ至れず描けず、求めてやまない信の世界が見事に描き出されていたからです。しかし自らはついにこの世界に入ることが出来ませんでした。
 芸術、文学、宗教、思想、哲学、医学・・・・において、ある時期から西洋的とか東洋的とかに分かれてしまいましたが、さらに過去にさかのぼれば、東西を問わず本体本理に添っていたことを知ることができます。東西を問わず過去の人たちは芸術の世界において、医の世界において、人としてのあり方において、あるいは農において、あらゆることにおいて、決して本体からはずれることなく、唯一絶対の境地に住み本理本営を営む天然自然人として全うしていたのであります。

 主流の現代芸術現代文学が、現代医学が、現代農業が、諸々の宗教が、現行の教育が、また反対に、亜流の芸術が、諸々の民間医療、漢方、鍼灸治療、健康法が、有機農業、酵素農法、自然農法・・・・・が、食養法が、あちこちで生まれている新しい教育法、いろいろのフリースクールが、果たして本理のよりのもの、真に優れたものであるかどうかを明らかとし、あなたが果たして本理に添うものかどうかの確認が、是非に大切であり必要であります。

 田畑に草々虫達の生命栄えれば田畑の生命栄える。雑草は田畑の養分をうばい取るに非ず、草々虫達然ずから田畑を養う

 本理の営みに任せ、本理を営む野菜や田畑の完全な働きに任せます。必要あって生命の営みを損ね、壊します場合は最小とします。目的とする野菜の生命が他の草々の生命に負けぬようにしてやることが最も大切な作業となります。特に幼きときの数日間が大切です。草々が一生を全うして閉じるときに野菜の生命が始まる場合は、その必要がありません。自然のうちに交替していきます。そうでない場合、野菜も草もまだ幼きときは草を根っこから引き抜き、その場に置きます。根は細く小さいので土が動くことはありません。野菜の生長を妨げるところにある草のみで、離れている草は生長に任せます。草がすでに生長している場合は、茎と根の接点から小さなカマで切ってやり、その場に置きます。根は土中にそのままです。
 野菜がすでに生長している場合、ツル性で姿の高い野菜、雑穀類の如く硬い強い場合は、草々の茎から小さなカマでサッサッと刈ってその場に敷いておくだけで充分です。秋に入って生命の盛りを終え、成長の後半に入っている草はそのまま放っておいてやってもいい場合が多いです。これらの見分けは数年の繰り返しのうちに然ずからつくようになります。作物の生長の妨げにならない場合は出来る限り、草々の生命もその場で一生を全うして自然のうちに実り種子残して土に還り巡るに任せてやります。種々雑多な、いろいろの草々の生命が田畑で巡る方が土の生命は健康であり、そこで育つ野菜も健康であります。

楽園に生かされる生命
 
 
 このお話を始めまして約二年、いろいろのお言葉が届くようになりました。これらの言葉は決して多くの量が獲れた喜び、多くの収入を得ることが出来た満足からのものではありません。また生まれて初めて、お米の種子を大地に降ろしてやった感慨の域を超えたところのものであり、「芽が出るだろうか」、「育つだろうか」、「穂が出るだろうか」、「花が咲くだろうか」と次々と心配した我れをいとおしみ、暑い夏、全身に汗流して他の草々の生命に負けぬように手を貸してやり、水の面倒を見てやり、あれこれと苦労し努力した我をたたえ、この時代に真実を求めて実行した我をほめるという、小さな我が心の域を超えたところよりのものであります。
 本来本然の自分に出会った魂は二度と自分を見失うことなく、喜び、楽しみ、平安のうちに人生を全うしてゆくでしょう。

 僕は僕の魂の救われることを求めてきただけでありますのに。
 僕は僕の人生のことをひたすら考えてきただけでありますのに。
  僕は幸せであります。

 他の世間智に左右されず
 邪智に惑わされず
 他の分別智に流されず
 妄智にふり回されず
 大切な大切な私の人生なのですから。

 他の真智の声、無差別智よりの説示に耳傾け
 絶対の音、天の声、神の言葉を聴くこと忘れず
 天然自然界の織りなす妙なる姿を観ることおこたらず
 真を愛し、善を喜び、美を友とし、妙なる自由を楽しむところから離れず、
 本理本営の大調和を悟り
 神の親心、天の親心、父母の親心、師の親心、先人の親心に心を安らかとし
 大地のぬくもりに生命を休め
 諸々の気に魂を休め
 天地のスキマ、空間に楽しく我が人生の絵を描き
 総てのもの一つ生命の営みを識り
 我もまた人として完全な生命、全知全能を喜び
 隣人、同人のいることの意味をよく識り
         ・
         ・
         ・

 姿、形、体は生命です、心です、魂です、姿、形、体は生命、魂、心の表情を致しております。今あるあなたたの姿、形、体はあなたの魂の姿であります。今あるあなたの田畑の姿、形、体はあなたの魂の姿であります。今あるあなたの生活の姿、形、体はあなたの魂の姿であります。今描いたあなたの作品の姿、形、体はあなたの魂の姿であります。

 いろんなことがありました
 それはただの道草でした
 道草の続きから離れましょう
 道草を思い起こして繰り返すことからも離れましょう
 そうして本当に最初から私の欲しかったものを私にたずねましょう。
 たずねあてた私が安らかでありましたら私はそこに住みましょう

 お米を食べる害虫を食べてくれる新種の虫を、虫達の生命の誕生の際に遺伝子を操作して作り出す・・・・というこの恐ろしき人間本位の大オロカゴト、知恵者顔してそれにたずさわる我が大オロカなる姿に気づかん。人間の都合で新しい種類の生命つくれば不用、無用ですまず、必ず悪しきことの招きとなるなり。

 私たちも他の生命とともに一日を巡り、一年を巡り・・・・・さらに大きな巡りを営み続けております。僕は五十回ほど四季を巡りました。青年時代はうつろとなってさまよい、真の魂、真の体、真の人生の形を得ることが出来ず、多量の化学肥料、農薬、除草剤を用いる農業で多くの生命を損ね殺し、共に生活する家族の魂を傷つけ、自らは大きく心身を病み、疲れ、損ねて自然本来よりも老化の早い巡りであります。余命は多く、強くないのは自ら招いたことでありますが、決して自分だけに害をとどめること出来ぬ一体の営みであり、他の多くの人たち、諸々の生命達と共の生活であります。多くの生命を傷つけ損ね殺してきました。
 今、母は78歳です。39歳のとき夫を亡くしております。そのとき5人の子どもがおりました。長男の僕は小学校6年生でした。父は農夫でした。先祖代々の小作農民です。僕は中学卒業と同時に農業を引き継ぎました。お盆と正月とお祭り以外は朝から晩まで田畑で農作業、雨の日は雨の日の仕事があり、冬の農閑期はソーメンづくりや、山仕事を家族全員でしないと食べていけない小農家でした。

 すべての生命あるものは他の生命を食べて生命ながらえ、全ういたします。他の生命を食べずして我が生命ありません。天然自然界においてはこの食べて、食べられて、生命から生命に巡る営みがそのまま大調和の営みであります。これは一個の生命から一個の生命、部分の生命から部分の生命へと巡る一つ生命、一つ身体の大いなる営みでもあります。
 僕はようやく他の生命に生かされているこの生命であることに気づけるようになりました。
 他の生命あることによって僕の生命もあることを悟れるようになりました。
 他の人々の働きによって今日も事無く生活できていることに気づけるようになりました。
 僕はようやく「ありがとう」と言えるようになりました。

地球は神々の楽園、宇宙の楽園

大いなる宇宙は
大いなる神は
大いなる創造主は
我が子人間の老死 我が子地球の老死を黙して見つめるのみ
悲しまず 止めようとせず 止めることできず 自らも止まること出来ず
ひたすら黙して 運行また運行

地球の生命 一時の生命なり
人の生命 一瞬の生命なり

なれど神の親心は決して安易に非ず
無目的、放任に非ず
しかも神に宇宙に絶対の性質あり
神は宇宙は 善を好み悪を嫌う
善を行う人を助け悪を行う人を退ける
真において美において正においてしかり
天然自然の心に添う人なお助け
はずれる人なお退ける性なり
一寸の狂いなくゆるぐことなく
時と共に我が性質を実行する
すべて神の子宇宙の子なれど
一人のために宇宙は非ず
人間のために神は非ず宇宙は非ず
神は宇宙は自らの我が心我が生命の実行実現なり

地球の上に毒をつくることなかれ
毒をまき散らすことなかれ 汚すことなかれ
神の子地球に住むあらゆる生き物をおかすことなかれ 殺すことなかれ
山を森を野を田畑を
海を川を湖を空を
木を草を鳥ケモノを
水を土を空の気を
おかすことなかれ殺すことなかれ 我が生命人間の生命 我が心人間の心
損ね病ましめることなかれ殺すことなかれ

わがもの顔で住むことなかれ生活することなかれ
人間だけのためにつくられたに非ず
人間だけに都合の良いものを神はつくらず
知るべし悟るべし

 田畑において耕さず、肥料農薬除草剤を用いず、雑草を敵とせず、害虫益虫の別なく、他の多くの生命達虫達草達と共にあるお米や野菜を少しいただいて、田畑の生命減らず衰えず、人も田畑も草々虫達お米野菜達、常に栄えて巡るその姿を写真で示し、必要な時ほんの少し手を貸してやるすべを話してまいりました。
 このあり方で決して不足することなく人間の健康にとっても適量であります。また人間の生命を養ってくれる食べ物としてこの上なき本来本然の生命力をもち、神の神気宿し宇宙自然の精気を宿すお米であり野菜であります。すべて他の生命のいただきかたは同じ理であります。悟られてその理のもと、そのすべてを身につけられて下さい。

知らず知らずについ
他の生命を殺してしまう性
他の存在を認めること出来ない性
他を肯定できない性
他を否定してしまう性であります
この性を超えることが出来なければ、他も生命があることを知ることが出来ず、他の生命を生かすことが出来ず、他の生命を育てることが出来ず、他の生命の育つのを見守ること出来ず、他の生命の育つのを正しく手を貸してやること出来ず、他の素晴らしい生命力、智力能力を尊重すること出来ず・・・・・ということになってしまいます。

 個々人がそうすることが出来てはじめて幸福な人間生活地球生活が実現致してゆきます。自分だけが、我が家だけが、我が国民だけが、人間だけが幸福になることは決してなく、宇宙はそんなふうには成り立っていないわけであり、生命はそんなふうには営まないわけであります。

 でありますから、私の生命を私が支えて生きなければならない自他別々、個々別々の世界に住むときは、自分だけの幸福、自分だけの喜び、自分だけの人生・・・・・の追求となっていはいけません。自分の生きがい、自分の生きる道、自分は食べていけるか・・・・・等を考えるとき、自分のことだけ考えていては決して食べていける道は得られません。自分からスタートするのは当然自然でありますが、いつまでも自分だけのところにとどまっていては、決して道は明らかとならないで苦しみます。いかに聖業につくとも同じです。自分の人生の喜び、生きがいを求めてはダメであります。〝私の喜び〟〝私の生きがい〟〝私の願い〟〝私の人生〟〝私が生きる〟ことは捨てないと〝他が喜び〟〝他が生きられる〟〝他の願いが成就する〟ということが実現しないわけであります。

水田にお米が元気に生きていることを喜ぶ
畑に大根が元気いっぱいに生きていることを喜ぶ
子供が健やかに育っていることを喜ぶ
地球が元気に息づいていることを喜ぶ
友が大いに智力能力を発揮していることを喜ぶ
 この心があたりまえに働くようになれば素晴らしい世界が実現していきます。私の喜びを求めているときは、他が喜ぶようには処してゆけないわけです。決して私が喜ぶために他があるのではなく、他が喜んで私も喜べるわけです。私が喜べるところは他も喜べるところなわけですが、私のことを考えているときは他のことは考えられなくなるわけです。

 皆様、時同じくしてこの世に生命を得ました。それぞれに、それぞれの役目つとめを負って生かされております。役目つとめのない人はありません。大いなる天命を背負っている人もあります。それぞれ我が役目つとめ、そして天命をも悟り識って自覚、覚悟して、それを果たしきる人生であってはじめて、我が生命、我が魂の大いなる喜びがあります。果たせないと生命は、魂は救われません。果たせるべき道を得るまで、そして歩み出すまで魂は苦しみます。果たすべき道明らかとなって魂は喜び、果たすべく道についてはじめて魂は大いに働き始め、果たすべき一生となって魂は満ち足りて帰って行きます。果たすべき事が成就して魂は大いに楽しみます。
 ところでこの役目つとめ、天命を正しく果たせるには〝他に捧げてこそ〟であります。それは私の人生を天命に捧げきって、私の日々をつとめに捧げきって、私の生活を使命を捧げきって、私の天命を自覚覚悟してそこに私の心を捧げきってはじめて、役目つとめ天命を果たすに必要な智力能力、生命力が働くれるからであります。

 私たち人間はその地その地の諸々の生命によって最高、最善、最適・・・・・に生かされております。その国その国の厳しくも思える天候、気候、土質・・・・・にも耐えて自然のまま見事に育ち実るものをいただくことによってはじめて、その国その地のきびしい天候の中で人間が生きてゆくに必要な生命をいただけるのであり、身体健やかにして心康けく生活してゆくことが出来るのであります。したがいましてそのきびしい天候、気候、土質・・・・のもとで、自然に育ち実ることが出来る作物を栽培し、食生活の基本とすることが重要であります。

 適度を知れば、常に海に魚にぎわい、野山に木々草々にぎわい、田畑にお米野菜にぎわい、人々の生命安らかに栄えて寿しくであります。

 この豊かな恵みの中で家畜の必要度はほんの少しであります。飼いすぎますと本当に困ったことを多く招いていきます。地球上に、人々の上に、多くの自然界の生命達に及ぼしていきます。

耕起、施肥、施薬、施設農業は、地球の大損害
 皆様、一人一人がそれぞれ後で、それぞれの村で、それぞれの国で、それぞれの島で、それぞれの家で、神々の親心悟られて、地球生命に添い、天然自然の営みに任せられての、自給自足を基本とした生活を是非確立されて下さい。是非に大切な大切なことであります。その上で是非に是非に助け合い、補い合い、それぞれの役目つとめを引き受けあって、楽しい楽園での生活とされてゆかれて下さい。是非そうあってほしく思います。

あとがき

 父母、祖父母・・・・・先祖代々の小作農民の長男として生まれましたので、農家の生活や農作業のことは心身に浸み渡っていたと思います。また幼くして父を亡くしておりますので、早くから農にたずさわってまいりました。当初はスキ、クワで田畑の隅から隅まで何度も何度も耕し続け、草を取り続ける農業でありました。やがては世の流れと共に多量の化学肥料、農薬除草剤、耕耘機使用・・・・・等の農業を約二十年間、そしてその誤りに気付いて不耕起、無肥料、無農薬、草々虫達を敵とせぬ農業を十数年間やってまいりました。

 人々が、あらゆる人々が、健康で楽しく平和に暮らしてゆける道への案内書ともなることが出来ましたらうれしいです。
 また、それぞれの天命を悟られ、役目、使命を自覚されて、我が生命を、我が人生を、そこに捧げてゆこうとされておられます方達、すでに捧げてお働きの方達、人として我が一生を全うしてゆこうと歩まれておられます方達と響き合えます書ともなってくれますならば、なお一層うれしいです。すでに心のはずむものを感じております。
  1998年12月2日               川口由一

平成22年3月

本19 川口 由一「妙なる畑に立ちて」

川口 由一「妙なる畑に立ちて」
野草社
妙なる畑に立ちて

内容(前半)

春の生命(いのち)

 耕さず,肥料は施さず、農薬除草剤は用いず、雑草を敵として取り去らずとも、お米や野菜が見事に育ち実りますお話を致します。
 それは僕の小さな智力能力で、思い、考えて作り上げた一農法ではなく、一人の人間の思想、哲学、宗教・・・・・生命観、自然観、宇宙観から形づくり、固定させたものではありません。そうした固定したところから離れ、今までしてきた数多くの余計なこと、耕耘、施肥、施薬、除草、施設、土壌改良等から離れて、天然自然の変わることなき絶対なる法、神ながらの過不足なき営みに任せ、お米自らに備わっています完全な智力能力に任せますと見事に育ち実りゆきますお話です。
 この天然自然の神ながらの営みは真であり、善であり、美であり、妙なるところであります。ここに人間の手を加える必要はありません。加えてはいけません。
 その恵みをいただけばなんともいえずうれしいです。清らかに澄みわたるお米の生命は体内に広がり、人を養う精となり、元気が発するようになります。おのずとありがたい感謝の思いがしみじみと湧き出で、満ち足り、心安まってまいります。

 ここに余計なことをしてはいけません。余計なものを欲しがってはいけません。余計なところに魂を任せてはいけません。
 一枚の田を耕すというただ一つのことだけに、このものすごい準備です。もう気絶してしまいます。そうして耕すことによって得られるものは何もないのです。耕せばたくさん獲れるぞ・・・・・耕耘機を使えば楽だぞ・・・・・と思ってしまったばかりに、限りなく多くの苦労と無駄を重ねます。限りなく多くの準備が必要となり、その結果、限りなく多くの困ったことを次々と招いてゆきます。野に山に、川に海に、宇宙に・・・・・生きている地球を損ね食いつぶし、宇宙をけがし、あらゆる生き物たちの営みの障害を招いていきます。
 肥料におけるも同じです。有機、無機いずれの肥料におけるも、施設作りにおけるもその害と無駄ははかり知れません。動物フン等を多量に投入してはさらにその害ははかり難しです。また堆肥作りと投入による労力の無駄とその不自然から生じる害は大です。しかし、だから農薬、肥料、施設・・・・・を用いてはいけない、やめましょう、というのではありません。いずれも用いない方が見事に育つからなのです。用いなければ本然の生命が、本然の生命で、本然の生命に育つからです。肥料でふくれたお米をウンウン汗して担いで帰り、たくさん獲れたと喜びますが、決して実質は多くなっていません。その生命力は小さいです。生命力が不足しています。大きいから多くの人の生命をやしなえるのではなくて、大きいだけ多くの生命を損ねることになります。農薬の害が恐いから農薬を使ってはいけないという以前に、農薬を必要とするようなお米となりますのはお米の生命力が弱いということです。耕す、肥料を与えることによって弱くなったのです。生命力が弱いということは生命が完全でないということです。何かの不足です。何かの片寄りです。異常肥大です。一つの完全な生命ではないわけです。

 芸術におけるも同じです。真を問い、善を問い、美を問うということを自らに課さず、高き精霊の宿らぬ人となって、人の人たる道を見失い、ちっぽけな自己本位、自己中心の我執に落ち、醜い俗心に心を任せ、名を求め、財を求め、よこしまなる思いに霊を任せ、人に非ざる霊魂、人に非ざる心、人に非ざる感性、感情、感覚から生まれる醜い作品を、人々の前に吐き散らし、毒を出し続けています。その毒気に多くの人があてられています。

 あらゆる生命は一つです。無数にあります生命は同時に一つです。植物の生命なくして、人間の生命ありません。草々の生命なくして虫達の生命はありません。虫達の生命なくしてお米の生命ありません。一つ生命の営みなのです。個々完全な生命でありますと同時に、一つの大きな完全な生命の部分なのです。個々は部分です。部分だけでは生きることのできない不完全な生命でもあるのです。祖のある部分に人間だけが余計な手を下し、殺さずともよい生命を殺しています。人間だけが毒を作り出し、毒を投入し、毒をまき散らしています。限りなくまき散らしています。
 他の生命を食みて今ここにある生命ですが、食むのは最小限、天然自然のうちであらねばなりません。自らの適量を知らねばなりません。

 大切なことが一つあります。僕の言葉に決して執らわれてはいけません。僕の示す数字に執らわれていはいけません。言葉通り、数字通りにおこなってはいけません。言葉、数字の奥にある理に心を向けられて、その理を悟り識ってゆかれて下さい。僕とあなたの違いがあります。同じ一つの生命ですが、個々の違いがあります。僕とあなたの住んでいる場所が異なります。気候風土が異なります。同時に作物個々の性の相違があります。百人百様、百人百態、また一人百様、一人百態となるのが真の姿であり、本来のあり方です。固定したもの、決まったものは何もないのです。天然自然の理を悟ること、自らの内に宿し蔵している神ながらの智力能力を、僕の言葉や数字からの働きかけによって目覚めさせてやることが大切です。僕が発します言葉の生命、言霊が、皆様の内にある霊と共鳴して、目覚めてゆかれることが大切です。


夏の生命(いのち)

 天然自然の営みに任せたお米づくり野菜づくりは誰しも一人で出来ます。僕の言葉にとらわれずに言葉の示す彼方を悟られますとひとりでに出来るようになります。一つの言葉、一枚の写真から真の理を悟り、行えます智力能力は、無差別智の働きによってです。これは誰しもに与えられている智力で、誰しもに働くべく生かされているものです。この智力が働けば簡単に行えます。本当に簡単です。
 描き出します種々の人間の姿は、すべて自分が今日までに経験してきました自分の姿です。
 無差別智が働かなければ天然自然のお米づくり野菜づくりは出来ません。分別智の強く働くところ、世間智の深く働くところでは、決してこの素晴らしい本来、本然、神ながらのお米づくり野菜づくりの喜びを得ることはできません。

 真智 無差別智
 妄智 分別智
 邪智 世間智

 現代社会全体の大きな流れの中で指導的立場にいる人たちの多くは、分別智の世界に住んでいます。この分別智は妄智です。現代社会をリードしている分別智は真理に届かぬ迷妄の智です。決して明からむことのできぬ暗愚の智です。野菜を食べる虫を殺すのは妄智です。殺す薬を開発するのは分別智です。一方明るめば他にとって暗しです。他にとって暗しはやがて我れにとっても暗しです。これは妄智です。お米を食べて生命ある虫、虫の生命によって生命あるお米、お米の生命あるによって生命ある人間、みな一つ生命です。大調和のもとに大いなる大自然の営みです。田畑を耕せばよし、耕耘機を開発すればよし、施設をつくってその中で野菜を育てればよし、有機農法よし、堆肥をつくって鋤込めばよし・・・・・、いずれも分別智の世界に住むところより生まれいずるものであり、真理から遠く離れた迷妄の農業であります。分別智では大自然の営みは観えません。

 お米が病気になり虫におかされるのには原因があります。その原因を取り除かずして次々と農薬を開発します。一方明るめば一方暗しですので次々と新たな病害虫を招き、たま果てしなく病気や虫とたたかわねばなりません。お米はもとより健康な生命として生かされています。病気を招き、虫害を被る軟弱なお米となった原因があります。耕耘であり、施肥であり、お米や野菜が住むに不適な環境となっているからであり、さらに農薬散布、除草剤使用がお米本来の生命を弱め健康を損ねているからです。この原因を取り除いてやればおのずと健康体になります。
 無差別智働かずば、いかに学び、修行し、いかに多くの言葉を得ても、実際にのぞんで我が身体が正しく活動してくれません。だたしい判別、正しい判断、正しい決断、正しい行動となりません。蝶舞いレンゲ花咲く田畑に遊ぶとき、真智、無差別智よく働いております。その状態のときは、蝶舞いレンゲ花咲くその足元に一粒の豆の種子降ろしてやれます。一本のキャベツの苗定住させてやれます。

 真智、無差別智よく働くか働かぬかは、我が人間性、我が内なる心の問題です。ここを解決してゆかずして、いずれの仕事に携わるとも、絶対に真に優れた仕事は出来ません。

 必要なものは今あるこの天然自然界の中に必ずあります。必要を知り、必要なものを見いだし、必要度を知り、必要なものを与える知恵は無差別智です。この智よく働けば必要なものを見いだし得ることができます。大小の別なくですので大きなキャベツをつくろうというふうにはならないわけです。富むも貧しいもまだ分かれぬ所ですので、もっともうけようとか、私は貧しいとか思わないわけです。

 農夫が、私がお米を健康にするのではありません。医者が病者の健康体をつくるのではありません。もとよりそのように生かされているのです。どうか皆様の心が、真を好み、善を愛し、美を友とする人となられ、真の智、無差別智よく働く人となられ、素晴らしいお米づくり野菜づくりをされて下さい。私たち人間は小鳥達、木々草々達と同じ妙なる花園に生かされている妙なる人であります。

田畑の姿形づくり、畝づくり
 栽培場所以外の畦、水路などをおろそかにしてはいけません。畦草、農道の草は時々刈ってやり常に草々元気に育っているようにしてやります。めんどうだからと除草剤で枯らしたり、草やわらを積んでおくと草が育たなくなり、草の根なくなれば自然の力で畦は崩れ、やがて田畑の姿形もくずれてゆきます。常に季節季節の花咲く自然の美しい姿にしてやります。
 田畑の外が整いましたら畝づくりです。これは同時に排水のため、水はけのための溝づくりでもあります。これは一度だけ行えばいい作業です。耕してはいけませんで、毎昨毎昨作り替えることは致しません。
 一番の問題となりますのは水との関係です。土地の乾き具合と湿り具合です。もう一つは日当たり具合です。これらと作物の性質とを考え合わせて畝づくりをします。が、個々の性質や状態を分析したり、専門学的に調べてはいけません。その土地にたてば分かるものですし、栽培を数年重ねていればわかってくるものです。自らの生活の中で出てきた答えは最も確かなもので、素晴らしい結果につながります。常識や習慣や既成の判断から入るとしても、いずれはそこから出られて下さい。最初から既成の考えを超えて試みられることも大切です。

水田地に野菜を栽培する場合の畝づくり
 毎作耕し作りかえていれば、自然の生命の営みが破壊されて、草々、作物、虫達、小動物達の営みが繰り返せませんので、肥料を必要としない畑になっていかないわけです。無駄な労力であり、してはいけない作業です。初めにいろんな畝をつくっておいて、その畝に適した作物をこそに選んでやります。一作一作野菜の性質にぴったりの形にしてやらねば・・・・・と考えなくても大丈夫です。生命力は強くたくましく、その広さはゆったりあった方が健康に育ちます。
 いずれの場合も出来る限り土は掘り起こさぬように心がけ、必要あって畝形、大きさを変える場合は、すぐ自然の姿に戻してやります。土を裸のままに放置せず、刈草をふっておいたり、稲わら、野菜屑を一面にふっておいて一日も早く草が生え、虫達が生活できる状態にしておいてやります。

畑地の場合の畝づくり
 乾地ですので畝づくりはうんと軽くなります。
 ミツバ、フキ、ミョウガ、ジネンジョ等は畝を必要とせず、果樹の下の半日陰でまったく自然に芽を出し生育を繰り返します。
 特に乾燥地を嫌うものにナス、ピーマン、トウガラシ、ハトムギ、サトイモなどがあり、特に湿地を嫌うものにトマト、トウモロコシ、粟、キビ、ジャガイモ等です。
 
秋の生命

 お米は花咲き終えて実を結び続けております。畑ではサトイモ、サツマイモ達が子どもを太らせており、冬の大根、人参、白菜達が成長を始めております。人の生命も静まり秋の営みとなりました。すべてが秋です。秋の営みです。引き締まり、集め、結び、実り、実らせ、新たな生命へとゆわえ、つなぐ営みです。秋の三ヶ月間を容平ともいいます。容は形づくるの意です。生命が姿を現し形を定める季節です。
 この秋の季節にありて、四季を巡り、一日を巡る自然の営みから外れ、心乱し、夜更かしにおち、眠らせてやらねばならぬときにも床につかず、朝、東の空に太陽の昇るのを見ず、草々に朝露の輝けるを知らず、新しく生まれる朝の気、朝の水、朝の野菜達の生命を食まず、我が新生の生命の鼓動を聞かずして床に心身を眠らせておれば、生命養われず、精神養われず、衰えていくばかりです。畑にある大根、田にあるお米、夜明けと共にさえずり日暮れと共に巣に帰り眠る小鳥達は、決してこの天然自然の営みからはずれません。

 お米の実りの少なきをなげき、収斂結実を営むこの季節にありて、あの作業この手入れと秋の季節にあらざる思いに心とらわれ、精神乱し、心急がせ、さらに多くを求め、さらに他を求め歩いてはいけません。
 自然の営みそのものである人の生命は、この理から免れることはできません。決してです。多くの場合、この理を悟らず知らぬままの日々を重ね、四季を繰り返し、尊い生命を無駄に燃焼消滅させて我が人生、我が仕事を全うすることなく、ただやみくもに一生を終えてしまいます。不幸なことです。寂しい恐ろしいことです。四季を巡り、一日を巡り、一人の一生を巡る自然の営みのうちに完全があり、人間本来本然の姿があります。
 心と体は一つです。二つに分けることは出来ません。本体は完全な一つです。生命の営みは二つに分かれることなく、一つとなっての営みです。自然の営みから外れてはいけません。あなたも僕も天然自然です。お米も野菜も天然自然です。お米や野菜は天然自然を知っています。教えられずとも知っています。間違えることなく、はずれることなく、抵抗することなく、逆らうことなく、わがまますることなく、むやみやたらと頑張り力むことなく、自然のままに生かされるままに我がお米の一生を全う致します。

 多量の化学肥料、動物フン、堆肥、お化け酵素を持ち込まれ、耕された田畑の土は、動物植物たちとの一日の営み、四季の営みをうばわれて病んでおります。このようにして病んでいる生命の所に自然にあらざる農薬や土壌改良剤を多量に与えられ、一段と自然の営みを損ねられ、あえいでおります。

 夏の生命は夏を営んで健康であります。心臓の働き最も盛んとなり、身もも心も夏を営んで、長じ、躍動し、栄え開いて、陽を発しきってはじめて健康な生命が、冷房冷房で夏を営めなくなり、心神の衰弱を招き、損ね傷つけております。そのとき病まなくても秋に冬に病気となり、老化を早め、短命化へと輪をかけます。夏の冷害にあって実らぬお米の生命と同じです。

 皆様、人間の最高の智力であり、真の智である無差別智よく働かせて、天然自然の営みを悟り、本来本然の自然の道を取り戻されて下さい。そうして、真に優れた誠のお仕事、誠の素晴らしい人生とされていって下さい。特に、農、医、教育、芸術、日々の人間の食にたずさわっておられます専門家の方達、澄みたる無差別智よく働かされて、この僕にとらわれず、僕の言葉にとらわれず、言葉の指し示す彼方を察知されて下さい。

 自然を科学するということは、自然のいのちを観ないということです。科学すると見失うのです。科学する目は決して、いのちを観れない目なのです。科学する目は肉眼であり、見えるのは物質であって生命ではないのです。科学を絶対視する人間、信じて疑わぬ人間がダメなのです。
 天然自然の営みは、科学する肉眼では決して見えない、すべてがある生命の営みの世界です。科学する世界、肉眼で見ている世界は、今はあるがやがてなくなる物質の世界です。現代人の多くが陥っている物質中心の世界です。お金しか信じられず、物しか信じられず、我が肉体しか信じられぬ、物に執着した暗き悲しい不幸の人生に陥っている人間と、同じところにあるのがこの現代医学です。
 学校教育も、科学を絶対視したところから始まり、生命の営みは観ない方向にあります。生徒の個々の生命を観ず、個々の心を観ず、個々の精神を観ず・・・・。内容においては、生命を問わず枝葉を科学して知識化しております。自然の生命の営みを観ずして、一本の花の生命を観ずして、何科の植物・・・・、いつの季節に咲く植物・・・・、葉脈がこのような列をした植物・・・・・、葉がこのようにつく植物・・・・と知識させる教育。
 百人百様の生命の営みを観ずに、同物同質同量を百人の生命に強いるというおろかさに陥っております。

不施肥
 この田畑に栽培されたお米や野菜達は、土に降ろされ芽を出し長じ、花咲き実り結びて・・・・の営みの中で、人が手を貸してやらなければならないことは、種子を地に降ろしてやることと、幼き季節に他の草々に負けないように、草々の生育を押さえ、遅らせてやること、育つに適した環境であるように心配りしてやることと、収穫貯蔵です。同時に、次の年の種子の保存です。これだけです。育てるのは天然自然です。

 この多くの生命達は相応じ相交わりて営んでおります。人もその中の一つです。その数々の生命達の中を巡る生命は一つ生命です。一つ生命の営みです。どの部分の生命が欠けても在り得ない一つの生命であり、個々個々では生きられない一つ生命です。人間だけで生命なく、お米だけで生命なく、草だけ土だけ虫だけでの生命はなく、あらゆる生命みな集いそろいて営める一つ生命です。その上にたっての個々の生命です。人間は人間の生命であり、大いなる一つ生命の部分であります。

天然自然の営みに肥料は不要です。過不足なく誤ることなく、天然自然が用意しております。増えず減らずの営みです。ところが、畑を焼かれたり、田畑を耕されて人に壊されると、この田畑でこの完全な天然自然の営みが営めなくなり、諸々の生命、土も野菜も草々、虫達、蝶、蜂達の生命みな衰え、壊れ病み死してゆきます。それで土が痩せたから、他から肥料を持ち込めば・・・・と言うことになるのですが、それはダメです。化学肥料はもちろん、酵素も石灰も炭酸カルシウムもマグネシウムも鉄も・・・・、有機物だからと堆肥も、動物フンも、草木灰も・・・・、いずれもみな同似の非自然であり、反自然を行う毒となります。肥料を持ち込まれると、田畑の生命は自然の営みをさまたげられ、本来本然のものとなりません。肥料を・・・・との小さな知恵が、耕せばとの分別智がダメなのです。
 天然自然の営みに戻してやればいいのです。戻すの人ではありません。天然自然が行います。田畑の生命が行います。ですから実に簡単です。何もしなくてもいいのです。したらいけないのです。任せればいいのです。そうして、どこまでも任せ続けるといいのです。それ以上に多くのものを・・・・と思ってはいけません。決してそれ以上にはなりません。それ以上のものは必要ないのです。それで足りるのです。不増不減、決して増えないのです。大いなる生命の営みにどんどん増え続けることはなく、完全な生命の一定量があり、一定量の生命が増えず減らず営んでおります。肥料で増やせば毒となり、片寄った異常肥大で物質のみがふくれた病んだ生命となります。したがいまして、決して他から持ち込んではいけません。自然の営みの妨げとなります。持ち出してもいけません。田畑にある生命は、その田畑に返してやらなければなりません。
 お米の実を食べて、皮やぬか、茎や葉を他所に持ち出すとダメです。草々は邪魔と抜き取り他所へ捨てるとダメです。虫は敵と殺して田畑にいなくするとダメです。
 例えば、十人家族と十羽のニワトリと一羽のウサギの生命は、二反歩の水田と一反歩の畑にある野菜や米麦達の生命と相交わりて営まれており、田畑の生命食んで出した大小便は、他所に持ち出さず、三反歩の田畑に返して過不足なく増えず減らず、巡って常に円満相の営みであります。返すのは冬季休作地が最適です。直接野菜達に肥料として用いてはなりません。


不耕起
 決して耕してはいけません。耕すと自然の営みが大きく全体に壊れてしまいます。耕さなくても自らの営みで自ら住み心地良い状態にしてゆきます。絶対に誤ることなくです。ここに人智を入れてはいけません。自然の営みを人間は作れません。天然自然が田畑を生かして育て養っております。サトイモ掘ればすぐ土を戻して、枯れ草などを上に戻し、後は自然に任せ、必要あって畝づくりすれば、草やわら等ふりまいて、後は自然に任せます。
 ひたすら任せておくことです。人間は一握りの土とて生かすことはできません。土に生命を与えることはできません。
 今日まで耕し続けて肥料を施して・・・・の田畑も、このように致しますと三年すれば田畑の自然の営みが目でも見えるようになり、五年もすれば地表も地中も素晴らしい自然の営みをするようになり、十年もすれば実に妙なる営みとなり、田畑の生命達と一つ生命の我が生命をも識り、喜ぶようになります。

(後半につづく)

キャッシュレス決済

オレンジ色のカード
10月1日に消費税が8%から10%に引き上げられた。
それにあわせて、国の政策として、買い物をしたときキャッシュレスで決済すると何パーセントか還元されるという制度が始まった。

2年前、携帯電話をauのiPhoneに乗り換えたとき、わけがわからぬまま、auWALLETとというオレンジ色のカードが送られてきた。
auの店の人は「そのカードに5000円の割引分が入っているからぜひ使ってください」という。
しかし、このカードは使い方が分からないから送られてきた封筒の中にずっと2年間入ったままだった。
10月になって、キャッシュレス還元制度が始まったのを機に、このカードをいつか使ってやろうと財布に入れてその機会を伺っていた。

家内のお遣いで2週間に一回くらい米屋さんに米を買いに行く。
毎週木曜日に腰痛のリハビリで近くの整形外科に通っているのだが、ちょうどその病院の近くに米屋さんがあるのである。リハビリのついでにと、米を頼まれるのである。
以前は米屋さんが宅配してくれていたが、配達のお兄さんがいなくなって、自分で買いに行かなければならなくなったのだという。
米くらい買い物に行ったときに自分で買って来いと言いたいのだが、一袋5kgの米はまあまあ重く、他の買い物袋を下げては米までは手が回りかねるのだろう、と察してやむなく引き受ける。

ちょうど10月の第1週の木曜日、その米屋さんにキャッシュレス決済のシステムが導入された日だった。システムの営業マンが米屋のおばさんに説明をしていたところに米を買いに行った。
米代を支払うとき、「このカード使えますか」とオレンジ色のカードを差し出すと、米屋のおばさんは首をかしげた。それを見たシステムの営業マンが「使えますよ」と、カードを取り上げて、さっと器械に通すと、瞬時に決済は終わった。auWALLET初使用の瞬間だった。

それから2週間後、また米のお遣いを頼まれた。
店にはいつもおばさんがいる。支払いのとき、「これでお願いします」とオレンジ色のカードを差し出すと、おばさんは前回のことを覚えていて「前もこれでできましたよね」と言いながら、カードを器械に通した。だが反応がない。
おばさんは「あれっ、あれっ」と何度も繰り返すがどうしても次に進まない。「ごめんなさい」と陽気に笑いながらおばさんは再度挑戦する。何度やってもダメで、おばさんはとうとう電話で娘さんを呼び出した。
娘さんがやると、一回でできた。どうやら、カードリーダーにカードを通すスピードが問題なのだ。
おばさんのスピードがゆっくり過ぎてカードの情報を読み取れなかったのである。
おかげでリハビリの時間に遅れてしまった。

さらにそれから2週間、またまた米のお遣いだ。
もうキャッシュレス決済のシステム導入から一ヶ月くらいたった。おばさんもカードの通し方をマスターしているはずだ。
そう思って安心してカードを渡すと、「あれっ、あれっ」とおばさんはまたもや明るく笑う。
またもや決済が進まない。おばさんのカードを通すスピードは格段によくなっている。しかしダメである。
一体この店にカード決済する客はほかに来ないのだろう。おばさんの様子を見ていると、そうとしか思えない。
そうしているうちに、米屋の旦那が帰って来た。旦那はカードをカードリーダーにおばさんとは逆の方向から差し込んだ。
すると、何事もなかったように決済が済んだ。

カードをカードリーダーに通す。ただこれだけのことであるが、それにはカードを通すスピードとカードを通す方向の2つの要素が正しくないといけない。こんな単純でなんでもないことが機械に不慣れな人々にとってはにっちもさっちもいかない高いハードルになっている。
こんな光景が、今、日本中の中小小売業のレジおばさんたちの間で起こっているのに違いない。


ライ麦

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畑の一角に空きスペースができたのでライ麦をまきました。
8月頃、ホームセンターに行ったとき、ライ麦の種を見つけて買っておいたものです。
一袋しか買わなかったので大した面積はまけませんでしたが、芽が伸びだした後の分けつが旺盛で、これだったら、もっと薄く広くまいておけばよかったと思いました。
うまくいって種が取れれば、来年はもっと広い面積に植えることができます。

ライ麦を植えたのは米や麦をつくっていないためわらがないためです。刈り取って、わらの代わりに野菜の下敷きに利用しようと思います。それと、冬の間裸地にしないほうが畑のためにはよいからです。

モグラ塚

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これはモグラが穴を掘ったり修理したりした後に土を地上にかき上げてできるものでモグラ塚と呼ばれます。
これがあるということは、モグラがいるという確かな証拠ですが、モグラの姿をついぞ見たことがありません。
私たちと同じほ乳類なのですから、一度くらい顔を見せて欲しいものです。

モグラは肉食性ですから、野菜を食害することはありませんが、地下トンネルを掘って野菜の根を切ったり、ミミズを食べてしまうという害を及ぼします。
ミミズの働きは有機農業にとっては重要で、畑を肥沃にしたり畑の土を軟らかくしてくれたりします。そのミミズを好んで食べるということがモグラの一番大きな害です。
写真の左奥に野菜の残渣や堆肥置き場が写っていますが、その中ではミミズがたくさんいて仕事をしてくれているはずです。おそらくモグラのトンネルはその下までつながっていると思います。

畑の有機物が増えてミミズが増えるのは大歓迎ですが、モグラが増えるのは困ったものです。

博多に出張しました

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昨日(11月24日)博多に出張しました。
たまに新幹線に乗ると、その速さに改めて感心します。
熊本発9時27分さくら372号、博多着10時04分、その差37分。
かつて、釣り好きの知人が言った。
天草に釣りに行くとき、クルマでわが家を出て、やっと熊本市を抜けて宇土付近を走っているときに、同じ時刻に熊本を出た新幹線がもう博多に着いているなんて、アホみたいな話だ、と。
うん、言われてみるとその通り。アホみたいに速いです。

仕事は午後から。
新幹線のおかげでできた時間を有効に使う。
駅前のビルの6階にある紀伊國屋書店に行く。
もう十年以上も前でしょうか。熊本にも紀伊國屋書店がありました。
しかし、そこがつぶれ、熊本に残る大型書店は蔦屋書店ぐらいになったのですが、そこも近年規模縮小して、代わりに喫茶スペースを広げたりして、もはや大型書店とは言えない状態になっています。

40年以上も前、学生の頃、東京で地上8階建てだったか10階建てだったか覚えていませんが、ビル全体が本屋だったことにびっくりしたことがありました。
東京駅前には八重洲ブックセンターという巨大な本屋があり、何度か行ったことがありますが、これだけ大きければ欲しい本は何でも揃うだろうなと思います。
で、熊本ですが、最近は蔦屋書店に行っても、欲しい本があっても在庫がないことが何度かありました。店員は「お取り寄せしましょうか」というのですが、書店で取り寄せるより、自分でアマゾンで注文した方がずっと速く届きますし、しかも、値段もポイント分だけ割安になるので、今では、アマゾンで注文することが多くなりました。
私のような者でも、アマゾンを利用しているくらいですから、アマゾンが巨大企業になるはずです。
だったら、わざわざ博多の紀伊國屋書店に行かずともアマゾンで注文すればいいじゃないかというと、そうではないのです。
実際に本屋に行けば、目的の本を探し出す楽しさがあるのと、探す過程で他のいろいろな本と出会う機会に恵まれ、これがとてもいいのです。ですから、せめて博多の紀伊國屋書店くらいの規模の書店なら足を運びたくなります。

植村修一著「世界を支配する運と偶然の謎」
大竹文雄著「行動経済学の使い方」
2冊の本をゲットしたあと、駅ビル内の食堂街をぶらぶらしていると、博多ラーメンを食べたくなって、「次男坊ラーメン」というネーミングになんとなく引かれて店に入りました。
食レポすると、たいしたことありませんでした。同じ豚骨スープを使っていても、桂花ラーメンやその他の熊本ラーメンのほうがずっとおいしいです。

博多駅の筑紫口から南へ5分くらい歩くと日本経済新聞西部支社のビルがあります。
ここで午後5時までかんづめ。
帰りは博多発8:18つばめ335号、熊本着19:06
乗車時間は48分で往きの37分と比べると11分長い。それでも速いです。

切符の値段はネットで買ったら、往きが3670円で帰りが3060円でした。
もっと早く買えば、2620円の切符もありましたが、これは売り切れていました。
みどりの窓口で買う((通常価格5230円)ことがばかばかしくなるほどの価格設定です。

本18 大森 森介「誰も教えてくれない「農業」商売の始め方・儲け方」

大森森介「誰も教えてくれない「農業」商売の始め方・儲け方」
“頭”を使って儲ける!成功のポイントは“経営的視点”を持つこと!!
ぱる出版
誰も教えてくれない「農業」商売の始め方・儲け方
内容

まえがき ~夢の農業生活を実現しよう~
 そもそも農業は、就農する場所と作る作物を間違えず、まじめに働きさえすれば基本的には誰でも食べていける仕事だ。情報のアンテナを張り、知恵を絞れば「儲ける」ことだってできる。

序章 農業生活を実現するためには何が必要か

1 いまが就農のチャンス!
・絶えない離農者 - そこに就農のチャンスあり!
 農水省の統計(平成17年)によると、耕作放棄地は埼玉県の面積に匹敵する38万ヘクタールで、全農地の1割近くにも及ぶ。農業をやめた農家の約4割が農地を放置している。

2 新規就農者とは、いったいどんな人?
 就農前についていた職業別に見てみると、会社員の割合(47.6%)が圧倒的に高く、「脱サラ就農」が依然として主流を占めている。また、前職が農業という人の割合(6.1%)が意外に高いのは、農家の息子が親の手伝いをやめて他の地域で独立したという人や、農業法人の従業員から独立したというケースが多い。

3 農業生活を実現するためにまず必要なこと
 農業を始める上で大切なことは、農業だけで本気で食べていこうという強い気持ちだ。守るべき家族がいればなおさらのこと。田舎で農業をするということは、のんびり暮らすこととは違う。田畑を耕し、種をまき、収穫をして、出荷をする。その間に草刈りや間伐もしなければならない。当然のことながら、作物の出来不出来は天候に左右されるので、思うようにはいかないことも多々ある。農業は自然と戦う仕事だという認識を最初に持っておく必要がある。
 農業をやっていく上で絶対的に必要なものが「体力」だ。技術の習得、農地の取得、資金の融資といったものは支援を受けることができるが、自分の元気な体だけは自分でしかつくれない。体力的にやっていけるのかどうかを、実際に研修などを通して確認することも必要だろう。

・農業をビジネス、商売ととらえる発想が求められている
 商売感覚を取り入れるとはどういうことか
      ↓
  どの作物を作ったら効率がよいか
  多少高くても消費者が求める作物には何があるのか
・たとえば、500万円の収入を得るためにはどんな計画が必要なのか
 ・かけたコストに見合った利益を出しているか。
 ・儲けを確保するためにはしっかりした年間の作物計画を立てたり、帳簿なども整理していく必要がある。

4 農家は「個人事業主」という認識を持とう
  個人事業主になると、所得税、住民税、場合によっては消費税まで自分で確定申告をして納税しなければならない。

5 自分がやりたい農業の「経営像」を具体的に描こう
 新規就農相談センターに訪れる相談者は年々増えているが、実際に就農までたどりつく人の数は決して多くはない。なぜなら、就農希望者の多くが漠然と「農業をやってみたい」と思っているだけで、計画性もなく、厳しい農家の現状を聞かされてあきらめる人が多いからだ。
・どんな農業をやりたいのか
・何を作るか、どのように作るか
 新規就農者には野菜をメインにコメは自給レベルで作るケースが多い。これは、自分の技術が未熟な段階で、あれこれ手を付けても失敗する可能性が高いからでもある。
・体力的に大丈夫か、家族は一緒に働けるか
 例えば、露地野菜はダイコンなど重量のある根菜類とレタスやコマツナ、ホウレンソウのような軽量の葉物野菜に大きく分けられる。重い根菜類の収穫は体力的にかなり重労働になるのに対し、葉物野菜は根菜類に比べて作業的にもラクなので中高年には向いているといわれている。
 また、農業は家族の労働力が不可欠だ。労働力が多ければ多いほど、病害虫との格闘でもある重労働の有機農業などに取り組むこともできる。

6 就農場所を“経営的視点”選ぶための5つのポイント
①気候・土壌と生産条件は適しているか
  温暖地域は、作れる作物の種類が多く、作物の生長も寒冷地に比べれば早い。その反面、病害虫の被害は多くなる。一般的に温暖地域は有機農業を行う場所としては適さない。
②生産条件に適した農地が確保できるか
③販売ルートは有利か
  どんなに立派な作物を作っても売り先がなければ生活は成り立たない。
④名産地であるか
⑤生活環境は整っているか

7 農業生活を実現するための4つの課題
・農業技術は農家で学ぶのが王道
  農家での研修は、実践的な農業を学べるのはもちろん、自分が本当に農業に向いているのかどうか、 農業を続けていくだけの気力と体力があるのかを見極めるいい機会にもなる。
・農地の取得は信用と運がかなりの部分を左右する
  農地はどんな手続きを踏んでも必ず最後は市町村の農業委員会にたどりつく。農地の売買や借入には、原則として農地法の許可が必要で、その窓口となるのが市町村の農業委員会なのだ。
・販路は、市場一辺倒から直売・宅配・ネット通販へ
  農産物の販売ルートは、農家から農協へのルートがいまでも多数を占める。
 販路は作物ごとにも特徴が見られ、花は市場流通が中心、コメ・野菜・有機栽培作物・果樹などは消費者への直売が増加。イチゴやブドウなどの観光農園も注目されている。
 有機無農薬作物に関しては、個人で販路を開拓して利益を上げていくには限界がある。収穫できる量も限られる。だから有機無農薬作物の生産者がグループを形成し、ネットワークを威力にした販売方法などが注目を集め、販路開拓の大きなキーワードになっている。

・自己資金は最低3年分の「生活費」を確保したい
 農業で食えるようになるためには最低でも3年はかかるといわれる。この点から逆算すると、最低でも3年は無収入でも暮らせる生活資金を確保しておくのが望ましい。

8 「自分はなにがしたいのか」を改めて考えてみよ う
例えば、のんびりと自給自足的な農業生活を送りたいだけなのに、いきなり農業委員会に出向いて「いい農地はないか」と尋ねても農業委員会の担当者は相手にしてくれない。

第1章 どんな農業をやりたいかをはっきりさせよう

1 どんな農業をやりたいかをはっきりさせよう
・栽培作物と経営形態を知っておこう
  有機栽培の技術を指導してくれるところはどこか
  どんな野菜が適しているか
  自分でやっているところをイメージできるか
       ↓ 
     やっていけるかどうかを判断する

2 作りたい作物を選択するときの基本
  どの程度の規模で行うか
  経費はいくらかかるのか
  どのくらいの売り上げが見込めるか

3 理想の経営スタイルをイメージしてみよう
 一般的には,経営作物をひとつに絞ったほうが、技術面、販売面、コストダウンの面からも有利といわれている。
 しかし、単一経営のリスクを分散させるために、複数以上の作物を組み合わせる複合経営を行っている農家が多い。特に、有機農業に関しては、畜産と耕種作物を組み合わせて「有畜複合経営」という言い方をされている。
 全国農業会議所が新規就農者を対象に行った実態調査を見ると、栽培作物ではコメや露地野菜が多く、これらは複合的に栽培されていることが多い。特に露地野菜は、技術的にもコスト的にも新規就農者でも取り組みやすい作物であるため、他の作物と組み合わせて取り入れている人がかなり多い。

4 稲作
  薄利の稲作は大規模経営が絶対条件

5 野菜栽培
 ・野菜の流通は自由。いかに販路を確保するかが食っていくカギ
・傾向として、大根や白菜などの重量野菜が減少し、レタスなどの軽量野菜が伸びている。
・販路では“産地直送”が増えている
  特に、有機栽培の野菜などで付加価値を付けて販売する場合は、この産直形態が多い。規格や出荷量の面で農薬を使用した野菜に比べて劣る有機野菜は市場では扱われにくいためだ。
いずれにしろ、露地栽培でも施設栽培でも新規に取り組む場合は、研修などできちんとした栽培技術を習得してから、労働力や資本をその後どう調達していくかを考慮し、しっかりした経営計画をたてて取り組むことが必要だ。

6 果樹栽培
 ・ゼロから始めるとなると多額の初期投資と運転資金が必要

7 花卉栽培
 ・最も人気の高い作物
 ・基本技術の習得が不可欠

8 酪農
 ・莫大な初期投資が必要

9 自然養鶏
 新規就農者が新たに養鶏を始めようとする場合は、コメや野菜などと組み合わせて、昔の農家養鶏のスタイルで始めるのが最も現実的だ。
 卵は直接消費者へ販売することができるが、最初は自家用で消費し、農業経営が軌道に乗ってから一般の消費者に直売する方法がいい。自然養鶏で生産した卵を販売する場合は、プレミアム価格を付けて消費者グループなどに販売することが経営の条件となる。

10 有機農業・・・販路に技術と課題が多い
・有機農産物の基準
 農林水産省の「有機農産物及び特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」では第三者の検査・認証を受けた農作物だけが有機農産物として表示できるとされている。
 ○有機農産物とは
  化学合成農薬、化学肥料等を使用しない栽培方法 によって3年以上経過し、堆肥等による土づくりを行った畑で収穫されたもの
・生産条件と技術
 有機農業は労働集約的で、少ない農地でも行えるのがメリットだが、土地条件と気象条件に大きく左右され、土壌の状態によって栽培方法が異なり、また同じ野菜でも年によっては生育状況はまったく異なる。
 技術的に難しいのは、有機農業はこれといったマニュアルがないことで、経験の積み重ねが重要になる。
・農地の確保
 有機農産物として売るには農薬や化学肥料を3年以上使っていない農地で栽培しなければならない。就農地で農地が見つかったとしても、それまで通常栽培を行っていた農地はすぐには使えない。
・価格と流通
 有機栽培の野菜の市場出荷はかなり難しい。現在、一般市場に出ている有機農産物の種類はそれほど多くはない。また、有機農産物の価格は、基本的には自分で価格を設定して直売するか、生協や消費者グループとの契約で価格設定して直売することとなる。

11 就農一年目ではどんな作物を栽培しているか
 露地野菜と施設野菜でともに3割を超えている。技術的・費用的に比較的栽培しやすい露地野菜は他の項目と複合的に取り組んでいることが多い。
 平均販売実績は268万円を示すが、全体では「100万円未満」が38%と最も多い。
 中高年の就農者のなかには、年金暮らしで趣味的に農業を営むケースが比較的多い。

第2章 就農準備はあせらずじっくり進めよう

1 夫婦で始めたあこがれの有機農業で格闘する日々
・就農して四年目。130アールの畑で露地栽培の野菜を生産する田中耕二さん。
  栽培作物は幅広く、コマツナ、ホウレンソウ、ナス、ピーマン、キュウリ、インゲンなどを出荷用に、個人客や自家用にハーブ類なども栽培している。
  大根は、秋はよくできるが、春は虫喰いが多くて商品にならないものを処理するのが大変だというが、 このあたりが無農薬・有機農法の技術的な難しさだ ろう。

2 有機農家での研修で技術と村社会の基本を学ぶ
 田中さんは就農に先立ち、有機農業一本に絞っていた。机上で基本知識は勉強したが、技術を実践で学ぶ研修先や就農先の選択に苦慮していた。そこで、平成11年に東京で開催された「新・農業人フェア」に参加した。

  農業で大切なものって何?
      ↓
  技術はもちろん大切だが、それより大切なのは地域に溶け込むということ
  ・挨拶の基本
  ・第一印象が大切
      ↓
  こうした、地域に溶け込む姿勢は必ずその後の農業生活に有利に働いてくる

3 生産者グループへの出荷が新規就農を支えた
 無農薬・有機農業は栽培技術が難しい。それ以上に、販路が問題になる。農協や市場は形の揃った規格品を安定供給できなければ出荷は困難だ。消費者への直売も、商品の信頼を得るには時間がかかり、顧客を拡大するのは並大抵のことではない。
 田中さんは、「無農薬農法は,技術的に難しいところがやりがいです。今後は、生産した作物をどれだけロスなく草の会に出荷できるかが課題です」という。
 農業は、一緒に従事するパートナーの存在が大切だといわれる。「家族ぐるみで仕事に従事できるところが魅力」という就農者も多い。だから、家族がいれば、まず家族を説得することが大前提だ。

4 就農1,2年目は「田舎の流儀」を受け入れることが大切
 田舎のお付き合いは大変だけれど役立つことも多い

5 経営ビジョンを明確にしてから行動しよう
 ・作りたい作物の情報収集に集中する
 ・参考になる本は何でも読む
・生産者などのホーム-ページを徹底的に閲覧する
 ・経営計画を立ててみる
 ・目指す経営に必要な資金を確保する
 ・自分の足で関連情報を収集する
 ・営農計画書を作成する(農地取得の際に農業委員会に提出しなければならない)

6 就農に関する相談はここにしろ!
・新規就農相談センター
・普及指導センター
・農協
・農業委員会(市町村役場の中にある)

7 めざす農業に適した就農地域を選択しよう

8 農業技術はどこで習得できる?
 いまの農業では、有機農業を除けば、コメや野菜などを新規就農者でも就農1年目から失敗せずに作れるケースが結構多い。これは、特に地域の推奨作物などはかなりマニュアル化が進んでいるからだ。
 マニュアル化できていない有機農業や栽培技術の難しい作物栽培を目指す場合は研修・教育が必要だ。

第3章 就農後に無理をしないよう自己資金はしっかり確保しよう

1 営農資金と生活資金を考えて、綿密な資金計画を練ろう
・自己資金をできるだけ貯金してから就農すること
・「農業にかけるお金」と「生活費」で分けて考える
・営農資金を借りる方法もある

2 自己資金はどれくらい用意すればいい?
  *農業で食えるようになるためには3年かかる
   ここから生活資金と営農資金を算出する
  ・自分でできるものは自分で作ってしまう
  ・農機具などは中古を手に入れる

3 公的な支援制度を上手に利用しよう

4 若い人ほどお金を借りやすい

5 農業機械や施設にはどれくらいのお金がかかる?
 それほどの機械設備を必要としない露地野菜でも軽トラックや草刈り機を揃えるだけでも最低100万くらいかかる。
 ・刈り払い機(肩掛け草刈り機)・・・ 58,160円
 ・軽四輪トラック(660cc)   ・・・ 809,300円
・最初は必要最小限の農機具で始める
  経営が軌道に乗り始めてから徐々に装備を充実させていくのが賢明なやり方だ。
・割安な中古やリースなどで揃えていく
  特に、有機農業や露地栽培などは必要最小限の農機具があれば作業にそれほど支障をきたさない。

6 農機具を購入する際の6つのポイント
①時短になる便利な機械は迷わず購入する
  草刈りの時間の短縮のための肩掛け草刈り機は必需品。さらに便利な乗用草刈り機は、雑草防除が大変な有機農業にも効果的だ。
②複雑な機械は新品を買う
  コンバインや田植機などは中古だと逆にコスト高 になる場合がある。
③共同使用と借用を考える
              
第4章 「農地」を取得する方法

1 農地取得という高いハードルを越えよう
 なぜ、農地は手に入れにくいのか?
 流通量が少ない、取得に農業委員会の許可が必要など法的な壁も障害となっていることは確かだが、それ以上に、地域や地主との「信頼関係」が決め手になるからだ。

2 農地の取得には農業委員会の許可が必要
 農地の売買や借入には、原則として農地法の許可が必要で、その窓口となるのが市町村の農業委員会だ。
 農業委員会とは、農地法に基づいた、地域の農業関係の許認可の権限を持つ行政機関で、市町村ごとに設置されている。許可に際しては、研修などの農業体験、機械・施設の装備、どんな農業を行うのか(営農計画)などが厳しく問われる。

3 農地の取得にはさまざまな条件がある
農地取得ができないケース
①小作地の所有権を小作農及びその世帯員以外の者が取得しようとする場合
②取得しようとする者が農業経営に供すべき農地のすべてについて耕作すると認められないとき
③取得しようとする者が、農作業に常時従事(年間150日以上)すると認められないとき
④取得する農地の経営面積が50アールに満たない場合
  平成17年に一定の条件で、下限が10アールに引き下げられた。

 農業を営むということは、家庭菜園で野菜を作るのとはまったく違うので、農業についての実際の知識、農機具の確保、経営の進め方などをどのようにするかなど十分に検討する必要がある。

4 農地は時間をかけてあせらずに探そう
 現在ではインターネットなどで農地情報は入手できる。だが、これはほんの一握りに過ぎない。優良な農地の情報は表になかなか出てこない。自分の足で探すことが肝心だ。

5 どんな農業をしたいかによって農地選びは違ってくる
 現役地か遊休地かという問題もある。遊休地の場合は、雑草の駆除と生い茂る灌木の伐採に追われることになるので、就農1年目は仕事にならないと思った方がいい。

6 気になる農地のお値段は?
 全国平均価格では、通常の生産力のある畑で
      ↓
   119万円(10アール当たり)

7 購入ではなく借入という方法を考えたい
 就農時は借入で、5年以上経ったら購入というケースも多い。

8 農地に住宅や施設を建てるには許可がいる

9 田舎では農地と同様に住宅の確保も困難?
 農家の空き家を利用するケースが多い。

第5章 確実に収入を得るためには「儲けのしくみ」を確立しよう

1 農業所得だけで食っていける分岐点は500万円
・現金収入を得る“しくみ”を作らない限り収入は伸 びていかない
・販路の開拓、ズバリこの一点が“儲かる農業”の基 礎をつくる

2 作物別の販路の特徴を知っておこう

3 新たな受難を抱えるコメ農家の活路とは?

4 前職の経験・人脈は田舎でこそ生きてくる

5 販路の基礎知識 - 【農協ルート】

6 販路の基礎知識 - 【直売・直販】

7 販路の基礎知識 - 【直売】

8 主婦をはじめ消費者への“ケア=付加価値”が直売のカギ

9 生産者グループによる共同集荷が有機野菜の活路
 無農薬・有機栽培の野菜を個人で市場に出荷すると、通常栽培された野菜よりも安い値がつくことが多い。あるいはくず扱いされて商品にすらならない場合がある。ロットが確保できて、安定供給されるものに市場は高値をつけるからだ。
 技術的に難しい有機農業は、就農後も技術面などをバックアップしてくれる農家がいないと継続は難しいといわれる。

平成22年3月

キャベツ10 出荷始めました

昨日忘れたSDカードを今日はしっかり持って帰りました。
毎週月曜日には畑に着いたらすぐに、すべての野菜を撮って回るというルーティンが出来上がっているので忘れることは少ないんですが、変則的に写真を撮るとついついカードを抜くのを忘れてしまいます。

昨日出荷した分です。
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ネギ9袋、レタス7玉、キャベツ5玉です。
キャベツも今週初めから出荷を始めました。
一番最初にタネをまいた「金系201号」はコオロギなどによる被害が大きく数が出ませんが、
生き残って育ったものは立派なものになりました。
1個400円の値をつけましたが、1個だけ他より大きめのものがあった(新藍です)ので強気で440円の値をつけてみました。
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昨日の午後2時に出荷して、昨日のうちに売れたのが5個のうち3個でした。
昨日何個売れたかというのは、毎日メールが届くので、夜には分かります。
今日午後に2時に行ったときは、残りの2個も売れていてほっとしました。
ちなみに今日は、キャベツ2個、ヤーコン5個、ネギ16個、レタス6個、大根3個を出荷しました。

キャベツ1個400円は高いと思われる方が多いと思いますが、無農薬で育ったキャベツは希少価値が高いのです。
熊本市のような暖地でキャベツを無農薬で作るのは難しく、作っている生産者が少ないためです。
この1週間ほどは他にキャベツを出荷している生産者がいなかったため、値段を高くしても売れたのでしょう。

カメラ COOLPIX P90

今日は出荷した野菜を紹介しようと思って、直売所でシールを貼ったあとでカメラに収めたのですが、データを忘れて帰ったので紹介できなくなりました。
カメラはいつも、軽トラックの運転席と助手席の間の狭いスペースに置いていて、写真を撮ったあとはSDカードだけを取り出して、持って帰ります。
SDカードは忘れたり無くしたりしないようにいつも財布に入れて持ち運んでいます。
今日はそのSDカードをカメラの中に忘れてきたので、出荷した野菜の紹介は明日にすることにして、代わりにいつも使っているカメラを紹介します。
COOLPIX P
ニコン製のコンパクトデジカメで COOLPIX P90 というカメラです。この写真はニコンの商品サイトからコピーしました。

若い頃は、オリンパス製のOM2という一眼レフカメラを使っていましたが、デジタルカメラの時代になってからはいくつかの機種を変遷した後、10数年前にこのカメラを買って以来、機種変更することなく使い続けています。
一眼レフカメラにこだわるほどカメラ通でもないし、特殊な撮影や特殊な効果をを出したいわけでもないので、私にはこのカメラの性能で十分で、特に不満のないカメラです。

旅行に行っても写真はスマホで済ませるので、今では、このカメラは軽トラの運転席の横にいつもいて、もっぱらブログのために働いています。

ダイコン 4  収穫始めました

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天気がよすぎて光が強くダイコンの色が白く飛んでしまいました。
左2本は「竜神三浦2号」です。右2本が青首大根の「冬自慢」ですが首の緑色がほとんど飛んで「竜神三浦2号」と同じように白く見えます。
写真では大きさがわかりにくいのですが、「竜神三浦2号」はおやっと思うほど大きいです。
「竜神三浦2号」は元祖「三浦ダイコン」が青首大根並みの大きさになるように改良されたものですが、それでも普通の青首大根よりずっと大きいです。右側の青首大根は決して小さくはなく、標準的な大きさに成長したものですが、葉の中肋部分の太さを比べてみると写真でもはっきり分かります。
このことから推して、元祖「三浦大根」がいかに大きめのダイコンであったかが分かりますね。


ハウス内に水を入れる 2

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こちらのハウスは私がひとりで建てました。
農業を始めたときに、もう何年も使っていないハウスがあるから使うならただで持って行ってよいと親戚の人に言われました。
ただし、解体から組立まですべて自己責任でやってくれということでした。

ハウスを建てるのはもちろんハウスの構造を近くで見るのも初めてでしたから、どうやって組み立てるのか考えながら解体しました。解体だけでも1週間以上かかったように思います。
そして、約10キロ離れた親戚の畑からこの畑まで、軽トラックで何度も往復して解体した材料を運びました。
機械も道具も何も持っていないので、解体するときは支柱を地面から抜くのに苦労しました。
そして、組み立てるときも、支柱を地面に指すことが最も大変な仕事でした。
前にも一度書きましたが、この畑は以前は芝畑で地面が平らになるように鎮圧してあったので、とても固かったからです。

誰の手も借りず、習うこともなく、ただひとりで初めて作ったハウスにしては、我ながら頑丈にできたものだと思います。
7年目になりますが、2回ほど台風でビニールが吹き飛ばされたことはありますが、骨組みに傷んだところは今のところありません。

このハウスでは、初めはトマトを作っていましたが、2つ目のハウスができてからはブルーシートを張って倉庫として使っています。
で、そのハウスの両側に水を溜めるための容器をずらーっと並べています。
プラスチック製の漬物樽やらプランターやら鍋など、不要になったものを何でもかんでも持ってきて、雨水受けにしています。
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雨水が溜まると、容器ごと一輪車に乗せて20メートルくらい離れたハウスまで運びます。
一輪車に乗せて水を運ぶのは意外と難しく、途中、水をこぼしこぼしバランスをとりながら運びます。

昨日書いたハウス内への雨水の取り込みと、この水運びを合わせると、畑に水道を引くまでのことはないようです。

ハウス内に水を入れる 1

昨日の午後雨が降りました。
雨が降ってもビニールハウス内には雨水が入ってきません。
何もしないでいると、ハウス内はカラカラの砂漠状態になってしまいます。
畑に水道を引いていませんので、何か工夫しないといけません。
そこで、周りにあるものを利用して水を入れています。
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こんなものを雨が降る前にハウスの両側に5カ所ずつしかけて、ハウスの外に落ちる水をハウス内に取り込んでいます。
この方法では、水が全体に万遍なく行き渡らないのが難点です。
しかし、ビニールを締め切ってハウスを密閉状態にすると、ハウス内で大量に水蒸気が発生して天井で水滴になり、ぼたりぼたりと滴り落ちて、ささやかな水の循環が起こりますので、幾分かは全体にも広がります。
さらに、もう一つの方法で、水をハウス内に供給しています。
それについては明日の記事で。

本17 大久保増太郎「野菜と果物のちょっといい話」

大久保増太郎「野菜と果物のちょっといい話」
新光社
野菜と果物のちょっといい話
内容

はしがき
 野菜や果物の品種や栽培技術の話でもなく、野菜の生理的な話でもない、栄養学や食品化学の話でもない、いってみれば、生産(栽培)と消費の接点のどちらともつかないまま、今まであまり顧みられることのなかった「青果物の流通中の品質やその管理技術」という分野を専門としてきた者の目を通したときの「野菜や果物」の姿や内容をそれらしく読者に伝えられたらという気持ちからこの本は生まれた。

・青果物の呼吸は、大きく三つのタイプがある
 一つ目は、とってすぐの呼吸がもっとも大きく、日がたつにつれて低下するタイプ。キャベツ、ホウレン草など多くの野菜がこれに属している。
 二つ目は、収穫直後は低く、時間がたつにつれて呼吸が旺盛になるもの。イチゴがこのタイプで末期上昇型と呼ばれる。
 三つ目は、収穫後いったん下がった呼吸が、ある時点から急速に上昇し、しばらくして最大にとなって、その後は低下するという特異な呼吸のパターンを示すもの。リンゴ、バナナ、一部のナシ・モモ・ウメ・アボガド・トマトなど。追熟するときエチレンが発生する。

・緑黄色野菜
 緑黄色野菜というのは、生の野菜100g当たりビタミンAが1000国際単位以上含まれている野菜のことをさす。ビタミンAは熱に安定で、加熱しても壊れにくい。また、脂溶性なので、料理するときに油類と一緒に摂れるようにしたほうが吸収率がよい。
 緑や黄橙色が濃いからというわけではない。

・イチゴとバイオテクノロジー
 イチゴはビタミンCの王様と言われている。100gのイチゴには約80mgのビタミンCを含んでいる。少し大粒のイチゴを5,6個食べれば一日に必要なビタミンCは十分補給される。
 うまいイチゴを食べるには畑で完熟したものをとって、すぐその場で食べるのが一番である。イチゴにはアミノ酸も比較的多く、なかでもアスパラギンが際立って多いのが特徴である。

・ダイコン
 ダイコンは野菜の中で一番と言われるほど品種の数は大変多く、野生種が長い間に、それぞれの地方で、との土地にあったように育成され、分化を遂げたようである。
 ハクサイはコメ離れにつれて、需要が減退し続けている。昭和35年頃には、ダイコンに次いで第二位の消費量を誇っていたハクサイは、58年にはキュウリの後じんをあびて6位に転落してしまった。ダイコンはキャベツに一位の座をゆずったとはいえ、依然として第二位の地位を確保している。
 ダイコンの葉は多くのビタミンを含んでいる。ビタミンAが1500国際単位、B1は0.1mg、B2が0.13mg、ビタミンCは70mgと野菜の中では多い。それに、カルシウムをふんだんに含み、鉄分も多い。

・カット野菜の功罪
 カット野菜は現在業務用(ホテル・レストラン・総菜産業)が中心のようだが、デパートの青果売り場からスーパーマーケットへと販売のルートは急速に広がり、家庭の台所に入り始めた。その延長線上には、まな板と包丁のない家庭の食卓が見えかくれする。

・野菜の発熱
 野菜を切断すると呼吸は旺盛になる。キャベツを例に取ると、おおざっぱに言って四分の一に切断で呼吸は1.5倍に、3センチ角に切ると約2.5倍、1.5センチ角で5倍、3ミリの細切りだと8倍に達する。

・マリーアントワネットとバレイショ
 フランス王朝ルイ16世の頃、まだジャガイモは一般には食用として用いられておらず、花が観賞用とされていた。ルイ16世は妻のマリーアントワネットにジャガイモの花を飾らせ、庶民の関心を深めようとした。ジャガイモ普及に対するルイ16世の果たした役割は大きなものであった。

・トウモロコシの品種改良にみるロマンと現実
 コムギ、イネと並んで世界三大食用作物とされているトウモロコシは、新大陸が原産でコロンブス(の部下)により発見され、ヨーロッパに持ち帰られ、その後は世界の熱帯から温帯地方にまたがる広い地域にかなりの速度で広まった。
 最近のスイートコーンの品種改良は目覚ましいものがある。一昔前の主要品種であったゴールデン・クロスバンダムの糖分はおよそ4%であったが、ここ数年の間に出荷されたハニーバンダムに代表される新品種の糖分量は8~10%もあり、ものによっては11%以上の値を示すものもある。

・低温に弱い野菜
 キュウリ、ナス、ピーマン、トマト(青い部分)、メロン、ショウガ、サトイモ、サツマイモ、バナナは冷温障害を受けやすい。これらは二、三日だったら5℃程度冷蔵庫貯蔵しておくと鮮度を保てるが、うっかりして2週間も経つとカビが生えて腐ってしまうものが多い。15℃くらいだと少々しなってもまだ十分食べられる。

・香辛野菜あれこれ
 ワサビは学名を Wasabia japonica といい、日本原産の多年生植物で、九州から北海道にいたる各地の山谷に自生している。
 魚を生で食べる日本人。ワサビの自生。主菜と脇役のまれに見る自然な、そして見事な出会いである。

・縄文の主食・里の芋
 サトイモは高温多湿を好むので、乾燥地や寒冷地以外では栽培が容易で、農耕の歴史の中では最も古いものの一つとされている。
 原産地はインド・スリランカ・マレー半島・スマトラ・インドシナ半島などとされている。
 食べ物の中で主食的扱いを受けるものの条件は、作りやすく、比較的安価で供給でき、長く食べ続けても飽きないためにはあまり特別な味や匂いもなく、そして貯蔵性がよいということである。コメしかり、ムギしかり、ジャガイモしかりである。その点、サトイモは貯蔵性がやや劣ると言う点では、主食になりにくいと思われる。
 大方の人が、速すぎてついてゆかれないと思うほど科学の進歩のめざましい今日でも、サトイモを年間貯蔵するといったごく簡単に思われる技術がまだできていないのである。
 サトイモの貯蔵適温は8~10℃とみれば間違いなかろう。5℃まで下げると外観は立派でも、冷温障害を受けて、割ってみると中に褐色のすじが入ったりして肉質が悪化する。
 サトイモの恒温(8~10℃)貯蔵で問題なのは、無駄と分かっている親いもも一緒に貯蔵しなければならないところにある。親いも付きのまま小型のコンテナに入れて貯蔵すると、必要な小いもや孫いもは半分かそれ以下しかはいらない。そうかといって小いもだけを貯蔵しようとすると、その切り口から腐敗菌が侵入していもは腐りやすくなる。

・ヤマノイモととろろ汁の音
 あの特殊技術で取ってくるヤマイモは自然薯といって、スーパーマーケットで真空パックされているナガイモとは「種」が違う。
 ヤマノイモ科には10属650種もあって、その中のヤマノイモ属のオポシッタといわれる属のものがわが国で栽培されているヤマノイモである。
 ナガイモ・イチョウイモ・ツクネイモといろいろ呼び名のあるヤマノイモ(オポシッタ)は、日本の山野に自生している自然薯をわが国で改良したものでないらしく、栽培種として中国から渡来したといわれている。

・野菜のフィルム包装
 ポリエチレンは酸素も炭酸ガスも適度に通すため、あまり低酸素になると外から酸素が供給され、逆に袋の中の炭酸ガスは外に出て、適度の低酸素(5%前後)、高炭酸ガス(3~5%くらい)で袋の中のガス濃度が平衡状態になり、大変好都合なフィルムである。
 ガス透過性の悪いビニル袋などを使うと、低酸素-高炭酸ガス条件がきつくなりすぎて、青果物は呼吸困難で腐ってしまう。

・冷蔵庫の中を、酸素5%、炭酸ガス3%、窒素92%という組成に変えて、冷蔵と組み合わせて貯蔵する方法をCA貯蔵(Controlled Atomosphere Storage)という。この方法では、多くの青果物は、普通の冷蔵庫より、1.5~2倍近くも貯蔵期間が延長される。

・救荒食から嗜好食品への転身 サツマイモ
 サツマイモにはビタミンCが意外と多く含まれている。ビタミンCは熱で壊れやすいといわれているが、石焼きいもキュウリの二倍くらいのビタミンCを含んでいる。ビタミンB群も多い。

・古くて新しい「焼きイモ」
 サツマイモがイネに比べてもっとも劣る点は貯蔵性にあるといってよかろう。
 モミが少し低温に保つくらいで一年や二年はそれほど大きな変化もなく保存されるのに対して、サツマイモは、一年間の貯蔵は無理で、春の出芽期までがせいぜいというところである。出てきた芽が生長した苗を植えて、秋にいもを収穫し、それを土中深く貯蔵して、翌春の苗づくりに備えるという繰り返しで、サツマイモは一見耐えることなく栽培され続けているが、実は苗を取るために苗床に伏せ込んだ残りのいもを出してから、早掘りいもが出荷されるまでの三、四ヶ月は食用に回せるようなサツマイモは、ほとんどスーパーマーケットの野菜売り場から姿を消すのが普通であった。 最近では、「キュアリング貯蔵」という技術が確立されたために、ほとんど一年中、品質の良いサツマイモが手に入るようになった。
 キュアリングの cure は、治癒、治療の意味で、貯蔵中の腐敗を防ぐために傷口治療のことを指している。サツマイモは収穫のときに擦り傷や切り傷ができやすく、そこに菌がついて貯蔵中に腐ることが多い。そこで、収穫してから貯蔵する前にその傷口をふさいでやり、病原菌の侵入を防ごうというのがサツマイモのキュアリングである。

 電子レンジで加熱した蒸しいもより、焼きいもや蒸し器を使ってふかしたいものほうが甘くておいしい。蒸し器や焼き石で加熱するといもの温度が徐々に上がってデンプンが糊化し、それにベーター・アミラーゼが作用してマルトースという甘み物質がつくられる。だんだん温度が上がって、100℃にもなると、ベーター・アミラーゼは活性を失い、それ以上甘くならない。ふかしいもや焼きいもの場合は、このベーター・アミラーゼが作用する時間が20分以上と長いのの対し、電子レンジを使うと2,3分で100℃になってしまう。そのため甘みもそれほど高くならない。

・ビタミンCの話
 同じホウレンソウでも、冬と夏とではビタミンCの含量が極端に異なることが最近分かってきた。夏のホウレンソウは冬のものに比べてその含量はかなり低い上、室温に一日おかれると急速に減少して、ときには半分にも減ってしまう。そのホウレンソウを低温(1℃くらい)に置けば、1~2日くらいはほとんどとりたてに近い含量のままで保持される。
 発がん性の強い「ニトロソアミン」は、動物性の食品によく含まれているアミンと野菜などに含まれている亜硝酸が胃の中と同じような産生条件下で反応して生成することが知られている。ビタミンCは、その「ニトロソアミン」の生成を阻止する効果があるとされているところから、ガンの予防に効果があるといわれれている。
 チロシンの代謝が異常になるとメラニン色素が皮膚に沈着して、シミやソバカスの原因となるが、このチロシンの正常な代謝にビタミンCが関係しているといわれている。こんなところから、ビタミンCは女性の美容によいとされている。
 イチゴはビタミンCの王様といわれているだけあって、たしかに含量が多い(100g中に80mg)。しかし、カキがそれに匹敵するほどのビタミンCを含んでいることは案外と知られていない。

・ブドウ糖と果糖
 砂糖の甘さを1とした場合、ブドウ糖はおよそ0.6~0.7くらいで、果糖は1.3~1.5もあり、砂糖より甘い上、味が比較的さわやかでさっぱりしている。
 ただ、果糖はしるこなどの熱い状態で食べる食品に入れると、甘味が減少するので、冷たい状態で食べる食品に向く。

・糖分と糖度
 糖分は化学分析によって得たしょ糖やブドウ糖や果糖などの値を100g中の百分率で表す。一方糖度は、携帯用の屈折計で測った示度をそのまま使う。この数値は、塩類などの光を屈折させるのもが影響を及ぼすので、正確に糖分だけを測っているわけではない。多くの青果物は、糖度計の値から2を引けば、本当の糖分に近い値になるが、リンゴでは1.5、スイカでは0.5を引く。スイートコーンはとんでもない値が出てはかれない。

・コマツナ礼賛論
 緑黄色野菜の大切さは、いろいろなところで指摘されているが、そのとき必ず出てくる野菜にホウレンソウがある。ホウレンソウは野菜の中では、いろいろな栄養素を比較的まんべんなく、しかも多く含んでいる。ところで、コマツナがホウレンソウに勝るとも劣らない野菜であることに、気がついた。
 コマツナは油炒めにして、洋食の付け合わせにもなるし、油で炒めてから油揚げなどと一緒に、しょうゆとほんの少しの砂糖であっさりと煮たコマツナをおさいの一品に加えたときには、いかにも緑黄色野菜をしっかり食べたという気持ちになる。ゆがいておひたしにしてもよし。味噌汁の実に、コマツナをたっぷりと入れてもよい。

・野菜・果物ちょっといい話
 メロンは自分からエチレンを放出して、そのエチレンで熟度が進んで食べ頃の肉質になる性質をもっている。だから、堅いものでも、はだかのまま室内の放っておけば、いつか追熟してちょうどよい食べ頃となる。 人間は寝ている方が立っているより楽であるが、シュンギクやアスパラガスは、逆である。アスパラガスは立てておくより寝せておく方が先が立ち上がろうとして大変なエネルギーを消耗する。ホウレンソウやシュンギクも寝かせておくと消耗が速い。
 

平成22年3月

ジャガイモ 3

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ジャガイモの残りを収穫したら、小粒のイモがやはりありました。
ただし、発芽が特に遅かったものに限られたようです。

気がついたことが一つありました。
ジャガイモを収穫する時期ですが、今までは茎が枯れ始めるのを待ってから収穫していたのですが、
今回、霜のせいで強制的に葉が青々としている段階で収穫せざるを得なくなりました。
それで、イモが小粒なものが多くなるのではないかと心配したのですが、
特に発芽が遅かったもの以外はまあまあの大きさに育っていました。
で、気がついたのは、ジャガイモの表面の肌が美しいということです。

この畑はそうか病が出やすく、そうか病になったイモの肌は汚くなって販売しにくくなります。
ところが、今回はそうか病があまり見られません。
おそらく、イモが地中にいる時間が短くなったせいでそうか病にかかる時間がなかったのではないかと思います。
もし、そうだとすると、春植えのジャガイモでも教科書に書いてあるように葉や茎が枯れ始めるのを待って収穫するのではなくて、
その前に、収穫すればそうか病にかかる確率が減るのではないかと思われます。
来年の春植えでは早堀りを試してみたいと思います。

ジャガイモ 2 収穫しました

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ジャガイモを手前から三分の一ほど収穫してみました。
素揚げにちょうどよいくらいの小粒イモは意外と少なく、中型の手頃な大きさのイモが一番多かったようです。

これでコンテナ半分くらいの量がありました。
これだったら、出荷に回せそうです。

発芽が遅く、霜に当たる前の葉が若々しかったから、小粒のイモしかできていないだろう思っていたら
意外や意外、ジャガイモ君たちをなめてはいけません。
一生懸命働いて、自分の役割をきちんと果たしてくれたんですね。
ジャガイモ君たちに感謝。m(_ _)m

ジャガイモ 1 霜に当たりました

熊本市の今朝の最低気温は4℃でした。
この気温だと、畑の地面付近は0℃近くまで下がります。
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昨日まで青々としていたジャガイモがこのとおり。

秋作でジャガイモを積極的に作る気持ちはなかったので、たねいもは購入しなかったのですが、春作でできたメークインの残りが結構あったので、それを植えれるだけ植えておこうと、植えてみたら、ちょうど一列分ありました。
ところが、手前の2,3株はすぐに発芽したのですが、全体的に発芽が遅く、最も遅いのは10月中旬くらいにやっと発芽しました。

発芽が早かった2,3株は葉も黄色くなり枯れ始めていたのでイモのほうも十分大きくなったと思われますが、大多数は青々とした葉を繁らせて今が生育のまっさかりというところでした。
あと2週間も霜が降りなければ、よかジャガイモが穫れただろうに、きっとこの秋のジャガイモは小粒なものが多いでしょう。

でも小粒は小粒なりに美味しい食べ方があります。
それは、塩をふりかけて、小粒のジャガイモをまるごと素揚げにするものです。
揚げたてをふーふー冷ましながら食べると、これはもう絶品のおいしさ。ビールのつまみには最高です。
小粒のジャガイモが多量に手に入ることはあまりありませんが、今年はその恩恵にあずかれそうです。


カボチャ 4 収穫しました

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天気予報によると、明日の熊本市の最低気温は4℃で、この秋一番の冷え込みとなりそうです。
これだと、この畑に霜が降りるのは確実で、カボチャを畑においておけるのも今日が限界だと判断して、
すべて収穫しました。
ご覧のように小ぶりなカボチャばかりでした。
夏作のカボチャからこぼれたタネが自然に発芽してできたものですから、ぜいたくは言えません。
この結果から考察すると、8月の上旬にタネを蒔けば、十分な大きさのカボチャができると思われます。

これから一ヶ月ほど追熟させると、冬至カボチャとしてちょうどいい時期に食べ頃になります。
出荷するほどもありませんので、自家消費に回します。


本16 新留 勝行 「野菜が壊れる」

新留勝行「野菜が壊れる」
集英社新書
野菜が壊れる

内容

第一章 野菜が壊れていく

・栄養のなくなった野菜たち
 ホウレンソウ100g当たりのビタミンC含有量は1950年では150mgあったものが、2000年ではわずか35mgと四分の一以下になっている。
 鉄分でも13mgから2mgと六分の一以下に減っている。

・野菜は腐らない?
 キュウリやピーマンやレタスやセロリが苦いことがある。野菜には本来苦みはほとんどなかった。化学肥料の影響と考えてよい。
 メロンや桃を食べて舌がぴりぴりすることがある。しかし、化学肥料を使っていない所ではぴりぴりしない。
 ジャガイモを半分に切ったとき、切り口の外側から数ミリのところに、うっすらと黒っぽい環が生じる。健康な土壌で育てると、あの環は生じない。
 タマネギを切ると強く目にしみる。無農薬・無化学肥料でつくると、それほどぴりぴりしない、甘みのあるタマネギができる。淡路島ではそれを逆手にとって「目にしみないタマネギ」を売りにしている。
 化学肥料を使った野菜の常識が現在の私たちの常識になっている。しかしこれは自然の常識ではない。野菜や果物が腐る、傷む、カビが生えるというのもそうです。すべての野菜・果物は、本来あまり変色したり腐ったりかびたりしないものです。

・青草を食べると牛が死ぬ
 分解されているはずの硝酸態窒素が、一般に売られている野菜から数千ミリグラム単位で検出されています。
 実は硝酸態窒素自体よりも、硝酸態窒素が変化してできる亜硝酸態窒素のはるかに強い毒性が問題なのです。
 亜硝酸態窒素は吸収されると、ヘモグロビンと結びつきます。するとヘモグロビンは酸素を運べなくなり、動物は酸欠になってしまいます。アメリカやヨーロッパで1960年頃から話題になった「ブルーベビー症候群」は、乳児が顔を真っ青にして亡くなってしまう事件から名付けられました。

・発ガン性物質をつくる亜硝酸態窒素
 亜硝酸態窒素のもう一つの問題は、魚・肉類と反応して、ニトロソアミンという発ガン性物質を生成することです。普通の食生活では、つねに野菜と肉・魚類はいっしょにとっていますから、野菜に硝酸態窒素が含まれていれば、ニトロソアミンがつくられる可能性は非常に高くなります。

・腰が引けたEUの基準値
 厚生省食品衛生調査会が2000年に公表した報告書では、日本人の硝酸態窒素摂取量は、どの年齢層でもJECFAの出した適正値ADI比で100%をこえています。

・カリウムの過剰摂取は危険
 メロンなどの果物を食べて、舌がピリピリするのは残留しているカリウムの影響だと思われる。メロンでは、塩化カリウムを多めに使うと外皮の編み目がしっかり出ると指導されるので多量に使われます。

・安全な輸入野菜はあるか
 検疫所で残留農薬基準値を上回れば、廃棄処分となります。上回らなければ出荷されて私たちの口に入るわけですが、燻蒸であれ塩素であれ、何らかの方法で「消毒」はされています。ですから、ポストハーベスト(収穫後に殺菌剤や防カビ剤が使用される)農薬がゼロという輸入野菜はほとんどありません。虫やカビはつかないかもしれませんが、目に見えないかたちで身体がむしばまれ、結果的にガンになっても、何がどう関係してガンになったのか消費者には明らかにできません。

・「基準」のもつ怪しさ
 残留基準であれ、硝酸態窒素含有量の基準であれ、「基準」という名でさまざまな数字が出される背景には、国民の生活や健康以外に国内産業の保護や輸出国との駆け引き、政治圧力もありうることを、私たちは知る必要があります。

・伸びない有機農産物
 「仕事として農業をやっていくなら、化学肥料と農薬なしでできるはずがない」それはもうある種の信仰、あるいは強迫観念のようにさえなっています。有機農法が注目され、自然に近いかたちで野菜をつくる試みが各地で起こってきているといっても、その割合は2006年で0.17%となかなか伸びてきません。化学肥料と農薬を使い続けて、農地はもうすっかり荒れています。

第二章 土の中のみごとな連携、それを壊すのは・・・・

・ほんものを見たことがなかった!
 化学肥料栽培の農業の常識しか知らないのは、専門家も同じことです。有機栽培のことを教科書では勉強していても、ほんとうに健康な土で、農薬も化学肥料も使わずに作物を育てている農業を、専門家も知らない時代なんです。

・豊かな土には「マイナスの腕」がある
 ケイ酸はマイナスに傾いていて、鉄、マグネシウム、マンガン、カルシウムなど陽イオンを持つミネラル元素とくっつきます。当然、「マイナスの腕」が多ければ、ケイ酸にくっつくミネラル元素の数は多くなります。この状態の時、土は触るとふかふかで、「団粒構造」になっています。

・天敵に対する防御機能
 病気になったり、成長や活動が止まると、まわりの生物たちは、いっせいにその植物を壊して自然に帰す方向へと動き出します。そこでは植物も抵抗しませんし、できません。

・根毛を焼き切る化学肥料
 第一の問題は、硫酸イオンが根の外側の電子と反発して根毛を焼き切ってしまうことです。化学肥料を使うと根毛は激減します。
 電子を失った根は、陽イオンを引きつける電気的な力を失い、土中の陽イオンを吸収できなくなります。根ごと引き抜いてみると、土がぱらぱらと落ちていきます。根が、陽イオンを含む粒子と引き合っていないしるしです。
 この状態の根は、まるで有害な化学物質から鎧で身を守ろうとするかのように、酸化鉄をまといます。実際、鉄があれば硫酸の侵入は防ぐことができます。けれども、そうなれば養分吸収はできなくなります。
 姿は同じでも、栄養分が激減したのはこのようなわけなのです。

・さやの中にひとつだけ黒いダイズが
 石油化学物質を含むとき、きゅうりでは苦みがへたに近い部分に集中します。花に近い部分は苦くなりません。自然界において「苦い」というのは危険信号を意味します。

・微生物が死に、土は砂漠になる
 第二の問題は、土壌中の生物たちが石油成分にやられてしまうことです。豊かな土を創り出していた微生物はもちろん、ミミズもモグラも、多くが逃げ出すか死んでしまいます。かつていくらでもいたオケラなど今では見かけることができません。

・「窒素・リン酸・カリ」という誤り
 カリウムは「窒素・リン酸・カリ」というほどには大きな位置を占めてはいません。必要な栄養分の量からいえば、「窒素・カルシウム・リン酸」です。それなのに「窒素・リン酸・カリ」という呪文がこんなにも普及したのは、石油由来の窒素肥料の弊害を減らすために、どうしてもカリウムが必要だったからです。
 農業の基本だといわれてきた「窒素・リン酸・カリ」は、化学肥料時代の常識でしかありません。

・土の下はセメント
 作土層が薄くなっているのは、窒素肥料と一緒に石灰を使うからです。
 たしかに日本の土壌は全体に石灰質が少ないので、石灰は昔から農業の現場で使われてきました。しかし、硫安で酸性化した土壌を中和するための使用量は、桁が違います。

・実は益虫だった害虫
 ところが、線虫対策に躍起なっているうちに、紋羽病にかかることが非常に多いのです。
 20年ほど前、筆者は、「線虫はほんとうに害虫なのだろうか」と考えていました。調べていくうちに、線虫は根から出てきた分泌液を養分としていること、そして植物の根と共生して、なんと根を取り巻いて紋羽菌を食っていることがわかりました。一部は根の中に入り込んで、根から侵入してきた紋羽菌をも食べていました。線虫がいる所では植物が紋羽病にかからないことも明らかになりました。線虫は実は害虫ではなく、益虫だったのです。

・大きく成長した農薬産業
 70年代には化学肥料に比べて出荷額が一桁小さかった農薬産業が、全産業平均を超えて大きく成長しています。これは、農薬を使っても問題は永遠に解決しないこと、次々と農薬を使わなければならない農業の現状を示しています。

第三章 化学肥料はどこから来たか

・化学肥料の普及は国策でもあった
 なぜ国策だったのか。それは化学肥料は、戦後日本の高度経済成長を支えた自動車産業や石油化学産業と密接に結びついた存在だったからです。

・化学肥料を使ってくれないと困る人々
  自動車産業で排出された硫酸アンモニウムが農業で肥料として使えるなら、化学肥料が低コストでできる。
国際的に競争できる輸出品になる。
  鉄鋼業界、自動車業界としては産業廃棄物になるものが農家に売って利益にすることができる。
 こんなうまい話があるでしょうか。このアイデアは現実になりました。自動車産業の産業廃棄物は、安い窒素肥料に生まれ変わって農業で使われました。

 日本経済は、敗戦の混乱から世界が驚くような勢いで発展しました。石油化学を使ったさまざまな産業が発展したわけですが、その過程で化学肥料は、なくてはならない存在でした。農家に化学肥料を使ってもらわなくては困る人々や業界がたくさんあったのです。

・工業の体力不足を農業が補った
 後発の資本主義国であった日本では、工業化の元手を工業自身が担うことができず、在来の農業部門に仰ぐしかなかった。

・農協指定のものを買わなければ・・・
  そしてこの組織全体が、選挙の際には自民党の票田となるのです。
 多くの場合、肥料・農薬・飼料などは、農協指定の品をみんなが買います。個々の農家には選択肢や値段の交渉の余地はありません。また、たいていの農家は、ハウスの移動や、大型機械の購入等で、農協に借金があります。

・「誰でも簡単、すぐできる」魅力
 家畜の糞や人糞や落ち葉など、さまざまな有機質の原料が、うまい具合に発酵して良質な堆肥になるよう、各農家は毎年独自の工夫と努力を重ねました。微生物たちが元気に活動してくれると、家畜糞・人糞を使った堆肥すら食べられるほどになるのです。この堆肥ができれば、作物はしっかりと丈夫に育ち、病害虫に強くなります。

第四章 そして動物たちが、食品が壊れた

・価格破壊という暴力
 戦後普及した化学肥料・農薬による栽培は「慣行栽培」と呼ばれるようになり、それによっって壊れた土と野菜は「ふつう」になっていきました。

・少品種大量生産、大規模化は工業化
 農業で人間が相手にしているのは、土や作物、微生物などの生き物です。機械であれば、人間の都合のいいように作り替えたり、生産のペースを変えたりできるかもしれませんが、相手が生き物であるということは、相手の活動しやすい環境をつくり、成長や繁殖のペースにこちらが合わせなければ、いずれ破綻するということです。

・瀕死の牛たち
 抗生物質により家畜が異常な速度で成長することが発見されたのは、1950年代でした。

 肉用の鶏は出荷までの期間がどんどん短縮されています。鶏は180日程度で成長するのが自然ですが、それが効率を求めて90日になり、60日になり、いま20~30日になろうとしています。20日で出荷される鶏たちは、大きさは成鳥と同じでも、とさかかが小さく、中身はまったく赤ん坊のような状態で「ピヨピヨ」と鳴きながらトラックに乗せられています。

・不健康な家畜の堆肥は・・・
 よい畜産堆肥を手に入れようとすれば、健康な家畜が必要です。健康な家畜を育てようとすれば、健康な牧草が必要です。健康な植物を育てるためには、健康で豊かな土が必要です。

第5章 まだ間に合う、いましかない

・だれも責められない
 化学肥料・農薬使用については、農家のところまで話が来た時点では、農家にはほとんど選択の余地がなかったと思います。他産業を育てるために化学肥料の普及を強力に推進したのは国の政策です。さらに消費者からは、安くて、同じ品質のものが一年中店頭に並ぶように求められ、他産業と同じ市場経済という土俵に引きずり込まれて、生産効率を求められた農家は、化学肥料・農薬の使用について責められる筋合いではありません。しかし、方向が間違っていたことはもう明らかです。

・始まりは土と農作物
 大事なことが二つあります。
 一つは、紹介したどの農家も、抱えていた膨大な借金を返済し、貯金すらできるようになったことです。良質な有機野菜であること、栄養価が高いことを売りにし、そして味が明らかに違うことが消費者にも認められ、多少の傷がついた品さえ、通常の流通価格より高く出荷することができるようになっています。
 もう一つ大事なのは、農家の人々の気持ちです。健康な野菜をつくることで、農家の人々自身が心身ともに健康になり、元気になっていく例を、筆者は数多く目にしてきました。食べた人の健康に間違いなく役に立つという確信は、つくる者としてのプライドを回復させてくれます。それで経済的にも破綻しないとなれば、農業ほど楽しいものはありません。自分の野菜に自身をもつようになり、みずから都市部のデパートを回ってみごとに売り先を確保した農家の例もあります。

・健康な作物なら利益を出せる

・化学肥料はやめられる

・大規模化は成功しない

・質で勝負するという戦略
 戦後、日本がここまで発展してきたのは、さまざまな業界関係者のたゆみない努力のたまものでした。けれども、裏側には、廃棄物を土に投入する農業の存在があったことを忘れてはいけません。そのために国民が健康を損なっている現実から目をそむけるわけにはいきません。多くの人の犠牲の上に成り立った発展なのです。

・「有機」をもっと大事に
 登録認定機関は農林水産大臣が審査・登録しますが、その多くは農協や農業試験場出身者がつくった団体や会社です。つまり、慣行農法を促進してきた人々が圧倒的多数を占めます。
 有機農産物の認証基準はJASにもとづいていますが、やむをえない場合には許可された農薬を使うことができます。その数は約30点にのぼります。現在の有機農産物は、無農薬ではありません。国際市場で「安全」を売りにしていくにあたっては、こうした甘い基準で満足するのではなく、「本来、農作物がどう栽培されるべきか」よく理解して、国が生産者をリードしていかなければなりません。
 検査についても,認証団体によってばらつきがあり、だいぶいい加減なところもあります。たとえば、一年で収穫できる作物には、農薬は二年以上使わないこととされていますが、自己申告によることがおおいようです。根本的な栽培法に踏み込まなければ、検査の役割を果たしているとは思えません。
 認証にかかるコストの問題もあります。有機認定を受けるためには、有機認定手数料、実地検査費用、検査員交通費、講習会費用、有機JASマークシール代作成代など、数十万円のコストがかかります。つまり、経済的に豊かでない農家には、テストを受けることさえできないのです。
 このため、有機栽培をしているのに認証申請をあきらめた農家も少なくありません。結果的に、スーパーに並ぶ野菜のうち、有機認証を受けた野菜は依然として少なく、「やはり有機栽培はむずかしいのだ」という世論を作ってしまっています。

・「健康」という節約
 無化学肥料・無農薬で野菜を栽培したいという農家も、健康な肉や卵や牛乳を消費者に届けたいという畜産農家も、無添加で安心できる食品を届けたいと考える食品会社も、少数ですが存在します。彼らの売るものは決して安くはありません。良質ではあっても高い食品は家計には負担です。けれども、そこで安さを求めて節約することは、間違いなくあとで何倍もの医療費となって返ってきます。良質な食品を食べていれば、それは健康という節約になるのです。医療保険や生命保険の代わりともいえますが、病気になって保険金を手にするより、健康であることはずっとずっと人を幸せにしてくれます。

・自分のアンテナを磨く
「安全」は目に見えません。その野菜がよいか悪いか、その食品が安全かどうかを考えるとき、もっと自分の感覚を判断材料として組み込む必要があります。「自分には分からない」と思い込んではいませんか。そうして他人にゆだねてはいませんか。アンテナを磨くためには、手で触り、目で見て、食べたときの感じをよく感じることです。できるだけ素材を触って料理をしてみて下さい。もちろん、男性も含めてです。野菜や肉を料理していると、わかることはたくさんあります。

・目に見えないものたち
 私たちは見た目は同じ野菜、牛乳でも、中身は大きく変わったことに注意を払いませんでした。植物や動物が生きていく仕組みは複雑で、私たち人間に計り知れない謎が沢山含まれています。目に見える現象の背景には、必ず目に見えない原因があります。起こっていることの大部分は、私たちの目には見えていないのです。微生物の世界のように。

・あとがき
 筆者の生家は貧しい農家でした。
 かつて農業の知恵の中には、植物の体内で、また土や水の中で目に見えない力が働いていることを感じる力も含まれていました。微生物研究の進んだ現在でも、微生物相互の働きなどで解明されていることはごくごく一部です。「見えない」「わからないもの」の存在を感じ、その世界に敬意を払うことを忘れてはなりません。人間が「土のことが解明できた」「もう土はいらない」と考えたら、それこそ滅びの始まりになると筆者は考えています。
 
平成22年3月

ハウスにビニールを張りました

今日、ハウスにビニールを張りました。
ビニール張りと釣りは風があると本当に難儀しますが、
写真でも分かるように、今日は高気圧に覆われて雲一つなく風もなく、ビニール張りにはもってこいの天気でした。

7月16日にビニールをはいで以来、およそ4ヶ月ぶりにビニールハウスが復活しました。
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畑に家内が来ることはまずないのですが、ビニール張りはひとりでやると能率がうんと落ちるので、今日は家内に応援を頼みました。
二人でやって、午前中一杯かかりました。
慣れた人なら、もっと短時間で済むかもしれませんが、年に一回しかない行事なので、そんなに慣れていませんので時間がかかってしまいます。
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幅5m、長さ20mです。
おととし(2017年)の4月14日に建てたので、まだ2年半しかたっていません。
今、倉庫代わりに使っている長さ10m弱のもうひとつのハウスは、農業を始めたときにすべてひとりで建てました。
このとき何が一番しんどかったかというと、鉄の支柱を地面に差し込む作業でした。
この畑は、私が野菜を始める前は、芝畑で地面を平らにして固めてあったのです。
それで支柱が地面に食い込まず、細い穴を掘りながら支柱を差し込んでいったので、結構労力がかかりました。
腰への負担が大きい作業だったので、このハウスを建てるときは最初から業者さんに頼むことにしたのです。

今、ハウスの中ではレタス、ホウレンソウ、シュンギク、イチゴが成育中です。

カボチャ 3

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カボチャの今日(11月11日)の様子です。
一番手前の株は、霜に当たって葉が枯れてしまいました。
熊本市の東側に位置するこの畑では、朝方の気温が熊本市内よりぐっと冷え込みます。
11月6日の朝、熊本市の最低気温が7℃だったときに、やられたものです。
奥の方の株は霜にやられていません。枯草を厚く敷いていたからでしょうか。
または、葉が密に重なり合っていたからでしょうか。
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カボチャは大きくは育ちませんでしたが、何とか収穫にはこぎ着けそうです。

ヘアリーベッチ

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昨年、雑草防止用としてまいたヘアリーベッチが自然にこぼれたタネから発芽して、旺盛に伸びてきました。
昨年はハウスの外縁の雑草に対抗させるために植えたのですが、今年はちょうどそこにイチゴを一列ずらりと植えました。
今年は太陽熱マルチ殺草フィルムの縁を被うように繁らせたいのですが、この旺盛な生育ぶりを見ていると、イチゴの領域まで押し寄せてくるかもしれません。

コアサガオ

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隣の畑に小さく可愛らしい朝顔の花がたくさん咲いていました。
接写で大きく撮ろうとしたら、ぼけてしまいました。
左側の花を見れば、その小ささがわかると思います。
マメアサガオかと思って調べたら、マメアサガオの花は白色だそうです。
マメアサガオとよく似たホシアサガオはピンク色で、このアサガオはブルー系なので
ここでは、コアサガオにしておきます。

本15  木嶋 利男「伝承農法を活かす家庭菜園の科学」

木嶋利男「伝承農法を活かす家庭菜園の科学」
講談社ブルーバックス伝統農法を活かす家庭菜園の科学
内容・・・・後半  (内容が豊富なので前半と後半に分けました)

第5章 病害虫から作物を保護する

5-1 病害虫はどうして発生するか
 病原菌を大量に培養し、あるいは害虫を大量に飼育し、これを野菜に直接散布しても病害虫による被害は発生しません。植物の体質が弱く、気温、湿度、光線などの条件が病害虫の発生条件に合致したとき病害虫は発生するのです。

5-2 害虫・益虫・ただの虫
 土着天敵は、その地域にもともといる害虫の天敵です。土着天敵を繁殖させるためには、土着天敵のえさとなる虫と、虫を繁殖させる植物が農作物のそばに必要となります。ヨモギ、ソルゴー、エンバク、コスモス、ヒマワリなどで、こうした植物をバンカープランツといいます。

5-3 病原菌と、それを抑える拮抗微生物

5-4 草と共栄する栽培方法
 農業では栄養や生育環境の競合などから農作物以外の植物は雑草と考え、すべてを取り除くことを原則にし、多くの除草剤が開発されました。しかし、農作物に大きな害を与える強害雑草は意外と少なく、繁茂してもほとんど害を与えない草が多いです。このため、草と共栄する叢生栽培や共栄植物として利用されている草も数多くあります。

5-5 動物を防除する方法

5-6 実際に用いられている作物保護技術
 最近、連作は土壌微生物を単純化しないことが明らかになりました。同じ野菜の根や残渣が分解されるのは一種類の微生物によって行われるのではなく、分解の過程で微生物は次々と遷移するため、「連作=微生物の単純化」にはつながらないことが実証されました。
 日本においても各地に多くの連作事例があり、一次的に連作障害は発生するものの、連作が生産を安定させたと思われる事例が数多くあります。ダイコン、キャベツ、トマト、ナス、ジャガイモ、ニンジン、キュウリ、スイカ、イチゴなど野菜で10~30年間の連作が報告されています。しかし、連作を可能にしているメカニズムについてはほとんどが未解明のままです。
 三浦半島のダイコンは連作されていますが、萎黄病などの土壌病害はほとんど発生しません。
 このように、家庭菜園では連作もまた有効な栽培技術と考えられます。

 フザリウム菌やリゾクトニア菌の細胞膜はキチンによって作られています。キチンに富むカニガラや廃菌床が土壌中に施用されると、これを分解するため、放線菌がキチナーゼを産生します。キチナーゼは細胞膜がキチンでできている萎ちょう病菌や立ち枯れ病菌にも働き、これを分解します。また放線菌は多くの抗生物質を産生し、病原菌を抑える働きもあります。
 疫病をおこすファイトフィトラ菌や根腐れ病をおこすピシウム菌の細胞膜はセルロースで作られています。セルロースに富むイナワラやムギワラが土壌中に施用されると、これを分解するため、トリコデルマ菌がセルラーゼを産生します。セルラーゼは疫病菌や根腐れ病菌の細胞膜にも働き、これを分解します。

5-7 雑草を防除する技術
・収穫後の畑にヘアリーベッチをまく
 ヘアリーベッチにはシアナミドが含まれ、多くの雑草を抑える働きがあります。ただ、ヘアリーベッチを混植したり間作で利用すると、野菜の生育を抑えてしまうため、輪作に用います。

第6章 コンパニオンプランツ

6-1 コンパニオンプランツの考え方
 一般的に、一緒に植えると互いによい影響を与えあう植物同士をコンパニオンプランツ(共栄植物)と呼びます。
たとえば、長ネギとイチゴを混植すると、萎黄病を防除します。
天敵類を温存あるいは繁殖させるバンカープランツは、間接的に野菜類に良い影響を与えます。

6-2 混植・間作・輪作

6-3 バンカープランツを利用した障壁・縁取り
障壁作物や縁取り作物になるもの(障壁により、害虫の飛来を防止し、クモ類、カブリダニ類、クサカゲロウ類、テントウムシ類などの天敵を繁殖させる)
コスモス
マリーゴールド
ヒマワリ
ソルゴー
エンバク
クリムソンクローバー
ヨモギ
ニラ
長ネギ

6-4 科学的に証明されているコンパニオンプランツ
・長ネギとユウガオの混植
 ネギ属植物の根に拮抗微生物が繁殖し、抗菌物質を土壌中に拡散することで防除効果が発現する。
 長ネギでメロン、スイカ、キュウリのつる割れ病防除
 ホウレンソウと葉ネギ
 カボチャと長ネギ
 イチゴと長ネギ
・アブラナ科とレタスで病害防除
 キャベツ、ハクサイ、ブロッコリーなどのアブラナ科野菜の近くに、レタスやシュンギクなどのキク科野菜があると、害虫の被害が少なくなる。モンシロチョウは嫌いな野菜が近くにあると、避けて飛翔します。 モンシロチョウ、ヨトウガ、コナガが嫌う野菜類はレタスなどのキク科です。
・マメ科の混植・間作・輪作
 混植に利用されるマメ科はラッカセイ、インゲンマメ、ダイズ、ハッショウマメなどです。
 トマト、ナス、ピーマンなどナス科野菜には落花生を混植します。定植後、活着したら株元に播種します。トマト、ナスの生育が促進され、雑草も少なくなります。
 サツマイモは5月上旬~6月下旬、畑にさし木し、株の両側にダイズを播種します。相互に生育が促進されます。ダイズは7月中旬にエダマメとして収穫できます。サツマイモはさし木後、110日が収穫の目安になります。
・ヒガンバナ、スイセンでネズミ、モグラが忌避
 家庭菜園では畑の周囲をヒガンバナあるいはスイセンで囲み、モグラとネズミの進入を防ぎます。
・オオバコ、クローバーでウリ類ウドンコ病防除
 顕微鏡で調べてみると、ウドンコ病菌の菌糸に別の微生物が寄生しているのが観察されます。ウドンコ病菌に寄生しているのはアンペロマイセスで、病原菌に寄生する微生物です。
 ウドンコ病が発生しやすいキュウリやカボチャを栽培する場合、オオバコなどの雑草を叢生させ、雑草にウドンコ病を発生させます。雑草のウドンコ病菌は作物には感染しません。雑草にウドンコ病が発生していない場合は、野原でウドンコ病に発病した同じ雑草の葉を集め、畑の雑草に散布(接種)します。やがて、雑草のウドンコ病菌にはアンペロマイセスが寄生します。雑草で増殖したアンペロマイセスはキュウリやカボチャにウドンコ病が発生したら、すぐにウドンコ病菌に寄生してこれを防除します。

第7章 植物の整理・生態を利用した栽培技術

7-1 植物の生存戦略を利用した栽培技術
キャベツが多種の植物と共栄できることは、家庭菜園の苗づくりや定植にも応用できます。キャベツは苗がやや不揃いでも、弱い株を排除することはありませんので、他の野菜より苗づくりが簡単です。
 定植も一般的な野菜は株間をやや広げて栽培しますが、キャベツの場合は逆に株間を狭めて植え付けます。こうすることによって、互いに助け合って生育が促進されます。また、草はキャベツにとって雑草とはならず、逆に草が共栄植物として働きますので、抜き取らないようにします。
 根圏微生物と共栄できることは、土つくりにも応用できます。一般的に有機物は完熟したものを使うべきとされますが、キャベツは有機物の分解を微生物が助けてくれるため、やや未熟な有機物の方が良い働きをします。さらに、土に石が混じっていても、ミネラルの供給源として、これを上手に利用します。

7-2 植物のストレスを利用した病害虫防除
・胚軸切断挿し木法
 健全な植物の組織内は無菌状態にありますが、シクラメンやサツマイモの組織内には病原性を持たない微生物が共生します。この微生物がいつ植物に入り込むか調べたところ、発芽し、種子からの養分転流が終了すると,胚軸部から微生物を取り込み有菌状態になることが明らかになりました。
 これを応用し、病原性を持たない微生物を植物の組織内に定着させることが可能になりました。すなわち、発芽し、本葉展開~本葉3枚の時期に胚軸を切断し、微生物を接種した後挿し木すると、組織内に微生物が定着させることができます。
 具体的には、双子葉野菜類を播種し、子葉が展開し、本葉が1.5~3枚の時期に胚軸を切断します。次に、 微生物を浮遊させた液に切り口を2時間浸漬して接種後、これを挿し木して苗を育成します。この方法で育成した植物は病害虫に抵抗性を示します。また、接種する微生物の種類によっては生育が促進されます。
 この技術は、キュウリ、スイカ、マスクメロン、メロン、カボチャ、マクワウリ、ニガウリなどのウリ類、トマト、ナスなどのナス科野菜、キャベツ、ハクサイなどのアブラナ科野菜、ダイズ、アズキなどのマメ科野菜など多くの野菜類や花卉類に応用可能です。

7-3 作物に合わせた敷き料と畝
 支柱栽培のキュウリやメロンは、株の周囲にワラや草を敷き根を守ります。敷きワラや敷き草は厚く敷くと根に障害を与えてしまうため、地面がやや見える程度に薄く敷きます。

7-4 耐陰性と光要求性
 ネギは「自分の影も嫌う」というように、太陽光を好みます。そこで、ネギ自身の影を作らないように、南北畝に、畝間90センチ×株間10センチで植え付け、自身の作る日陰に入らないようにします。
 ジャガイモは茎が肥大したものであるため、深植えはジャガイモの肥大を悪くします。そこで、浅く植え、生育に合わせて土を寄せて、緑化を防ぎます。

7-5 遺伝的多様性を維持する
 F1品種は優良な形質で、表現型も均一になります。農業には適しているので、育成に力が注がれてきており、現在では、市販されている野菜のほとんどがF1品種です。F1品種は制御された環境では生産量や品質を向上させます。しかし、表現型が均一であることは環境適応性を弱めることにもなります。このため、天候などの影響を受けやすく、病害虫の発生や生育不良などの障害が発生しやすくなります。
 家庭菜園では栽培環境の均一化が不十分なため、農家が使用するF1品種を用いることは生産の不安定要因にもなります。家庭菜園で自家採取が好成績を上げている話をよく耳にすることがありますが、これはそれぞれの農園に適応して、品種と遺伝的に多様なことから生ずると思われます。そこでk、遺伝的に多様性を持った環境適応性の高い品種を、自家採取で育成していくことを考えましょう。
 市販のF1品種から種採りすると、次の年、同じ品質の野菜とならず、形、色、早晩性などがバラバラになってしまいます。これは、生業とする農業では困ることですが、家庭菜園では何種類もの品種を作るよりは、1種類の種子で多様な品質の野菜が得られた方が利用価値は高いと思われます。また、F1品種には、世界各地から収集された多様な遺伝資源が交じっていますので、それを得られることにもなります。ですから、F1品種で種採りしても問題有りません。農業で用いられる品種と家庭菜園で求められる品種は異なるのです。家庭菜園では自家採種は重要な栽培技術になります。

第8章 上手な家庭菜園 


8-1 畑の準備
 最近は、耕耘機などの農業機械を家庭菜園で利用する人も増えていますが、耕耘機では、土壌は均一に耕せますが、硬盤を発達させて上層土と下層土を分離させ、水はけを悪くさせることがあります。

8-2 家庭菜園の設計
 いろいろな野菜類や草花類が栽培されている菜園は、多様な生物が生息している場所でもあり、小さなビオトープです。

8-3 有機質肥料の種類と施用方法
 有機質肥料を10~15センチに位置に層状あるいは土壌全体に混和すると、分解が遅れ肥効が長続きしますので元肥として施用します。また、土壌表面に塊あるいはすじ状で施用すると、分解が速く肥効が速く現れるので追肥として施用します。

8-4 土壌改良剤の使い方
・ワラ
 ワラのセルロースは土アオカビの産生するセルラーゼによって分解されますが、同じようにセルロースで作られている病原菌の細胞膜にもはたらきます。これで疫病や根腐れ病を防除できます。
・炭
 炭を住み処に菌根菌が繁殖し、野菜の根と共栄します。菌根菌が共栄した野菜は微生物から鉄やリン酸などのミネラルの供給を受けます。また、菌根菌のはたらきで病気にかかりにくくなります。

8-5 種まきと苗
・苗の選び方
 大きい苗を選びがちですが、大苗は徒長している場合が多いので、葉と葉の間がつまった小さめの苗を選びます。また、葉色が濃い株は病害虫に弱い傾向がありますので、葉色のやや淡い株を選びます。植物は大小に関係なく、葉と葉の間の細胞の数はほぼ決まっています。このため、節間が長いものは細胞が大きくなって徒長しているのです。

8-6 活着を良くする定植方法
・夏野菜の定植
 トマト、ナス、ピーマンなどの夏野菜は晴天の朝、起きたら、まず苗が植えられたポットを、水をはった バケツの中に入れます。ポットの中の空気がゴボゴボと抜けるまでポットの部分を水に浸すのです。ポットの中に水が十分にしみこんだら,ポットを水から上げ、日陰に3~4時間放置します。こうすると、野菜は葉の先端まで十分に吸水し、2~3日はかん水を必要としません。9~10時、いよいよ定植です。畑にポットよりやや大きめの穴を掘り、ポットから採り出した苗を、根と土が密着するように植え付けます。晴天の午前中に植え付けますので、日中やや萎れますが、水は与えません。夕方、日が落ちてくると、植え付けられた苗は萎れが解消されてピンとします。次の日も晴天ならば萎れますが、そのまま放置します。3~4日経過し、日中萎れなくなると活着です。
・秋野菜の定植
 ハクサイ、キャベツ、ブロッコリーなど秋野菜は曇天の夕方、定植します。ただし、秋野菜は定植後、気温が低下し、日が短くなってきますので、十分生育した苗を定植することが重要です。特に秋の彼岸を過ぎると、生育が極端に遅れますので、彼岸以降の定植は苗の大きさと質に注意する必要があります。

8-7 上手な栽培管理
・間引き
 ダイズやインゲンマメは本葉2~3枚のころ2本を残し、大根は本葉3~4枚の頃1本を残して他は間引きします。
 ニンジン、ホウレンソウ、コマツナは本葉1~2枚の頃第1回を株間2~3センチ、第2回を草丈7~8センチのころ株間5~6センチになるように間引きます。
・剪定
 剪定は結果枝(果実が実る枝)を育てるために行うので、生育旺盛な枝は弱く、生育貧弱な枝は強く剪定するなど、春に発生する芽の強弱を考えて剪定の程度を調整します。なお、剪定した枝から発生する結果枝には剪定の3年後に結実しますので、3年先の樹形を考えて剪定することが大切です。


8-8 収穫後の保存
・夏、秋野菜の保温と保存
 夏から秋に収穫された多くの野菜類は自然の外気温で保存しますが、外気温が低下したら、断熱材などで凍害を受けないように保温します。
①タマネギとニンニクは10月下旬~11月下旬まで保存できます。
②ジャガイモとサツマイモは通気性のあるコンテナあるいは新聞紙に広げて保存しますが、サツマイモは外気温が18℃以下、ジャガイモは4℃以下に低下したら、コンテナに移し、周囲を断熱材で囲んで保温すれば、3月下旬まで保存が可能です。
④キャベツは結球すると冬の寒さから花芽を守るため気温が上昇する春先まで生育を止めますので、収穫しないで畑にそのまま放置するのがベストです。
・保存した方がおいしくなる野菜
 収穫直後のタマネギ、サツマイモ、ジャガイモなどは旨みや甘みが少なくおいしくありません。収穫後、10~15日間、乾燥した条件の室温で保存すると、デンプンが糖化し、甘くおいしくなります。

終章 未来への展望
 収穫が遅れた野菜はそのまま畑に放置します。やがて野菜は花を咲かせ実を結びます。そうしたら、種子をとりましょう。その地域(自分の畑)に適応した世界に一つの、自分だけの品種ができあがります。







平成22年3月

本15  木嶋 利男「伝承農法を活かす家庭菜園の科学」

木嶋利男「伝承農法を活かす家庭菜園の科学」
講談社ブルーバックス
伝統農法を活かす家庭菜園の科学
内容・・・・前半  (内容が豊富なので前半と後半に分けます)

第1章 家庭菜園とは何か

1-1 家庭菜園の野菜
 家庭菜園では苗は購入となることが多いようです。苗はおおむね適期に販売されますが、必ずしも土作りなど畑の準備と一致しないため、不順な天候下での耕起や定植が遅れてしまう場合があります。そうなると、老化苗を用いて活着に影響が出るなどの問題が発生します。
 また販売される品種は、環境が整備された均一な圃場で栽培されることを前提に育成されています。ところが、家庭菜園は少量・多品目で栽培されることが多いため、栽培条件がまったく異なる野菜類が同じ畑に栽培されます。このため、驚くほど立派に生育する野菜や、見るも無惨な野菜が見られます。

1-2 誤解の多い家庭菜園
 家庭菜園の肥料は化学肥料よりも有機質肥料を多く用いる傾向があります。有機質肥料は微生物の分解によって窒素などが生じて初めて肥効を発揮するため、遅効性となります。このため、知らず知らずに多肥栽培となり、病害虫の発生原因や品質の低下にもつながります

1-3 家庭菜園のメリット、デメリット
 健康志向の強い家庭茶園では原種に近い野菜類も栽培されることがあり、逆に健康に悪影響を及ぼす場合があります。実際、アトピーを悪化させた例もあります。
 家庭菜園の新鮮な野菜は生で食べたくなりますが、これも害になる場合があります。伝統食では「茹でる、漬ける、水にさらす」などで健康に悪影響を与える物質を抜いてから食べました。生の野菜は刺身のツマや薬味程度でした。野菜は食べた方が健康によいですが、生野菜は食べない方が健康によいのかもしれません。
 野菜類は居住する地域で不足するミネラルやビタミンを補給するために利用されてきた種類も少なくありません。そのような野菜は多少毒性があっても、健康上必要であるため食されてきた種類もあります。

第2章 家庭菜園を知るための農法

2-1 農法を理解する
 農薬や化学肥料を用いた栽培は、土壌や気候条件を無視しても生産を容易にした技術です。しかし家庭菜園では、無農薬・無化学肥料で栽培されることが多くなります。そうなると、病害虫の発生や栄養不足などで不安定になります。そのために過去に開発された農法を学ぶことは価値があります。

2-2 自然のしくみを活用する「自然農法」
 昭和10年岡田茂吉、昭和22年福岡正信、昭和53年川口由一の三氏によって提唱された。
・岡田茂吉(1882-1955)
 「自然尊重」と「土の偉力を発揮する」が基本になっている。
・福岡正信(1913-2008)
 「不耕起」「無肥料」「無農薬」「無除草」を四大原則にしている。
・川口由一(1939-)
 「農薬や化学肥料を止め」、次に「耕さず」へと独自の農法を確立しました。
・三氏の共通点と相違点
 除草対策では福岡氏と川口氏は不除草とし、岡田氏は草の生えない管理に重点をおきます。
 耕起では福岡氏と川口氏は不耕起であり、岡田氏は耕起する。
 自然農法は生産性や収益性よりも、自然環境や安全性を重視するため、農業としては成立しにくく、このため、信念を持った人々によって、各地に点在して継承されてきました。また、その土地の自然のしくみを活用するため、標準的な栽培技術はほとんどなく、地域ごとの土壌や気候条件に合わせて、圃場ごとにさまざまな工夫や各種の栽培技術が考案されています。

2-3 化学肥料に頼らない「有機農法」
 リービッヒの考え方は近代農法の基礎となり、テーアの考え方は有機農法の基礎となりました。

2-4 農家の経験が活かされた「伝承農法」
・残雪の形で種まき時期を知る
 近代農法では、有機物が未分解で、地力窒素が発言されていない低温期においても、化学肥料によって播種や定植を可能にしてきました。いっぽうで、無肥料や有機質肥料を用いた栽培は、気温や地温の影響を直接的に受けるため、適温にならなければ播種も定植もできません。
 伝承農法では、播種などの適期を正確に知る必要があり、そのための方法が生物指標の利用です。
・雑草を抑える方法
 農作物を同じ圃場で栽培を続けると、アレロパシー関係で、その作物に選ばれた草だけが残り、雑草を減少させます。また、輪作も雑草を抑える働きのあることが経験的に知られています。イネ科とマメ科の輪作、ソバと野菜の輪作などは雑草を少なくすることが明らかになっています。

2-5 病害虫に強い農法
 病害虫の発生と肥料の関係には正の相関関係があり、多肥は病害虫に弱く、小肥は病害虫に強くなることから、自然農法、有機農法、伝承農法は病害虫に強い農法と言えます。
 また、自然農法、有機農法、伝承農法は自然生態系を重視する農法であるため、土壌中の小動物や微生物、飛来する昆虫など生物の多様性が維持され、病害虫など特定の生物が優先して繁殖することを抑制しています。

第3章 野菜作りの基本

3-1 野菜の分類
8つの科の特徴
①アブラナ科
  ほとんどが地中海沿岸原産。
  秋に発芽し冬に生育し、春に開花する二年草。
  他殖性であるため交雑種が数多くある。
  吸肥力が強く、肥沃な土壌を好む。
  連作畑では、プラズモデオフォーラ菌による根こぶ病が発生する。
キャベツ、ハクサイ、ダイコン、カブ、コマツナ
②ウリ科
  原産地は中アメフリカ、インド、アフリカなどに分散。
 比較的高温を好み、多くは一年草。
  雌雄異花が多く、多くは他殖性。
つる性で浅い位置に根を伸ばし、水を好むが過湿を嫌うので水はけのよい土壌を好む。
カリウム肥料を好む。
連作畑では、ネコブセンチュウが発生する。
キュウリ、スイカ、カボチャなどの実物野菜。
③ナス科
原産地は中央アメリカ、南アメリカ、インドなどに分散。
自殖性が強く、交雑することはほとんどない。
ジャガイモ、トマトは貧栄養でも育ち、ナス、ピーマンは高栄養を好む。
連作畑ではラルストニア、ソラナセアルム菌による青枯病が発生。
ナス、ピーマン、トマト、ジャガイモ
④ユリ科
原産地は地中海沿岸、ヨーロッパ、東南アジア、中国などに分散。
比較的冷涼な気候を好み、多年草や二年草が多い。タマネギやネギなどの実生繁殖系は他殖性であるため、交雑種が数多くある。単子葉であるためアンモニアを好み、未熟な有機物でも育てることができる。
根に菌根菌が共生するため、荒れ地でも生育できる。
ネギ、タマネギ、ニラなど
⑤マメ科
  原産地は中央アメリカ、南アメリカ、地中海沿岸、サバンナ、中国などに分散。
  一年草が多く、自殖性。
  根に根粒菌や菌根菌を共生するため、荒れ地でも生育できる。
エンドウ、インゲンマメ、ラッカセイなど。
⑥キク科
原産地は地中海沿岸、ヨーロッパ、中央アジア、日本など。
主に多年草と二年草。
根に菌根菌が共生し、地力の低い畑でも育つ。
害虫はあまり寄生しないか、キク科のみに寄生するため、バンカープランツや害虫忌避植物として利用される。
ゴボウ、アーティチョーク、レタス、サンチュ、フキなど。
⑦セリ科
原産地は地中海沿岸、中央アジア、日本など
比較的冷涼な気候を好み、耐陰性の強い野菜が多い。
主に二年草と多年草。
菌根菌と共生し、地力の低い畑でも育つ。独特の香りがあるため、セルリーやパセリのように香辛料として利用される場合もある。
ニンジン、セリ、ミツバ、アシタバなど
⑧シソ科
原産地はヨーロッパ、インド、中国などで生育環境は大きく異なる。
多年草が多く、シソやスイートバジルは1年草。
独特の香りがあるため、香辛料として利用される。バンカープランツや忌避植物としても利用される。

3-2 野菜の原産地が生育条件を決める
・地中海型野菜
 地中海気候は、冬に雨が多く温暖で、夏は暑く乾燥します。このため、秋に発芽して冬期間生育し、春~夏開花する野菜が生育する。キャベツ、ブロッコリー、ダイコン、コマツナなど多くのアブラナ科野菜、ホウレンソウ、タマネギ、エンドウなどが含まれる。
・湿潤熱帯型野菜
 ナス、キュウリ、サトイモなど雨が多く暑い地帯が原産地。春に定植または播種し、夏から秋に収穫する。
・乾燥熱帯型野菜
 雨が少なく、暑い地帯を原産地とする野菜で、スイカ、トウモロコシ、サツマイモ、カボチャ、ピーマンなど。
 スイカは根を深く伸ばすことのできる砂質の土壌が適地になる。
 中央アメリカの乾燥した痩せ地を原産とするサツマイモは、有機物の多い肥沃な土壌を嫌います。
・数少ない日本原産の野菜
 フキ、アサツキ、ハマボウフウ、アシタバなど。
 無肥料、無農薬でもよく生育する。

3-3 旬と適期
 地力窒素の発現する時期に野菜類を播種あるいは定植した場合、肥料はほとんど必要とせず、病害虫による被害もほとんど発生しません。このような時期に栽培することを適期栽培といいます。伝承農法では生物指標や自然指標から適期を知って利用してきました。

第4章 作物栄養の基礎知識

4-1 土作りの基本
 気温が低く有機物の分解が遅い地区では、春に耕します。気温が高く有機物の分解の早い地域や、地力が低い畑では、地力を高めるためや、消費される有機物を補うため、有機物を投入して秋に耕起します。
 不耕起はまったく耕さないのではなく、農作物の根が季節により伸張と枯死を繰り返すことによって、作物の根で土を耕す方法です。有機物の分解の速い熱帯や、温帯の叢生栽培、果樹園、茶樹園で利用されます。
 耕起によって地力が増進した畑では、双子葉雑草が生えます。耕起によって地力の消耗した畑では、単子葉雑草が生えます。このため、前もって畑の雑草を調べ、これを指標に耕す方法を決めます。

 自然生態系では、植物によって生産された有機物が、鳥や昆虫によって餌として消費される量は少なく、枯れるなどしてから土壌動物によって分解される量がほとんどです。同じように農地生態系においても、土壌動物は収穫残渣や投入された有機物の重要な第一次分解者と考えられます。このため、有機物の施用は、野菜だけでなく、土壌動物に餌を与えて育てることにもなります。

4-2 土壌微生物の大きな役割
・分解菌
・菌根菌
・窒素固定菌
・根圏微生物
・土壌動物

4-3 育苗床の土作り
 種子は発芽するための養分をもっているため、播種床は栄養分をほとんど必要としません。しかし、親からの従属栄養が切れると、肥料分必要となります。この時期は種類によって多少異なりますが、本葉0.5~3枚の時期です。
 播種床は無肥料の用土をセルトレーに詰め、これに播種します。本葉0.5~3枚の時期に完熟した有機物を混和した用土を詰めたポットに移植します。
 播種後は十分に水を与えて発芽揃いをよくします。本葉展開後は根をポットの土全体に伸張させるため、灌水はやや控えめにします。

4-4 菜園内で物質循環を活性化させる
 畑は裸地にせず、植物を繁殖させることが大切になります。冬期間は野菜作りに向かないため、裸地になりやすい傾向があります。そこでエンバクやライムギのような麦類や、クローバーやヘアリーベッチのような豆類などを、緑肥として栽培します。
 また、場合によっては雑草を繁茂させます。植物が繁殖している畑は気温の変化が少なく、土が乾燥から守られるため、微生物の活性が高く、有機物の分解が促進されます。また、微生物の働きによって、植物のない畑より土壌温度が高くなります。
(前半終わり  内容が豊富なので後半は明日公開します)

平成22年3月

ネギ 5 収穫しました 

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ネギの初収穫です。
5月24日播種。
7月24日と8月12日に植えつけ
11月6日初収穫となりました。

気温が下がり、鍋物が美味しい季節になりました。
鍋物に欠かせないネギ。
ちょうどその頃、ネギが収穫できるようになっているんですね。

11月、12月と収穫が続いて、例年だと年が明けても畑にはネギがあります。
全部収穫してしまうと、タネがとれなくなりますので、タネ取り用の分も残すようにします。


親子カテゴリの設定

設定画面の「カテゴリ編集」を見ていたら、
カテゴリの親子設定ができることがわかりました。
このブログでは現在の所、「畑の野菜たち」に含まれる記事が多くなっています。
キャベツの記事を見たいと思ったとき、キャベツだけを探し出すのは大変ですが、
「キャベツ」というカテゴリを作っておけば、簡単にキャベツの記事を見ることができます。

そこで、「畑の野菜たち」を親カテゴリにして、その下に「キャベツ」カテゴリを作りました。
順次、他の野菜もカテゴリ別に分けていこうと思います。



キャベツ 9 葉が巻始めました

201911042(700).jpg
防虫ネットの上からでわかりにくいですが、キャベツの結球が始まりました。
収穫までもうしばらくお待ちください。
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一方、本日(11月4日)春キャベツとしての金系201号を定植しました。
来年の春まで約半年かけて、ゆっくり成長してくれることを祈っています。

ニンニク 3

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ニンニクが芽をだしてきました。
ニンニクの種球は大きいものと小さいものが混じっていました。
そこで、手前の方から大きさの順に大きいものから植えつけていきました。
ところが、発芽が早かったのは奥の方に植えた小さい種球で、
手前の大きい種球はなかなか発芽してきませんでした。
いまだに発芽していないものがあって、これから寒くなりますので発芽してくれるのかどうか心配です。

キャベツ 8

キャベツの葉が大きく広がってきました。
201910284(600).jpg
ネットをめくって、内側から撮影。
201910283(600).jpg
順調にいけば、これから結球し始めます。
12月には大きな玉となって収穫できるはずです。

写真の株はあとで補充して植えたものです。
最初に植えたのは、8月1日に播種し、8月16日に鉢上げし、9月6日に定植した金系201号でした。
この作型は、気温が高すぎて苗の成長が鈍り育苗期間が長くなります。それに加えて、虫たちの活動が最も活発な時期で定植後に地上部を食われたり、根を切られたりして、今年は生き延びた株がほとんどありませんでした。
第2弾の「新藍」、第3弾の「冬藍」を投入して何とか、キャベツの命脈を保つことができましたが、
来年は8月1日前後に蒔くキャベツをいかに育てるかが、課題となります。

不思議なことに昨年は、第1弾として蒔いた「新藍」が育苗も定植後もすこぶる順調で、その後に蒔いた「金系201号」と「冬藍」が虫の被害が甚大だったのをカバーしてくれました。。
今年と昨年のことを考え合わせると、播種時期をずらして、数回に分けてタネを蒔くことがとても重要だということになるのでしょう。
投資でいう「分散投資」。これには投資対象の分散、投資時期の分散などいろいろあるようですが、時期を分散するということについては、近い将来のリスクが予見できない事象についての共通するリスク回避策といえるようです。

ヤーコン 5

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ヤーコンの収穫が順調です。
10月8日の写真と比べると、だいぶ太くなってきています。

プロフィール

blogst66

Author:blogst66
 教職在職中に木村秋則氏の「奇跡のリンゴ」を読んで感銘を受け、無農薬農法に関心を持ち、200冊以上の農業書を読み漁りました。本を読んで農業の知識が深まるにつれ、自分でも農業をやってみたくなり、一年早く教職を退き就農しました。(2013年)
 農業は8年間続けることができましたが、持病の腰痛の悪化により、農業活動を継続することが難しくなり、一線から退きました。(2021年)
 一昨年から趣味として「個別株投資」を始め、ブログの中身も投資に関することが増えてきました。投資はまだわからないことが多く、初心者が陥りやすい失敗例などを発信しながら経験を積み上げていこうと思っています。(2022年)
 2年半続けた個別株投資に限界が見えてきました。しばらく個別株投資に距離を置きます。(2023年6月)
 植物の写真集「みちばたの花」をはじめました。過去に散歩の途中で撮った植物の写真の中から、毎日ひとつずつ紹介します。(2023年6月)

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