菖蒲湯

20210505ショウブ1(700t)
 昨年の8月4日(記事があります)に移植した菖蒲がこんなに立派に育ちました。

今日は端午の節句、菖蒲にとって一年の中で最も利用価値がある日です。
さっそく、5株だけ根もとから切り取って持ち帰りました。
5月5日なので5株にしました。
20210505ショウブ2(600t)
帰って、風呂にお湯を張って菖蒲を入れました。
今どき、こんなことをする家庭がどの程度あるのでしょうか。
実はわが家でも久々です。

小学生の頃、祖母が菖蒲を数株ずつワラで束ねて商品にしてくれたものを、小遣い稼ぎに自転車の荷台に乗せて、近隣の村々を売って回ったことがありました。人々は待ちかねていたように、呼び止めて買ってくれたという記憶があります。
昭和30年代の始め頃でしょうか。スーパーもコンビニもない時代には子供達が流通の一翼を担っていて、人々もそれを当てにしていたのだと思います。






プロフィールを更新しました

本日、プロフィールを更新しました。
今までのプロフィールは農業を始めたときの自己紹介でしたが、おととい、脱「農業」宣言をして、状況が変わったのでプロフィールを更新しました。

あわせてこのブログの今後の方向性を探ってみたいと思います。

脱「農業」という言葉は、農業をやめるという意味ではなく、農による生業(なりわい)から脱するという意味で使いました。
つまり、私は農家をやめて家庭菜園家になったつもりでいます。
これからは出荷するためにあくせくすることなく、きままに自分が作りたい野菜をできる範囲で作ってて行こうと思います。

栽培方法は、無農薬、無化学肥料はもちろんですが、今年度から堆肥も使わず、無肥料にします。自然農法により近づいていこうと思います。

このブログも方針を変更します。
ブログ開始以来、最低限守り抜いたルールは毎日アップロードするということでした。どんなにネタが乏しくても何か探し出してきて書き、どんなに忙しくても毎日アップロードすることを鉄壁のルールとして実行してきました。おかげさまで一日も休まず続けることができました。しかし、野菜栽培は1年が過ぎれば同じルーティーンの繰り返しになるので、内容に新鮮味がなくなります。そこで、今後は、無理をしてでも毎日アップロードするという縛りを解くことにしますが、毎日アップロードする努力は続けていくつもりです。

「農業書へのいざない」カテゴリについては、5の倍数の日(5日、10日、15日、20日、25日、30日)にアップする予定にしています。

 「きままに投資」のような野菜栽培以外のテーマも模索しようと思います。しばらく、試行錯誤が続くかもしれませんが、よろしくお願いします。

脱「農業」宣言

3月31日、今年度の最後の日になりました。
丸々8年間、農業をやってきたことになります。
ここ一ヶ月ずっと考えてきたことの結論を出すべきときがきました。

脱「農業」という結論に至りました。

理由は大きく三つあります。
ひとつは、腰椎が「すべり症」になり、重いものを持つことや前屈みの姿勢を長く続けることができなくなったことです。
腰が悪いのは農業を始める前からわかっていたことで、それがあるからこそ農業ができる時間を少しでも長く確保するために、一年早く教職を退く決心をしたのでした。この日はいつか来るだろうと予期していたことですが、そのXデーが今日になったということです。
椎間板ヘルニア、後縦靱帯骨化症、脊柱管狭窄症、脊椎骨変形症、すべり症と、頸椎、胸椎、腰椎の背骨全体にまたがる症状があるので、これからは健康寿命を最優先にした生活を心掛けなければいけないと結論づけました。

二つ目の理由は、経済的理由の束縛から脱したことです。
就農するに当たって、教職を一年早くリタイアした分の経済的損失をどのように補うのかということが、ひとつの課題でした。
確かに、最初の1年目は収入は上がらないし、諸経費はかかるしで、一体どうなるんだろうと不安に感じたこともありました。
しかし、2年目以降は意外なほど野菜栽培が上手くいき、朝早くから毎日楽しく仕事をすることができました。
畑に行くことが楽しくて、農業をやって本当に良かったと思う日々が続きました。
農業をやってみてわかったことは、収入が低いなら低いなりに税制面で優遇されているということでした。
おそらく、学校に残って、再任用の制度に乗って働いていたとしても、経済的にそれほど大きな差はなかったと思います。
とにかく、8年間農業で稼いだ額は大したことはなかったけど、出て行った額も少なかったので、トータルとして経済的に困ったことはありませんでした。もう、時間的には、再任用で働いている人以上に働いたので、これ以上稼ぐ必要を感じません。
脱「農業」というのは、農による生業(なりわい)から脱するということです。野菜づくりをやめるわけではありません。できた野菜を直売所に持って行って販売することから脱するということになります。もちろん、野菜がたくさんできて時間にも余裕があるなら出荷するのは構わないと思っています。しかし、できた野菜を何とか売ろうとあくせくすることからは脱却して、できた野菜を畑にほったらかしにして余裕で眺めていてもいいということです。労働からの解放といってもいいと思います。

三つ目の理由は、昨年の12月、母が亡くなったことです。
この8年間、ほぼ毎日畑に通いました。
畑に通うということは、車で自宅を出て、年老いた母が一人で住む実家に置いてある軽トラックに乗りかえて畑に行くということになります。
午前中の畑仕事が終わったら、実家に帰って母と二人で昼食を食べます。
昼食を食べたら、また軽トラックに乗って畑に行きます。
午後の畑仕事が終わったら、実家に置いてある自分の車に乗りかえて自宅に帰ります。
こんな生活を8年間続けてきました。
母は生まれも農家、嫁ぎ先も農家で大家族の中で過ごす期間が長かった人生でしたが、晩年はひとり暮らしになっていました。
その母を一日に一回は見に行くことが、毎日畑に通うことの、隠れた大きなモチベーションとなっていました。

母は私が作った野菜をほめることは一度もありませんでした。
はじめてヤーコンを見せたとき、そんなもん、買う人いるんか、と馬鹿にしたようにいいました。
しかし、何年かしてから、お昼にヤーコンの炒め物をして私に食べさせてくれました。
大きなハクサイを収穫したとき、母に見せたら、目を丸くしてびっくりしていました。その後、そのハクサイを漬物にしてくれました。私が作ったジャガイモでカレーを作ってくれました。収穫が遅れて大きくなったキュウリをもっていくと、これくらいの大きさの方がおいしいと言って食べてくれました。
私は決して褒めてくれない母のために収穫した野菜をもっていくのが楽しみでした・・・
褒めてはくれませんでしたが、目が喜んでいるのは見逃しませんでした。
その母が亡くなった今、できた野菜を誰に見せたらいいのでしょうか。

ショウブ

20200804(800t).jpg
 ショウブをコンポスター(コンポストをつくる容器)のまわりに移植しました。
花菖蒲ではありません。ただのショウブです。
このショウブは、もともと実家の貸家の庭に植えてあったものです。
ショウブは水辺に生えるものと思っていたら、庭に生えていたので少し驚いて、貸家が取り壊されたときに、何となくもったいなく思って、とりあえず、畑の北側にある耕作放棄地に移植してそのまま放っておいたものです。
 移植して8年目になりますが、枯れもせず、命脈を保っていましたが、考えてみるとこの場所もいつ手が付けられるかわからず、今のうちに安全な場所に移しておきたいと思いました。
 この植物の利用が考えられるのは5月の節句のときに、菖蒲湯に使うことくらいしかありませんが、わが家では菖蒲湯に使ったこともありません。しかし、このままなくなるのは残念だという思いがして移植しました。
 何が残念かというと、とても香りがいいのです。間違って一本葉を傷つけただけでも、辺りにショウブ独特の香りが漂います。この香りは捨てたものではありません。恐らく何らかの癒やしの効果があると思われます。それが菖蒲湯の文化につながっているのだという気がします。
 そういうわけで、移植するとしたらどこがいいかと考えたときに、コンポスターの回りがぴったりだとひらめき、ここに移植しました。
コンポスターは熊本地震の前に実家で使っていたものです。地震の後、家を解体するとき行き場がなくなったので畑に持ってきました。
コンポスターの中には雑草やら野菜の残渣などを投げ込んで満杯にしますが、不思議なことにいつの間にか暈が減ってしまい、中身を取り出したことはありません。

種を注文しました

 秋冬野菜の種を注文しました。
種はいつも年2回、1月頃に春夏野菜の種を、7月頃に秋冬野菜の種をネットで注文して取り寄せています。
種苗会社は「サカタのタネ」です。

キャベツを3種類注文しました。
早生種の「グリーンボール」、中生種の「新藍」、晩生種の「冬藍」の3種類です。
キャベツはできるだけ長い期間収穫したいのと、育苗時期が真夏になるため育苗が難しく保険的な意味も含めて多めに播いておきたいからです。

ハクサイを一袋注文しました。
昨年は定植した後、一夜にしてコオロギに食べ尽くされてしまいました。
今年は、コオロギがハウスの中で冬を越して、イチゴが収穫後半は大きな被害にあいました。
昨年にも増してコオロギの気配が強いので、ハクサイが生きのびてくれるかどうか心配です。
しかし、冬の鍋に欠かせないハクサイをスルーするわけにはいきません。

ロマネスコを一袋注文しました。
これは一袋に25粒しか入っていませんので、出荷用というより楽しみの要素が大きい野菜です。
昨年までは「サカタのタネ」では「ミナレット」という名前のものが販売されていて、毎年これを栽培していました。
「ロマネスコ」は「タキイ種苗」で販売されていたので、種苗会社によって同じものでも違う名前で販売しているんだな、と思っていました。
 ところが、今年の「サカタのタネ」のカタログを見ると、同じページに「ロマネスコ」と「ミナレット」が並べて載せてありました。
写真も載っていて、見た目はまったく同じです。よく見ると、「ロマネスコ」は“早生”で「ミナレット」は“中早生”という表記がありますので、この二つは品種が違う別物だということがわかりました。
さらによく見ると、「ロマネスコ」のほうには丸囲みで「NEW」の文字がありますので、「サカタのタネ」で今年から扱い始めたものであることがわかります。
そこで、今年は「ロマネスコ」を栽培してみることにしました。

ダイコンを一袋注文しました。
品種は「冬自慢」です。
昨年は「竜神三浦2号」も播きましたが、ダイコンの大きさが大きすぎて直売所で売れなかったので今年はやめました。

ホウレンソウを一袋注文しました。
品種は「オシリス」です。

レタスを一袋注文しました。
品種は「フリフリッカー」です。

ライ麦1kg入りを一袋注文しました。
これは畑の空いた場所に播いて、刈り取って敷きわらとして利用するためのものです。

プロフィール

blogst66

Author:blogst66
 教職在職中に木村秋則氏の「奇跡のリンゴ」を読んで感銘を受け、無農薬農法に関心を持ち、200冊以上の農業書を読み漁りました。本を読んで農業の知識が深まるにつれ、自分でも農業をやってみたくなり、一年早く教職を退き就農しました。(2013年)
 農業は8年間続けることができましたが、持病の腰痛の悪化により、農業活動を継続することが難しくなり、一線から退きました。(2021年)
 一昨年から趣味として「個別株投資」を始め、ブログの中身も投資に関することが増えてきました。投資はまだわからないことが多く、初心者が陥りやすい失敗例などを発信しながら経験を積み上げていこうと思っています。(2022年)
 2年半続けた個別株投資に限界が見えてきました。しばらく個別株投資に距離を置きます。(2023年6月)
 植物の写真集「みちばたの花」をはじめました。過去に散歩の途中で撮った植物の写真の中から、毎日ひとつずつ紹介します。(2023年6月)

カテゴリ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR