2021/03/31
3月31日、今年度の最後の日になりました。
丸々8年間、農業をやってきたことになります。
ここ一ヶ月ずっと考えてきたことの結論を出すべきときがきました。
脱「農業」という結論に至りました。
理由は大きく三つあります。
ひとつは、腰椎が「すべり症」になり、重いものを持つことや前屈みの姿勢を長く続けることができなくなったことです。
腰が悪いのは農業を始める前からわかっていたことで、それがあるからこそ農業ができる時間を少しでも長く確保するために、一年早く教職を退く決心をしたのでした。この日はいつか来るだろうと予期していたことですが、そのXデーが今日になったということです。
椎間板ヘルニア、後縦靱帯骨化症、脊柱管狭窄症、脊椎骨変形症、すべり症と、頸椎、胸椎、腰椎の背骨全体にまたがる症状があるので、これからは健康寿命を最優先にした生活を心掛けなければいけないと結論づけました。
二つ目の理由は、経済的理由の束縛から脱したことです。
就農するに当たって、教職を一年早くリタイアした分の経済的損失をどのように補うのかということが、ひとつの課題でした。
確かに、最初の1年目は収入は上がらないし、諸経費はかかるしで、一体どうなるんだろうと不安に感じたこともありました。
しかし、2年目以降は意外なほど野菜栽培が上手くいき、朝早くから毎日楽しく仕事をすることができました。
畑に行くことが楽しくて、農業をやって本当に良かったと思う日々が続きました。
農業をやってみてわかったことは、収入が低いなら低いなりに税制面で優遇されているということでした。
おそらく、学校に残って、再任用の制度に乗って働いていたとしても、経済的にそれほど大きな差はなかったと思います。
とにかく、8年間農業で稼いだ額は大したことはなかったけど、出て行った額も少なかったので、トータルとして経済的に困ったことはありませんでした。もう、時間的には、再任用で働いている人以上に働いたので、これ以上稼ぐ必要を感じません。
脱「農業」というのは、農による生業(なりわい)から脱するということです。野菜づくりをやめるわけではありません。できた野菜を直売所に持って行って販売することから脱するということになります。もちろん、野菜がたくさんできて時間にも余裕があるなら出荷するのは構わないと思っています。しかし、できた野菜を何とか売ろうとあくせくすることからは脱却して、できた野菜を畑にほったらかしにして余裕で眺めていてもいいということです。労働からの解放といってもいいと思います。
三つ目の理由は、昨年の12月、母が亡くなったことです。
この8年間、ほぼ毎日畑に通いました。
畑に通うということは、車で自宅を出て、年老いた母が一人で住む実家に置いてある軽トラックに乗りかえて畑に行くということになります。
午前中の畑仕事が終わったら、実家に帰って母と二人で昼食を食べます。
昼食を食べたら、また軽トラックに乗って畑に行きます。
午後の畑仕事が終わったら、実家に置いてある自分の車に乗りかえて自宅に帰ります。
こんな生活を8年間続けてきました。
母は生まれも農家、嫁ぎ先も農家で大家族の中で過ごす期間が長かった人生でしたが、晩年はひとり暮らしになっていました。
その母を一日に一回は見に行くことが、毎日畑に通うことの、隠れた大きなモチベーションとなっていました。
母は私が作った野菜をほめることは一度もありませんでした。
はじめてヤーコンを見せたとき、そんなもん、買う人いるんか、と馬鹿にしたようにいいました。
しかし、何年かしてから、お昼にヤーコンの炒め物をして私に食べさせてくれました。
大きなハクサイを収穫したとき、母に見せたら、目を丸くしてびっくりしていました。その後、そのハクサイを漬物にしてくれました。私が作ったジャガイモでカレーを作ってくれました。収穫が遅れて大きくなったキュウリをもっていくと、これくらいの大きさの方がおいしいと言って食べてくれました。
私は決して褒めてくれない母のために収穫した野菜をもっていくのが楽しみでした・・・
褒めてはくれませんでしたが、目が喜んでいるのは見逃しませんでした。
その母が亡くなった今、できた野菜を誰に見せたらいいのでしょうか。