うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

図鑑の世界

2024å¹´07月31æ—¥ | æ—¥è¨˜

久し振りに、本を買った。

 

おはようございます。

それは野鳥図鑑だ。

ハイテク時代らしく、

ほとんどの鳥の鳴き声がQRコードで確認できるという優れものだ。

ところが、その本を手にしたと同時に、

今まで愛読していた野鳥図鑑が忽然と消えてしまったのだ。

20年・・・いや25年は愛読していただろう。

どこへ置いていたってことじゃない。

いつも側にあるのが当たり前すぎて、置く場所を意識したことが無かった。

本を読まない私の、貴重な愛読書だ。

私は、その本のおかげで、色んな鳥の名前を知った。

野鳥の会の電話番号も知ったから、

「セキレイに雑種がいませんか?

ハクセキレイとセグロセキレイの雑種っぽい子を見るんですが、

ハクセキレイとセグロセキレイでの交配ってあるのですか?」

と問い合わせた事もある。

 

あの本、どこいっちゃんだろう。

役目は終わったって思っちゃったんだろうか?

そして、

新たな世界の頁を開きなさいって言っているのだろうか?

 

それより、

ちゃんと家ん中を整理してみろやー!

ってことですか?

そうですよね。

納得!

 

さて、我が家ではおたまの寝相図鑑だ。

おたまー食肉目ネコ科ネコ属(ヨーロッパヤマネコの亜種として)家畜種

・食性は、限られたペットフード類

・特性は、あや命でありながら、あやに嫌われる事しかしないが、

そのことを一切気にすることなく、あやさえいればご機嫌である。

・一日のほとんどを寝ているが、その寝方の特徴が濃い。

『スタンダードだ寝』

 

『床もろとも落ちそうだ寝』

 

『開いてる寝』

 

『漫画みたいな顔だ寝』


カズコの介護 あつい醜態

2024å¹´07月29æ—¥ | ã‚«ã‚ºã‚³ã•ã‚“の事

酷い暑さが到来してからというもの、

カズコの寝起きが非常に悪い。

 

おはようございます。

毎朝毎朝、実家へ着くなり、カズコは

「わしは、もう出ていくでな。こんなとこにはおれんわ。

お前みたいな頭のおかしいもんとおったら、えらい目こくわ。」

と、ベッドに腕枕で横になった状態で宣言する。

重大宣言のわりに、ポーズが余裕綽々だ。

だったら、まず起きろ!

そう言ってやりたいが、私はカズコをスルーっと受け流し、

そそくさとカズコの朝食の準備をする。

「冷たい麺とあったかい麺、どっち食べる?

とりあえず食べよう?出て行く前に、まず腹ごしらえせんと。」

カズコは、どんなにごねていても、麺なら食べる。

そして、「美味しいね、美味しいよね?」と言って、

無理やりにでも、「これ、いっちゃん美味い」と言わせる頃には、

カズコはすっかり宣言を忘れて笑顔になる。

カズコの朝の不機嫌は、空腹とそれに伴う低血糖に暑さが加わって、

脳がバグっている状態なのだろう。

私は、そう理解している。

しているが、この暑さに、私も時々イラっとしてしまう。

 

昨日は、苛立ちが抑えきれなかった。

「お前なんて捨てたるでな。」

そのカズコの言葉に、鬼太郎の妖怪アンテナみたいに、

私のアンテナが激しく揺れた。

「貴女は昔から、そうやって私を虐めて脅して育ててきたんだよ。」

そう言うと、カズコは

「そりゃお前が、悪いことしたからやろうが。」

と言って、私から目を逸らした。

ああ、覚えてるな。

まだ、昔への後ろめたさをカズコは覚えている。

そう感じた私は、ついキレてしまった。

「私は悪い事なんてしてない。

ただ意地汚く貴女の腹にしがみついてだっけ?

そうやって無理やり生まれてきたのが、悪かったって言うの?

いつも、そう言ってたもんね。

だったら殺せばよかったの。中途半端なことせずに、

どうして殺さなかったの?要らなかったんでしょう?

なら、殺してよ。ほら、今やりなさい!」

そう凄むと、カズコが震えた。

「もういや!わしが死んだらええんやろ?こんなとこ嫌や。」

まるで、駄々っ子みたいになった。

それを見て、私は我に返った。

まともな喧嘩は、さすがにもう難しくなっているボケ具合だ。

「よっしゃ、忘れようね。大丈夫、もう少ししたら忘れられるよ。」

カズコは、このやり取りなんてすぐに忘れる。

3分あれば充分だ。

実際、味噌煮込むうどんが出来上がった頃には、

カズコと私は、

「あっつ!あっつ!」と笑い合ってうどんを食べていた。

 

昔のことも、きっといつか忘れる。

カズコが全部忘れたら、私もすっかり忘れられる気がする。

ああ、認知症バンザイ。

 

そんな昨日も、あの子のことは忘れない。

「マアコ、ご飯だよ。マアコ」

 

貴女は美しいわね。

私の現実は、実に醜い。

目も当てられない醜い自分が、ぶっ倒される美しさよ!

なんか頑張れる気がする~ありがと、マアコ。


夏の模様

2024å¹´07月26æ—¥ | æ—¥è¨˜

咲いた咲いた。

今回も咲いた。

 

おはようございます。

今年は、2度目の開花だ。

頑張ったねぇ、ありがとねぇ。

熱帯の花でも、日本の暑さは堪えるらしく、

幾つか蕾が落ちてしまったが、

なんとか咲いてくれた。

 

暑いですね。

愛知、暑いです。

昨日は、

「なんか、過ごしやすいね」っと話していたが、

外の気温は34度だった。

いやもはや、34度は過ごしやすいと感じてしまう。

私なんて

「なんか、スースーするぅ」

と、はしゃいでいた。

そこへもってきて、

ドライバーさんがずぶ濡れで社に戻って来た。

「いやここ、晴れてるし?!

隣町は、土砂降りだっったっつーの!」

3キロ先は、土砂降りだった。

夏って忙しない。

 

そんな我が家の朝も忙しない。

あやがにゃーすか鳴いているから、なんだろうと思ったら、

あや「ちょっと早く起きなさいよぉ!」

おじさんを起しに掛かっていた。

 

あやちゃん、ありがとね。

あや「おじさん、全然起きないわよ、まったくもう!」

どうして、そんなにおじさんを起したいの?

 

あや「さて、腹ごしらえするわ」

二度目の腹ごしらえだよね?

 

あや「よっしゃ、もういっちょ起してみるか」

一種のゲーム感覚か!


数々の記念日

2024å¹´07月24æ—¥ | æ—¥è¨˜

土用の鰻は、

すでに昨日、片付けてやった。

 

おはようございます。

私は食べないが、我が家のおじさんには、

『しつまぶし風鰻の炊き込みご飯』を出した。

鰻のタレで米に味を付け、カットした鰻を乗せて炊飯器で炊く。

非常に簡単で、やっすい方の鰻でも、なかなか美味しくなるから、おススメです。

とはいえ、どうしても鰻の臭みが気になるから、私は食べない。

 

って、このレシピ臭いんかーい!

だったら、おススメすんなやー!!

 

私にも食べられるようにするには、

まず取り敢えず、蒲焼を50度の湯で洗い、

臭みの原因の皮をはぎ、身をショウガと共に茹ででから、

鰻のたれを付けて焼き、米と共に炊いてみるといいかもしれない。

 

そんなにこねくり回すなやー!

だったら、食うなー!!

 

ですよね。

ちなみに、かずこさんに、

「明日は土用の丑の日だよ」と言ったら、

「明日は水曜日やろ?」と真顔で反論してきた。

よしよし、かずこさんはまだ正気だ。

 

そして今日は、のん太の誕生日だ。

ここ実は、ハッキリ言いきれない。

23日の午後11時58分頃に産まれたか、

24日の午前1時5分頃に産まれたかは定かではない。

とにかく、24日に保護したから、保護記念日だ。

いつ見てもベソかいたような顔をしていた子猫も、

今や・・・

こんなにふてぶてしく育った。

 

おめでとう、のんちゃん!

しおちゃんも、他の兄妹も、皆おめでとう!

そして、産まれて来てくれてありがとう。

 

そして今日7月24日は、まだまだある。

チャー坊の命日だ。

チャー坊が逝ってから、今日で1年になる。

 

私は死を見送ることまで出来たくせに、

今もなお、チャー坊と出会ったことさえ信じられない。

あれはまるで、夢の中の出来事だった。

あんな猫、どこ探したっていない。

あんな猫が、実在してたなんて、嘘みたいだ。

それくらい、チャー坊は素晴らし過ぎた。

 

でも本当は、最期はボロボロだった。

エイズと白血病が発症した状態は、実に壮絶だ。

そんな中でも、チャー坊は繰り返す下痢と嘔吐を、

すべてトイレ内で済ませていた。

潔癖症に近い父さんでさえ、

「おい、お前。わざわざトイレまで歩かんでいい。」

と、チャー坊を説得したほどだった。

けれどチャー坊は、

どこも汚さず何の痕跡も残さず、そのくせ最後まで約束を守り抜いて逝った。

 

約束とは、「チャー坊、またね」の約束だ。

チャー坊がまだ野良猫だった頃、

私が「チャー坊、またね。絶対よ。」と言うと、

チャー坊はどんな状態であっても、必ず私に会いに来てくれた。

それは実家に保護してからも、毎日続いた約束だった。

最後の日も、

「チャー坊、またね。お昼に来るからね。」

と言って会社へ出かけたものだから、

チャー坊はお昼まで踏ん張って生きて待っていてくれた。

私は、静かに死んでいくチャー坊を膝に乗せ、

それでもあえて、

「チャー坊、またね。」とは言わなかった。

ボロボロになっても懸命に病と闘ってくれたチャー坊に、

それは言えなかった。

 

これは、7月23日のチャー坊だ。

毛は抜け落ち、体の内外あちこちに炎症が起こっていた。

触られるのも億劫だろうという状態であっても、

私が帰ると、チャー坊は

「大丈夫。僕は生きるよ。約束守るよ」と言わんばかりに、

私に寄り添ってくれたから。

 

いつだって「抱っこして」じゃなく「抱っこしていいよ」って

言ってくれてるみたいだったから、

だから私は最後だけは言わなかったんだ。

「チャー坊、またね。」と言わずに、晴れた空を見た。

 

私は今、

実はちょっとだけ後悔している。

あの時、「チャー坊、またね」って言わなかったことを。

 

チャー坊、ありがとう。

 


名前の不思議?

2024å¹´07月22æ—¥ | æ—¥è¨˜

前回の記事に、

いろんな方の思いを寄せて下さり、

誠にありがとうございます。

 

おはようございます。

皆様のおかげで、これからを考える良い機会になりました。

そして、私なりに改善をはかる事にした。

ママちゃんというのは、

元々ボランティア団体さんが通称として呼んでいる名前なので、

この機に改名しました。

といっても、私が勝手に呼ぶ時の名前を『マアコ』に替えてみるー。

 

改善ってそれだけかよ?!とご心配をおかけしております。

ごめんなさい、それだけです、ごめんなさい。

だって、可愛いじゃんね?

マアコって、めちゃくちゃ可愛いやん?

 

しかし私は、名前の不思議を信じている。

どんな音で呼ばれるかによって、

その人が作られていく上では、多少なりとも影響はあるのじゃないだろうか。

実際、のん太は、

「からし」と呼んでいた頃とは少し違った印象を育んでしまった気がするし、

あやが、「ゆりちゃん」だったら、

もっとお淑やかな子になっていたに違いないと信じている。

この私だって、名前がぼんやりした響きだから、

眼がとぼちんと小さくしか育たなかったのだろうし、

口がいつでもぼんやり開いてるのは命名のせいだと思っている。

スットコドッコイも名前のせいだ、きっとそうだ。

「霧子」だったら、きっと今頃、政治家になってるし、

「瑠璃子」だったら、石油王の妻になっていたし、

「ラッキー」だったら、犬になっていた。

 

そうはいっても、私は自分の名前は嫌いじゃないが、

もし替えたら、またちょっと違う自分を見出せるかもしれない。

 

そんな、のん太の変身が完成した模様だ。

冬には、ほぼ短毛でスカスカだった、のん太。

これ、1月ののん太。

 

それが、こうなった。

これを我が家では、「のん太完全体」と呼んでいる。

「もさお」にでも改名したら、冬もモサモサを保てるのか?